2008年7月15日火曜日

今月の本棚-1

「On my book shelf」を始めるにあたって
 ビジネスマンの時代から雑誌や専門書を除いて、年間60冊位本を読んできた。PCを持つようになり講読図書リストは作ってきたものの、読後感のようなものを残してこなかった。このブログ立ち上げを契機に、書物・読書に関わる雑文を記してみることにする。
 ここではこの月読んだ本ばかりでなく、日常生活や個人的な研究(ITと経営、それに関わる軍事システム研究)で最近参照したり興味を持ったものにも触れてみたい。

<今月読んだ本;今回は6月分も含む
1)物情騒然(小林信彦);文春文庫
2)出会いがしらのハッピー・デイズ(小林信彦);文春文庫
3)にっちもさっちも;(小林信彦);文春文庫
4)花と爆弾;(小林信彦);文春文庫
5)「最長片道切符の旅」取材ノート(宮脇俊三);新潮社
6)伝統のプラモ屋(田宮俊作);文春文庫
7)暗流(秋田浩之);日経新聞
8)ブラームスは奥秩父の匂い(齊藤静雄);悠々社
9)大君の通貨(佐藤雅美);文春文庫
<愚評昧説>
1)~4)小林信彦ものは、週刊文春(私は読んでいない)に連載されている時評コラム“人生は五十一から”を一年分一冊にまとめたものである。
 随筆・評論の類は短い稿の中に題材のエキス、筆者の考えがコンパクトに詰まっており、小刻みにしか読書時間が取れない者や気分転換に最適で、昔から私の読書の中で大きな比重を占めてきた。内田百閒(鉄道の旅)、團伊玖磨(音楽、旅、動植物)、山口瞳(サラリーマン、しつけ・行儀)、佐貫亦男(飛行機、道具)、玉村豊男(食べ物、旅)、出久根達郎(古書、下町)、常盤晋平(アメリカ文学)などの他、司馬遼太郎も専ら評論や紀行文に傾倒して読んできた(小説は「坂の上の雲」しか読んでいない)。
 小林信彦に興味を持ったのは、自伝小説「和菓子屋の息子」をたまたま読んだことから始まる(上野界隈で小中高等学校時代を送った私には、似たような友人が何人かいたので)。氏が下町育ちで、その描写は私の交友関係やモノの見方に極めて近いものがあり、親近感を覚えたものである。その後買った「映画を夢みて」で、高校時代観た映画が次々出てくるのにすっかり惹きつけられてしまった。
 私にとって、この時評コラムの面白さは触れたことの無い世界を手短に教えてくれるところにある。古い映画、B級映画、映画監督論、コメディアンとその舞台、その新旧対比や日米対比。森繁久弥や渥美清をすっかり見直してしまった。決め手は“TV時代はもう終わり”であり、これはニュースと天気予報(偶にNHKのドキュメンタリーを観ることはあるが)しか見なくなって10数年になる私に、随分と勇気を与えてくれた。技術的にはともかく、地上ディジタル波でさらにチャンネルが増えるなどますますTV退化が進むだろう。人間使える時間は限られているのだから、考える時間をどれだけ持てるかで中身が変わってくる。視ているだけでは何も残らない。そんなことを、力を入れずに教えてくれるのがこの時評コラムである。
5)「最長片道切符の旅」取材ノートは、鉄道を主題とした多くの作品(ノンフィクションが多いがフィクションもある)を残した宮脇俊三の取材ノートである。故人の遺品の中から見つかったこのノートを忠実に印刷物にしたユニークな書物である。通常の読み物のようにまとまりのある文章で構成されていないところにむしろ臨場感があり、筆者の心のうちを窺がうような面白さがある。
「最長片道切符の旅」は、旧国鉄の全線(連絡船を含む)を対象に、一筆書きの経路を定めそれを走破するもので、当然切符の有効期限がある。従ってそれを実行するには周到な準備が要るが、途上では種々の予期せぬ出来事が起こる。天候異変、健康状態から駅員の無知、下着洗濯の苦労までさまざまな外乱を克服する様子がこのノートから明らかになる。最後にそれが実現された時、読者も一緒に達成感に浸れるのは、「最長片道切符の旅」本文以上のものがある。
6)模型好きが高じてエンジニアになったような私にとって、「田宮模型を作った人々」(2004年文藝春秋社刊)は、模型そのものとは違う模型の世界(模型製作企業経営)を初めて見せてくれたものとして大変印象深いものであった。今回の「伝統のプラモ屋」は、その大幅加筆増補版であり、前半の歴史を語るところはほとんど変わらないものの、後半はこの4年間の変化を盛り込んで、国際化や模型の高度化・精密化を取り上げ、大企業でもここまでは(各国軍事研究機関との交流やF1業界との関係、三次元CADや超精密三次元彫刻機、音響効果)と思われる話が多々紹介され、わが国プラモ業界の力を改めて知らされた。この反作用はコピーの横行である。特に中国は突出しており、40社を超える会社がコピー製品を出しているとか。中国製造業の勃興とコピー問題は至るところで生じているが、実はその影に欧米(特に米国)の悪徳ディーラの存在があることをこの本で知った。田宮の高度な製品を中国のメーカーに運び込み「これとそっくりなものを作ってくれたら、いくらでも引き取る」とやっているらしい。たまたま裁判で勝った時の相手の言い分は「世界一だから真似したんですよ」だったと筆者はあきれている。

 頑張れタミヤ!模型武器輸出は世界ダントツだ!
7)「暗流」は、副題-米中日外交三国志-が示すように、9・11とそれに続く戦争で国際社会における主導権に陰りが見えるアメリカ、著しい経済発展で発言力は増すものの、一党独裁の矛盾も噴出する中国、この二大強国に挟まれて地政学的な存在感を問い直され始めた日本を、両国に特派員(日経新聞)として滞在したジャーナリストが三国(特に米中二国)の外交をクールな目で分析し、日本のとるべき道(選択肢は限られ、覇権国家として正三角形にはなれない。それを基にした四つの選択肢)を示したものである。その四つとは;①日米同盟堅持、対中戦略でも日米協調、②日中接近を加速、協商関係も志向、③防衛力の格段な増強、自力防衛を志向、④非武装中立を宣言、「鎖国体制」に回帰?である。大多数の日本人は①を最も好ましい選択肢と考えるのではなかろうか?私も出来ることならこれを選びたい。しかし、いまアメリカは急速に白人中心・プロテスタント中心から変化しつつある。アメリカ自身が嘗てのアメリカでなくなるとき、①を日本が切に望んでも、片思いに終わる恐れがある。日本にとっての中国問題は実は“アメリカ問題(アメリカの変化を予測し、それに対する戦略を作り上げて置く)”ではないかと最近痛切に感じている。
8)「ブラームスは奥秩父の匂い」は、題名から推察できるように、クラシック音楽(特に作曲家)と山との対比・融合を行った、ユニークな随筆集である。ブラームスは、ベートーヴェンやシューベルトと違い初心者がいきなり楽しめるものでなく、ある程度ポピュラーなものに親しんだ後その味が分かると言う。奥秩父も決して、名山・高山ではないが山の経験を積んだ者にとって、その静かな幽玄の世界は格別の味わいがあるようだ。
 登山もクラシック音楽も私の趣味には無い。この本を手にすることになったのは、筆者の齊藤静雄君が贈ってくれたからである。彼とは小学校6年生の時の同級生で、中学・高校も同じ学校で学んだが彼は医科大に進み、もともとそれほど親しい友ではなかったので、その後は長く音信不沙汰だった。私の知る彼は、この本の一章“僕の革命-ショパン「革命」とマチガ沢登攀”に書かれているように「小中学校時代の僕は、いわゆる蒲柳の質というのか、青白い顔をしたひょろっとした子供で、・・・・」の表現通りの目立たない少年だった。それが1999年(60~61歳)長く休止状態だったクラス会で彼と再会したとき、まるで別人のような逞しい姿に変じていた。大学入学後から始めた登山が、この「革命」を成し遂げたのである。大学登山部、単独行、そしてアメリカ大学病院時代のロッキー、ヨーロッパアルプス、驚くほどの行動力とタフネスだ。
 もともとクラシック音楽の鑑賞は好きだったようだが、寡黙な彼からそんな話を聞いたことはなかった。鑑賞ばかりでなく、この「革命」をピアノで弾くのである!40歳代でマイホームを持つと念願のグランドピアノを購入。2002年にはマタニティ・ハウス(彼は産婦人科医)に本格的な演奏会用のホールを併設してしまった!そしてここでプロの音楽家による定期演奏会を開催しているのである。
 素晴らしい自分史。産婦人科に御用の方は茨城県戸頭医院へ。
9)「大君の通貨」は小林信彦ものを文春文庫のところで探している時、その副題“幕末「円ドル」戦争”に惹かれて購入した。本屋を訪れる楽しみは、このように普段あまり関心のない書物に衝動的に惹きつけられ、未知の世界に引き込まれるところにある。本文の主人公は後の英国公使オールコックと米国公使ハリスであるが、この通貨戦争の隠れた主人公は、この二人から遠ざけられる外国奉行、水野忠徳(ただのり)と言ってもいい。ポイントは銀貨の等量交換(当時のアジアはメキシコ銀貨が国際通貨として流通)と金銀交換比率(日本以外は16対1、日本では5対1)、それに兌換の可否である。
 当時のわが国の銀貨は一分銀と二朱銀である。純度を加味した重量が、同じメキシコ銀貨と等量交換するのが道理と諸外国は主張する。しかし水野は、外国銀貨はただの銀地金と同じで、幕府刻印のわが国貨幣は国内でその3倍の値打ちがあると主張。これが混乱の引き金となり、折角通商条約が発効したのに通商が上手く進まなくなっていく。商人の突き上げを受けた外交官が条約違反を声高に訴え、無能な幕府高級官僚;老中(金銭問題や外国人との交わりは下僚の仕事と心得る)を恫喝し、果ては水野を閑職に追いやってしまう。その間に外国との交流前に決めた金銀交換率に気がついた外国人(商人出身のハリス自身を含む)が小判漁りをして大量の小判が国外流失する。
 ハイライトは、オールコックが本国に送っていた報告書と彼が一時帰国する際、水野の影響を受けたと思しき外国奉行が本国政府に託した、“銀等量交換比率を以前のように三対一に戻して欲しい”と言う文書が英大蔵省専門家の目に触れる。彼は、当時の幕府の貨幣政策が今日の(非兌換)紙幣に相当する考え方で、これによって幕府は巨利を得て財政の健全化を行っていることを喝破する。「日本には優れた財政家がいる」という彼の説明を、医師出身のオールコックは始め理解出来ない。やがて全容を知ったオールコックは既に校正済みの著書「大君の都」の終章に、こっそり通貨問題の言い訳を付け加える。
 徳川幕府瓦解の主因は志士が活躍する尊皇攘夷ではなく、この通貨政策の失敗による財政破綻であったというのが著者の意図である。あの時代にこんな人が居たんだ!司馬遼太郎には全く書けない世界である。

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