2022年5月31日火曜日

今月の本棚-166(2022年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)読書とは何か(三中信宏);河出書房(新書)

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~(酒井順子); 角川書店

380歳の壁(和田秀樹);幻冬舎(新書)

4)物語 ウクライナの歴史(黒川祐次);中央公論新社(新書)

5)プロ野球 元審判は知っている(佐々木昌信);ワニブックス(新書)

6)幕府軍艦「回天」始末(吉村昭);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)読書とは何か

読書は未知・未開地での狩りである。ただし暇つぶしの読書は対象外-

 


私の読書は確たる目的があって行っているわけではない。強いて言えば「いささかの好奇心と時間潰し」と言ったところである。子供の頃母から「活字中毒者」と言われた病が今に持続、その中毒症状がますますひどくなってきているに過ぎない。だからあらためて「読書とは何か」など考えたことも無かった。それでも書物に関わるテーマは好みのジャンルだから小林秀雄や丸谷才一あるいは編集者や作家などの読書論や書評エッセイは随分読んできて、それらに学びつつ、自分なりの読書スタイルは出来上がってきていると思っている。しかし、本書のように大上段から「読書とは何か」と問われると、(全く知らない著者名だが)「ご意見、聞かせていただこうではないか」となった次第である。

著者名を知らなかったのは全く私の浅学菲才ゆえであった。1958年生れ、食品産業技術研究機構に属する進化生物学・生物統計学の専門家(農博)だが、長年読売新聞の書評委員を務め、本書の先駆けとなる「読む・打つ・書く~読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」なる本を出しているほどの読書人かつ蒐集家であることを読み進めることで知った。

先ず読書の目的は「もっぱら仕事のため」と明言、しかもハウツー物や入門書の類は流動食と同じで読みこなす効率は良いが考え抜くための知力を鍛えることには無力と切り捨てる。従って小説・エッセイは皆無、新書などもごく一部(宮脇俊三の鉄道物)しか事例として取り上げられない。つまり私のような暇つぶしや活字中毒解毒は対象外なのだ。とは言えこの読書論はユニークで面白く、示唆に富む。

帯にもあるように著者は読書を“狩り”ととらえる。地図も道も無い、そんなジャングルに踏み入り獲物を獲得する行為と見るのだ。一歩一歩歩みを進めながら先に在るものさらには全体像を推理・推論(abduction;仮説形成)、そして獲物を仕留める(作者の意図を理解する)。この最後のとどめは読了で終わるわけではない。来た道を戻り獲物が本物かどうかを再度確認する。往路を如何に進むか(ノード;節を見つける)、復路では何をするか(ネットワ-ク;節をつなぐ経路網を確認する)、これを種々の書物(ほとんどが広義(著者の専門域外を含む)の専門書)と多様な読書法;完読(読み急がず一定速度で、メモを取る、時々休む)・速読(速読術ではない。B5850頁を2週間で読破した事例;ツイッターを頻繁に利用し、ごく短い要旨や感想を打ち込む)・拾読(読み尽さないで文意をつかむ)・熟読(深読みし過ぎることの危険)・精読(読書ノートを作り込む。これで学位論文を完成させた)・解読(特に外国語;逐次訳でなくかたまりとして読む。一定速度で(不明な単語があっても)“見る”ように読み進む)・図読(図・絵・写真などを読み取るヴィジュアルリテラシーの重要性)・休読(途中で撤退する勇気)・積読(いつか読もうと言う“希望”が大切)などを例に紹介するのが本書の概要である。

おそらく読書動機の中で好奇心を満たすことは誰にとっても最大の因子だろう。そしてその対象が少しずつ見えてくるのは“狩り”の感覚だと言うのは納得感がある。ただし私の場合未知探求の対象選択と解明目的が明確でないから獲物は価値あるものとは限らない。ほとんど役に立たない雑学知識ばかりが実態だ。でもそこには未知が既知になる満足感がいつも在る。また、読書中赤線引きや余白への書き込み付箋付けを行い“往路”に目印を残してきたし、それを基にここ10数年本欄の雑文(復路)を書き続けてきた。深みは著者と比較にならないものの、自己流の読書法がまんざらではなかったといささか自信を得た。著者が扉に記した“Lego, ergo sum(我読む、故に我有り)”は当に今日この頃の私である。

 

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~

-時空を超え鉄道作家巨匠二人の鉄道観・旅行観を比較検証、その真意を解明する-

 


5波のコロナまん延が治まりを見せた202111月下旬、2年前の蓼科ドライブ以来久しぶりの旅に出た。東海道在来線を利用した修善寺温泉行きがそれである。横浜発1224分発の踊り子115号、昼食には高島屋地下でおこわ弁当と500mℓの缶ビールを用意、動き出すと車窓を眺めながら飲食を開始する。何故か「動いてから」と言うのが習い性になっている。クルマ旅では絶対に味わえない鉄道旅の大きな楽しみの一つがこれだ。だから景観と飲み食いをうまく合わせることが計画の骨子となる。踊り子号のメインは熱海から伊東線に入りそこから伊豆急で下田を目指すもので、修善寺行きは熱海で切り離されるのだが、その本数は限られており、昼食時をまたぐのはこれ一本しかない。当にそのために走っているような列車だった。乗り鉄とはとても言えないものの、運転免許証返納後「これからは鉄道旅」と目論む者にとって、幸運なスタートだった。本書は乗り鉄作家の二大巨匠、内田百閒と宮脇俊三の作品を鉄道と言う同じまな板に乗せあれこれ調理する、ある種の比較作家論(エッセイ)である。当然食事と酒は欠かせない。

内田百閒(榮造)は1889年岡山生れ、旧制第六高等学校から東大文学部ドイツ文学科に進み、卒業後は陸軍士官学校・海軍機関学校・法政大学で独語を講じるとともに作家活動を行っている。旧制中学時代から漱石に心酔、やがて門下となる。「冥途」や「百鬼園随筆」などの作品は高い評価を受け、戦前から名文家として知られていた。鉄道作家として認められるのは1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年)小説新潮に連載された“阿房(あほう)列車シリーズ”に依る。

宮脇俊三は1926年生れ、国会において国家総動員法に関する佐藤賢了中佐の説明をヤジり倒し「黙れ!」事件を起こした宮脇長吉代議士(元陸軍大佐)の三男。旧制成蹊高校から東大理学部地質学科に進むが途中で再試験を受け、文学部西洋史学科に移っている。1951年(昭和26年)卒業後中央公論社に就職、中公新書の発刊、中央公論編集長、常務取締役編集局長を務めた後1978年退職、この年出版された「時刻表2万キロ」は国鉄(現JR)全線完乗を表したもので、第5回日本ノンフィクション賞を受賞、一気に鉄道作家の頂点に立った。

親子ほど歳の離れた二人だが、根っからの鉄チャンだった宮脇は少年時代の想い出も多々書き残している。一方百閒の阿房列車は戦後のことだから、乗り鉄としての時代背景は重なるところが多い。また宮脇は「阿房列車」の愛読者だった。著者は両者の作品を時間軸に沿って解説、そこから見えてくる二人の世相観・鉄道観を対比し、共通する本質に迫っていく。かつて見た原風景をなつかしみ、それがいつまでもそこにあって欲しいとの思い。一方、新線が出来、最新列車が走るとそれに“発情”してしまうのも鉄道ファンの性。二人の作品から著者が読み取ったものは、古きものにノスタルジーを感じつつ常で無いもの(無常)を追い求めている、アンビバレントな乗り鉄の姿だ。そして時代の変化にそぐわず消えていく廃線、変わりゆく景観に物事に終わりのあることを読者に告げていると読む。

二人は何故鉄道紀行作家となったか、どんな作家だったか。話はそれぞれのデヴュー作の冒頭から始まる。百閒の特別阿房列車;「なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う」、宮脇の時刻表2万キロ;「鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる」。ここに鉄道を他の目的(例えば観光)のための単なる移動手段と見ていない、根っからの乗り鉄の神髄が結実されている。百閒はこの後方面・本線別に何本も阿房列車(例えば鹿児島阿房列車)に乗車するが、訪問地の情景や名物が描かれるシーンはほとんどなく話題は専ら車内・車窓と列車の動きだけで、名紀行文を残している。他方宮脇の切り口は多様で、一駅もダブらず一筆書きで最長切符を考え出し購入、有効期間内にそれを乗り切る「最長片道切符の旅」、「増補版時刻表昭和史」では少年時代からの鉄道利用体験を当時の時刻表とともに語る。後者は期間が昭和8年から23年までと言うこともあるが、ここにも観光は全く無い。

重なる話題は、少年時代の鉄道に対する思い、戦中・戦後の鉄道事情、乗車前の行動(先頭から最後尾まで一覧)、鉄道唱歌、そして酒。特に百閒の酒豪ぶりは凄い!のべつ幕なく飲んでいる印象だ。相手はいつも同行する国鉄広報担当の平山三郎(百閒の呼称は“ヒマラヤ山系”)。専ら(自腹で)特急・急行一等車を利用する百閒の食事は食堂車、駅弁は一度も現れない(酒は途中停車の際ヒマラヤ山系に調達させることもしばしば)。一方宮脇は三等車・普通車での日本酒一人酒と駅弁が定番だ。

引用されている両者の著作はほとんども所有し読んでいるが、二人を並べ比較すると、本格的乗り鉄始祖の共通点・相違点が明らかになり、一段と作者・作品への関心が高まった。ぼつぼつ再読してみるか、と。

著者は1966年生れ、高校時代から雑誌のコラムなどに投稿してきた作家・エッセイスト、宮脇には取材経験もある。女子鉄のはしりでもあるようだ。

 

380歳の壁

-存在の耐えられない軽さ。書き物版“気休めの仁丹”-

 


来年で干支は7廻り、84歳になる。これまで2019年秋の硬膜下血腫発症を唯一の例外として、入院したり手術を受けたりすることなく現在に至っている。就学来学校や職場を病(主として風邪)で休んだことは計2週間に満たない(中学・高校精勤賞)。とは言え、人並みに加齢とともにあれこれ体調異常は表れている。慢性胃炎は四半世紀前から、やがて高血圧、昨年からは変形性腰椎症(いわゆる坐骨神経痛)。その都度服用する薬が増え、単位も上がってきている。先月も年2回の血液採取結果から、食生活や運動量では改善が期待できない数値劣化に新たな薬投与を警告された。自覚症状は全く感じず日常生活に不自由も無いのに新たな薬を服用すべきか否か迷った末に、次回(半年後)の検診まで執行猶予にしてもらった。平均余命8年を考慮すれば、痛みなどの苦痛が無い限り、過度な(?)医療処置を受けない方が良いと考えるからだ。医療の専門家はこれをどう見るのか、それを知りたく本書を求めた。

新聞広告に高齢者の気を惹くような文言が連ねてあった。食べたいものは食べていい、お酒も飲んでいい、健康診断は受けない方がいい、ガンは切らない方がいい、血圧・血糖値・コレステロール値は下げなくていい、薬は不調がある時だけ飲めばいい、運転免許は返納しなくていい、運動はほどほどに、散歩が一番、「脳トレ」よりも自分の好きなことをする、嫌いな医師とはつきあわない、等々。本書全編、このような短い警句とこれも短い解説が続く。最後の章はこれが50音カルタになる。一応その論拠のようなこと(経験談)を簡単に示すが、何とも軽い本だった。要は「高齢者は無理して延命策など考えず、気楽に生きればいい」と題材を変えながら延々と述べているに過ぎない。ある意味、気休めにはなったが、あまりの軽さに、何か詐欺にかかったような読後感が残るばかりである。

著者は1960年生まれ、東大医学部卒の精神科医、本書には記されていないがアルツハイマーに関する研究で博士号を取得しており、現在は精神科クリニックを経営。本書の中で一時期浴風会(社会福祉法人)と言う老人対象の医療機関に勤務、個々の警句の裏付けはここでの知見が援用されている。この医療機関は関東大震災後行き場のなくなった老人を救済するために下賜金を基に国と東京府によって設立・運営されてきた、当時としては先端老人介護施設だったので、老人病に関しては特異な存在のようである(主にWikipediaから)。問題は著者がここでどの程度存在感のある医師だったかである。と言うのも、大学在学中の1980年から受験指南書を出版、その後もこの種の出版物を中心に、表層的な心理学書、医療業界や老人問題に関する種々雑多で膨大は著作を発表、とても丁寧に一冊ずつ執筆することは常人には不可能と思える(本書を含め多分口述筆記であろう)。また予備校講師、映画監督などを兼ね、多才なことは確かなようだが、腰の据わった研究者とはとても思えないのだ。

興味のある方は書店で立ち読みする程度で充分!

 

4)物語 ウクライナの歴史

-混迷するウクライナ情勢、歴史からその因が見えてくる-

 


ウクライナと言う地名を知ったのはいつだったか記憶にないが、中学の12年生の頃社会科の授業で国際連合原加盟国(対日・独・伊宣戦布告国)の中にウクライナと言う“国”があることを知った。それまでソ連邦の一部と思っていたから大いに違和感をもちその国名が記憶に残った。実はそれは社会人になるまで続いたが、格別調べよとも思わなかった。やがて近代史(特に第二次世界大戦史)に惹かれるようになり、その過程でスターリンの要求をチャーチルが認める格好でウクライナ、ベラルーシが国連において独立国として認められたことが分かった。つまり当時の英連邦はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど複数の国家で構成され、それぞれが加盟することになっており、ソ連もロシアの他に連邦を構成するいくつかの国をそれと等価な資格を持たせることにしたのだ。しかし、そうなっても地続きの両国はどうしてもソ連の一部との感覚は拭いされなかったし、既に真の独立を果たしていた20038月のオデッサ精油所訪問でも変わることはなかった。今度のロシアに依るウクライナ侵攻で、今までのウクライナ観を改めなければと痛感し本書を読んでみることにした。

著者は1944年生まれの外交官、1996年~99年(エリツィン時代)の駐ウクライナ大使。本書初版の発行は2002年(13版を重ねるが内容は改訂されていない)、既に20年を経て、ウクライナ国内政治・対外関係は変転しているにもかかわらず、今読んでも時代の隔たりを感じさせない。つまり、著者の視点はウクライナ、ロシア双方に向いているが論旨は「ウクライナとロシアとは違う!」にあり、その独立志向は共産革命以降のソ連史だけで語るにはあまりにも複雑で歴史の長いものであることを教えてくれる。ウクライナ史に関する他の本は読んでいないが、おそらく最も適切なものの一つでなないか。

歴史は紀元前83世紀の出土品にさかのぼり、イラン系スキタイ人の存在から始まるものの、現在のウクライナ、ロシア共に民族としてはスキタイと異質である。ウクライナと言う言葉が歴史に現れるのは123世紀、その意味は「辺境」「土地」「国」などを意味する一般名詞、現ウクライナを特定する地名になるのは16世紀のことである。この間ギリシャ人の植民、ゴート族やフン族の流入、東ローマ帝国領、コサック、スラヴ人と目まぐるしくこの地の主は変わっている。10世紀ごろキエフ・ルーシ公国が起こったところから、現代につながるロシアとの関係が始まる。つまり、ウクライナ、ロシア双方がこの公国の後継者であることの正統性・相違性根拠を求めるのだ。ロシアの主張はキエフ公国消滅後この地はリトアニア・ポーランド領地となり後継者は無かったとするもの。ウクライナの言い分は、ウクライナ西部に栄えたハリーチ・ヴォルイニ公国こそその後継者であるとする。両者の論をさらに複雑にするのはスラヴ民族発祥の曖昧さである。欧州の主要民族;ラテン、ゲルマンに比しその出現は遅く、それによる国家建国も無いまま中東欧に居住域が広まっていったため国と民族の関係付けがむつかしい。とにかくこの地が諸民族(ヴァイキングからコサック、モンゴルまで)と宗教(ユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、カトリック)の混沌とした場所であり続けたのだ。

ウクライナが一応国(ヘトマン国家;コサックの首領)として現れるのは16世紀、ポーランドに反抗したボフダン・フメルニッキーなる小領主が自治を獲得したことで始まる。ただこの時フメルニッキーはモスクワ公国と保護条約(ペレヤスラフ協定)を結んだため、これが後にロシアが自国領とする言い分につながっていく。しかし、この文書の原本は残っておらず改竄された可能性が高く、ウクライナはこれを一時的な軍事同盟と見ている。結局フメルニッキーはモスクワとポーランドによって葬り去ら、独立はその一時期に留まる。これを再興しようとしたのはイヴァン・マゼッパ、これも小領主出自、世渡り上手でピヨトール大帝の信を買うが、やがて北方大戦争でスウェーデンに加担し敗北。その後この地は第一次世界大戦後まで大部分がロシア、一部がポーランド、オーストリアの版図となる(ここが東西ウクライナの分かれ目、西側に独立志向が強い)。第一次大戦戦後の混乱はボルシェヴィキ革命もあり凄まじい。ポーランド、赤軍、白軍、仏軍(独の影響力を削ぐためロシアに加担)、ウクライナ東西に分かれた独立派パルチザンによる無秩序な内乱状態が1922年まで続くのだ。結局勝利を収めたのは赤軍、こうしてウクライナはソ連の一部となる。第二次世界大戦、冷戦、ソ連崩壊、19918月フメルニッキー統治以来350年待った独立が成る。

ただ著者は独立を評価しながらもそれを冷徹な目で見ている。つまり、この独立は“棚ぼた”であり、旧体制の中枢が素早く独立派に転向、看板だけ変わり中味はそのまま、と厳しい見方をしている。著書発刊後の大統領を見ればその危惧は当たっている。また、ウクライナによって東西のバランス・オブ・パワーが変わり、独立維持は中東欧の死活問題と断じていることは、在任・著作が20年以上前であることを考えるとき、その先見性に驚かされる。繰り返すが、参考文献もしっかりしており、現在のウクライナ問題知識取得に最適の書である。利用価値のあるものだけに、索引が無いのが惜しい。

 

蛇足;“はじめに”の謝意で同姓のいとこの名が記されていた。
彼は彼の地の輸出入銀行の再建・運営に深く関わったようだ。
以下にアクセスいただくとメディアで知るウクライナとは異なる
それを垣間見ることが出来る
(2015年独行法人石油天然ガス金属鉱物資源機構機関紙掲載)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/6/6467/201507_019a.pdf

 

 

5)プロ野球 元審判は知っている

-読み物としての面白味はないが、審判にしか見えない野球が見えてくる-

 


我々の世代でプロスポーツと言えば何と言っても野球。一リーグ制時代から親しんできた。ラヂオで実況アナウンスを聴き、球場で応援、そしてTV観戦と楽しみ方も多様だ。贔屓チームは東急フライヤーズ(現日ハム)→西鉄ライオンズ(現西武)→大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)と変わる。この変化のキーワードは三原脩監督。引揚後に転入した小学校で大将格の同級生から「お前はどこのファンだ」と問われ「(母の実家総てが応援する)巨人」と答えたところ「巨人は沢山いるからダメだ」と言われ仕方なく残りの在京球団である東急を選んだ。その時以来アンチ巨人、その巨人軍監督だった三原が追い出された先が西鉄ライオンズ、巨人を返り討ちにする彼にすっかり惹かれ、西鉄ファンに転向、さらに大洋に移るとそこを応援することとなり今日に至る。

日本シリーズ対巨人戦、3連敗4連勝、4勝無敗で連覇したこの魔術師・知将と呼ばれた超一流監督を一喝したのが二出川延明審判(パ・リーグ審判部長)。大毎(現ロッテ)対西鉄戦でアウト・セーフをめぐる判定に「ルールブックを見せろ」と迫る三原に「俺がルールブックだ!戻れ!」とやり返し、球史に残る審判となった(のち殿堂入り)。

最近はTVのダイジェスト版しか視ないので審判の判定まで注視する機会は皆無、名前など知る由もない。審判が著書を出すことは極めてまれ(二出川と同世代でセ・リーグ審判部長を務めた島秀之助の「プロ野球審判の眼」が1983年岩波新書から出ているがほとんど回顧録)、「もしかすると最近も二出川事件のようなことがあるのかもしれない」と期待し本書を発注した。

著者は1969年生れ、大学野球でプレーした後1992年よりセントラル・リーグ審判員。公式戦は1995年からで通算2414試合出場。オールスター、日本シリーズの審判も務め、2020年実家(寺院)を継ぐため引退。

本書は、選手の役割(投手、守備、打者・走者)別に有名選手(OBを含む)の中から特に着目する者を選び出し、その技術やプレー(投手ならば投球や牽制)を手短に語る章と裏話的な部分から成っている。前者は球質や打球の速さあるいは走塁方法のようなプレーのごく一部を切り取るので、現役プレーヤー(少年野球や草野球を含む)には役立つ情報があるものの、観客として野球を楽むには細部すぎる(見えない、分からない)。後者は、“監督を見る”、“乱闘・退場の原因を見る”、“舞台裏を見る”の3章だが、これも技術解説的でのぞき見するような面白い話はない。

全体で70話(投手;20、守備21、打者・走者;20、監督;4、乱闘・退場;5、舞台裏;10)から構成され、一話に割かれるのは概ね4頁。その内1頁は取り上げた選手の記録(生年月日、身長・体重、通算記録など)に使われるので、記事は3頁、行間が広いので正味の解説は簡単なものになる。この解説内容も雑談を口述筆記したような調子で軽い感じだ。ただ、“審判の眼”という視点は明確で、そこに独自性はあるし、プレーをする人には有益だろう。

取り上げられる選手・監督はOB6割以上。現役では:投手;金子千尋(オリックス)、千賀滉大(SB)、ダルビッシュ(MLB)など、守備;前田健太(MLB、牽制)、菊池涼介(広島)、福留孝介(中日)など、打者・走者;坂本勇人(巨人)柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)など。

解説は、どこに優れているか、その程度はどんなものか、どんな特質を具えているか、と言うように一人一テーマ別に行われる。例えば、上原浩治(巨人、MLB)は「3種のフォークボールを投げた」、岸孝之(楽天)は「ボールの回転が抜群に綺麗」、荒木雅博(中日)は「守備範囲が2倍あった」、松井秀喜は「(バットがボールに)ミート時に焦げた匂いがした」、柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)の二人は「フォークボール打ちが抜群に上手い」、と言うように、である。自身の失敗談もいくつか語られるが“二出川神話”のようなものはなかった。ある種のデータブックとしてはともかく、読み物としての面白味を欠く。

 

6)幕府軍艦「回天」始末

-新政府海軍対旧幕府海軍、誰もが描かなかった海戦顛末記-

 


日本人作家の小説はほとんど読まない。司馬遼太郎や池上正太郎の本はかなり持っているが「坂の上の雲」を除けば、すべて紀行文やエッセイ、対談などである。そんな中で吉村昭だけは例外、「深海の使者」「戦艦武蔵」のような太平洋戦争を舞台にした作品や「三陸海岸大津波」など10冊程度持っている。興味ある“戦争”分野が多く、作品内容の考証が可能で、綿密な調査活動に基づく創作化のうまさに満足していること、登場人物に対する妙な思い入れがない筆致であること(司馬の小説とは真逆)、が惹かれる理由。言い換えれば限りなく上質なノンフィクションに近いのだ。故人だし読みたい作品は読破したと思っていたが書店に平積みされた、記憶にない題名を見つけて奥付を確かめると単行本発行は1990年だが、これは新装第1刷とある。文庫化出版を見落としていたのだ。好みの作家の未読作品は新作以上の貴重品、そんな思いで購入した(同時に、書名は知っていたが興味の対象外だった「破船」が“2022年度超発掘本本屋大賞”と銘打っていたので、一緒に買ってしまった)。

幕末・維新は多くの歴史小説に取り上げられている。特に陸戦は、京都での蛤御門の変、戊辰戦争、彰義隊の上野戦争、奥羽越同盟と新政府軍との数々の戦いなど多くの作家が独自の物語を作り上げ、英雄(悲劇を含む)を生み出している。これに比べると海上の戦は箱舘戦争でわずかに描かれるばかり。それも五稜郭陥落と土方歳三の戦死くらいで、陸戦の域を出ない。しかし、両者の間で総力を挙げて戦われた一連の海戦があった。慶応4年(明治元年、1868年)8月から翌年5月にわたり旧幕府海軍と新政府海軍によって宮古湾、箱舘湾で戦われたのがそれである。本書はその海戦を詳しくかつ淡々と語るもので、本来なら榎本武揚を主人公に据えてもおかしくないのだが、主役は老朽艦「回天」、英雄不在、当に吉村調そのものの小説である。

維新の成った年18688月、新政府への幕艦引き渡しを拒み艦隊総帥榎本に率いられた幕府艦隊は江戸湾を脱し蝦夷箱舘を目指す。陣容は、榎本がオランダで造艦を監督した「開陽(2,718t)」はじめ「回天(1,280t)」「蟠龍(350t)」「千代田形(形が付くのは同型艦複数を予定したため)(138t)」の4軍艦と4隻の輸送船。北上途上の寄港地は宮古、追撃してくる政府軍もここに立ち寄ると読み綿密な偵察と密偵を残す。箱舘に入った艦隊は新政府方の松前藩を打ち破りこの地を占領、12月五稜郭に総司令部を置く。この間、悪天候で旗艦とも言える「開陽」が座礁、運用不可能になり、政府軍とのパワーバランスが崩れる。予想される政府軍の旗艦「甲鉄(1,358t)」は蒸気船で砲力に優れる。どこで如何に政府海軍と戦うべきか?戦略・戦術は如何に?宮古湾急襲論が採用される(「甲鉄」停泊中に「蟠龍」と「高雄(江戸湾脱出が遅れた)(350t)」の兵が乗り移り奪取する。切込み隊長土方歳三)。明治2年(1869年)316日密偵から宮古湾に政府艦隊見ゆの報がもたらされ「回天」「蟠龍」「高雄」「千代田形」が箱舘港を出港、宮古湾を目指す。想定する政府艦隊は「甲鉄」「春日(1,269t)、(乗組員の一人に東郷平八郎が居る)」「丁卯(ていぼう)(125t)」「陽春(530t)」の4艦。これらが湾内で補給中、つまり蒸気の上がっていないとき奇襲する作戦だ。しかし、実際には天候不順や故障などあり、「回天」が「甲鉄」に接舷(「回天」は外輪推進のため横付けできず舳先から突っ込む)、激しい銃撃戦を交わした後「回天」は撤収し宮古湾奇襲作戦は終わる。

このあと旧幕府艦隊は箱舘へ帰還。追撃する政府艦隊は青森で補給した後箱舘へ向かい、陸戦・海戦が戦われ、「高雄」「回天」「蟠龍」「千代田形」は座礁や砲撃で動けなくなる。511日政府軍陸海共同作戦実施、旧幕府艦隊全滅、土方歳三戦死、518日五稜郭開城で一連の箱舘戦争は終わる。戦い全体を俯瞰すると、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦と重なるような気がして来るのは軍事オタクの妄想だろうか?

軍艦や戦いの細部のみならず、寄港地の様子(町村統治組織、地元民の生活、産業など)、諸外国の立ち振る舞い(米、英、仏、露、蘭)も丹念に調べていることが、どの場面でも嫌味なく伝わってくる(如何にも“調査しました”調でない)。何度も現地を訪れ郷土史家たちから情報を得ているようだ(解説)。驚いたのは宮古の盛況、何と花街の遊女屋数160!、ここで政府軍兵士が遊びまくり、戦後それぞれの藩に帰藩、性病が全国規模でまん延したとある。

「さすが吉村昭作品!」が読後感であるとともに、幕末・維新の軍艦技術について興味が沸いてきた。

 

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2022年4月30日土曜日

今月の本棚-165(2022年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)ベルリンに堕ちる闇(サイモン・スカロウ);早川書房(文庫)

2)ドイツ・ナショナリズム(今野元); 中央公論新社(新書)

3)遠い太鼓(村上春樹);講談社(文庫)

4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~(ベン・マッキンタイアー);中央公論新社

5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~(森貴史);中央公論新社(新書)

6)戦国日本の軍事革命(藤田達生);中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1)ベルリンに堕ちる闇

-非ナチ党員の敏腕警部補がゲシュタポ局長特命で挑む幹部党員夫人殺人事件-

 


軍事制度に比べ警察のそれは国や時代により変化し分かりにくい。例えば、我が国に戦前存在した特別高等警察(特高)、これは専ら国内治安維持を目的としたもので、一般的な刑事事件は取り扱わない。そうは言っても治安維持と刑事事件は無関係ではないし、また国内ですべてが解決できるわけでもない。米国のCIAFBI、さらには州以下の自治体警察、英国のMI-6(海外諜報)とMI-5(国内治安)、内務省管轄下の一般(刑事・交通など)警察、旧ソ連におけるKGBの存在(国境警備を含むので軍隊に近い警察組織)、に広義の警察機能の複雑さが窺える。さらに、一党独裁の国家では党の保安を図るため直轄の治安組織を設けることがよく見られる。ナチス党の親衛隊(SS)配下には国家保安本部(SD)がありさらにその下にゲジュタポ局(秘密警察)がつながっている。一方内務省管轄下に犯罪事件を扱う一般刑事警察が存在するのだが、その長官はSSトップのヒムラーが兼務している。このような状況下で起こった殺人事件が本書の主題である。

第二次世界大戦開戦3か月を経た12月、英仏は対独宣戦布告をしたものの本格的な戦闘は起こっていない。いわゆる“まやかしの戦争”と言われた時期である。それでも時々飛来する宣伝ビラ散布の英爆撃機を警戒してベルリンの夜は灯火管制下にある。そんな凍てつく暗夜、駅構内の引き込み線内で、かつて人気を博した映画女優の絞殺死体が見つかる。

捜査に当たるのはシェンケ警部補、一時期メルセデスベンツ・シルバーアロー号を駆って一世を風靡したレーシングドライバーだが、事故で重傷を負い今は犯罪捜査を担当する警察官になり、食糧配給切符偽造事件を追っている。所轄署は殺人事件とは管轄外だ。また信条によって世の風潮に逆らいナチス党への入党を拒否している。そのシェンケに突然ゲシュタポ局長ハインリッヒ・ミュラー大佐(実在;ユダヤ人虐殺首謀者の一人)から呼び出しがかかり、本事件を担当するよう命じられる。「管轄外の私に何故?」の質問に対して大佐は「君が有能な刑事でかつナチス党員でないからだ」と答え、「必要なことは人事を含めすべて思いのままにして良い」とお墨付きの書面を渡す。ただし早期解決が必須(事件発生は19日、クリスマス前に犯人逮捕)、失敗した場合は厳しい処分が待っていることも告げられる。

党が関わりたくないのは被害者の夫がナチスの有力な法律家であるからだ。もし犯人が党員だったら党の勢力図が一変する可能性さえある。失敗した場合非党員ならスケープゴートにできる。

党員法律家と被害者である妻の関係;人気を失った妻は金目当て年の離れた男と結婚、夫はそれでも彼女を自らのものにしておきたい。夫は知らぬが妻の浮名は知る人ぞ知る。事件当夜も国防軍情報部(アプヴェーア)のドルナー大佐とパーティーに出席している。ただ、このパーティーで些細なことで二人は仲たがい、元女優は席を立って一人駅に向かう。当然容疑者として目を付けられるのは夫とドルナーだ。シェンケ警部補は偽造配給券捜査チームを全員引き連れて所轄署に乗り込み、この二人を徹底的に洗っていくが逮捕に至る証拠は出てこない。類似の殺人事件は無いか、事件になっていない変死は無いか、捜査は多面におよぶが見通しは暗い。苛立つミュラー局長はチームに若手のゲシュタポ軍曹を送り込み、シェンケの行動を逐一監視・報告させる。サイドストーリーとなるのは、国防軍情報部長官ヴィルヘルム・カナリス提督(実在;戦争末期反ヒトラー活動容疑で処刑)の姪であるカリン・カナリスとシェンケの関係。恋人カリンはシェンケ以上にナチス批判派でしばしばそれを口外する。本筋と脇筋を結ぶのはかのアプヴェーアの大佐。ナチス党保安本部とアプヴェーアの組織間闘争は史実でもある。はたして彼は犯人なのか?

ナチス絶頂下のベルリンにおける実在の事件Sバーンマーダー;これが執筆ヒントのようだ)や人物あるいは社会情勢(ユダヤ人問題など)を上手く援用、登場人物一人一人の世界観や性格描写に意を用い、意外な結末に持っていくストーリー展開に海外歴史ミステリーの醍醐味を堪能した。

著者は1962年生れ、歴史教師の経験を持つ英国人の歴史小説家。本作品は初めてのミステリーと紹介にある。

 

2)ドイツ・ナショナリズム

-時に暴走するも今や覇権国の一つ。その依って来たる民族性を2000年のスパンで分析する-

 


個人的なドイツ観は“愛憎半ばす”と本欄でドイツを取り上げる度に枕詞のように使ってきた。近代史を辿る時どう見ても親日的な国とは思えない。憎の来る由縁は、日清戦争における三国干渉、日露戦争のけしかけ役、ドイツ皇帝の黄禍論、日中戦争の於ける国民党支援、最近ではメルケル首相の対中政策(日本パッシング)や福島原発事故に対する反日世論など。愛の部分は専門として学んだ機械工学関係、航空機・戦車・潜水艦を始めとする兵器技術から趣味の自動車まで一目も二目も置く存在。所有した外国車2台はいずれもドイツ車、「さすが発祥の国」と納得させるものだった。しかし、日独技術格差はブランド価値を除きほぼ解消、電子技術やその組み合わせでは、工作機械のようにむしろ我が国が先行する例もある。1980年代には米国と併せて世界経済を牽引する3台の機関車に例えられた日独だが、1990年代以降国際関係(環境問題などを含む)では大差がつき、EUの主導国ばかりでなく覇権国の一つに変じつつあるのがドイツだ。愛憎と技術は一先ず置き、この国を改めて考察してみよう、そんな動機で本書を手にした。

“ナショナリズム”のタイトルはプロイセン中心としたドイツ帝国誕生やナチスによる第三帝国なる仇花を連想させるが、本書の内容はそのような一時的なものでは無く、西暦9年から現在におよぶ2000年にわたるドイツ史を辿るものである。その焦点は全体的な通史ではなく、民族あるいは国家としての欧州域における存在感に当てられる。2000年と言う長期をこのような角度で俯瞰・分析した上で現在のナショナリズムを評価する。因みに西暦9年はゲルマン諸民族連合がトイトブルクの森(現ドイツ北西部ニーダーザクセン州)でローマ軍を破り、その侵攻を止めた年である。これによりローマのゲルマン内版図はその西部・南部が限界となる。つまり、当時の「普遍」的世界であったローマとは異な「固有」の民族意識がこの年萌芽したと見るのだ。爾後この「固有」と「普遍」を行き来するのがドイツ・ナショナリズムの特質と捉え、この仮説に基づいてその変化を分析する。そこから、ある時はローマに田舎者扱いにされ、近世では英仏中心の西欧観の外周に置かれながら、今や主体性を持って欧州指導の引き受け手となったドイツの姿が見えてくるわけである。ドイツ「固有」の価値観が「普遍」化するのは、決して近代だけでは無いことが理解できる。

この「固有」と「普遍」は二者択一ではなく、状況に応じて「固有」が「普遍」化したり、「普遍」が「固有」化したりする。例えば、9世紀に神聖ローマ帝国の盟主となるとゲルマン「固有」意識が薄れローマの「普遍」性と融合、それが統治の根幹を成すようになっていく。またウィルヘルム2世治下のドイツ帝国、ナチスの勃興はドイツ「固有」を「新普遍」化するための「旧普遍」に対する挑戦であった。

戦後のドイツ連邦共和国(西独)は西欧的「普遍」価値を尊重し、やがてドイツ民主共和国(東独)を併呑して欧州の指導国となってゆくが、その姿勢は控えめなもので、米英仏から優等生として認められる。しかしながら統一後の不況から脱した後ドイツ「固有」の価値観とも言える環境政策や財政政策を欧州全体さらには世界に「普遍」化する言動が経済力と相俟って「道徳の棍棒」を振り回すドイツととられ、他の西欧諸国の苛立ち・反発が顕在化してきている。

「普遍」的価値は常に序列を生む。つまり「普遍」化に遅れたものを劣者とする。EU内では他国を、国内では旧東独民を見下すドイツに、オバマ政権の後にトランプ政権が誕生したような激変がいつ起こらないとも限らない、と言うのが著者のまとめである。

歴史的に見て、領土・統治者・統治形態はめまぐるしく変転、近代ドイツの国家としての成立は19世紀後半、いまだ2世紀に満たない。それを2000年と言う長期で捉え、そのナショナリズムを「固有」「普遍」と言う視点で分析するのは極めてユニーク。ドイツを見る目に新しい視座を与えてくれた。しかし、“おわりに”に記された「国際社会における日本の立場は、もうドイツには及ばない」のひと言は日本人として大いに考えさせられるところだ。

著者は1983年生れ、ベルリン大学哲学部歴史学科で学んだ欧州国際政治史、ドイツ政治史の専門家、PhD・博士号(法学)取得者、愛知県立大学外国語学部教授。

 

3)遠い太鼓

-超ベストセラー「ノルウェーの森」は如何に書かれたか。滞欧3年の紀行エッセイが明らかにする-

 


本欄-163(本年2月分)で同じ著者の「やがて哀しき外国語」を紹介した(1994年購入のものの再読)。著者が1991年春から1993年秋まで約2年半プリンストン大学客員研究員・講師として滞米した紀行エッセイである。その中に、この渡米前欧州に3年間居を構え創作活動を行っていたことが記されており、1千万部を超える超ベストセラーとなった「ノルウェーの森」がその一つであることを知った。村上作品はジャズの解説書やノモンハンを訪れたルポルタージュは読んでいるものの、小説は一切読んでいないのだが、「ノルウェーの森」の驚異的な販売数は記憶にあったから、その創作過程をうかがえるなら是非読んでみたいと思い探し当てたのが本書である。書題は「遠い太鼓に誘われて 私は長い旅に出た 古い外套に身を包み すべてをあとに残して」(トルコの古い唄)から来ている。

著者はバックパッカーを含め欧州を何度か旅しているが、長期逗留はこの時が初めて。本書や既読の他の著書および関連情報も含めて、今回の旅の背景を簡単にまとめてみたい。1949年生れ、早大文学部演劇専修(1968年入学、19757年かけて卒業)。1971年学生結婚。1974年より1981年までジャズ喫茶(夜はバー)を経営、この間1979年「風の歌を聴け」で群像新人賞受賞、執筆活動が活発化、1981年創作専業となる。1985年には「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞を受賞し人気作家となっていく。創作と併せて多くの翻訳(主に米小説)を手掛けていることから英語には不自由しないようだが、イタリア語を始めこの滞欧記で訪れる国々の言葉には通じていない。また人気作家と言ってもこの時期経済的に海外で贅沢な生活を送れるほど豊かではなかったようだ。ただし、「ノルウェーの森」がベストセラーになってからはやや事情は異なってきたことが窺える(ランチャの新車を購入する)。

さて動機である。先ず、常々40歳を人生の節目と考えており「それまでに何かを残したい」と考えていたことである。旅に出た時は37歳であった。次に、長編小説を書くときは他の仕事を放り出して徹底的にそれ一つに集中してきた。従って仕事のペースは速い。しかし、ある程度人気が出てきたこともあり日本における環境は落ち着きがなくなってきていた。これが長旅に駆り立てる理由だった。

旅の始まりは198610月ローマから始まり198910月のローマで終わる。しかし3年間ローマにだけ留まっていたわけではない。ここはベースキャンプなのだ。ローマをベースにしたのは気候が第一、他の欧州の冬は厳しい。もう一つは古い友人の一人がここに居たことによる。そこから出歩いた先はシシリー、トスカナなどイタリア国内ばかりでなく、ギリシャの島々、ロンドンさらには何度か短期間東京にも戻っている。一時帰国の理由は主として出版社との打ち合わせだが、自動車運転免許証取得もある。欧州に居てクルマを所有・運転できないことが如何に不自由かを痛感したからだ。

創作の旅で頻繁に訪れるのはギリシャ。最初に居を構えたのはアテネの南東方向にあるスペッツ島の個人所有別荘、オフシーズンで貸しに出ていたのだ。美しいエーゲ海を目の前に書くことに集中できる理想的な住まいと現地を訪ねず契約。しかし、観光客皆無ではホテルもレストランもほとんど閉めており、英語も通じず、チョッとした日常の用足しにも不自由、おまけに嵐に襲われ散々な目にあう。ミコノス島、クレタ島、レスボス島、ロードス島すべてシーズンを外して滞在した多くの島で異次元体験をする。ギリシャは島々ばかりではなく、何とマラトン・アテネ間のフルマラソンに参加、完走している。

イタリアの話は不快な話題が多い。「ノルウェーの森」は主にシシリー島のパレルモで書かれるのだが、治安の悪さ(マフィアの横行)や無愛想な人々で悪印象。またベースであるローマの犯罪(スリ、かっぱらい;スクーターによる夫人のハンドバッグ強奪事件、これでパスポート・航空券を失うが、それに対する警察の対応の悪さ)、交通事情(渋滞・駐車難・バスの運行)、公務員(特に郵便)サービスのいい加減さ、が何度も取り上げられる。原稿の郵送などとても信頼できず(友人が日本から送ってくれた冷麦が結局届かなかった)、「ダンス・・・」の仕上げはロンドンで行い、そこから日本宛てに送ることにしたほどだ。新車で購入したランチアがオーストリア旅行中突如動かなくなるのもイタリアならではの出来事である。楽しい話で印象的なのはワインに関する話題。喫茶バーの経営でかなり酒(ワイン以外を含む)に精通しているらしく(かつ強い)、「通ではない」と断わりながらトスカナの小規模なワイナリーや民宿を訪ね歩く旅は「出来ることなら私もしてみたい」と叶わぬ旅情をかきたてられる。またジャズに関しては解説書を出すほどだが、クラッシック音楽の知見もなかなかのもの、オペラを含むその蘊蓄も読みどころだ。今度の旅は夫人同伴、作家の創作以外の日常が垣間見えるのも本書の興味深いところだ(意外と規則正しい健康的な生活を堅持)。

外国滞在記はとかく「xxxでは」調の外国礼賛あるいは蔑視型になりがちだが前回紹介の「やがて哀しき外国語」同様自然体で3年間の外国生活が描かれ嫌味を全く感じさせない。それが村上文学の基調なのかな、と思ったりもする。

 

4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~

-ドイツ系ユダヤ人として生まれ、93歳の天寿を全うした凄腕ソ連女スパイ。彼女によって原爆開発は4年早まった-

 


リヒヤルト・ゾルゲ、昭和史否世界スパイ史に名を留める著名なソ連スパイ。父ドイツ人母ロシア人の子として1895年バクー(現アゼルバイジャン)で誕生、大学はドイツで学び第一次世界大戦にも従軍、戦後ドイツ共産党員になる。コミンテルン(国際共産主義運動)の一員としてモスクワで訓練受けてソ連国防軍情報部(GPU;ゲー・ぺー・ウー)に採用され、ドイツ人ジャーナリストとしてスパイ活動を開始する。最初の任地は上海、1930年より国民党と中国共産党(中共)および日本軍の動きを探る。ここで彼のネットワークに組み込まれるのが、米国共産党のシンパでジャーンリストのアグネス・スメドレーや朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)である。ゾルゲの次の活動地は日本、1933年秋に来日し最初は駐日ドイツ大使館に食い込み、ここでナチス党にも加わって信頼を得る。それとともに旧知の尾崎を中心にスパイ網を構築、当初はドイツ関連(ドイツ国内、日独関係)情報主体であったが、1938年近衛内閣が発足するとそのブレーンとなった尾崎より日本の高度政治・軍事情報を密かに入手、モスクワに通報する。ドイツのソ連侵攻警告を何度も送るがこれはスターリンに無視される。しかし、独軍侵攻後日本の南進が有力との報は東部ソ連軍の欧州戦線大規模移動につながりソ連の危機を救う。この功により戦後ソ連邦英雄の称号が贈られるが、その時ゾルゲはこの世に居なかった。1939年来米国帰りの共産党員を密かに追っていた特高が彼につながる人脈をたどり1941年太平洋戦争を前に尾崎、ゾルゲ等を逮捕、1944年処刑していたのだ。この凄腕スパイが上海でスカウトした工作員の一人が本書の主人公ウルズラ・クチンスキー(暗号名ソーニャ)である。

ウルズラは1907年生まれのドイツ系ユダヤ人で6兄妹の長女。祖父の代に財を成し父は人口統計学者。ロシア革命が成り、第一次世界大戦に敗れたドイツでは共産党への期待が高く、女学生の彼女もそれに惹かれ、家族の反対をよそに街頭デモなどに参加するようになる。この政治意識と伴に反体制へと突き動かす動機は女性差別に対するそれだ。兄はベルリン大学で学び米国留学するほどだが共産党員、父は政治活動はしないもののシンパである。こんな環境から彼女もやがて入党。女性の大学進学は叶わぬことから女学校卒業後は出版社に職を得るが満たされない日々を送る。そんな時4歳年上のルドルフ・ハンブルガー(ルディ;彼も党員ではないが共産主義信奉者、ユダヤ人)と知りあい、二人は1929年秋結婚する。しかし国内経済の混乱や大恐慌の影響もあり、ベルリン工科大学建築家で学んだルディも国内では仕事が見つからず、友人の伝で上海租界の工作局で働くことになり、二人は19307月シベリア鉄道経由で上海に向かう。

ルディの仕事は順調だが植民地同様の租界は活動的な女性にとっては退屈至極、そこで友人となるのが中共の宣伝役とも言えるアグネス・スメドレー、ここからゾルゲにつながり、ルディも了解の上でGRUの工作員になっていく。この時二人の間に長男(ミヒャエル)が誕生している。

先ず訓練のためにモスクワへ。ルディを上海に残しミヒャエル3歳)と陸路チェコに在るルディの祖父母の別荘に向かい、そこに子供を預けウルズラは単身モスクワで通信技術を含むスパイ訓練を受ける。最初の任地は奉天(現瀋陽)、日本の動きを探るのが任務だ。これにはヨハン・パトラと言う上官が同行、仮想夫婦としてふるまわなければならない。ミヒャエルを引き取りイタリアのトリエステ経由で海路上海へ。ルディとの再会も束の間、通信機の部品などを取りそろえ3人(ウルズラ、ミヒャエル、ヨハン)は奉天に向かう。スパイとは言え男と女しばらくするとウルズラはヨハンの子を懐妊、やがて奉天のスパイ網の一端が崩れ3人は急遽上海に逃げ、その際ウルズラはヨハンの子を身ごもっていることをルディに告げ認知を乞う。ここでも人の良いルディはそれを許し、1935年ウルズラとミヒャエルは次の活動拠点ワルシャワへ旅立つ。今度はドイツとポーランドの動きを探るのだ。ナチスドイツ政権は既に1年余ユダヤ人排斥は活発化しておりウルズラの両親・兄妹は英国に逃れている。ワルシャワで生まれた長女ニーナの面倒を見てくれるのはウルズラの乳母であったオロ(純粋のドイツ人)。19399月ドイツのポーランド侵攻、ワルシャワの次は中立国スイス・ジュネーブでの情報収集、昇進したウルズラの下にスペイン市民戦争に参加し、共和国軍側で戦った二人の英国共産党員が加わる。しかし、ここも中立国とは言え安泰ではない。国内に跋扈するスパイたちをスイス官憲が追い、国外追放するのだ。おまけにウルズラの旅券有効期限が迫っており切れるとドイツへ送還、確実に絶滅収容所入りだ。やむを得ず2度目の仮想結婚をし、英国へ逃れることを目論む。今度の相手は部下の英国人工作員レン・バートン。しかし、両人とも共産主義者として入国管理機関のブラックリストに載っており、なかなかOKが出ない。その間ウルズラはレンとの子供を身ごもる(英国で生まれる次男ピーター)。やっと結婚が認められスイス→南仏→スペイン→ポルトガルと逃避行を続けリスボンから出た船がリヴァプールに着いたのは19412月、ここで待ち受けるMI-5(国内諜報機関)の取り調べを何とか潜り抜け、先に渡英していた両親や兄妹と合流。さらに住まいをコッツウォルズに移してスパイ活動を継続する。今度は同盟国英国の対ソ動向を窺うのだ。ここで役立つのは学者として著名人に接触する機会が多い父親。この段階で父にはソ連のスパイであることを打ち明けている。独ソ戦の開始もあり英国の対ソ政策は最重要関心事、ウルズラへの期待は大きい(本人には知らされていないが大佐の階級が与えられている。女性の大佐はGRU初)。

英国での大ヒットは英米共同で秘密裏に進められていた原爆開発プロジェクト(マンハッタン計画)。ウルズラの網に主要メンバーの一人物理学者のクラウス・フックス(ドイツ人、共産党員、戦前英国へ亡命)がかかる。ここからもたらされた原爆情報はソ連のそれを4年早めたと後に言われるほどかけがえのないものだった。

海外勤務終焉は19472月、フックスの逮捕がきっかけとなりMI-5の追及をかわして下の子二人(ミヒャエルは英国の大学に在学)を連れて同月東独へ逃れる。住まいは生まれ故郷のベルリン、1955年最初の夫ルディと20年ぶりの再会も果たす。1989年ベルリンの壁が崩壊した時には82歳、20007月没(享年93歳)、その2か月プーチンロシア大統領は「GRUのスーパー工作員」として友好勲章を授与する。超一級のスパイの証だ。

著者はタイムズのコラムニスト・副主筆から作家に転じた人。既刊作品「KGBの男」「ナチを欺いた死体(映画「ミンスミート作戦」の原作)」「英国の二重スパイシステム」「キム・フィルビー」はすべて本欄で紹介しており、綿密な調査を基にした詳細かつ臨場感のある作風はノンフィクションのジョン・ル・カレと称されるほど。今回も多数の文献に当たるほか、遺族(特にミヒャエル、ピーター;両人とも学者、ニーナは高校教師)や旧東ドイツ秘密警察(シュタージ)職員への聞き取り調査も行ってソーニャの公私両面を深耕、Lover(愛人)・Mother(母親)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)を偏りなく描き出している。因みに、この副題はル・カレの名作「Tinker(鋳掛屋)・Tailor(仕立屋)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)」のオマージュである。

 

5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~

-撃墜王の伝記と思ったが羊肉は7割、残り3割は狗肉。しかし、これが意外と珍味だった-

 


来年はライト兄弟のフライヤー号が空を飛んで120年目になる。いまだ発展途上にあるITを一先ず置けば、人類によって発明された道具の進歩と言う点において、これほど早いものはなかろう。

我が国の空への活動が許されたのは占領も終わりに近づいた1951年、航空雑誌で知った世界は子供心(と言っても中学生だが)をかきたて、航空技術者への夢を膨らませた。諸般の経緯でそれは叶わなかったものの、“三つ子の魂百まで(83歳だが)”、この間模型作りや航空雑誌で飛行機への関心は持続している。それもあって航空に画期をもたらした人物の伝記類は一通りそろっている。ライト兄弟、リンドバーグ、ゲーリング、ハインケル(独航空機設計製造者)、ドーリットル(日本本土初爆撃)、ハルトマン(史上最多の撃墜王;352機)、中島知久平(中島飛行機(現スバル)生みの親)などなど。しかし、空戦の歴史に欠かせない人物、第一次世界大戦の撃墜王(80機)マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(通称レッド・バロン;赤い男爵;乗機・編隊機を赤に塗装)に関しては、伝記のように一冊にまとめられたものはない。本書の主題・副題を目にして飛びついた次第である。

結論から言えば、生誕から25歳での戦死までの短い生涯を一通り分かり易くまとめられている点で買って損は無かったが、羊頭7割狗肉3割、何か不快感の残る本だった。不満の部分は肉料理の組合せにある。副題の“その一族”がそれだ。序章の“リヒトホーフェンの家系”を読み始めた時嫌な予感がした。これが延々と続くのだ。“赤い男爵”がシュレージェン地方(現ポーランド領)の貴族の末裔であることは知っていたが、その祖先を辿り“リヒトホーフェン”と“フォン”ばかりの家系講釈が延々と続くのである。著者の目論見はリヒトホーフェン兄弟(弟ローターもエース戦闘機乗り)と同姓の姉妹(エルゼとフリーダ)に関する話を一冊の本にまとめることにあったのだ。これが実の姉妹や従姉妹・又従姉妹あるいは叔母くらいなら許せるのだが、同姓以外は共通点の無い二人を“一族”としてまとめてしまうのだ。牽強付会の何物でもない。著者もこれは気になっていたのであろう、結びで「撃墜王とその弟に関心いただいた読者には姉妹の2章は蛇足だったかもしれない」と断わった上で、それでも「(たまたま)同姓の二組を描写することで同時代の全く異なる断面を供覧したかった」とし「100年ほど前の巨大な転換期を多面的にとらえる契機としてもらえれば、幸いである」と終える。信じられない論法だ。

本書は235頁から成り序章と結びを除けば220頁、その構成は4章から成り、第1章はマンフレートでここに110頁、第2章はローターに30頁が割かれ、残り2章はエルザ・フリーダ姉妹で80頁となる。この配分から見れば“買って損は無かった”と言える。マンフレートの少年期からの孤独指向、狩猟に対する異常とも言える関心と腕前を知ると後の撃墜王の理解が一層深まったし、ローターについて兄同様プール・ル・メリット(軍人に与えられる最高の勲章;別称ブルー・マックス)受賞のエース・パイロットであったことを本書で初めて知ったのも収穫だった。ただ、戦史や技術史としての深みは無く、その点では軽い内容のものだ。

では私にとっては蛇足であったエルザとフリーダの章はどうだったか。これが予想外のおまけだったのである。エルザはマックス・ヴェーヴァ―の弟子かつ愛人(夫も子供もいるが)、ドイツ女性初の博士号取得者(裏にヴェーヴァ―の存在がある)。妹のエルザも年の離れた英国人と結婚後子供をもうけるが、遥か年下のD.H.ローレンス(チャタレー夫人の著者)と駆け落ちする。つまり、チャタレー夫人のモデルなのである。姉妹の男関係の乱れにあぜんとさせられた。著者は他の行動を含め当時は制約の多かった女性の社会活動活発化の先駆者として二人を捉えており、本職の研究もそこにあるようだ。狗の肉もたまには珍味と言うところか。しかし、羊料理と一緒盛りはいただけない。

著者は1970年生れ、ベルリン・フンボルト大学でPhDを取得したドイツ文化論、ヨーロッパ紀行文学の専門家、関西大学文学部教授。

 

6)戦国日本の軍事革命

-軍事革命中世日本版、鉄炮普及はアジア最速で進み、統一国家実現の決め手となった-

 


軍事革命the Revolution in Military AffairsRMA)なる言葉は4半世紀前から使われ始め、当初はサイバー兵器やメディア対策のようなITを主体とする軍事技術や作戦を意味していた。これが最近ではAI、ロボット、ドローン、衛星技術さらには遺伝子利用なども取り込んだ新たな兵器・作戦・戦場を想定したものに発展してきている。ただ、既刊の出版物は技術先行・ハードウェア重視で狭義の作戦を語る傾向が強く、新兵器の運用(兵站を含む)、人材育成や組織改編、さらにはそれを支える社会システムなどソフトウェア面が希薄になっている(米軍の教本など専門書は別として)。同じ兵器を等しく持っても考え方・運用、つまりソフト次第で大差が出る例は枚挙に暇がない。制空権が戦いの決定力との認識は第一次世界大戦末期から各国とも共有したが、空母を集中運用する機動部隊と言う発想を先行させた我が海軍が太平洋での戦い前半戦をリードしたのはその好例だろう。

本書を書店で目にした時真っ先に惹かれたのは“軍事革命”だが、次に気になったのは副題にある“鉄炮”、「また長篠の戦いか」と手に取るのを躊躇したが、最後の“統治”が気になり頁を繰ると“鉛インゴットの出土位置と流通ルート”の図が出てきた。最近の遺跡発掘研究の成果である。「これは従来の鉄砲伝来ものとは違う!(鉄砲本体以外のことを詳しく書いたものを初めて見た)」と購入を決した。

先ず鉄炮伝来から普及までを解説する。ここではその普及速度がアジア最速でることが強調される。国産化がきわめて早期に達成されるのだが、ここでは日本刀の鍛造技術と刀鍛冶の存在が大きい。この過程で堺、近江国友、近江日野、紀伊根来などに鉄炮鍛冶集団が発生する。これと並んで重要なのが武器商人の存在、弾となる鉛や硝石は国内には存在せず、中国や東南アジアから輸入となる。朝鮮半島から中国地方経由か九州南部から西向かうルートはいずれも堺や近江に集まる。これが先述の図で説明される。ここで暗躍するのがイエズス会の宣教師たち、彼らの裏面は死の商人だったわけだ。もう一つ欠かせないのが砲術師、弾の製作、火薬の調合、射撃の指導(高度な算術を駆使)、早期導入の大名らに学んだ砲術師は引っ張りだこで諸国を巡る。鉄炮を大量使用するためには人材育成が欠かせない。ここは砲術師に足軽を訓練させて常傭プロ化する。また独立の専門集団を形成するものもあり、伊賀衆・甲賀衆・根来衆・雑賀衆などが代表例、強力な傭兵集団となって大名、国人領主に抱えられる。

何と言っても数は力。長篠の戦いで信長勢は千丁以上の鉄炮を揃えている。また同数の戦いでは弾や火薬の保有量が勝敗を分けている。つまり兵站力の差である。これには充分な財力が不可欠、「信長検地」をはじめ財政基盤強化策が種々打ち出される。また配下大名への報酬を従来の貫高制(金銭)から石高制(米穀)に改め領地移動を容易にして彼らをあやつる。このような諸統治策を一旦鉄炮から離れて縷々説明、当時の天下統一推進の難しさを示す。この中で初めて知ったのは秀吉の朝鮮征伐失敗の一因。武士は先ず仕える大名に忠誠を尽くすので他藩の日本人に同胞意識が薄く、各大名軍がばらばらに戦って戦況不利に陥ることがしばしば起こっていることだ。近くで信長や秀吉が手綱を引き締めていれば成功してもそれ統一統率力を欠くと戦力が著しく低下する。国内戦でも言えることだが鉄炮は集中運用がカギ。総大将に指揮権を集中するために陣立書(または図;現代の戦闘序列)や軍法が現れるのもこの時代。

長篠の戦いを起点に、小牧・長久手の戦い、大坂の陣(冬、夏)、関ケ原の戦い、島原の乱(最後の国内大戦争)などにおける野戦や攻城戦を分析、鉄炮隊の大規模運用つまり軍事革命がもたらした最大の成果は、在地領主制の否定に依る統一国家誕生にあったと結ぶ。

鉄炮が常に登場しながら主題はあくまでも領地・国家の統治、ソフトへの踏み込みが深いく、軍事革命の本質理解のために適切な内容と評価する。ただ構成が時代順でなく同じ話題を、視点を変えて繰り返すところが多々あり冗長感を免れない。それとこれは日本史研究の宿命かも知れぬが、細かなところを問題視する姿勢が気になる。

著者は1958年生れ、日本近世国家成立史専攻、三重大学教育学部教授。

 

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2022年4月12日火曜日

海の公園と八景島

家に籠て読書やPCばかりの生活が続いている。少し外に出ることも習慣にしなければと思い立ち。少々自宅から距離もある海の公園・八景島方面を3時間ほど歩き回った。広く長い人工砂浜に人はちらほら、中学生がビーチバレーに興じ、赤い帆のウィンドサーファーが疾走していた。八景島も遊具を使用しなければ無料で散策できる。良いウォーキングコース発見だった。

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