2023年5月31日水曜日

今月の本棚-178(2023年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)エッフェル塔(ニコラ・デスッティエンヌ・ドルヴ);早川書房(文庫)

2)半導体戦争(クリス・ミラー);ダイヤモンド社

3)潜艦U-511の運命(野村直邦);中央公論新社(文庫)

4)敗者としての東京(吉見俊哉);筑摩書房(選書)

5)誰が国家を殺すのか(塩野七生);文藝春秋社(新書)

6)画家とモデル(中野京子);新潮社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)エッフェル塔

-フランス革命100周年記念建造物エッフェル塔、“鉄の詩人”が傾ける執念と情熱-

 


本年は我が国TV放送が始まって70周年になる。あの時は台東区役所の上階にある講堂に近隣の中学生が集められTV放送の説明を受け、演台の上に在る受像機に映る動く画面を視て感動した。

大学に入学した1958年(昭和33年)暮東京タワーが竣工した。NHKのみならず民放各社がそれぞれ放送塔を建設、景観をそこねていたこともこのタワーの建設動機だった。「もはや戦後ではない」を実感させる画期的出来事であったが、一方に「エッフェル塔の模倣」との批判もあった。私自身の第一印象も全く同じ、目立つだけに何か気恥ずかしさすら感じたものである。それも影響して、本家のエッフェル塔には二度上っているが東京タワーは皆無である。

本書はそのエッフェル塔建設をテーマにした恋愛小説、それも映画の脚本が先に出来ており、それに基づいて書かれたものである。ただ、この恋愛物語は完全に創作だが、訳者あとがきに依れば、塔建設にまつわる話はほぼ事実とのこと。私の講読動機はそこにあった。

小説は、若きエッフェルがボルドーの鉄道橋建設中資産家の娘と恋におちるが階級の違いで成就できず27年の歳月が過ぎ、再会するのは万博記念建造物審査の場、これに高等専門学校(グランゼコール;一般大学は高校卒業資格のみで入学可だが、ここは入試があり職業人としての評価は上)時代の友人が絡み、全411860年代と1880年代を交互に切替えてのストーリー展開となる。5人の子供を残し夫人が死去しているのは事実だが、登場人物は完全なフィクションなので読んでのお楽しみ。ここでは本書から読み取れる、エッフェルと塔建設を中心に内容紹介をしたい。

エッフェル本来の家名はベニックハウゼン、明らかにドイツ系だ。何代か前にアルザス地方からフランス中東部(ブルゴーニュ地方)ディジョンに移住、父親の代にフランス風とするため祖先の出身地アイフェルから“エッフェル”に改めている。家業は石炭卸商、まずまずの暮らし(とは言ってもブルジョア階級ではない)、中学を卒業後パリのグランゼコール準備校に進学するが第一志望のエコール・ポリテクニック(現在でもフランスNo.1の高等専門学校)に失敗、エコール・サントラル(中央工芸専門学校、ここも難関校)に入学、“技師”の資格を得て卒業。土木建築企業で主に橋梁建設に従事、やがて独立しエッフェル社を起こす。「鉄の魔術師」あるいは「鉄の詩人」と呼ばれるほど鉄鋼構造物、特に橋梁設計建設で知名度を上げる。ニューヨーク自由の女神も構造設計は彼に依る。

エッフェル塔建設の動機は1889年のパリ万博。フランス革命100周年を記念したこの行事に歴史的モニュメントを残すべく政府が公募を行う。45件が模型を含めた最終審査に残りエッフェル塔案が採用される。ただ、政府指定の建設場所はパリ郊外ピュート、エッフェルが中心部建設を主張し、主管の商工大臣がこれをサポートする。この中心部案に反対し抗議文を寄せた著名人にはデュマ、モーパッサン、グノーなどが名を連ね、本書の最後にその抗議文(日本語訳)が添付されている。反対理由は、景観破壊・日当たり減少・倒壊危機からローマ法王の「ノートルダム大聖堂に対する冒涜」までさまざまだが、首相交代で独仏間の緊張が高まり、反対運動は沈静化、何とか着工にこぎつける。その後も工期(2年)、予算、作業者のストなど困難に直面するが、万博開幕前に竣工する。当初の非難はのちに「鉄の貴婦人」と讃えられるほど激変、いまやパリのみならずフランス一のランドマークとなっている。

錬鉄(パドル製法(一種の製鋼法)で脱炭素)によるプレファブ工法、軟弱地盤への潜函工法適用、避雷針実験、高層建造物に対する風雨実験など、工学的先進技術への挑戦も小説の中で紹介される。なかなか魅力的な人物(特に技術者として)、本格的なエッフェル伝記を読んでみたい、そんな気にさせる内容であった。

 

蛇足;エッフェル塔:東京タワー、高さ;330m333m、工期;22カ月:1年半、鉄鋼材;7300t4000t、リヴェット・ボルト;250万本:20万本、事故死者;両者とも1名、錬鉄ゆえ曲線鋼材可;直線鋼材のみ、美しさの違いはここにある。

 

2)半導体戦争

-トランジスタに発する70年わたる熾烈な半導体ビジネスを余すところなく伝える壮大な叙事詩-

 


何十個ものトランジスタを小片に詰めた半導体集積回路(ICチップ)を初めて見たのは1967年(昭和42年)の春だった。横河電機が開発した集中型DDCDirect Digital Control;コンピュータによるプラント直接制御装置)YODIC-500の試作実験機(32入力・16出力)を和歌山工場の実プラントに装着して実用評価を行っていた時のことである。集中型とは1台のコンピュータで多数の入出力(温度、圧力、流量)を処理・制御するもので故障は致命的だ。メモリーチップは出現しておらず、極小鉄製リングの中に導線を通したコアメモリー(わずか16k!)が記憶装置、中枢部は軍事システム同様二重化され、ここは高価な米国製ICチップで構成されていた。ある時この二重化装置の片側に異常が生じた。他方は生きていたのでプラント運転に支障は無かったが、横河から開発部隊がやってきて、その原因が一つのチップにあることを突き止めた。彼等はこの故障ICを分解、さらに原因究明を続け、内部の極細配線(金線)断線がその根源であることを突き止め、そのチップを残していった。部長・課長・関係者にこれを見せて説明、トラブルを奇禍として二重化を売込み、商用機3システム同時採用への道を開いた。この世界にもまれなDDC専用機は更に性能を向上させて600型に発展、1970年川崎工場の新設複合プラントに採用、二度の石油危機では省エネルギー・収率向上に威力を発揮、1990年代初期まで順調に稼働を続けた。しかし、この間のIC性能向上と価格低下は著しく、1970年代後半に入ると分散型DDC(メモリーもIC化され制御点1点ごとのデジタル制御が可能、危険分散が複雑な構成をせずとも実現、かつ相互に通信して高度制御を行える。米国ハネウェル社が先行)が出現。プラントデジタル制御の主流となってゆく。このデジタル制御環境激変は後述の“ムーアの法則”によってもたらされたものである。

本書はトランジスタから発するIC70年におよぶ軌跡を、IC本体のみならず、役割と規模の変化、製造装置開発、需給動向、製造販売に関わる人と企業、国家におけるIC施策など、ICのすべてをA5550頁で詳述する、壮大な叙事詩と言える内容だ。

本年394歳で逝ったICビジネス始祖の一人ゴードン・ムーアは1965年「IC上の素子数は年々2倍で増加する」と予想した。これが「ムーアの法則」である。1975年「年ごとを2年ごと」に修正するものの半導体業界はこの予測通りに成長、短いライフサイクルは設計製造技術から用途開拓、販売政策、果ては国策まであらゆる活動に影響を与え、人・企業・国を巻き込んだ多種多様な戦いが展開されてきたのだ。

IC発明者・特許争いがテキサスインスツルメント社(TI)のジャック・キルビー(2000年ノーベル物理学賞)とフェアチャイルド社(FC)のロバート・ノイス(1990年急逝したがもし生存していたらキルビーと共同受賞したと言われる)の間で起こる。官需(軍、宇宙)優先だったTI社と民需市場開拓に先鞭をつけたFCのその後(1968年官・民が並びあとは民需が圧倒)。FCを飛び出したムーア、ノイス、アンディ・グローブが設立したインテル社の戦略転換(日本に敗れたメモリーチップからCPUチップへ。これには日本の電卓メーカー、ビジコンが寄与)。米国企業は短い製品ライフサイクルとそれに応ずる設備投資や人件費で経営に行き詰まり、工場を海外(香港、マレーシア、シンガポール、台湾、韓国))に移し、生産技術が空洞化していく。

高品質を売り物に一時期勝者(主としてメモリーチップ)となった日本が、瞬く間に転落していく姿も8部構成の1部(日本の台頭)として詳しく語られる。通産・電電が主導した超LSI技術研究組合、補助金や金融政策(日米金利差)、日立・三菱電機が摘発されたIBMスパイ事件、さらに盛田・石原に依る「「NO」といえる日本」までがIC基軸国家を自認する米国を苛立たせ、日米半導体戦争を惹起、「敵の敵は味方」の発想で米韓連合が形成されていく。最大の敗因はPCの爆発的普及を読めなかったことと著者は見る。それでも17%のチップ(ソニーのイメージ・センサーのような特化チップに強み)は我が国で生産され、先進製造装置(必ずしも同じ商品ではない)5社の内1社は東京エレクトロン、他は米3社、オランダ1社(注)。また、ソフトバンクが株式保有する英IC設計開発会社アーム社を日本と関連付けて語っている。

現在の生産主力は、韓国サムソン社とSKハイニックス社(メモリー中心に両社で44%)、それに台湾のTSMC社の3社。特にTSMCiPhone用を含むCPU生産も手掛けており、世界の計算能力(測定法不明)の37%を担っている。これはTSMCが自ら独自製品の設計生産を行わないと明言・実行してきたことで、多くのファブレス(工場無し)米企業を惹きつけた結果である。因みに、創業者モリス・チャンはTI社経営陣の一角を占めた中国本土系米人である(とは言っても1931年生れ、1948年に渡米帰化)。

世界貿易額でも原油取引を超える規模にまで達しているIC、本書の中で冷戦時代のソ連によるスパイ・コピーが「ムーアの法則」で追いつくことができず、ついにソ連版シリコンバレーが消滅する話も取り上げられている。米中覇権争い最大の課題がIC、その帰趨を決しかねない台湾、半導体戦争が熱い戦争に転じる可能性なきにしも非ずだ。

著者は1987年生れ、ハーバード大(学士)、イェール大(博士)で学んだ歴史学専攻の学者。外交関連のシンクタンク勤務などを経て現在タフツ大学准教授。

2007年まで関わったICTビジネス、読みながら半導体史の中の身近な体験を回想することになった。参考・引用文献リスト、索引が充実しており半導体事典的な価値も認められる一冊だ。

 

(注);オランダの1社はASLM社、フィリップス社からスピンオフした企業。「ムーアの法則」のカギを握るのはリソグラフィ装置。これはシリコンウェハー上の微細加工を行うもので、その微細度を上げることでより高密度のチップが生産できる。基本的には光学の世界で最新は極端紫外線(EUV)を利用し13.5ナノメータまで達している。この装置の原理は米国ローレンス・リバモア国立研究所が生み出したものだが、商用機開発を担ったのがASLM社。この商用化には20年の歳月と数百億ドルの費用(すべてがASLM負担ではなく、ICメーカーも出資)を要している。193ナノメータ―まではニコン、キャノンがASLMと覇を競っていたが、日本の二社はこれに踏み込むことはしなかった。価格は1億ドル以上、史上最高価格の工作機械と言われる。EUVシェアーは100%、半導体製造装置出荷額トップの座にある。因みに、光学技術は独カール・ツァイス社、レーザー装置も独工作機械メーカーが提供、生産は買収した米国企業の工場(シリコンバレー)で行われている。サムソン、TSMC、インテルには導入されているが、当然中国へは禁輸。

 

3)潜艦U-511の運命

-三国同盟の知られざる実務組織軍事委員会、ベルリン駐在の我が国首席委員が明かす独最高部の戦争観-

 


太平洋戦争(大東亜戦争)開戦に至る過程には節目となる事件や外交上の政策決定がある。代表的なものとして、満州事変(19319月)、上海事変(第一次;19321月、第二次;19378月)、仏印進駐(北部;19409月、南部;19417月)、それに日独伊三国同盟締結(19409月)があげられ、この流れの先にハル・ノート(194111月)、そして1941128日の開戦となる。この内、三国同盟とハル・ノート以外はすべて軍事行動だし、ハル・ノートは事実上の最後通牒(解釈は種々あるが)、節目として分かりやすい。分かりにくいのは三国同盟、“(対ソ)防共”という共通因子があったとはいえ、西欧と極東の距離は経済・軍事における実効を希薄なものとする。事実当時の国内世論や政治もこの同盟に疑問を投げかけ、強硬な反対論もあった。三国の力を強めるよりも、日独伊と対峙しアジアに植民地を持つ国々の反枢軸紐帯を強化した、とする見方が客観的同盟評価といえる。しかし、この史観を変えるわけではないが、同盟には単なるプロパガンダに留まらない、具体的機能が在ったのだ。それは“軍事委員会”の存在、著者はその日本側首席委員を務めた人物。タイトルのU-511 に惹かれUボート戦闘航海記と思い求めたところまるで見当違い、日独軍事協力が主題であった。

本書の構成は「潜艦U-511の運命」(1956年読売新聞社刊)、「東條内閣崩壊の真相」(1950年サンデー毎日掲載)、「自叙 八十八年の回顧」(1974年私家版)の三部から成り、既刊のものを文庫本としてまとめ、復刻したものである。タイトルからも分かるように、後2著は補足程度の内容である。

とにかく著者の経歴を見て驚天動地。1885年(明治18年)鹿児島県生れ、海軍兵学校35期(因みに山本五十六は32期)、海軍大学校次席卒業、ドイツ駐在海軍武官(大佐)、航空母艦加賀艦長、潜水学校長、連合艦隊参謀長(少将)、軍令部第3部長、を経た後1940年三国同盟軍事委員首席(中将)、帰国後呉鎮守府長官(大将)、東條内閣海軍大臣、横須賀鎮守府長官、終戦後公職追放のみで戦犯になっていない。197788歳で没。野村海軍大将と言えば開戦時の駐米大使野村吉三郎(26期)しか思い浮かばないから、著者名を見た時には潜水艦乗りかノンフィクション作家と勘違いした。東條内閣海相を務めながら戦犯にならなかったのは内閣解散直前嶋田繁太郎海相が辞任、3日間の海相に過ぎず、開戦と関係していなかったからだ。

こんな大物ながら名も知らなかっただけに、出版後年月を経ているにもかかわらず、情報鮮度は極めて高かった。特に、1940年渡独から43年帰国までの戦中におけるドイツ政治・軍事事情のそれが顕著だ。

既に西方戦線は独制圧で終わっている194012月中旬東京出立、シベリア鉄道経由で19411月初旬入独、この旅で独ソ関係の緊張を感じ取る。6月独ソ戦開戦、12月大東亜戦争開戦。真の世界大戦の幕開けが赴任の年に起こる。帰国は1943724日東京着となるが、そのルートは510日ロリアン(仏)のUボート基地から独潜水艦U-511で発ち大西洋を南下、喜望峰を廻りインド洋を横断、716日マレー半島のペナン海軍基地(潜水艦)に到着、そこから空路となる。本書のタイトルはこの2カ月半におよぶ58歳の老将が軍医一人同行で決行した航海からきており、その航海記も読みごたえのある内容だが、紙数の過半は欧州戦線に割かれている。

独側首席はグロス海軍大将、しかしフリッケ作戦部長(中将)との情報交換の機会も多い、またエリッヒ・レーダー海軍長官(元帥)とも親しく付き合っている(原書の序は戦後生き残った彼から寄せられている)。また、日本側軍事委員には陸軍の坂西中将も居るし、ヒトラーの覚え目出度い大島浩大使は陸軍出身、ヒトラーの参謀長カイテル元帥やヨードル大本営作戦部長(大将)とも会談、陸戦に関する高レベルの意見交換も行っている。軍事委員としてのいくつかの活動を紹介すると;

・仏を休戦に追い込んだ後英国上陸作戦を企図する独海軍から、用意された大量の上陸用舟艇(と言っても本格的な専用舟艇ではなく河川用バージ、艀の類)視察を求められ、その可否を問われる。「英仏海峡の横断・敵前上陸は無理」と助言。これは結果としてその通りになる。

・独ソ戦開戦前、日中戦争泥沼化を例に、「独ソ戦に踏み切るべきでない」と警告を発するが、「もう避けられない」「短期に片付く」と聴く耳を持たない。著者の帰国時既にスターリングラード攻防戦に敗れ、独ソ戦は守勢にまわる。

・日米開戦直後三国協同作戦に関する軍事協定を締結せよとの訓令が東京から届く。それによると「日本は東経70度線(カラチ・ボンベイの中間点)以東の海域、独伊は以西の海域の敵側軍事根拠地、艦船航空機等を撃滅すること(境界点は臨機応変に変更可)」とある。これに対し「事実上独伊海軍に依る印度洋進出不可」と伝えるもこの線で協定成立。独海軍はアフリカ東岸での連合国兵站線(対中東・北アフリカ、対ソ連)遮断を日本海軍に強く求めてくる。これに対する回答の曖昧さや実行動(対ビルマ援蒋ルート重視で小規模)が独の不満を募らせ、協同作戦は事実上行われない。

・気になったことにベルリン・東京間の通信方法がある。大島大使の独情報が解読されており(暗号名;パープルあるいはマジック)、最も利用価値のあるものと、チャーチルも含め多くの戦史家が戦後述べている。著者も盛んに本国と電報を交わしているが、機密保持はどうだったのか? 危険を冒して国際電話を利用したことも書かれている(別途調査によれば薩摩弁だった由)。

帰国に際してヒトラーは著者をベルヒスガーデンの山荘(大本営の一つ)に招き、茶会を催しムッソリーニと同格の勲章を与えている。その席にはカイテル元帥、リッペントロップ外相も同席、当に最高級のVIP待遇である。戦時中在独日本人依る欧州状況報告で既読のものは航空技術者佐貫亦男(民間企業社員、戦後東大航空学科教授)のエッセイばかりだったので、軍・政中枢部と直接コンタクトしていた著者の回顧録はそれとはまるで異なる内容、昭和史理解に新たな知識をもたらしてくれた。

 

蛇足;U-511U-512とともにヒトラーから日本への寄贈品。511号は独乗組員で回航、512号は日本海軍がそれを行うことになっていた。あとから出発した512号はビスケー湾で消息を絶っている。511号はペナンのあと呉まで無事に達し、同地で研究に供せられるが空爆で沈没。艦長以下はそれ以前ペナンに戻り、ここを基地に印度洋作戦中不明となっている。

 

4)敗者としての東京

-徳川幕府開府、明治維新そして終戦、江戸・東京が被った三度の敗戦、敗者は如何に生き残り、創造者に転じたか-

 


所帯を持った1970年来現在まで横浜中心の神奈川県民を半世紀以上続けている。それに比べ都民生活は39カ月に過ぎない。しかし、小学校6年生から大学卒業まで学校生活は12年間におよんだし、職場も1981年から引退する2007年まで都内、従って土地勘もあり知人・友人も多く、心情的には東京がふるさとだ。その愛着ある東京が“敗者”とは如何なることか?“敗者”に釣られて本書を紐解いた。

帯に「家康、薩長、そして米軍に「占領」されてきた江戸=東京」とある。「なるほど、そういう視点か」と中身を推察、勝者・敗者のあれこれが面白おかしく語られるのを期待したが、そんな単純なストーリー展開ではなかった。続く「その歴史的地層に堆積する「敗者たち」の記憶を掘り起こし」に一層深い意味があるのだ。つまり、都市としての江戸・東京以上にそこに住む人々、特に各時代における下層社会に焦点を当て、一見敗者と見える彼らが如何に時代の変化に応じ、しぶとく生き抜いてきたかを論ずるのが本書の骨子なのだ。

著者は1957年生れ、東大情報学環大学院教授、専門は社会学・都市論。従って、内容は本格的な社会学研究の一端を一般向けに書き下ろしたもの、決して軽い読み物ではない。

家康の東国支配は1590年秀吉による本拠地三河・遠江・駿河・甲斐から関⒏州への移封から始まるのだが、古代この地方は現在の埼玉・茨城辺りまで海が複雑に入込み多島海を形成していた。先住民はその頃から居り、半島からの渡来民と混血が進み、下って平将門や源頼朝など本来京に在った為政者に征服される。辺境である東国が彼らを惹きつけたのは、広大な平地を利用できる農地や放牧地、多数の河川と複雑な海岸線・島による水利・水運の便、豊富な鉱物資源による。ここから伝統的な農民社会とは異なる種々の職業が生まれ発展していく。徳川時代敗者として取り上げられるのは、武士は無論、農民、町衆(主に商人)でもない制外民(戸籍が無い)と呼ばれる人々。職人系・芸能系・運送業などがそれらだ。彼らは下層民(つまり敗者)と蔑まれながら、江戸を大都会にするために欠かせぬ存在であったことを説く。例えば、上下水道の整備や塩田開発(水と塩)あるいは運河開削(大量輸送)は彼らによって達せられたのだ。

第二の敗戦は明治維新。勝者は薩長、敗者は幕臣・佐幕派。“官軍”や“錦の御旗”が如何にまがい物であったかを詳らかにし、“官軍”の暴虐ぶり(上野戦争、会津戦争)を生々しく描いて、敗者のその後を追う。ここでは、大混乱に依る無宿人の急増、これと同期する博徒の増殖、東京の貧民窟の所在やそこに住む人々の背景(前職)や職業(現職)・生活を概観するとともに、工業振興に依る影響を見てゆく。例えば、女工哀史の実態、被害者イメージばかりが語られるが、そこから我が国の本格的労働運動が発したことも見逃せない。敗者ゆえの新たな生き方が生まれるのだ。

第三は1945年の敗戦。勝者は米軍、敗者は日本全体だが東京の変化は際立っている。闇市とヤクザは混乱する大都会の象徴、平時であれば敗者である彼等の世界を深耕、そのタフな生き方から復興の力を見つけ出そうとする。この際著者が取るのは近景。それまで高所から俯瞰してきた視座を身近なところに据える。つまり親族の終戦直後を語るのだ。渋谷を中心にしたヤクザ安藤昇は祖母の妹の子(著者の母の従弟)。その祖母は1920年代夫婦で米国に移民、母はニューヨークで生まれている。排日移民法、大恐慌、祖母夫妻は母と兄を連れて日本に戻りその後離婚。戦前祖父と伴にソウルにわたった兄妹(著者の叔父と母)は終戦後引揚、祖母と伴に東大久保に住むことになる。それに安藤の話が絡む。ここにも敗者であるにもかかわらず厳しい生活環境下でしたたかに生きる人々が居たのだ(若く後発のヤクザゆえ、盛り場としては新開地の渋谷に目を付け、のし上がっていく)。

三度にわたる江戸・東京の敗戦、その下での敗者。しかし、そこに著者は「敗者を生き抜く創造性」を共通因子として見出し、「“敗者”をネガティヴなもの、否定的で失われていくだけのものとは考えていません。その逆で<敗者から眺める>ことこそが、東京の<未来>につながると考えています」と結ぶ。

先にも書いたように、主題は一見身近だが社会学研究報告に近い内容。勢いを失っている今の日本が活力を取り戻すには<敗者から眺める>という姿勢が何かヒントを与えてくれるような気もする。古今東西の“敗者論”が随所で引用され点も歯ごたえがあった。

 

5)誰が国家を殺すのか

-地中海歴史小説第一人者による衆愚政に毒されつつある民主政への警告エッセイ、健筆老いてますます盛ん-

 


同年代知名人の活躍は何かと気になるものだ。特に±2歳、つまり中学・高校なら同時期在校の可能性のある人物には近しさを感じる。若い時はスポーツ・芸能関係、次いで囲碁・将棋の世界、やがて作家や学者、中年以降になると経済人や政治家などにその対象が広がって行く。私の場合、高校以来ファンなのが王貞治(2学年下)、ガチガチのアンティ巨人だが王だけは別、いまだソフトバンク球団の取締役会長として活躍しているのはご同慶の至りだ。40代で知った著者は1学年上、1983年刊行された「コンスタンティノープル陥落」から始まり「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」に至る戦記?歴史小説3部作ですっかり惹きこまれ、「ローマ人の物語」は文庫本全43巻を読破した。1歳上であるにもかかわらず依然現役で健筆をふるっている。本書は月刊文芸春秋の巻頭エッセイをまとめた“日本人へ”の最新版、第5巻目(20171月号~20221月号48話+2話)である。

個々の話の題目はともかく、エッセイ集としてのタイトル“日本人へ”は自身の発案ではなく編集者が決めたと前書きある。多分“国を殺すのはだれか”も同様だろう。そんなタイトルの話はどこにもない。ただ、このエッセイが本来親しい友人への私信(手紙)であり、そこにイタリアの政治情勢がしばしば取り上げられ、各政党のいい加減な主張・言動を歯に衣着せずズバッと批判し、これがイタリアに限らず我が国や他国にも重なる点が多々あるところから、編集者がこんなタイトルを思いついたと推察できる。

少し古い話だが、20183月に投票が行われたイタリア総選挙。得票率1位は「五つ星」(33%)、2位は「北部同盟」(17%)。「五つ星」は失業者一人に月日本円で約10万円支給を公約にする。これが失業率の高い南イタリアの票をがっさりさらう。一方「北部同盟」は、40%の税を一律15%に減ずることを公約に掲げる。「貧しい南部のために割高になっている税金を減ずる」との主張は豊かな企業主が多い北部の票を集めた。両者とも財源は全く考慮せずこんな選挙対策で戦った結果である。そしてこともあろうかこの両党が連立を組んでしまうのだ!ポピュリズム(人気集め)では我慢できない!当に「衆愚政」以外の何物でもない!国を殺すのはこの衆愚なのである。

この話は別のテーマで日本にも及ぶ。2017年の都議会選挙で躍進した小池知事主導の「都民ファースト」。この勢いを「希望の党」に託し小池知事は国政への関与を匂わせる。「五つ星」は既成勢力壊滅を唱える抗議運動、リーダーは人気コメディアン、彼の人気が公約以外のもう一つの集票要因。しかし、彼自身は立候補せず外から政権を動かそうとする。院政だ。小池知事の言動はこれと同類の行為と難じ、大衆人気に頼る最近の民主政に警鐘を鳴らす。

話題は政治ばかりではない。コロナ対策の日伊比較から、国民性、外交・安全保障、難民移民問題、宗教、人物評、出版業の楽屋話まで、その時々の社会時評を歯切れよく展開、老いてますます盛んな内容満載である。

楽屋話は「こんな人気作家でも!」と出版界が厳しいことを教えられた。例えば、かつては初刷り千部が今は4百部になり(本当にこんなに少ないんだろうか?)、2刷も及び腰。文庫本の値段を千円以下に抑えたいがそれが難しくなっていること、時代を感じ取ってもらうためにはカラー写真や地図が欠かせないが、これも経費削減で制約の多いこと、などがそれらだ。また、スマフォもPCも扱えないため日伊間のリモートワークには息子の手を借りていること、著者作品の読者は今や日本より中国の方が多いということ、に驚かされた。

エッセイと異なる2編は、「ローマでの“大患”」と「後書きに代えて-二人の有名人の死を見ての感想」。前者は、足の骨折でヴァチカンの病院に入院、漱石の“修善寺大患”をなぞりながらの闘病記だが教皇御用達の超高級病院(健保も効くが著者は500万円近い入院費を前払いで個室に入る)の様子をうかがえる。後者は安倍元首相とエリザベス女王の死に関する短い追悼文である。

雑誌掲載の巻頭エッセイ故いずれの話も新書5頁程度の長さだが、期待通り寸鉄人を刺す小気味いい読後感を味わえた。

 

6)画家とモデル

-名画の裏にある画家とモデルの深淵な関わり、人物画鑑賞に新たな視点を与えてくれる-

 


1990年代異業種交流の場で知り合い、元は損保会社の広報マンだが、今では美術界振興(特に若手育成)に専心している友人が居る。彼がこの世界に入った動機は自宅購入にあり、マンションの白壁に彩を添えることにあった。爾来集めた絵画は、ホームページやフェースブック(FB)から推定するとおそらく千点は超え、コレクターとしても著名人になっている。収集対象は購入時無名の作家がほとんどだが、今では手が出ないほどの高価な作品もあるようだ。引退後は銀座の由緒あるビルに隠れ家を設え、毎日ここに出勤?画廊巡りと作品紹介に励んでいる。その活動をFBで見ていると写真もどきの細密画からデフォルメされたものまで、圧倒的に人物画が多い。私の好みは専ら風景画、次いで静物、最後に人物となる。人物画は他に比べ幅も奥行きもある。それは分かるのだが、画家の思いやモデルの資質が強く表れやすい。これで好き嫌いが分かれるし、見ていて心和むものとは限らない。そんなわけで人物画を敬遠してきた。ただ、世界の有名美術館の代表展示作品は、ルーヴルのモナリザを始め、人物画が中心だ。少し人物画に関心を向けてみよう。これが購読の動機である。

著者は生年不詳だが、紹介にはドイツ文学者とある。既刊書をみると絵画関係(例えば「怖い絵」)を除けば西洋史に関するものが多い。いわゆる美術評論家ではないことに本書の特色が表われている。つまり、“感性”“技法”中心の解説に留まっていないのだ。描かれた社会・生活環境(階級制度、ユダヤ人迫害、ロシア革命など)、そこにおける画家・モデルの立ち位置・振舞い、両者の関係(これは他の解説でもよく語られるところだが、同一モデル同一画家の時を経た異なる絵の論評、スポンサーのモデルに対する想いの変化、には著者独自の見解が示される)、描かれた当時と現代の評価比較(例えば、LGBT問題)など、歴史的・社会的視点からの考察にひときわ力点が置かれている。

取り上げられる画家は18人。時代は15世紀(ピエロ・デラ・フランチェスカ)から21世紀(アンドリュー・ワイエス)まで幅広く、よく知られたところでは、ゴヤ、ベラスケス、ロートレック、シャガール、モリディアーニ、クラーナハ、レンブラント、ワイエスなど。女性画家も3人いる。モデルは一人もあれば複数人の時もある。描かれるのは本人像が多いものの聖人や君主に擬せられることもある。クラーナハのモデルはマルチン・ルター、免罪符拒否に立ち上がる壮年期から死の床まで、一人を何度も取り上げ、年齢に依る変化を見せる。また、変わったところでは小人や多毛症(こんな病気があることを初めて知った。狼男伝説はこれに基づく、極めて珍しいことから君主や貴族のペットに近い扱いを受ける)の少女など肉体的・社会的ハンディキャップ持つ者もいる。過半の作品はルーヴル、メトロポリタン、ボストン、プラド、NY近代美術館等で観られるが、個人蔵のものも少なくいない。解説の中心は画家の生い立ちやその後の人生だが、その語り口に西洋史研究者の蘊蓄が傾けられ、そこが読みどころとなっている。予想通りだが男性画家と女性モデル(母、姉妹、愛人、スポンサーの親族;夫人から下女まで)の関係は多彩だ。モデルの数が愛人の数と言われるモディリアーニが悪辣な画商に騙され死後その価値が急騰する話は映画「モンパルナスの灯」で知っていたが、レンブラントの隆盛(引きも切らない肖像画注文、莫大な資産形成)とそこからの転落(浪費の末の貧民街での末路、家政婦でモデルでもあったヘンドリッキエに私生児を生ませ、彼女とその息子がこの極貧時代を支える)は初めて聞いた話である。そんなに落ちぶれても画質は落ちなかったとのこと。いま、世界を代表する美術館が保有・展示するのも、うべなるかなである。

文庫本だがカラー印刷は良質で、著者の解説意図が視覚的にもよく理解できる仕上がりになっている。本書を読み、有名画家の人物画作品の楽しみ方は学んだものの、無名作家に依る背景不明モデルの人物画を如何に鑑賞すべきか、これは依然として残された課題である。「見た瞬間に何か心惹かれる」こんなところなのだろうか?

 

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2023年4月30日日曜日

今月の本棚-177(2023年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)戦争か平和か(ジョン・F・ダレス);中央公論新社(文庫)

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩(鉄道ビジネス研究会);ワニブックス(新書)

3)太平洋戦争秘史(山崎雅弘);朝日新聞出版(新書)

4)西洋書物史への扉(高宮利行);岩波書店(新書)

5)酔いどれクライマー(藤原章生);山と渓谷社

6)第三の大国インドの思考(笠井亮平);文藝春秋社(新書)

 

<愚評昧説>

1)戦争か平和か

-ソ連の野心を見抜き、戦後の冷戦を西側リーダーとして戦った男の回顧録-

 


米ソ対立、冷戦を知ったのは小学校6年生の時1950年(昭和25年)6月に起こった朝鮮戦争だった。ソ連製MIG-15ジェット戦闘機の登場やマッカーサー元帥が国連軍を指揮したことから米ソの戦いと理解した。満洲での体験もありソ連嫌いとなっていたから、国連軍が巻き返した時には「ざまあみろ!」の気分だった。ソ連嫌いをさらに倍加にしたのは翌年6月サンフランシスコで開かれた対日講和条約に関する会議でソ連および衛星国(ポーランド、チェコスロバキア)が反対したことである。衛星国は仕方なくそんな行動をとったと中学生にも推察でき、嫌悪感は専らソ連に集中した。著者の名を頻繁に見たのはこの時期で、特使として日米間を行き来していたからである。ビジネス人生晩年ロシアでの仕事に従事、ロシア人観は大いに改善されたが、国家としての嫌露感情は一向に治まっていない。否、むしろ高まっていると言っていい。本書は終戦前から戦後の世界変容を米国国務省顧問(のち国務長官)として担った著者の対ソ交渉を主とした回顧録である。

著者は1888年牧師の子として誕生するが母方の祖父(ジョン・ワトソン・フォスター)、叔父(ロバート・ランシング)ともに国務長官を務めた名家出身。プリンストン大学を首席で卒業、ソルボンヌ大学に留学、帰国してジョージワシントン大学で法律を修め、国際問題を扱う弁護士に。そこから外交関係に深く関与、叔父の随員として第一次大戦後の平和会議にも参加している。共和党員で当初孤立主義を信奉していたが、真珠湾攻撃で転向、共和党の外交政策を変えた中心人物。日米安保条約生みの親とも言われ、アイゼンハワー政権下で国務長官を務め、1958年病没。第5CIA長官アレン・ダレスは実弟。原著の初版は1950年に刊行、大幅に加筆・改訂された第2版が1957年に出され、本書はその訳本(1958年刊)の復刻版(20228月刊)である。つまり終戦から5年いまだ戦後処理途上にある時期が中心となる。主題は二つ、国際連合発足・運営と対ソ外交、これら二つが絡み合う複雑な国際環境を著者の体験に基づき明らかにする。

戦後の世界を如何に治めていくか、これについてはカイロ会談(194311月;米英中)、テヘラン会談(194311月~12月;米英ソ)、ヤルタ会談(19452月;米英ソ)、ポツダム会談(19457月~8月;米英ソ)がよく知られるところだが、これらはいずれも首脳会談で大戦略と勢力範囲の大まかな調整に重点が置かれる。これに対し、国際的諸問題を平和裏に解決する組織(のちの国連)と首脳会談の細部を具体的に詰める場として、モスクワ(194310月)、ダンバート・オークス(ワシントン、19448月)、サンフランシスコ(19454月)、ロンドン(19459月)で行われた外相会議があった。いずれも民主党政権下にありながら、共和党員の中で外交関係の知見に優れていることと二党間協力の重要性から著者は国務長官顧問として、これらの会議のメンバーに選ばれ、主としてソ連相手の困難な交渉の最前線に立つことになる。相方は狡猾・陰険でしたたかなモロトフ、ヴィシンスキー、グロムイコ、彼等もダレスを「戦争の挑発者」と難じている。当に不倶戴天の敵だ。ダレスのソ連観を形成しているのはこの実体験とスターリンが戦前著した「レーニン主義の諸問題」、その中には「権力を首尾よく握るために」「ソヴィエト国家は党の道具に一つである」「公然とわれわれに対し、激しい憎悪を表す民衆や政府などに取り囲まれていることを忘れてはならない」など党中心の主張が記されており、彼等の外交政策がこのような考えに基づくと喝破、米国でも一部に批判が出るほどの反共・反ソ政策を提言・推進していく。ドイツ統治、東欧問題、仏・伊共産党の動き(高かった政権奪取の可能性)、国民党政府と中国共産党(ローズヴェルトは合作を強力に望む)、朝鮮半島、仏領インドシナ、マーシャルプラン(ソ連も対象だったが拒否)、NATO設立、ソ連の北アフリカ旧イタリア領への野心、いずれも難題だ。「ソヴィエト共産主義の戦術は「退却の戦術」をふくんでいるだけに、一層侮りがたい」は往時の国際情勢から冷徹な卓見だ。

執筆時期から対日講和条約には触れていない。しかし、中国、朝鮮半島、仏印、英領ビルマ、英領マレー、蘭印など国情不安定な国・地域が多々存在する中で、「地理的に近いせいで、われわれにまたとない機会を提供してくれる国」として対日政策を重視しており、それが講和に向けた特使としての活力になっていたと推察できる。

本書の中にウクライナが登場する。ソ連のあまりに過酷な扱いに独軍侵攻に際し「解放者」として歓迎したが、やがてソ連以上の暴虐に反ナチに転じたとある。またウクライナとは直接関係ないが、紛争・戦争に対する国連の限界を予見している点も「さすが」の感だ。「国連はおそらく「平和実施」の機関とはなりえない」と。つまり安保理と総会の効力の差である。安保理の“拒否権”はソ連の国連加盟のために設けられた(飲まされた)特権で、これにより総会が機能不全になっているとはっきり述べている。この時までのソ連の拒否権発動は43回、米国はゼロ。

本書は本来米国民にソ連・共産主義の脅威を警告するために著されたものだが、ウクライナ戦争の今、それに対する国際社会の対応、特に国連の限界とロシアの本質を再認識するためにも格好の一冊と言える。回顧談にありがちな自慢話・言い訳が一切ないのも好感が持てる。

 

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩

-少子高齢化、コロナ禍で変わるライフスタイル。鉄道会社経営の現状をデータ分析する-

 


JRおよび私鉄運賃がこの春値上げされた。主な理由はバリアフリーの財源確保にあるようだがリモートワークの普及などコロナ禍で減じた利益改善を目的とする点も否めない。私が普段利用する京浜急行は10月に値上げを予定しているが、妙な料金体系になると噂されている。横浜以南(三浦半島方面)から都心に出る場合、通しで品川方面に行く料金は少額しか値上げせず、横浜までの料金の値上げ率を高くするのだと言う。つまり、横浜でJRあるいは東横線に乗り換えることを防ぐことがこの料金体系改定のポイントなのである。確かに、私も渋谷・新宿方面に出かけるときは横浜でJR湘南新宿ラインに乗り換えることが多い。本書のキーワードは“ダイヤ改正”“苦悩”にあるが、鉄道各社の最近の経営状況と対応策を知りたく本書を手にした。

かなり変わった本である。先ず著者が個人でなく“鉄道ビジネス研究会”と言うグループ。紹介には「鉄道路線を中心に各種統計データなどを駆使して、鉄道がもたらす様々な効果効用を日夜研究している」とある。その言葉通り、核を成すのは53にも及ぶ各種の表である。文章はこれら表の解説・分析と補足説明、ここからもたらされる鉄道経営あるいは運営における問題点、将来の見通しである。現状の問題点で焦点を当てられるのはコロナ禍の影響だが、長期展望では人口減少との関係、さらにはライフスタイルの変化にも言及している。エピソード的な面白味は皆無だし、現状分析にしても将来展望にしても深みはないが、JRのみならず公営鉄道・私鉄を全国的に網羅した豊富なデータは、鉄道ファンの一人として、それなりの価値を認めるものだ。つまり、国土活用・地方創生と社会インフラの在り方について考えさせられるところが多々あった。

本書は5章から成り、分析は路線・区間、駅、経済性の3視点で行い、問題点の解決策としてのダイヤ改定、最後に鉄道ビジネスの将来を論ずる。

先ず年間輸送人員の比較。JR6社合計254億人(2019年)、JR東だけで65億人、欧州を代表するドイツ鉄道(DR20億人(2016年)、JR東の路線長(営業キロ数)7,401kmに対しDR33,331km4分の1の距離で3倍運んでいることになる。日本の鉄道利用が一段と高いことを示す数字だ。しかし、コロナ禍そして長期的にもこの数字は下落傾向にある。ここからは国際比較はなく、ベースになる数字は平均通過人員(別名輸送密度;11キロ当たりの乗客数)を基に絶対数と率で国内動向が細かく分析される。例えば、コロナ禍分析では2018年度と2020年度で最も減少率が高いのは成田線の75.6%、これは成田エキスプレス、つまり空港利用客の激減に依る。この傾向はJR西の空港線も同様である。絶対数で減少が一番多いのは山手線(田端-新宿-品川間)、平均通過人員が1,134,963人から720,347人へと40万人も減じている。日銭稼ぎで成り立つ鉄道にとってこれが続けば経営は成り立たない。山手線に次ぐのが中央線(神田-高尾間)の24万人減、いずれも通勤路線でリモートワークの影響だ。

次は駅に焦点を移す。駅は街の心臓ととらえ、その実情を数字で考察する。ベースになるのは乗降客数。これもコロナ禍の視点で2018年と2020年のデータが多用される。山手線の数字はこの間37.3%減、絶対数は1日当たり1,093万人から685万人にまで減っている。山手線内個々の駅を見ると絶対数では新宿がトップ、1,578,732人から954,146人と60万人減、次いで池袋、東京となる。これらと対照的なのが減少率、最大は原宿の45.5%。首都圏でこれを上回るのは京葉線舞浜駅の51.3%。原宿・舞浜ともに定期券利用者が少ないことが共通だ。つまり仕事よりは遊びの利用者が多いことがその因となっているのだ。一方で2021年回復の遅い駅に東京と品川がある。大規模なオフィス街があることから著者はリモートワークとの関連性を挙げているが果たしてそうだろうか?

3の論点は売上・収益の分析である。この部分は既刊の鉄道ビジネス分析と変わらない。鉄道は固定費が高いので大量輸送が崩れると利益を出せない。関連事業で補うと言ってもその関連事業自体大量輸送が基盤である。例外的なのはJR九州、不動産業シフトが成功している。しかし総人口の減少に加え沿線過疎化が止まらない北海道、四国の鉄道は自力での黒字化は不可能な状態だ。不採算路線を廃線にすれば町村・集落の消滅さえ危惧される。だからと言って巨額の投資を要する新幹線の延伸が解決策になるわけではない。下手をすると地方都市の富がさらに大都市に吸い上げられてしまう。カギは在来線の活用なのだ。

さて、キーワードのダイヤである。先ず手掛けるのが運行本数を減らすことだが、これで利便性が低下しさらに鉄道離れが進む。やり過ぎると積み残しを生ずる(日光線)。特急・急行・普通の構成変えで上手く改善された例は大都市近距離輸送にしかあらわれていない。始発・終電の繰り上げ効果も経営改善には限定的だ。残るは運賃値上げとなる。

数字とその説明に終始しながら、読み進むうちに鉄道の今後は、経済性だけでなく、国策レヴェルの議論を起こし、地方創生やエネルギー・環境問題を含めた多角的・総合的な取り組みをすべき段階にあると痛感させられた。

 

3)太平洋戦争秘史

-大国に翻弄される周辺国・植民地、アジアの国々は如何にあの戦争を戦ったか-

 


私の戦争体験は小学校入学初の夏休み194588日のソ連軍満州侵攻に始まり翌469月下旬の日本引揚で終わる。主戦場であった中国本土と陸続きでありながら、それまで戦争をしている感覚は全く無かった。年上の遊び仲間、と言っても小学校45年生がアメリカやイギリスが敵であることを口にすることがあったが、それが何なのかさえ理解できなかった。まして、太平洋の島々や東南アジアまで展開されているとは知る由もない。日本軍の南方進出を知るのは小学校45年生の時視聴覚教育で観た「四つの自由」(題名は定かではないが“四つの自由”が記憶に残る)と題する、米軍製作の反日プロパガンダ映画、フィリピンの教会に大勢の現地人が詰め込まれ、そこが燃やされるシーンである。「あんなとこまで出かけ、こんなことをしていたのか!」と占領軍の目論見通り反軍思想に染まり始める。次のアジアの戦いは小学校卒業の際別の組が演じた「ビルマの竪琴」、インパール作戦の惨状など知らず感動した。そうして仕上げとなったのが高校時代観た泰緬鉄道建設をテーマとする「戦場にかける橋」、この辺りから“大東亜戦争”を歴史として見つめるようになっていった。仏印進駐、開戦、香港占領、フィリピンの戦い、マレー半島からシンガポールへ、蘭印(インドネシア)制圧、ビルマ(ミャンマー)からインドをうかがう転戦。一方でガダルカナルやニューギニアでの苦戦・敗退、無謀なインパール作戦と敗走。いずれも書物を通して大東亜戦争(太平洋戦争)の全容を、少年時刷り込まれた反軍思想を離れ理解したつもりでいた。しかし、本書の著者が以前本欄で紹介した「第二次世界大戦秘史」の作者であることから読んでみようとなった。この作品が欧州戦線を、大国ではなく、東欧・中欧・北欧・南欧・中東など小国の視点で考察するユニークなものだったからである。その期待は見事にかなえられた。

東南アジア方面の戦いを記したもので折に触れ頭をよぎる2冊の本がある。一つは敗戦後のビルマでの捕虜生活を描いた会田雄次京大教授著「アーロン収容所」、もう一つは藤原岩一陸軍中佐(のち陸自陸将)が著した「F機関」、これはマレー半島上陸に際してのインド人・マレー人に対する工作を描いている。いずれも作戦・戦闘より日本人・現地人・植民地支配者英国人の人間関係に力点が置かれ、当時の現地事情を知る興味深い内容になっている。しかし、視点はあくまでも日本人の眼である。それに対し、本書の著者も日本人ではあるが、会田や藤原とは半世紀以上世代が違い、ある意味客観的に往時の現地社会を見つめることができるし情報量も豊富になっている。周辺国、植民地は日本軍の戦いをどう見ていたのか、これを詳らかにするところが“秘史”たるゆえんである。

取り上げられる国々・地域は;仏印、マラヤ・シンガポール(英領)、香港(英領)、フィリピン(米領)、蘭印(インドネシア)、タイ、ビルマ(英領)、インド(英領)、モンゴル(ソ連衛星国)、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ(英連邦)、中南米諸国と多彩だ。アジアの独立国はタイとモンゴルのみ、圧倒的に植民地が多く、植民地解放を謳った“大東亜戦争”の建て前と実態の違いを深耕する。

日本軍がそれぞれの国や地域に進出する以前、さらには植民地になる前からの歴史が今次の現地の動きに影響する。特に隣接する地域ではその関係は複雑だ。大国の身勝手な勢力圏設定、独立運動、失地回復、民族や宗教上の対立、一見安定していた状態が戦争をきっかけに崩れていく。これらの背景・変遷過程を知ることでその後の展開をより深く理解できるようになるのだ。本書が力点を置くのはこの部分、従来の戦記・戦史とは一味違った視点を与えてくれる。

例えばタイ。19世紀末から20世紀初頭にかけて英仏が東西から迫り、両国に領土の一部を割くことで何とか植民地化を免れる。欧州戦線においる仏の敗北が誘因で日本軍の仏印(北部→南部)進出がなると失地回復を目指し北部仏印(現ラオス)や南部仏印(現カンボジャ)に攻め入りタイ・フランス戦争が勃発する。緒戦はタイが優勢だったが次第に巻き返され日本に調停を求め、これによって自国に有利な調停案を実現する。日本にとっては貸を作った形となり、マレー半島上陸作戦では通過権を得んものとタイに要求するが、中立を盾に直前まで受け入れず、ギリギリのところで承認する。その後マレー半島での快進撃が続くと英・米に宣戦布告し枢軸側に付き、英国のアジア軍事力低下を機会と見て日本軍とともにビルマへ進駐、旧領土を取り戻す。しかし、日本が劣勢に転じると英・仏に占領地を返還、最後は日本に宣戦布告し、連合国の一員として戦勝国の仲間入りをする。皇室・王室を戴くアジアで数少ない独立国としての共通性かつ親日国だが、その歴史的背景としたたかさ(節操の無さ)では真逆の国なのである。

太平洋戦争(大東亜戦争)は建て前として植民地解放を掲げてきた。当初はそれに期待し、インドのチャンドラ・ボース、ビルマのアウンサン、インドネシアのスカルノ、フィリピンのホセ・ラウレルなどがそれに和す動きをするが、現地の日本軍は占領軍として振舞い、民衆の評判は低下独立運動指導者たちも反日に転じていく。ただ、それは各国各様、ここも本書の読みどころだ。

モンゴルはソ連と中国(国民党)によって分割され、外モンゴル(ソ連衛星国;現モンゴル)と内蒙古(中国の一部)となっていた。日本の満蒙支配さらには中国へ戦線拡大すると統一しようとする動きが活発化する。しかし、日本の敗北により、その活動は抑え込まれ今日に至る。アジアとは無縁と思える中南米の章はは、国連(United Nationは本来“連合軍”の意;現在も日・独・伊は国連憲章の中に“敵国条項”として残っている)創設に際し踏み絵を迫られ雪崩をうって対日宣戦する話や、同地域に多く存在する日系移民との関係を伝えるためである。

中国は援蒋ルート(仏印、ビルマ)、米国はフィリピン統治、英・仏・蘭も植民地史が中心で、戦闘・戦争の主役としては描かれず、それだけに各国それぞれの太平洋戦争がよりはっきりとクローズアップされ、前作(第二次世界大戦秘史)同様、新発見が多い。

著者は1967年生まれの市井の戦史研究者。

 

蛇足;中国の領有化宣言で話題の南沙列島(ヴェトナムともめている海域)、1933年当時は日本が実効支配(燐鉱石採掘、漁業)、これを仏が軍艦を派遣、9島を主権下であると宣言。日本はこれを認めず、何度か仏と先占権を争う。近衛内閣は19393月仏政府の抗議を無視し台湾高雄市に編入している。日本のメディアでこの歴史を報じたところはあったろうか?

 

4)西洋書物史への扉

-オックスフォード大にある22kgの古書、慶大図書館にあるグーテンベルク初刷りの聖書-

 


2007年ビジネス人生を終え念願だった「OROperations Research;軍事作戦への数理応用)歴史研究」のため英国に向かった。受け入れ先はランカスター大学経営学部である。これに先立ち客員研究員の資格を得るため前年秋から東工大大学院(社会理工学研究科)の社会人向け研究員制度を利用することにした。応募者の多くは博士号取得を目的としているのだが私にとっては資格そのものが必要だった。大学時代の成績証明書をこの歳で求められたのには少々驚いたが、関門は研究目的・方法に関する計画書とそれに関する説明・質疑応答にあった。その場には担当教授の他2名の教官が居り、その先生方から質問を受けた。意表を突かれたのは「“しょし学”をどの程度学んだか?」と問われたことである。質問者の意図は“歴史研究”である以上文献の系統立った調査が中心との前提で発したようである。書誌学という学問・言葉を知らなかったので一瞬答えに窮したが、書誌を“書史”と勘違いし「歴史研究と言っても、ORの実用化は第二次世界大戦なのでそれほど古い書物・文献に当たる必要はありません」と答えたところそれ以上追及されることは無かった。しかし、あとでこれが“書誌”学であると気づき、機会があったらさわりだけでも学んでおかねばと思っていた。本書を読むきっかけはそこに発している。書評に著者は書誌学の専門家とあったからだ。

確かにこの分野では日本を代表する人物のようだ。略歴に1944年生れ、慶応義塾大学文学部名誉教授(中世英文学、書物史)とあるが、加えてケンブリッジ大学サンダーズ書誌学講座リーダー(20162017)と続き、文中に1986年日本人初のロンドン好古家協会(英国最古の学会;1586年設立)フェローに選ばれたと記されている。好古は古書・骨董・古美術を愛でることを言うが、文中から察するに、ここでは稀覯本や古書の研究と解釈したい。

それにしても書誌学とは想像以上に範囲が広いもので、文字(書体を含む)、文書材料(粘土板、蝋板、木皮、パピルス、獣(羊、子牛)皮、漉紙)、文書作成目的(記録、祭祀、学習、情報伝達)、書記・写字者・印刷従事者(社会的役割・地位、訓練、作業場所)、筆記用具(刃物、ペン、筆、絵具、墨、インク)、複写方法(手書き写本、木版・石版・金属版によるコピー、活版印刷)、製本の仕方(巻子(かんす)、冊子、装丁)、編集・出版・流通・販売体系とその変遷、保管・利用(書架、読書机、図書館)、読書法(音読・朗読、黙読)、書物保有者(発注者、書籍商、読者、蒐集家)、古書収集・修復、真贋判定など書物に関するあらゆるテーマを研究対象とする学問と言っていい。“書史(文献関係史)”と勘違いするなどお恥ずかしい限りだ。

本書のタイトルに“扉”がある。これは“入門”と同義で書物史入門。西洋”と限っているのは著者の専門がそこにあるからで、和書については製本装丁で若干触れる程度である(表紙(表・裏・背)すべてが軟紙・和綴じのため重厚な西洋書物と製作・保管に違いが出る)。また、書誌・書籍・書物は同義としつつも「書籍は無機質な感じがする」と退け、書誌は頻繁に使用するが、書誌“学”に留まり、もっぱら“書物”が主役を務める。

内容は著者が研究過程で巡り合い・体験した上記諸分野における書物に関する諸々を体系的(テーマ別に時間軸に沿って)・一般向けに書き下したもので、随筆のような一見軽い文体で書物史の深部を垣間見ることができる。そのいくつかを紹介しよう。

著者が今まで研究のために手にした古書で最も重いものは22kgもあった!この本を読むために、オックスフォード大学ボドリー図書館には特別スペースがあり巨大な書見台が用意されている。昼食など席を外すときは司書のところへ戻し、再び特別室に移動するのが大変だったとか。

ファクシミリと言えば原稿を電話回線で送受信するシステムだが、これが出現する以前からこの語はある。「筆写・複写・生き写し」の意。そしてファクシミリストなる職業が存在した。写本や印刷本のページを寸部違わず肉筆で復刻することを生業とする。王侯貴族が彼らを重用、高価な稀覯本などに欠落があったとき出番となる。しかし、時に誤記も起こす。これが書物史に混乱をもたらすが、一方で高名なファクシミリストの誤りは反って価値を高めることもある。

書物史の画期は何と言ってもグーテンベルクの活版印刷。これによって印刷された“グーテンベルク聖書”は180部、現存するのは48部、本来なら同一であるはずだが多くの異同が見られる。長い年月の間に欠落部の復刻補修が行われた結果である。書物史・書誌学が必要となる所以の一つはここに在る。48部の1部は丸善が1987年オークションで落とし、現在慶応義塾大学図書館にある。1997年この本が慶大に収まるきっかけは著者の存在にあり、その経緯も本書の中で語られる。一度見てみたいものだが外部の一般人にそれは可能なのだろうか?

新書ゆえ小さいのが難だが、図・写真・口絵(一部カラー)もあり、書物史・書誌学の概要を学ぶには格好な、読書家・愛書家向けの一冊である。

 

5)酔いどれクライマー永田東一郎物語

-破滅型秀才の伝記。講読理由は主人公・著者・私が同じ高校の同窓生だから。お薦めしません-

 


“登山”というキーワードで図書カードを検索してみた。出てきたのは4巻、2巻は小学校から高校まで一緒だった山好きの友人が自費出版した自分史に近い本。あとの2巻は1920年代エヴェレストを目指し消えたジョージ・マロリーを主題にしたジェフリー・アーチャーの小説「遥かなる未踏峰(上、下)」だった。つまり登山は読書の対象外と言っていい。そんな私が“クライマー”の本を読むことになったきっかけは、書評欄にあった“上野高校”、主人公も著者も同校出身、そして私も同じ高校の卒業生であったからだ。主人公は1958年生れ、著者は1961年生れ、私は1939年生まれ、20年近く歳が違うので同窓と言う以外全く共通するものはないのだが、卒業後縁が薄かった学校だけに、その後の変化を知りたく手に取った。我々の時代山岳部など存在しかったので、それだけでも読む動機になった。

都立上野高校は旧制東京市立二中、第5学区(中央、台東、荒川、足立)ではトップの進学校だった。因みに女子では旧制東京府立第一高女の白鴎高校が同じ学区内にある。美濃部都政下の1967年小尾教育長による学校群制度導入で都立高校(特に進学校)は壊滅的打撃を受け、東大合格数だけが学校評価ではないものの、爾後国立・私立優位の状況が続くことになる。如何に左翼平等主義が先見性の無いものであるかを示す典型例である。主人公・著者ともにこの学校群になってからの生徒、そこに私との大きな違いがある。学校群制度下では上野と白鴎が一つに括られ、どちらに行くかを自分で決めることはできない。本書で知る両校の授業のやり方には、想像できないほどの違いがあるのだ。特に、母校上野の変わりようは異常だ。中間試験も期末試験も実施せず、成績評価はレポートのみ。白鴎は従来通りのきちんとした方式を継承している。

本書の内容は、ほとんどアル中状態(一晩に焼酎いいちこを2本空ける)の中吐血して46歳で逝く破滅型人間の伝記である。私の関心事は母校、著者が取り組むのは主人公の人生。伝記である以上私の観点が真っ当ではないことは承知しているが、著者が「もし白鴎に進んでいたら」と学校群制にその責の一端があるように語るのには違和感を持つ。何故なら、自由放任教育には不賛成だが、主人公は1年浪人後東大理一合格を果たしているのだからだ。

むしろ異常はそれからにある。東大卒業に退学期限いっぱいの8年を要している。その間ほとんどをスキー山岳部の活動に費やしているのだ。いくら高校時代からの登山愛好者とは言え、これは常識を超える生き方だ。まして早く父を亡くし母の働きで大学進学しながら、その労苦・期待に応えようとしないのは私には信じられないわがままにうつる。8年かけた大学生活(工学部建築学科卒)の後設計事務所に就職すると山行きは激減するものの、仕事に対する好みが強く、一ヶ所に長続きしない。二人の子供を含む家庭生活は妻(システムエンジニア)が支えなければならない。そんな不本意の中やがてアルコール依存度が高まりついに離婚、それでも元妻はマンションの一部屋に住むことだけは許し(これもかなり異常だが)、そこで生涯をおえる。何故こんなハチャメチャな人生を送ることになったのか。これが取り組む主題だが結論は不明。「こんな人が居た」で終わる。

著者は主人公と高校時代在校生として重ならないが山岳部の先輩・後輩。この人も北大で山岳部に入れ込み過ぎ2年留年、工学部資源工学を終え鉱山会社に就職するものの数年後には毎日新聞の記者に転じるような変わった経歴。主人公が留年を繰り返す中、山を通じて親密度を増していったようだ。しかし、主人公の死を知るのはその数年後、海外勤務から帰国後友人から知らされ、追悼を兼ねユニークな人生を毎日新聞に連載し、本書はこれが基となっている。

紙数の大半は大学時代の登山活動に割かれ、そのハイライトは19848月に成功したカラコルム(パキスタン)K76934m)初登頂。その他の国内の山々、南鳥島上陸など157カ所の山行記録から一部が引用されて主人公の人柄・資質を浮き立たせる。この部分は山岳愛好者の参考にはなりそういだが(計画書は図入りでしっかりしている)、私にとっては格別興味を惹くものでなかった。と言うようなわけで、本書はあくまでも母校の変遷をたどる稀有な書物として読んだので、他人に薦める気持ちは全く無い。

 

6)第三の大国インドの思考

-世界第一の人口、第三位の軍事費、第五位のGDP。その根源を知りたく読んだが、外交政策ばかりが際立つ内容-

 


1986年秋横河電機から「インド科学技術庁(のような役所)が主催するプロセス制御に関する国際学会(見本市を併設する)で講演してほしい」との要請を受けた。狙いは同社が製作販売していたデジタル制御装置のPRである。ユーザーであるとともに、分社化した情報サービス会社のパートナーでもあったから断る理由はなく、初のインド行きが決した。期間は週末を入れて一週間、滞在先はニューデリー一ヶ所、この間休日を利用して世界遺産タージマハールの在るアグラに日帰り観光をしたのみで、名所めぐりのようなことは何もなかった。しかし、滞在中終始ホスト役を務めてくれた私よりは年輩の現地法人社員Nさんとの語らいはインドに関するそれまでの認識を深めるものだった。独立に際してのパキスタン分離に伴う大混乱、彼の家族はヒンドゥ教徒だが住まいはパキスタン領にあったため、着の身着のままでインドへ逃れた体験談。紙幣に刷られたいくつもの言語(確か八つ)。「これは信じ難い数だ」との私の発言に、「我々が普通使う地図は南極・北極に近づくほど広く描かれることを知っているか?」「赤道に近い我が国の面積は西欧よりはるかに広いんだ。西欧にどれだけの国があり言語が使われている?八つじゃきかないだろう」「デリーだけでインドは理解できない。ボンベイ(ムンバイ)やマドラス(チェンナイ)の製油所も訪問してほしかったんだが・・・」と、インドの多様性をビジネスを絡めて語ってくれた。爾来そんなインドをヒンドゥ教や仏教の聖地を含め巡ってみたいと思い続けていた。しかし、もう海外旅行は無理、あれから40年近く経ったインド事情を知りたく読んでみることにした。

人口では中国を超え世界最多、経済規模もかつての宗主国英国を抜いて米・中・日・独に次ぐ第5位、軍事費は米・中に次ぐ第3位。まぎれもなく大国である。かつての“混沌”イメージは残るものの、昨今の国際社会における存在感は目覚ましい。その行動の根本にある“思考”は如何なるものか。本書に期待したのは、政治経済活動や宗教を含む社会・文化的な背景だったが、それは希薄だった。国際関係特に外交に主眼が置かれ、その中心に中国が据えられので、“インド対中政策解説”の趣きである。国家が生き残り発展するために外交は重要因子だが、もう一方に内政があり、内政と外交の調和こそが国力の根源と考えるのだが、本書はこの内政面の分析が極めて表層的、不満の残る内容だった。

ソ連(ロシア)との長期にわたる(事実上の)同盟関係、特に兵器とエネルギー依存度の高さ。パキスタンとの数度わたる戦争・紛争、中国との国境紛争、ここから生ずる中・パ連携。周辺国スリランカ、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ビルマへの中国接近・進出、チベットとインドの深い関わり(ダライラマ亡命など)。対中貿易(対米に並ぶ規模。中国提唱のAIIB創設メンバー)とTPP。米国の対ソ(露)あるいは対パキスタン・対中政策がインドに及ぼす影響。インドを囲い込むような一帯一路と日・米・豪と組む「インド太平洋連携」(クワッド)。ウクライナ貿易(主に食糧輸入)と今度の戦争に対する対露政策(石油・石炭の爆買い)。インド外交伝統の非同盟(ソ連・ロシアとも公式の同盟関係は無い)。日本との関係では、安倍-モディ(首相就任前から親しい)の信頼関係。こう並べてみると確かにインド外交の難しさが具体的に見えてくる(特に中・パ関係は詳細で本書で知ることが多かった)。しかし、これらに対する内政の動きや国内世論に関しては何も触れていない。新露派・親中派はどんな勢力か、国民の対米感情は如何様か、それは何故か、が明らかにされないのだ。読後感は“中国脅威論”と“したたかな外交政策”が強く印象づけられただけだった。

著者は1976年生まれの南アジア国際関係専門家。在インド、在パキスタン、在中国大使館に専門調査員として勤務、複数の大学で講師などを務めている。以前本欄で「インパールの戦い」を紹介、これは英印軍・インド人の側からあの作戦を見たもので、日本人の立ち入らない地方に踏み込み情報収集・分析を行い独自の見解を披歴するものだった。今回もインド人の眼は備わっているが、これを内に向けて欲しかった。

 

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