2008年7月12日土曜日

滞英記-1

「滞英記」公開に当って
 1962年来45年間にわたり、石油・石油化学の計測・制御・情報(広義のIT)分野に携わってきた私は、2007年3月をもってビジネスマン生活を終えた。長くこの分野に関わってきて常にフラストレートしていたことは、経営の意思決定の場においてITに基づく決断が今ひとつ思うように展開できないことであった。このような環境を少しでも改善したいと言う思いは40歳代の後半からあり、そのためにいつの日か第二次世界大戦で英国を中心に重要な軍事作戦意思決定に大きな役割を果たした、オペレーションズ・リサーチ(OR)の歴史を辿ることにより、そのヒントが得られるのではないかと考えるようになった。
 具体的準備活動として文献調査を開始したのは1990年代の初めからであるが、本格的に動き出したのは2005年に英ランカスター大学経営学部教授のモーリス・カービー教授の著書「Operational Research in War and Peace」に行き当たってからである。当時のOR学会会長今野浩先生のご紹介で東工大大学院社会理工学研究科木嶋研究室の研究生となり、ランカスター大学から正規の客員研究員資格を得たのが2007年初め。しかし、現役の大学職員でないことを理由に、渡英直前英国大使館から研究者ビザを発給してもらえず、止むを得ずカービー教授の個人研究生として渡英することになった。本報告は、もともと彼の地での暮らし振りを、日常生活を中心に自分の生活記録として残すことを第一目的にし、親しい友人達に近況報告を兼ねて週報(19報)としてお送りしてきたものである。


(写真はダブルクリックすると拡大します)

Letter from Lancaster-12007年5月19日

 5月8日に成田を発ちヒースローで入国(ここの手続きで最初のトラブル)。乗り継ぎの国内便でマンチェスターへ(1泊)。
<入国トラブル>
 出発前に一部の方にはご報告のように、客員研究員としての“Academic Visitor Visa”が取れなかったので観光ビザ(ビザ無しビザ)で入国した。入国審査官(女性)から「ようこそ!何日滞在?」と聞かれたので、「観光と個人的な研究で6ヶ月滞在したい(周辺ヨーロッパ諸国も行くつもりで;状況によって一時帰国も)」と答えたところ、態度急変!根掘り歯掘り聞かれ、学ぶ予定の著書まで調べ、子供の所在(英国に居ないことの確認)、挙句は所持金まで聞かれ(適当に大金所持を言ったら目を剥いたが確認は無かった!)、最後に帰国航空券を見せOKをくれたものの、「出たり入ったりはダメよ」で何とか入国。 その後国内便でマンチェスターに行き、いかにも英国風なホテルで最初の夜を過ごしました。
 翌日ここからレンタカーでランカスターに行き、10日師事する先生(Kirby教授)に会い今後の研究計画(事前にこちらの計画案を送ってあったのでその確認に近い)を話し合い、毎週木曜日に勉強会を行うこととなりました。先生は64歳、相当の軍事オタクで、初対面で見せてくれた資料は英陸軍の1946年に始まったOR利用に関する議事録(コピー)であった。
 直前に発生したビザの問題で学校での正式身分が取得できぬため、諸事自分で処理しなければならなくなりました。それでも先生は学内のゲストハウスに入る可能性を当たってくれたのですが、資格は問題ないものの夏休みを控え各種セミナー・研究会が目白押し(湖水地帯をひかえこの種の活動に大変人気がある)で今からでは部屋が取れないことが分かりました。そんな訳で、到着来部屋探しに明け暮れる日々です。最初のホテルは1日延泊出来たもののその後は満室、止むを得ずホテルを変えて不動産屋を当たることに大半のエネルギーを使いました。不動産屋への紹介状など先生には個人的に大変お世話になっています。(市内を貫通する運河と教会)
 フルファーニッシュ(家具・生活用品完備)、短期在住予定、外国人で年金生活者は結構ハンディキャップで、当初は捗々しくない感じでしたが紹介状と最後の切り札(横河で英国事務所開設にご苦労されたNさんのアドバイス;デポジットを含む6か月分全額先払い!)でやっと昨日(18日)契約が成立しました。環境の良い(むしろ少し静か過ぎる)築7年のアパート(二つの寝室;と言っても一室は書斎でソファーベッド、リビング・ダイニング・キッチンが一室になったもの)に月曜から移ります。
 契約時に電気・水道・ガスは生きたものの、TVライセンス(NHKの受信料に相当)取得手続き(これは一応済んだ;不動産屋は郵便局と言ったがそこではなくニューススタンド;町の新聞屋だった)や電話番号取得(ブリティッシュテレコム;BT)など不動産屋のやってくれないことも多々ありまだまだ雑事に追われそうです。 (中央玄関入って2階左が我が家)
 加えてインターネット接続(電話回線経由)に下記のような問題を生じホテルを出るとしばらく皆さんとメール交換が出来なくなる可能性があります。
<インターネット接続トラブル>
 最初のホテルでアダプター(英式は6線式、日米式は4線式)を用いてニフティの英国接続ポイントにアクセスしたが全くレスポンスが無い。ここへのアクセスは日本から国際電話を通じてテストをし、接続(完全ではないが)を確認しておいた

 しかし、2番目のホテル(ホリデイイン)で壁のジャックは英式だが電話機側が日米式ジャックなのでこれを用いたところうまく接続が出来た。このケーブルがあればイギリス国内でどこでもアクセスできるので、マネジャーに譲ってもらうことを交渉した。その際彼は、電話関係設備は全てBTのものなので即答できないが、どこかに予備が無いかどうか当たってみることを約してくれた。 しかし、昨日これがホテルとしては入手不能と答えてきた(ただ、このようなPC周辺機器を扱っている店2件を紹介してくれた)。
 そこで再度インターネット接続を日本から持参したアダプターで試みたが状況は変わらない。よく調べてみると、英式は6溝、日米式は4溝である。ホテルで使われているモジュラージャックはこの6線全部に配線がされている。この内のいずれか4線を選んで日米式と繋がるようになっている。日本から持参したアダプターは英式部に6本の溝があり中4線に配線がある。どうやら英国の活線は中4線では無い可能性が高い(日本のアダプター製作会社はこれを良く調べたのだろうか?)。この地で適当なモジュラーケーブルを求める必要がある。
 それでも土日があったり、不動産屋も物件案内が立て込んでいたりで結構時間はあります。最初の土曜日はランカスターの海岸リゾート地帯、モアカム(ここにもキャンパスがある)に出かけたり、日曜日には湖水地帯の中心地、ウィンドミアに出かけピータラビットやワーズワースの世界を日帰りで垣間見てきました。ここでまたトラブルです!ホテルに帰り所持品をテーブルに並べたところ、国際運転免許証が無い!どこを探しても無い!どうやらドライブ途中で落としたらしい! (ワーズワース終の棲家)
<中小都市>
 ランカスターは人口約4万5千、今は大学が最大の産業(?)、モアカムを含めると各部学生6千名の他院生、職員など関係者総数は約1万5千人に達するようです。そんな訳で中心地も至ってこじんまり、治安も良く人々も総じて穏やかで親切です。
 免許証紛失の翌日、不動産屋を訪ねた後ランカスター警察署に寄って見ました。訪ねるとオフィスは無人、何か銀行のカウンター(窓口にいろいろなクレジットカードのマークが張ってある)のようなものが在るだけです。何度か声をかけたらやっと人が出てきたので、「ここは警察署でしょうか?」、と問うと「そうです」との答え。そこで件の免許証紛失を話したところ、「本署には何も届いていませんが、ウィンダミア署にあるかもしれませんね」、 「そこの電話番号を教えていただけませんか?」、「しばらくお待ちください」受付窓口からは見えない事務所で電話している声が聞こえる。しばらくして担当警官があらわれ、「あなたのお名前は?」「XXXXです」、「ちょっと待ってください」(再度事務所に消える)。ニコニコしながら現れて、「ウィンダミア警察署に届いています!」。翌日車を飛ばしてウィンドミアへ。警察署はまるで西部劇の保安官事務所、パスポートを見せると直ぐ免許証を渡してくれました。聞くと、この町は湖水地帯観光の中心地であるため、毎日多くの日本人が訪れており定宿も決まっているようです(四星)。拾った人がこのホテルに届け、該当者がいないのでホテルから警察に届けられたとのことでした。JALパックさん、JTBさん有難うです。
 組織に属さず・ツアーでもなく外国を旅するのは初めてですが、失敗を重ねながら何とかスタートしました。次回はインターネットの課題が解決次第近況をご報告いたします。
ではまた!

ランカスターにて

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