<今月読んだ本>
1)宇宙開発の不都合な真実(寺薗淳也);彩図社
2)スパイは今も謀略の地に(ジョン・ル・カレ); 早川書房(文庫)
3)撤退戦(齋藤達志);中央公論新社
4)レンブラントの身震い(マーカス・デュ・ソートイ);新潮社
5)日本インテリジェンス史(小谷賢);中央公論新社(新書)
6)どんがら(清武英利);講談社
<愚評昧説>
1)宇宙開発の不都合な真実
-資源開発から宇宙ゴミまで「夢とロマン」とはまるで違う宇宙開発の現実-
1957年10月世界初の人工衛星スプートニクがソ連によって打ち上げられた。米ソが大陸間弾道弾(ICBM)の開発・配備を進めていることは以前から話題になっていたが、それが現実である証であり、軍事は言うまでもなく、各国政治・経済・科学政策に強烈なインパクトを与えた。この年航空技術者を夢見て浪人中の私にもそれなりに忘れられない出来事だった。翌年大学に入り自己紹介の際同級生の一人が「文系を目指していたが、スプートニク打ち上げでエンジニア志望に変えました」と入学の経緯を述べ「そんな奴が居るのか!」とその柔軟な進路変更に驚かされた。しかし、後年本欄で何度か取り上げてきた「工学部ヒラノ教授」シリーズでこんな方向転換が決して特殊な例ではないことを知らされることになる(ヒラノ教授は1959年入学)。明らかに我々世代は宇宙開発に影響されているのだ。
我が国のロケット開発(宇宙開発ではない)は、1955年に始まった東大生産研究所の糸川教授によるペンシル型ロケット(30cm)を嚆矢とするが、とても世界に伍すものでは無かった。それでもその流れをくむミュー型ロケットで1970年2月実験衛星“おおすみ”の打ち上げに成功している。これは自国開発のロケットによるものとしてはソ連・米国・フランスに次ぐ4番目のもので、それなりに評価できる(この間、英・豪・独・伊・欧州連合も衛星を打ち上げているがいずれも米国製ロケットに依る)。その後は、米国の技術に頼る部分があったもののこの系統はイプシロン型ロケットに発展、さらに大型のものはHシリーズとして最新はH-3まで達している。しかしながら昨秋のイプシロン、今月のH-3第1号打ち上げ失敗は我が国宇宙開発に暗雲を投げかけている。いずれも原因究明下にあるが、最近の我が国宇宙開発の現状を知りたく本書を手にした。
著者は1967年生れ、大学・大学院で地球惑星物理学専攻後宇宙航空研究開発機構(JAXA)職員となり、現在は宇宙開発関係のコンサルタントを生業としている人。JAXAでは主に写真撮影機材を主務としていたようだが兼務として広報関係の職にも就いており、ここで宇宙開発に関する広範な知見を得ている。従って、内容は素人に分かり易いものになっている。
1969年のアポロ11号月面着陸から2019年のはやぶさ2号による小惑星りゅうぐう資料採取持ち帰りまで宇宙開発は「夢とロマン」で語られることが多い。しかし現実はそれとは全く異なる、国際政治から宇宙ゴミに至る諸問題が横たわる、厳しい環境下にあるのだ。その“不都合”を我が国宇宙開発中心に明らかにし、宇宙開発リテラシーを高めたいと言うのが本書の要旨である。
例えば、宇宙資源は誰のものか。1966年採択された宇宙条約によれば国家・企業による独占は許されない。月から持ち帰ったものもはやぶさ2の資料も無償でその一部やデータが諸国の研究機関に提供されている。しかし、民営化が進む中、米国・ルクセンブルグは採掘者の権利を認める国内法を成立させ、日本を含む各国もそれに追随、資料やデータが有料になる可能性が出てきているのだ。長期人類活動の最も身近な天体は月、最大の制約は水にある。宇宙ステ―ション活動に要する水の輸送コストは3人1年間で32兆円に達するとのこと!もし月面の水分(凍結した状態で存在する)をある国・企業が独占したら事実上月はそれらのものになる。
最近の各国宇宙開発活動を俯瞰すると米国および中国が2大プレーヤー。特に中国は活発で2021年度衛星打ち上げ数は55基と突出、独自ステーションの建設や月着陸計画も具体化してきている。我が国もはやぶさのようなニッチ領域では優れたものもあるもののスケールが小さい。中国・ロシアのデータは推定だが、年間予算では、米国が軍事を除いて5兆円、中国は1兆円、ヨーロッパ連合(ESA)7千億円、露6千億円、我が国は3千億円。人員数(中・露不明)は、米(NASA1万8千名、軍2万5千名)、欧州(ESA2千名+各国別計1万名)、それに対してJAXAは1588名(2022年度)。著者は総合的な宇宙開発力で日本の現状を、米・中・欧・露それにインド(惑星探査で実績を挙げつつある)に次ぐ6位と評価している。
我が国の問題点として;政治家にとって国威発揚は票にならず関心が薄いこと、軍民デュアルユースの典型でありながら反軍・反戦の影響があること(保守系政治家も躊躇)、開発計画に継続性のないこと(はやぶさも3号計画はない。特に人材育成に影響)、時々の成長分野へ偏っていること(現時点では情報収集衛星(スパイ衛星)、テポドンのおかげ)、政治的判断で米国計画に追従する姿勢が強い(米国中心の有人月探査アルテミス計画は対中国政策が主眼で科学は二の次)、などを挙げている。
この他にも宇宙ゴミや軍事利用との関係など、世界も日本も“不都合”が多々あることをよく理解でき、宇宙開発に関心のある方々にはお薦めできる一冊である。新型ロケットH-3初号機は打ち上げに失敗した。初物にそれはつきもの、めげずに挑戦を続けられることを切に願う。
2)スパイは今も謀略の地に
-引退間近、老スパイ最後の大仕事、所属する秘密情報部に一泡ふかせる逆転劇-
英国での作家デビュー作は1961年刊行の「死者にかかってきた電話」。しかし、我が国では英国推理小説家協会のゴールド・ダガー賞(1963年)を受賞した「寒い国から帰ってきたスパイ」が1964年に出版され、これが初の翻訳作品だ。だから講読順序は「寒い国」「死者」(1965年訳刊)となる。シャーロック・ホームズを始め多くの推理小説は読んでいたものの、スパイ小説はここから始まり、彼より先輩のサマーセット・モームやグレアム・グリーンが後に回るほど、私にとっては特別な意味を持つ作家である。翻訳が拙いと悪評だった「スマイリー・シリーズ3部作」、ペーパーバックに挑戦し途中でギブアップした「ロシアンハウス」、冷戦後の中東やアフリカを舞台とした2,3作を除けば、すべての作品を読んでいるはずである。本書の本国出版は2019年、翌年7月に訳本が出たのは知っていたが文庫になるまで待つことにしていた。それがやっと先月刊行された。この間ル・カレは2020年12月に他界(89歳)、本書が遺作と思っていたが、この後に「シルバービュー荘にて」(原書・邦訳とも2021年刊、26作目)があり、丁度60年で作家活動を終えたことになる。
ル・カレの死亡が報じられた時、内外の評伝が紹介された。その中に、確か英紙だったと思うが、「ノーベル文学賞に値する作家」と言うのがあった。驚くとともにその解説に納得感もあった。複雑なストーリー展開、組織文化や人物の内奥描写がこの分野では独特だったことに着目しての評である。エンターテインメントに徹した007シリーズが直木賞とすればル・カレ作品は芥川賞と言ったところか。その分かりやすい典型例は映画化にある。007の多くは映画で大ヒット、同じ作品が何度も制作されている。これに対して「寒い国」だけは数回TVを含め映像化されているものの、他作品の映画化は少なく興業的に必ずしも成功していない。ひと言でいえば文字で表現してこそ味わえる世界を専らとしているのだ。そして本書もその系譜を継承している。
冷戦後の作品に共通するのは引退あるいはその間際に在る老スパイを主人公とするものである。主人公ナットは冷戦時代MI-6(英秘密情報部)モスクワ支局に夫人とともに駐在したこともある有能な工作員(スパイ)。冷戦後旧ソ連邦構成国家(ジョージア、エストニアなど)に勤務したものの、そこに活躍の場は無く、50代になり国内に戻され窓際族となっている。妻は弁護士、娘は大学に進学して自立、自身つまらぬ仕事なら引退も悪くないと考えている。そこへ、ロンドン総局の配下にある一地区の支局長のポストが提示される。主たる役割はソ連崩壊後英国に居住・活動するオリガルヒ(犯罪者すれすれのロシア新興財閥)の監視である。部下たちははぐれ者ばかり、言わば掃きだめ職場である。休日や余暇を過ごすのは所属クラブでのバドミントン。長年そのチャンピョンを維持している。それほど入会資格の厳しくないこのクラブにエドと言う若者が入会、チャンピョンに挑戦してくる。対戦後は敗者がビールを奢りたわいない話、トランプ批判やブレクジット賛否を論じて過ごす。エドは何やらメディア絡みの調査をしているが今一つ正体ははっきりしない。そんな日々オリガルヒ周辺にロシアに依る対英謀略の臭いが漂ってくる。チェコにモスクワにかつての連絡員を隠密裏に訪ね、企みを探る。
このところのル・カレ作品でもう一つ共通するのは“内部の敵”である。初期のものも二重スパイをよく取り上げているが、最近はMI-6内での権力闘争・出世競争、これと国外勢力との関係である。オリガルヒ事件はやがてMI-6対MI-5 (国内保安局)の対決に発展、両者はナットとエドを生贄にしようとするが・・・。おそらくル・カレ自身のトランプ観・ブレグジット観と思われることばかりでなく、プーチンやウクライナ、ロシアに依るハイブリッド戦争(今回の侵攻ではないが)など今日的話題を絡め、最後は失うもののない老スパイの大胆な行動で両組織に一泡吹かせる。さすがスパイ小説の巨匠!
遺作「シルバービュー荘にて」の文庫本化は通例なら来年末になる。それまで健康でいたいものだ。
3)撤退戦
-退勢の中にも勝利と敗北がある。そこに見える組織と指導者の資質、九つの戦場でそれを分析-
管理職になって種々の意思決定を迫られるようになった。イエス/ノー、やろう/やめようの決断の場で逡巡するのは“ノー”であり“やめよう”だった。否定的な決断は肯定に数倍する難事だ。1994年子会社の代表に任ぜられ、さらにこの苦痛は倍加、特に一旦手掛けたビジネスを中断あるいは撤収するケースは、社内ばかりでなく顧客・取引先を巻き込むだけに、当に苦渋の決断だった。
1980年代初期、戦史から経営について学ぶことを習いにし始め、その種の適用に評価の高かった野中郁次郎らに依る「失敗の本質-日本軍の組織論的研究-」も読んだが、読後何かあざとさを感じた。それ以前出版された山本七平の「「空気」の研究」などに見る既存の日本文化・組織特質分析との共通性、当初から経営への展開を意図していたのではないかとの疑点、仮説証明に都合の良い事例と論理構成がそれらである。別の見方からすると、失敗が必ずしも日本組織固有の資質に発すると思えないのだ。例えば、福田秀人著「見切る」(祥伝社)はタイトル通り経営における中断・撤退を主題にした内容だが、そこには失敗例として超音速旅客機コンコルド開発における日本軍同様の意思決定が例示されている。大幅の納期遅れと赤字はわかっていたのに「ここまで来たら後には退けない」と突っ走り、試作機も含めわずか20機で生産中止となっている。安易に“戦史に学ぶ”は危険がいっぱい、一先ず経営への展開を意識せず純粋に戦いとしての撤退時の決断を学んでみたい、そんな動機で本書を紐解いた。
著者は1964年生れ、防大出身の陸上自衛隊二佐。第一線部隊勤務、各種学校での戦術・戦史教官を務め、現職は防衛研究所戦史研究センター所員。ただこの経歴に“再任用”とあり、一般大学修士課程を修了していることも考慮すると、一旦除隊して再び任官したようだ(再任用のバードルは極めて高い)。今後日本社会が直面する諸課題対応に役に立てたいと言う意図はあるが、特定の分野(特に経営)を意識した内容ではなく、軍事作戦における国家首脳・軍トップの意思決定過程に焦点を絞り込んだものになっている。
取り上げられる作戦は9。これを三つの層に分類し、決断に関わった組織・人物の資質・言動を分析、どこに問題があったかを明らかにする。第1部は国家首脳の決断;①ガリポリ上陸作戦(第一次世界大戦トルコ・ダーダネルス海峡ガリポリ半島への英仏軍上陸と撤退、②ダンケルク撤退、③朝鮮戦争における国連軍の38度線への撤退、④スターリングラードにおける独第6軍の撤退。第2部は軍統帥機関の決断;⑤ガダルカナル島撤退、⑥インパール作戦、⑦キスカ島撤退。第3部は部隊指揮官の決断;⑧沖縄戦、⑨ノモンハン事件。これらを選んだ理由は事実・実相がよく伝えられているからとしている。確かに、いずれも戦史に残る著名な作戦である。この中でいささか他と異なるのは沖縄戦である。これだけは撤退できずに最後は玉砕で終わっている。ただこれは本土決戦を遅らせるための持久戦として有効であったとし採用したようである。
各章の構成は、戦いの作戦目的から始め、敗勢に転じてからの組織間情報交換・把握状況、意思決定各層個人の言動とその背景、最終的な行動が如何様であったかを述べ、問題点を総括する形になっている。この中で著者が力点を置いているのが決断者の資質である。命が優先か、任務が優先か、それぞれ決断を迫られた者の哲学、勇気、決断力とリーダーシップ、教養と創造力、運、さらに人間としての懐の深さを冷徹に分析する。
撤退戦は戦いとしては負け戦である。しかし、損害を最小限にとどめ余力を残したものは成功と評価する。その観点から②⑦は成功、①④⑥⑨は失敗、他は判定不能と言ったところだ。9事例の内5例が日本軍の作戦。資料の充実度、著者の現職との関わり、対象読者からこのような結果になったと推定する。
これら事例を整理すると;キスカとガダルカナルは島嶼からの撤退、ガリポリも水陸両用作戦、ダンケルク撤退もこれと同等。ここでは陸海の協力がカギとなる。ガダルカナルはこれが上手く機能せず(進出の動機は海軍飛行場建設、敗勢が明らかになっても海軍は“撤退”を陸軍に言わせようとする)、キスカでは主力が海軍陸戦隊であったこともあり成功する。ガリポリ、ダンケルクは陸海に加え英仏の連携と言う外交課題が成否を分ける。スターリングラード、朝鮮戦争、インパール、沖縄、ノモンハンは陸戦、統帥部・現地軍間情報共有、意思統一が決め手となっている。スターリングラードでは第6軍司令官パウエル大将が参謀本部を含めた上部司令部が撤退を命じたのに、ヒトラー信奉が勝り撤退の時期を誤る(総統本部から連絡将校が派遣されており、本部-将校間直結通信システムがあった)。「アジアの戦争を分かっているのは自分だけ」と自説を強行しようとしたマッカーサーだが中共軍の実態把握(情報、戦術など)は全くできておらず、トルーマンは彼を排除する。
取り上げられた日本軍事例から「失敗の本質」に見るような国家・民族固有の敗因は見えてこない。著者が成功因子として重要視しているのは、現地と国家首脳・統帥部間で上下一貫した問題意識と解決のプロセスが共有されていること、それに責任ある現地軍人の勇気ある最初の決断である。つまり、現地情報収集・分析力、上下間の情報共有、それに基づく意思統一、現地指揮官の決断力、がどの戦いにも欠かせぬと言うのが結論となる。軍事に関しては具体的に問題点が詰められていくので、撤退戦そのものを理解するには好書だが、このごくありふれた結論を“戦史に学びビジネスに適用する”には置かれた環境に基づく咀嚼努力が不可欠、安易に“戦史に学ぶ”は難しい。
4)レンブラントの身震い
-絵を描き、音楽を作曲し、数学の難題に取り組むAI。脅威を感じ始めた数学者が現状を分析する-
10日ほど前、1979年米国で開催されていた石油関連IT会議で会い、その後も親しく交流してきたイタリア人の友人から「自著を送った」とのメールが届いた。そこには「君はイタリア語を解さないと思うから、旧知の日本人女性(札幌在)に翻訳を依頼してもいいが・・・」とあった。その本(実は30頁足らずの小冊子)“Macrocosmo e Microcosmo(大きな宇宙と小さな宇宙)”が昨日届いた。定年退職後イタリア語を学んでいた大学時代の友人に目を通してもらい、概要だけでもと思っているが、ものは試しと無料翻訳ソフトで半頁ほど訳させてみた。多少不自然なところもあるが、下手な人間よりましな文章、最近のAI技術の高さを身をもって体験した。シンギュラリティ(ITの技術的転換点;AIが人間の能力を超す)到来に対してはいまだ懐疑的ではあるが、藤井聡太6冠の研鑽からチャットGPT(対話型検索システム)まで、昨今AIは着々と実用域に入ってきている。人間に残された創造性・情感の世界におけるAI適用の現状を知りたく本書を読んでみることにした(とは言っても原著の出版は2019年、最新情報とは言えないかもしれないが)。
著者は1965年生れの英国人、オックスフォード大学数学研究所教授、BBC数学番組監修など数学知識の啓蒙活動に注力、その功により大英勲章を受章している。著者の本分野における最大の関心事は、AIが数学問題の解法あるいは問題創出にどこまで達し、その将来は如何様かにある。
私がこの本に惹かれたのは題名の“レンブラント”にある。それまでにもゲーム(チェス、囲碁)や専門家代行(医師、法律家)あるいは文章作成(新聞記事、小説)へのAI適用に関するものは何冊か読んでおり、本欄でも紹介してきた。しかし、絵画の世界はITが画像認識を苦手としていたこともあり、これと言った書籍に行き当たっていなかった。従って、本書の題名を見た時、珍しく絵とAIの関わりを語るものと受け取り購入した。確かに、読み進めて半ばころ“巨匠に学ぶ”章の一項に“レンブラン復活”があり、ここでAIがその画風を学習、新作を生み出すシーンが詳しく解説されるが、全編が絵画(あるいは芸術)を扱う内容ではなかった。原題は“The Creativity Code(創造性の規範)”、あくまでも“創造性”が主題で絵画はその一例に過ぎないのだ。
導入部は、計算機械と人間の関わりを歴史的に追い、それが部分的に人の能力を上回ってきていることを分かり易く解説する。チューリング・マシーン(チューリングが仮想した人間と見紛う計算機械)からチェスの名人を負かしたIBMのディープ・ブルー、囲碁世界名人を最終的に引退に追い込んだグーグルのアルファ碁まで、よく知られたAIの進歩の道のりが援用される。中でもアルファ碁に関しては極めて詳しく、7局すべてを取り上げ、第2局の奇手を“人間には思いつかぬ手”として、AIの学習能力の高さに驚嘆する。ポイントは、専門家代行システムまでは人間の指導者によって知識を付けていくトップダウン学習、対してビッグデータによる深層学習はこれとは真逆のボトムアップ学習、この学習法に依ってAI自身が独自創造力を次第に高めてきているところに注目する。次いで、感性・情感・創造の世界に進む。絵画の場合はこれと画像認知技術の向上が相俟って、専門鑑定家を惑わすような作品を描くようになってきているのである。一方で、人間には思いつかぬような現代美術作品も出現、これはこれで高額取引されている。音楽しかり、誰にも特徴を認知しやすいバッハ作品は学習効果てきめん、これも専門家が簡単に騙されるばかりか、バッハ本人の評価よりAI作品が高いことさえ生じる(バッハのあまり知られていない作品と競演)。さらにジャズのアドリブ部分なども見事に演奏。
そして数学。音楽と数学の共通性を講じた後、最近の難問解法に際し人間が証明したものをコンピュータで検証するケースが増えてきていることを事例で示しながら、AIが人より先に難問解法を見つけ得るか、新たな難問創出が出来るか、を自問自答する。「脅威は感じるがまだそこまでは来ていない」「ただ、IT無くして数学新分野への展開はあり得ない」「人とAIが協調する世界は確実にある」が結論と読んだ。
AIはここまで来ているのかと改めてそのすごさを再確認させられた一冊。ただ、“AI入門”的な部分が多く、そこに冗長さを感じた(読み飛ばした)。
5)日本インテリジェンス史
-スパイ天国とまで揶揄される我が国、戦後の諜報組織とその活動変遷を追った出色の通史-
過日中国で製薬会社の関係者がスパイ容疑で逮捕された。しかし、中国政府は容疑の内容を明らかにしていない。一方、ときどき中国人の産業スパイ摘発のニュースが流れたりするが、その後の扱いが詳しく報じられることはない。2018年中国の通信機器メーカーファーウェイの副会長(創業者の娘)がカナダで拘束されると、中国はカナダの外交官や民間人を逮捕し、一部は今も拘留されている。小説やノンフィクションでスパイ事件が取り上げられるとき、泳がしていたスパイを逮捕、それを外交交渉・取引に利用する例はよくある手段、日本もこんな手を打てないのだろうか?国際諜報活動ではやられっぱなしの感がある我が国、その一端でも知りたいと思い本書を手にした。結論を先に述べれば“極めて優れた戦後インテリジェンス通史”である。だからと言って、我が国の諜報活動が優れているわけではないが。
著者は1973年生れ、立命館大学(学士)、ロンドン大学大学院(修士)・京都大学大学院(博士)で学んだインテリジェンスの専門家。英王立統合軍防衛安保問題研究所勤務、防衛省防衛研究所戦史センター主任研究官を務めた後、現在日本大学危機管理学部(こんな学部があるのだ!)教授。本欄ですでに「イギリスの情報外交」「日本軍のインテリジェンス」および「特務」(訳)を取り上げている。
前史は終戦後旧陸軍情報関係者や思想犯取締の特別高等警察(特高;内務省)などがGHQの下で動き始めるところから始まり、講和条約発布後吉田首相・緒方官房長官による日本版CIA構想、そして長く続く冷戦期、冷戦後の国際関係変化、第2次安倍内閣発足以降2020年で終わる。第2次安倍内閣発足を一区切りとするのは、この内閣でやっと我が国インテリジェンス体系も、種々の課題を残しながら、一応他国並みになったと見做すからである。安倍政権下での安全保障体制整備は私も評価するところだ。
現時点で安全保障に関する国策推進に必要な情報を扱う省庁は、外務省、防衛省、警察庁(総務省)、公安調査庁(法務省)があり、これらからの情報を閣内で取りまとめるのが内閣情報調査室(発足時は内閣調査室;内調)である。この内調の歴史がある意味我が国インテリジェンス史と言っていい。現在こそトップの室長は“内閣情報官”と称される事務次官同格になり首相に直接報告する機会を持つようになったが、長く副官房長官の下にあり、各省庁から上がってくる情報を整理する部門に過ぎなかったのだ。ここをバイパスする情報も多く、特に外交関係(外務省)はそれが顕著だった。一つは「海外情報はすべて外務省所掌」と言う考え方、もう一つは内調が警察庁の出先のようにスタートしたことにある。本書は、各省庁の情報収集分析組織、内閣そのものの情報ニーズの変化、それに対する内調の役割と組織変遷、この変化の中で起こる様々なインテリジェンス関連問題(機密保持など)を、個人レベルまで踏み込んで、その時々の社会情勢の中で浮き立たせていく。
冷戦時代は外交・安全保障政策ともに基本的に対米追従なので独自対外諜報活動の必要性は高くない。専ら国内極左勢力の監視に力がそそがれ、公安調査庁および警察庁の活動とかかわる情報が中心となる。ユニークなのは、内閣と離れたところで軍事特殊情報(具体的には無線傍受)を扱う情報組織がある。陸自幕僚監部第2部別室(別室)がそれだ。ここは内閣どころか陸自本体より米軍との関係が強く、大韓航空機撃墜事件では、ソ連機に依ることをいち早く特定して、同じ場所に米軍人も勤務しているため、その情報は米国政府にいち早く伝わり、シュルツ国務長官が公表、日本政府への連絡は1時間前だった。そして室長ポストは現時点でも警察の指定席。何とも不可解!
冷戦構造が崩壊すると邦人人質事件やテロの遭遇など、我が国独自のインテリジェンス活動が求められるようになり、内調や警察庁外事警察部門の強化が図られる。ここで問題になってくるのが対外活動における法整備である。海外の同様な組織と付き合うには「サードパーティー・ルール」、当事者以外に情報を漏らさないと言う掟を守らなければ極秘情報は得られない。しかし、海外へ出る公務員(防衛駐在官を含む)は一旦外務省の職員の身分となりそこで得た情報は大使館経由が必須となっている。つまり、第三者である外交官が機密情報を知ることになる。それでいて外務省で情報部門は軽視され、一時期情報局に昇格したものの現在は部レベルに戻っている。これ以外にもインテリジェンス関連の法律は現状に合わぬことおびただしい(例えは、公務員(自衛官を含む)のスパイ行為に対する処罰)。
安倍政権は環境変化に対応すべく、内調の格上げ・強化ばかりでなく、特別秘密保護法制定、内閣直轄の国家安全保障局(経済安保を含む)設立、外務省に国際テロ情報収集ユニット(実質内閣副官房長官主管)設立、防衛省情報本部設立などを実施、同盟・友好国からの評価を高めている。
問題点として、依然残る縄張り意識、諜報専門職の育成(明確なキャリアパスと処遇)、サイバー戦・偽情報への備え(特に、対中、対露)、経済安保強化などを挙げている。
取り上げ挙げられた個人名は100名以上(その多くは直接聞き取り、内調室長OB複数名を含む)、詳細な組織変遷の経緯、多くの事例・事件、参考文献・注記の多さ、新書でありながら情報内容は濃く、一級の資料価値がある。
6)どんがら
-「チーフエンジニアは製品の社長」、トヨタ新車開発過程をスポーツカー“86”で公開するノンフィクション-
就職して2年目(1964年)、最初に所有したクルマは中古のコンテッサS。これは日野自動車が、脱トラックを目論み仏ルノー社の4CVノックダウンで学び、初めて開発した小型乗用車。Sはスポーツの意だが、実態はシフトレバーをハンドル横から床面に移しただけの“なんちゃってS”だった。次は日産の初代ブルーバードSSS(スーパー・スポーツ・セダン)、これは本格的なスポーツカー、ホームグランドだった紀伊半島は無論、信州・飛騨、能登半島、四国・中国の山岳地帯を駆け巡った。スポーツカーの醍醐味はハンドルとアクセス、ブレーキ操作における“人車一体感”、これを味わえるクルマはそう無い。それを再開したのは2002年、子供がすべて独立、入社40周年の節目を自ら祝うため二人乗りのオープンカー、トヨタMR-Sを購入した。エンジンの配置はF-1同様ミッドシップだ(運転席の背後にエンジンが座る)。そして2007年ビジネスマン人生を終え、趣味のドライブを本格稼働するためポルシェ・ボクスターを入手した。このクルマも二座オープン、ミッドシップ。これで13年、沖縄を除く全都道府県を走破した。つまり、私の自動車人生はスポーツカーに始まり、スポーツカーで終わったわけである。本書はトヨタがMR-S生産停止(2007年)以降、2012年満を持して発売した本格的スポーツカー86(ハチロク)開発物語、読ますにおれようか。
2007年1月それまでミニバン開発のチーフエンジニアだった多田に「もうミニバンはいい、明日からスポーツカーを作ってくれ」との命が下る。チーフエンジニアになって3年、年齢は43歳、それまでスポーツカー開発の経験はないが、学生時代・前職(三菱自動車)でラリーに入れ込んでいたレースマニアにとって願ってもない仕事だ。それから5年後2012年4月新86発売までの道のりを一人の技術者は中心に描いたのが本書である。
トヨタにおける新車開発(その後の改善を含む)と職制の関係は、チーフエンジニア(部長)-主査(次長)-主管(課長)-主任(係長)-一般技術者となる。かつては主査がチーフエンジニアに相当しており、そんな時代第5代社長の豊田英二は「主査は製品の社長であり、社長は主査の助っ人である」とその重要性を表現したと言う。本書執筆時その数はわずか21名、数百億(時には一千億)円のプロジェクト責任者。失敗すれば担当役員の首が飛ぶほどの要職である。多田がこのプロジェクトで使った金は約4百億円(生産設備や営業推進は含まず)に達したと記されている。
“86”とは何か。トヨタのスポーツカー開発史を辿ると1960年代後半に発売されたトヨタ800(通称ヨタハチ)、1967年に発売されボンド・カ-として映画にも登場した2000GTなどが有名だが、1980年代半ばに出たカローラ・レビン、スプリンター・トレノは若者にうけ、前二者とは比較にならないほどのヒット商品となった。その開発番号がAE86だったことから、レビン、トレノを巷間“86”と総称する。多田の下に集まった若手エンジニアは誰もがその再来を望み、新車開発の出発点となる。手軽に買えるスポーツカー、それでいて少々手を入れればサーキット走行も可、これが新86のイメージだ。
エンジンの新規開発(1千億円はかかる)など論外、資本提携先スバルが持つ水平対向4気筒エンジンが第一候補となるがそのままではパワー不足。その他の部品はどうするか、専用部品開発は投資がかさむ、しかし運転の味わいから言えば既存部品の転用は中途半端になる。駆動方式はどうするか、スポーツカーの王道から言えばFR(エンジン前置き後輪駆動)が望ましい。旧86もこの形式だった。しかし、スバルは自信のある4WDを推してくる。デザインでは想定販売数(3千台/月)の半分を占める米国市場向けを考慮してごついアメリカンテイストも無視できない。スポーツタイヤか街乗りタイヤか。唯一軽量スポーツカーの販売を長年継続しているマツダにも教えを乞いに行く。「ロードスター単独で黒字になっているのですか?」と。次々と生ずる問題を解決しながら、2009年5月製造企画会議提案までこぎつける。若手エンジニアが取ってきた開発番号は086A、彼はこの番号が来るまで番号取りを調整していたのだ(本来は許されないやり方で)。この後にも試作車生産がしばらく続き、ドイツ・ニューブリックリンクのテストコースで豊田章男社長自らハンドルを握りOKを出したのは2011年6月、ここで86と姉妹車スバルBRZ生産販売が正式決定される。2012年2月予約開始、日本だけでその数7千台、7カ月分。最終的に2021年生産終了までに全世界で約23万台を出荷、その後後継のGR86も続いているから成功プロジェクトだ。
本書では多田がこれに続きBMWとの共同開発で新スープラを仕上げる話もあり、国際協力プロジェクトの様子をうかがうこともできる。ドイツ人と一緒に仕事をするのは大変だなーと。
先ず自動車ファンの技術者から見てよくできたノンフィクションである。加えてストーリー展開が優れ、製造業と言う堅い現場に自然に入っていけ、生産台数世界一の大企業を理解するのに好適な一冊と言える。それにしてもトヨタのチーフエンジニアなるのは大変。私にはとてもなれそうにない。これが読後感である。
著者名を見て「もしや?」となり、即調べた。「やはりあの人だった」、1950年生れ、読売新聞社会部記者を経て、中部本社社会部長・東京本社運動部長・編集委員を務め、読売巨人軍球団代表兼オーナー代行となりながら、オーナー・ナベツネと対立し解任された人物。その後ノンフィクション作家として活躍していたのだ。
-写真はクリックすると拡大します-