<今月読んだ本>
1) ナイロビの蜂(上・下)(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)
2)不朽の十大交響曲(中川右介);KADOKAWA(文庫)
3)現代史の起点(塩川伸明);(岩波書店
4)戦争に抵抗した野球ファン(山際康之);筑摩書房
5)日本海軍戦史(戸高一成);KADOKAWA(新書)
6)水の戦争(橋本淳司);文藝春秋社(新書)
<愚評昧説>
1) ナイロビの蜂(上・下)
-スパイ小説の巨匠、後進国を食いものにする製薬業界の巨悪を暴く-
1990年代末期急性胃潰瘍を発症し、その治癒を継続している過程で今度は高血圧の傾向が出始め、この四半世紀血圧降下剤を服用している。2010年代初めに、この薬の臨床試験結果が改竄されていると問題になった。京都大学での研究の一部を製造会社(ノバルテス)の社員が担当、効果を過大評価していたのだ。ただ血圧降下に有効であることは変わらず、厚生労働省は業務改善命令を発しただけで、製造販売は継続されている。事件が起きた際、かかりつけ医はこのことを説明した上で、処方継続を告げ、その後体調に異常は無く、現在に至っている。1990年代半ばの「薬害エイズ事件」では、非加熱血液製剤が長く使用され、多くの血友病患者が輸血によりエイズに感染し、大きな社会問題になった。薬害をテーマにした小説は多々在るものの、スパイ小説の巨匠が社会小説分野に踏み込んだ点に興味をおぼえ読んでみることにした。
舞台は1990年代末期のケニヤ。建国の父、初代大統領のケニヤッタ死去後副大統領だったダニエル・アラップ・モイがそのあとを襲い大統領となるが、権威主義的政権は汚職まみれになっている。駐ケニヤ高等弁務官事務所(英連邦内での呼称で実質は大使館)に勤務するジャスティン・クエイル一等書記官の妻で社会活動家のテッサが同僚の医師(黒人)、運転手とともに僻地で惨殺される。ケニヤ警察は、ジャスティンとは年の離れたテッサと医師の男女関係を疑い、ジャスティンにも嫌疑がかかるものの、アリバイは明白でそれは晴れ、事件は迷宮入りしてしまう。庭仕事が趣味のジャスティンが自らこの事件解明に取り組み、疑念を深めていくのは、テッサが取り組んでいた結核治療薬を巡る、ケニヤ政府上層部と製薬会社の関係である。これに、高等弁務官、事務所長(No.2)、情報局ナイロビ所長、さらに彼らの上司である本国の外務官僚あるいは情報局幹部が、それぞれの立場でジャスティンの活動に関わってくる。一言で言えば、誰もが国家間の外交問題にしたくないのだ。言い換えれば“情死”事件で収めたい。しかし、かげで庭師とあだ名され、ここが終着ポストと思われていたジャスティンが大変身。身分を変じ英国、欧州大陸、北米と舞台を移し、後進国を餌食にする医薬ビジネスの実態を一枚一枚剥いでいくのだ。
訳者あとがきには著者が現地調査を行ったことが記されているが、少し調べてみると、国はナイジェリア、病気は髄膜炎と異なるものの、ファイザー社製の未承認抗生物質薬「トロバン」を投与された200人の子供の内11人の死者が出たことから、構想を思い立ち、テッサには実在の慈善活動家がモデルになっていることが分かった。
本書にはスパイ活動は皆無だが、医療倫理と社会告発をテーマに緊迫した場面が延々と続く(上下巻で800頁強)。登場人物は40人前後、スパイサスペンス同様人物描写が細やかで見事。
2)不朽の十大交響曲
-交響楽史上画期となった十曲。読む音楽の楽しみを堪能-
小学校での音楽の授業は、先生のオルガン伴奏に併せて唱歌を歌うだけだったから、クラシック音楽など無縁だった。“交響曲”と言う言葉が記憶に残るのは、中学校の視聴覚教育の一環として浅草六区の映画館で観た、シューヴェルトの悲恋をテーマにした「未完成交響曲」が初めてだろう。一流オーケストラの生演奏を聴いたのは40歳代、取引関係のある企業がスポンサーを務める演奏会に招待されたときから始まる。ウィーン・フィルハーモニーや小澤征爾もこのご招待で初めて触れ、次第にクラシック音楽に惹かれていった。60歳代末期から東京フィルハーモニー定期演奏会の会員となり生演奏を堪能した。しかし、聴力低下で補聴器を着け出すと、音のひずみが次第に気になり退会し、音を楽しむ世界を失ってしまった。「せめて眼からでも」との思いで、友人から薦められた本書を読んでみた。
選ばれた10曲は初演順に;①モーツァルト「ジュピター」、②ベートーヴェン「英雄」、③同「運命」、④同「田園」、⑤シューヴェルト「未完成」、⑥ベルリオーズ「幻想」、⑦チャイコフスキー「悲愴」、⑧ドボルザーク「新世界より」、⑨マーラー「巨人」、⑩ショスタコーヴィチ「革命」、となる。選定基準は多くの人に愛聴されているものではなく、交響曲の歴史において著者が重要と思う曲、そして“タイトル”のある曲。この後者の条件ゆえに、ハイドンやブラームスはまったく選ばれていないし、ベートーヴェンの「第九」も外されている。読み物としての面白さを引き出すために、タイトルは格好の材料なのだろうが、本格的なオーケストラファンとしては異論があるとこだろう。
各交響曲の紹介は、作曲家の略歴と「名作誕生」の背景を描くことに重点が置かれ、楽理的な分析や解説、あるいは演奏の聴きどころを紹介するものではない。とは言っても選定条件の前者(交響曲史上画期)から、楽理的な視点を一切断っているわけでは無い。例えば、4楽章(ときに5楽章)構成が一般的な中で、2楽章で終わっている「未完成」や、最後に向けで音量を盛り上げていく作曲手法を採らず、静かに終わる「悲愴」では、伝統的楽理あるいは作曲手法との違い(画期)を詳述している。
各曲のトピックス、エピソード;①モーツァルト最後の交響曲。古典派の完成形、最高作。②当初の題名は「ボナパルト」交響曲だったが、皇帝即位に失望し「英雄」に改題。③「運命」は自ら付けた題名ではなく、欧米では「5番」が一般的。当初は理解されない革命的な曲(特に、開始の“ダダダダーン”)。④「運命」完成後直ちに作曲に着手、初演は同じ日。曲名のみならず各楽章にも名前が付き標題音楽の嚆矢。自然描写音楽への挑戦。⑤死後楽譜が発見され有名になる。第2楽章までの「未完成」の推定理由の一つに、そこまでで25分を要し(当時は全曲で20~30分)、第4楽章まで仕上げると1時間近くになるので、第2楽章で終わりにしたと言うのがある。彼の死因は映画のような悲恋とは大違い、梅毒あるいは治療のための水銀中毒。⑥ベルリオーズは医師の子で初めは医学を、後に法律を学び、その後音楽院に学ぶものの楽器演奏は行わない。だからこそ革新的な曲「幻想」が誕生した。曲の発想はゲーテの詩に基づく。⑦ベルリオーズ同様、音楽家の家系ではなく、法律を学び法務省勤務の経験もある。ロシア初の職業作曲家。先にも述べたように「静かに終わる」ところが画期的であった。⑧ドボルザークはチェコ人、宿屋兼居酒屋の息子、小学校でヴァイオリンの才を認められ、親類の援助で音楽院に進む。欧州で活動実績を挙げ、ニューヨークの音楽院院長として招かれ、そこで「新世界より」を作曲。これが史上初の「アメリカで作られた交響曲」となる。⑧マーラーはチェコ生まれのユダヤ人。「巨人(GiantでなくTitan)」はドイツ長編小説を題材とする。この完成までの道のりは長く、改訂に改訂を重ねる。作曲時間ばかりでなく演奏時間も長く(1時間)、初演ではこの長さが不評で、前半が終わったところで観客の大半が帰ったと言う。指揮者のブルーノ・ワルターが評価したことで名曲となっていく。⑩ショスタコーヴィチは革命前のサンクトペテルブルク生まれ。父は技術者だが母は結婚前音楽の道を目指したことがあり、姉妹も音楽を愛した。革命後に音楽教育を受け、社会主義国の新星としてもてはやされるが、作品の一つがスターリンの不興を買い失脚する。「革命」はそこから起死回生をかけた作品である。
作曲家や作品の選択に賛否はあるだろうが、名曲の略伝集として、知識を得られたし楽しめた。生演奏が聴けた時代に読んでいれば・・・、の思いが残る。
著者は1960年生まれ。出版社勤務の後起業し「クラシックジャーナル」誌ほか、音楽関係の出版事業に従事している。
3)現代史の起点
-ソ連解体に至る1986年から1991年までの過程を、多面的にその道の権威が詳述-
高校2年の時世界史を選択、その面白さに虜になり、受験参考書以外にも書物を漁るほどだった。そんな折ふと思ったことに、「自分の生きた時代、何百年後も歴史に残る出来事は何だろうか?」があり、それは今に続く。当時先ず思いついたのは第二次世界大戦だった。その後月着陸を含む宇宙開発がそれに加わる。そして近いところではソ連解体が残るのではないかと考えている。書評で本書がソ連解体を扱ったものと知り読んでみた。
ソ連解体は比較的短い時間のうちに一気呵成に生じたので、単一の出来事であるように見えるが、さまざまな違いや変化が包含されていた。「ペレストロイカ」の内実は時期によって大きな変化をこうむっており、その相互関係を解きほぐすのが本書の課題。従って、前史としてスターリン~ブレジネフ時代から「ペレストロイカ」直前のアンドロポフ・チェルネンコの共産党統治改革案までを概観したあと、1986年から1991年までを詳細に分析し、これと現代世界の関わりを述べて結ぶ。
著者は1948年生まれ。東京大学名誉教授、専門はロシア・旧ソ連諸国近現代史・比較政治学。本書は既刊の「国家の解体-ペレストロイカとソ連の最期」(全3巻)を骨子とし、一般向けに書き下ろされたものである。
体制内改革はゴルバチョフ前から始まっており、ゴルバチョフ自身「ペレストロイカ(再構築)」「グラースノスチ(公開性)」を打ち出した際は、抜本的な体制転換などではなく体制内(共産党統治)改良を目指すものであった。「長く閉塞した社会環境が、ある程度改良が始まる中で、高まりだした期待感と現実のギャップが生じ、“期待の爆発”が起こり、改良が革命に転ずる」と論じたトクヴィル(19世紀仏思想家・政治家)を援用し、ペレストロイカをその典型例と見る。また、ソ連解体過程を、経済急落→大衆反抗→ソ連解体と見る向きがあるが、実態は、小さな経済低下→ソ連解体→経済急落だったと著者は見る。
穏やかな体制内改革活動が急進化・分極化していく要因として注視するのが、15存在した共和国と連邦制の関係(国内問題)、それに東欧衛星国におけるそれぞれのペレストロイカである(国際関係)。各共和国統治は改革以前からさまざまな違いがあり、これが自由度を増すことで、連邦(中央政府)の力を削いでいく。最も強力なのはロシア共和国、連邦制下では経済的に他共和国を支える存在、平等社会では“逆差別”を受けているとの思いが強い。一方辺境の共和国は民族問題や人脈支配などが連邦政府を悩ませる。最終的にゴルバチョフ(ソ連邦大統領)が失脚しエリツィン(ロシア共和国大統領)がソ連邦大統領の座を奪うのは、中央と共和国の力関係逆転に依る。
当初の衛星国家におけるペレストロイカはソ連同様体制内改革として始まるが、複数政党を許したり、多くの亡命者を許容するなど、予期せぬ方向に進み、1989年のベルリンの壁開放がそのクライマックスとなる。また、ワルシャワ機構軍が動かないと見たウクライナやバルト三国のように独立志向さえ出てくる。これらがブーメランとなって、ソ連邦と構成民族の民主化意識に反映、それを急進化する。
事実上の冷戦終焉は1990年の東西ドイツ統一と湾岸戦争(安保理における武力行使にソ連が賛成)。この時点では東西和解であり、西側勝利という構図はなかったが、次第に勝者・敗者という見方が強くなって、ゴルバチョフの権威は低下していく。
1991年8月ゴルバチョフがクリミアで休暇中、国防次官や大統領府長官などが非常事態宣言署名(連邦政府権限を大幅に縮小)を求めて来訪、ゴルバチョフがこれを拒否、軟禁される。しかし、このクーデターにロシア共和国大統領エリツィンが直ちに対向革命、クーデターは失敗に終わり、ロシア共和国の権限拡大を宣言、他の共和国もこれに追随、連邦制は崩壊する。
巷間流布する「旧体制の矛盾が原因」「改革が体制崩壊を招いた」といった単純化なソ連崩壊論を正し、「現代史の起点」とするユニークな内容。例えば、その後に起こった「アラブの春」との相違を論じたり、ウクライナ戦争の根源を探るところに、その意図(現代史の起点)がうかがえる。専門的な内容ながら、深さ読みやすさが適度で、一般向けとしてまったく不満はなかった。
4)戦争に抵抗した野球ファン
-プロ野球創生から終戦までの職業野球史。開戦の日も、空爆のさなかも、終戦の年も、試合を楽しむ人々がいた-
プロ野球の存在を知ったのは、引揚げ後母の実家があった西荻窪に住んでいるときで、転校まもなく出来た友達と話す中で「君はどこのチームを応援していのるか?」と問われたことに始まる。何を問われているのかさえ理解出来ず、母にそれを話したとき“職業野球”の説明をしてくれた。当時1リーグ8球団で構成されていたが、チーム名を覚えているのは、巨人の他、阪神タイガース、阪急ブレーブス、南海ホークス、東急フライヤーズ、金星スターズの6球団で他の2球団は思い出せない(多分中日ドラゴンスはあったはずだ)。子供仲間で野球の話をしているとき年上の一人が、「戦争中は英語禁止で、アウト・セーフ、ストライク・ボールが使えず、よし・ダメと言っていた」と聞かされ、戦時野球の一端を知った。本書を見て、そんなことを思い出し、読んでみたくなった。
著者は1960年生れ。略歴を見て驚いた。ノンフィクション作家でもスポーツ関係者でもない。東大の博士号(工博)を取得、長年ソニーに勤務、ウォークマン開発にも関わったエンジニア。東京造形大学学長も務めた経験のある人なのだ。つまり、趣味としてこの分野に踏み込み、戦前の職業野球(戦後しばらくまでプロ野球と言う言葉はなかった)研究に傾注、澤村栄治物を始め何冊か既刊著書もある。本書も職業野球草創期から終戦までのプロ野球史と言える内容だ。
日本職業野球連盟の発足は昭和11年(1936年)2月、支那事変は翌年勃発だが、1931年には満州事変が起こっており、1933年には満洲国建国、日中間にはきな臭いにおいが漂い始めた時期だ。発足の背景には昭和6年および9年(ベーブルース来日)の全米軍来日で野球人気が高まっていたことがある。推進者は読売新聞社長正力松太郎。関西・中部財界にも働きかけ、巨人軍・タイガース・阪急軍・金鯱軍・セネタース・名古屋軍・大東京軍の7球団でスタートする。導入部は戦争とは関係なく、各球団創設経緯、専用野球場建設(州崎・上井草・西宮・後楽園など)、職業野球を支援する有名人(皇族・華族、政治家・作家、実業家など)を題材に、初期の職業野球を巡る苦労話・エピソードなどが語られる。
1937年盧溝橋事件で支那事変(日中戦争)が始まり、次第にその影響が出てくる。紙面が最も割かれるのは澤村栄治、手榴弾投げでは他を圧し83mを記録、軽機関銃手として中国戦線で戦い負傷するが、3年後除隊・現役復帰。しかし、軍務仲筋肉が野球には不要な部分に増え、体重も増して往年の力が発揮できなくなる(終盤は代打起用)。彼はこの後さらに二度応召、三度目のフィリピン行きで戦死する。
戦時色が強くなると国防費献納などのため特別な試合(例えば東西対抗戦)が組まれ、これが人気を呼ぶ。また、傷痍軍人は無料にするなど連盟は積極的に軍に協力していく。昭和15年、新体制を掲げる近衛二次内閣が発足。「ぜいたくは敵だ」の標語に代表される反米英空気の高まりの中から、英語原則禁止令が野球にもおよび、チーム名、ユニフォーム、記事用語、さらには審判の判定にも日本語化が進んでいく。用語;ストライク=正球、ボール=悪球、セーフ=安全、アウト=無為。審判判定;ストライク=ヨシ一本(二本)、ボール=一つ(二つ)、セーフ=ヨシ、アウト=引け、三振=それまで、などとなる。また、大東京軍はその後ライオン歯磨きがオーナーとなりチーム名もライオンと改まっていたが、それが使えず朝日軍と改名している。これが個人におよんだのが巨人軍の豪腕投手スタルヒン、白系ロシア人の彼は須田博と改名せざるを得なくなる。
昭和16年太平洋戦争開戦、直前までそれを知らされていなかったこともあり、この時期11月29日から3日間後楽園で、12月6日から3日間甲子園で東西対抗戦が行われている。つまり、戦時といえども野球ファンはそれを楽しんでおり、昭和16年の入場者は87万人もあったのだ。また、昭和17年の山本五十六大将戦死(死後元帥)の報は一ヶ月後に公表されるのだが、この日の巨人軍対名古屋軍の試合には6千人の観客が集まっていたという。
戦況が厳しくなると新たに様々な変化が出てくる。例えば、戦意向上のために試合前に軍服を着た選手たちの手榴弾投げ競技が行われ、先の澤村の話はこれと結びつく。選手確保も難しくなるが(昭和19年には一チーム14人~18人)、本書でクローズアップするのは大学生の徴兵猶予制度(昭和18年廃止)である。昭和16年の対象者は14万人、この中には私大に籍を置き職業野球の選手になっていた者も居り、徴兵逃れとして摘発されたりしている。試合の障害になるのは選手不足ばかりではない。スタンドには探照灯や高射砲が設置され、グランドの一部は野菜畑に変じていく。道具入手にも影響、ボールは素材の品質低下で飛ばなくなり、再使用を含めて一試合6個までに制限される。
それでもやる方・観る方、野球に魅せられる者は依然として少なくない。敗戦の年、昭和20年年明け、阪神軍の呼びかけで始まった、阪神軍+α対阪急軍+朝日軍の正月野球大会には4日間甲子園および西宮で行われ8500名の観客があった。そして敗戦。しかしこの年の11月東西対抗戦が復活、神宮を皮切りに桐生、西宮と行われ、神宮は6千人、西宮では1万人の観客を集めたという。
“抵抗”と見るか否かはともかく、あの戦時に、恵まれぬ環境下、野球に情熱を傾けていた人々(選手、ファン、球団関係者)がおり、その姿を垣間見せてくれる、ユニークな一冊だった。
5)日本海軍戦史
-日清・日露・太平洋の海の戦い通史。世界初の機動部隊を発案しながら、最後まで変えられなかった邀撃艦隊決戦主義-
軍事マニアであることは自分でも認めるところだが、オタクというほどそれに精通しているわけでは無い。私の関心事は、第二次世界大戦に至り戦略兵器となった航空機・装甲兵器・潜水艦・電子兵器、それに軍事における数理利用。つまり狭義の軍事技術分野が第一。第二は自分の生き他時代の昭和史。後者はともかく、戦略兵器の分野において、我が国に調査を深めたくなるようなものはごく限られており、陸海の航空機と軍艦はまずまずとして、真にオリジナルと言えるのは空母を中心とした機動部隊くらいである。しかし、この機動部隊システムといえども、結果として、戦艦を中心とした“艦隊決戦思想”の先兵に過ぎなかった。一方の米海軍は、真珠湾攻撃から学び、太平洋戦域では任務部隊(空母を中心とする機動部隊、戦艦すら支援兵器化)を決戦力として大改編、太平洋を攻め上がって最終勝利を収めた。この違いはどこに発するのか?戦略兵器マニアと自任しながら我が国海軍通史に目を通していなかったことに気づき、友人から贈られた本書でその因が探れるのではないかと読んでみた。
本書は海軍史ではなく海軍“戦史”である。それゆえに思想・戦略や組織・人事に触れるものの、大半の紙数は作戦・指揮に割かれ、構成は日清戦争・日露戦争・太平洋戦争の3部作で、主要海戦が中心となっている。ただ、これが時系列でなく、日露・日清・太平洋の順になっている。著者まえがきに依れば、日本海軍のピークは日露戦争、そのピークから双方を見下ろすことで、歴史から学ぶものがあるとのことだ。つまり維新後の日本が目指した近代化事例として、日露戦争が最も象徴的な出来事だったと見るのだ。確かに、読んでみると日清戦争時の海軍は未完・中途半端の感を免れない。例えば、何と戦うための海軍だったかが見えてこないのだ(沿岸防衛主体)。それに比べ、日露から太平洋戦争には確実に連続性があり、だからこそ敗北で終わる最期に納得感があ(近海で迎え撃つ艦隊決戦主義、大鑑巨砲主義)。
とはいえ、最も知見を得たのは日清戦争。華々しい話がないだけに、当時の日清両海軍紹介や戦闘場面は新鮮な情報に満ちていた。近代化の進む日本に脅威を感じた清国は北洋艦隊・南洋艦隊にそれぞれ2隻の装甲艦を配する。日本と戦うことになる北洋艦隊にはドイツに発注した「定遠」「鎮遠」があり、完成後他艦も含め、示威のため長崎に来港する。排水トン数7335tは日本が保有する海防艦「扶桑」の2倍もあり、人々は驚愕する。一方、日本の海軍はこれに対抗する三景艦「松島」「厳島」「橋立」をフランスに発注するが、砲力を「定遠」型を上回るものにしたこともあり、完成が遅れに遅れ、これに懲りて後続の装甲艦「浪速」「高千穂」「筑紫」はすべて英国に発注する。搭載されたアームストロング砲は小型だが速射力は「定遠」を上回り、速度も速く、黄海海戦では北洋海軍を翻弄する。また、威海衛軍港に逃げ込んだ残存艦船を攻略するのは世界初の水雷艇集中運用。指揮官はのちに首相として終戦を決することになる鈴木貫太郎大尉であった。著者は一連の海戦勝利を、「科学技術の総合組織」としての海軍の戦闘能力の違いと評す。
日露戦争で中心となるのは当然のことだが日本海海戦。丁字戦法によるバルチック艦隊壊滅がよく知られるところだが、当初の作戦計画は駆逐艦・水雷艇で構成される奇襲隊による連鎖機雷投入であった。しかし、これが荒天のため中止となり、複数の敵艦隊情報不一致もあり、常識的には失敗と言える“東郷ターン”を敵前で行い、イの字から平航戦に移り、数ノットの優速、砲弾命中率の違いで、幸運にも完勝したのが実態らしい。「丁字戦法」神話は副官であった小笠原長生の作り上げたものと断じている。
この日本海海戦から得られた戦訓が、「迎撃艦隊決戦と指揮官先頭」。昭和海軍はこれから脱せず、開戦時から軍令部より出先機関である連合艦隊が作戦構想をリード、海軍政策が国策から乖離し、目標は「米国艦隊撃滅」に集約されていく。その観点で著者がターニングポイントと見るのは、ミッドウェー海戦ではなく、マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦。いずれも日本近海に敵を迎え、艦隊司令官が先頭に在る。形は日本海海戦同様だが、レーダーや近接信管で防空力を高め、大艦巨砲(戦艦、巡洋艦)も空母を守る支援艦に転じ、制海権に先立ち制空権確立を図る、新しい戦法の米海軍に完敗。残るは特攻のみ。勝敗を決するような戦果は目標でなく、ただただ「日本海軍の栄光」のために献身して戦いは終わる。「海軍あって国家なし!」
通史として読み、“戦史”に反し、強く印象づけられたのは海軍思想や組織・人事、つまり軍政に関わるトップの資質だ。日清・日露でその要諦を担った山本権兵衛はマハンの「制海論」にいち早く注目、それを学ばせるため秋山真之・佐藤鉄太郎を派米、これが日本海海戦で生きる。また、適材適所に意を用い藩閥人事を大改革、日露戦争開戦直前に連合艦隊司令長官を古い猛勇タイプの日高壮之丞から英国に学んだ東郷平八郎に替えている(自身も両人も薩摩出身ではあるが)。対して山本五十六は軍令よりは軍政の人。寡黙で自身の考えを表に出さず、周辺との意思疎通に欠けており、果たして実戦の最高指揮官として相応しかったのか、と著者は疑問を投げかける(知米はと言われながら米国の友人に宛てた書簡は一通も発見されていない)。また、人事に関しても、ミッドウェー敗戦の責任者(長官、幕僚)を厳罰にせず、ここにもリーダーとしての資質が問われるところだとする(対する米太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将はこの点で厳しかった)。
著者は1948年生れ。呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長、日本海軍史研究家。
6)水の戦争
-水争いは古代から続き、文明の発展とともに急増。新技術と地政学から見た、現代の水戦争を概観する-
半世紀以上前のことになるが、「日本人とユダヤ人」と題する本が話題になった。一種の比較文化論だが当時の日本・日本人に関する社会時評とも言える内容で、かつ著者名がイザヤ・ベンダサンという外人名だったこともあり、注目を集めたのだ(後に著者は出版社主の山本七平であることが分かる)。それまでの日本人が風評や読み物で知るユダヤ人・イスラエルとは異なる内容で、この民族・国家を新たな眼で見つめる機会を与えてくれた書と言える。
私もこの本の出版後直ちに読み、覚醒されたのは「日本人は安全と水はタダと思っている」と言うくだりだ。国家安全保障はともかく、飲料水・農業用水・工業用水にコストがかかっていることは承知していても、
“タダ”感覚で日常使っていることを改めて気づかされた。あれから半世紀、世界人口は増加の一途、都市への人口集中、工業化・農業化の発展、加えて地球温暖化、水の需要は確実に増加し、供給量とのアンバランスが拡大している。いまや水問題は身近な話題、そのものズバリのタイトルを見て、久々にあの古書が蘇り、読んでみることにした。
1930年代全世界の水使用量は1000立方km、これが2000年には4000立方kmに増加、2050年の見通しはここから60%増、世界人口の40%を超える人間が深刻な水不足に直面すると予測する。また2000年から19年の間水に関する国際紛争・係争は670件、これも増加の傾向にある。この水を巡る現状を「地政学」と「テクノロジー」の視点で解説するのが、本書の骨子である。
先ず「テクノロジー」;ここは二つの面に目を向ける。一つは半導体生産、インターネット/クラウドサービス(データセンター)、AI利用、それに気候変動対策/脱炭素社会など新技術における水利用の増加である。台湾半導体メーカーTSMCの熊本進出(量だけでなく水質も要件)、バージニア州に集中するデータセンター(全米の1/3、冷却と水力発電)、AI学習で使われる水の量(20~50の問答を2週間続けると約70万ℓ消費)、電子化・EV化で進む銅採掘・選鉱に要する大量の水(チリでは海水の淡水化、それを高地にポンプアップ、そのための水力発電)などを取り上げ、新需要に伴う問題を洗い出す。二つ目は、AIやIoT(Internet of Things;各種センサーの広範な適用)による水管理。従来国や地方自治体が行ってきたそれを、最適化・効率化を追求する企業に委託することの是非を論じる。
「地政学」視点は幅が広い;ヒマラヤやチベット高原に源を発するアジアの国際河川(ガンジス、インダス、メコンなど。水源を中国が抑えるが、この国も需給バランスが悪い)。ナイル河管理に新たに加わったエチオピア、水量激減のチグリス、ユーフラテス(水源を抑えるトルコとの関係)、気候変動で水位低下のライン河・ドナウ河、パレスチナを巡る水争い(ここは地下水も紛争源)。一つの国の中でも地政学的争いは起こる。コロラド川の水は水源のワイオミング州から河口のカリフォルニア州まで七つの州が利用、近年水量が低下、各州間の調整はなかなか合意に達しない。また、所々で利用セクター間の奪い合いも起こっている。都市・農村・企業のそれだ。フランスにおけるダノン社(ミネラルウォーター「ボルヴィック」の生産者)と地元民の地下水利用に関する係争、チリのアボガド生産(大量の水が必要)やスペインにおけるオリーブ生産でも農家と一般市民の間で同様の問題が生じている。
他国はともかく、世界平均2倍の降水量のある日本でどんな水問題があるのか。著者が問題視するのが、他国による水と関わる土地買収。山林地帯の不動産売買は実態が見えにくいこと(ダミーを含む)。日本の土地所有権は、一旦取得すると極めて強力なこと。これが地域統治に影響するとし、2000年以降の傾向を分析して見せる。第一期は2000年代後半の水資源林取得の波、第二期は2011年東日本大震災後の再生可能エネルギー用地買収(中国企業によるメガソーラ用地)、第三期は農地・港湾・離島などへの多様な広がり、そして現在は半導体生産やデータセンター用地へと、日本人は水を外国人に差し出していると警告する。
ところで、比較的水に恵まれた我が国だが、「大量の輸入国である」と言われると意外な感がある。ミネラルウォーターではなく、農産物である。結果的にこれは生産国の水を輸入していることになるのだ。こんな考えが、国際機関で論じ始められており、他国の渇水を対岸の出来事視せず、“同岸の水涸れ”と見るべきことを教えられた。
著者は1967年生れ。出版社勤務の後“水ジャーナリスト”として独立、「水道民営化で水はどうなるのか」(岩波書店)など水をテーマにした既刊書がある。
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