1)偽善エコロジー(武田邦彦);幻冬舎新書
2)21世紀のOR(今野浩);日科技連
3)役に立つ一次式(今野浩)日本評論社
4)危うい超大国-中国-(スーザン・シャーク);NHK出版
5)兵隊たちの陸軍史(伊藤桂一);新潮文庫
6)海外旅行が変わるホテルの常識(奥谷啓介);ダイヤモンド社
7)知られざるイタリアへ(ロバート・ハリス);東京書籍
8)アメリカ大統領の挑戦(本間長世);NTT出版
9)世界を不幸にするアメリカの戦争経済(ジョセフ・E・スティングリッツ);徳間書店
<愚評昧説>
1)偽善エコロジー;環境問題は、石油・化学関連で働いてきたので、一般の人々より現場に近い所に居た。化学工学会の経営システム委員会でもひところ研究テーマとして重点的に取り組んだ。経済発展と環境改善をバランスさせる難しさを具体的に、身近に感じてきた。しかし表層的なメディア、これに拙速に対応する行政にその実質効果に疑問を感ずる局面が多々あった。
この本は、ゴミの分別収集(苦労して分別したゴミの行き先は?)、生ゴミの堆肥化(危険物の植物を通した循環)、古紙のリサイクル、割り箸と森林保全、家電リサイクルの実態など身の回りの環境問題を取り上げ、専門家(資源材料工学)の立場から分かりやすく、問題点を掘り下げ、それらが真の環境改善に繋がっていないことを指摘している。更には環境規制を利用して不当な利益(税金や課徴金)を得ているもの存在を匂わせている。当に“偽善”である。
アル・ゴア前アメリカ副大統領の出演で有名な「不都合な真実」が、10万年台の変化をさも間近に起こるかのような印象を与えるとイギリスで教育問題の裁判沙汰になり、判決として、上映前に先生が「この映画には誤りがある。危険を煽りすぎていると言うこと」が条件になったとのこと。これなど社会的地位の高い人だけに、悪意は無くとも“大いなる偽善”でと言って良い。
この本は既にベストセラーとなっており、その数字や論拠に疑義を挟む意見も出ているが、浅薄なエコロジーブームに一石を投じた勇気を評価したい。
2)と3)は畏友元東工大教授(現中央大学教授)今野浩先生の著書である。二冊の本の材料は自身が体験したOR(特に線形計画法;多項連立一次方程式で検討対象を表記し、最適化を図る)の発展史であるが、前者が“自分史”的な視点で書かれているのに対し、後者は線形計画法(特に整数計画法)の理論的発展と利用面での消長を小説タッチで書いたユニークなエンジニア小説(筆者の命名)である。専門家が通史として読むなら前者、一般の読者が読むなら後者と言うことになろうか。
数学が苦手だという人は多い。受験のための数学はやむを得ず勉強したが、それが終われば用無し、それからは忘れる一方。あげくは「数学なんて役に立たない」となる。工学部にしても在学中はともかく、卒業すれば設計や解析の為の数理は公式化されたものを、経験を交えて使いこなすことが中心になる。純粋数学は無論、実社会への橋渡しをする応用数学も専門研究者の世界に留め置かれてきた。これが20世紀前半までの数学利用状況である。
しかし、コンピュータの出現は数学を実社会で活用する環境を急速に変えてきた。各種のOR技法が軍事やビジネスを対象に開発され、実用に供されるようになってくる。中でも線形計画法のアルゴリズム(解法)として単体法(シンプレックス法)が考案されると爆発的にその応用範囲が広がっていく。コンピュータの電子技術的な進歩と問題解決のより効率的なアルゴリズム開発は、それまで不可能(時間がかかり過ぎるケースも含めて)と思われていた問題解決を可能にしてきている。ただ、この道は決して平坦なものではないし、まだまだ挑戦すべき課題は多い。
筆者の今野先生は単体法発案者のスタンフォード大学教授ジョージ・ダンチックの弟子であり、ここで博士号を取得、その後筑波大学、東京工業大学、中央大学で応用数学の研究と教育に携わり、特にわが国における金融工学の草分けとして“役に立つ”数学を実践された方である。その40余年にわたる活動が、新たなアルゴリズムの開発とその限界、さらなるブレークスルー、ノーベル経済学賞巡る暗闘、世界を動かすユダヤ数学マフィアとの関わりなどを交え、科学サスペンス小説として見事にまとめられている。“数学嫌い”の方々にも一読をお薦めする。
4)危うい超大国-中国-;巷間に溢れる“中国脅威論”の一つである。しかし、他の本と一味違うのは、筆者がキッシンジャー密使訪中後、初の留学生に選ばれ本格的に彼の地で学び、その後国務省に入り、クリントン政権では国務次官補代理として対中政策を統括し、多くの重要外交交渉に従事した点である。
彼女が“危うい”と見ているのは、共産党一党独裁体制におけるトップのリーダーシップ(特に外交における)にある。毛・周時代は二人の圧倒的なカリスマ性で、彼らが決めた国策が云々されることは全く無かった。鄧少平も幾度も挫折しながら突出した力を持っていた。しかし、彼の開放政策は多様なマスメディアの出現を許し、一方で後継者(江沢民、胡錦涛)は彼のようなカリスマ性を持っておらず、メディアをバックにする政敵の批判をかわすことに汲々としなければならないのが実情なのである。そのためにはナショナリズムの高揚は保身材料になる。
またメディアも経営的な面からセンセーショナルな話題を好んで取り上げるようになってきており、経済成長による自信と相まってナショナリズムを煽ることが販売部数の増加に繋がっている。この対象が、米国、台湾、そして日本である。
米国に対しては覇権国家に対する新興超大国としての挑戦、台湾に対しては独立分離への牽制、そして日本に対しては中日戦争を勝利に導いたのが共産党であることを再認識させる格好の対象として、リーダーの危機に対して発動される特異的な外交行動になっていると筆者はみている。
共産党が中国史から汲み取った教訓は、体制に不満を抱えたさまざまな社会集団を一つにまとめる思想は、ナショナリズムであるということだ。だから支配が危機的になれば何が起こるかわからない。“(中央指導部の)弱い中国”は危機を招くと結論付け、これを防ぐためにはどうすべきか?筆者はこのための施策を最終章で、中国と米国指導部・識者向けにまとめている。
では日本は如何にすべきか?反日教育が教育現場だけでなく、体験者の口づたえに今も連綿として語られているだけに、この国との付き合いが我々にとって超長期国家戦略であることは間違いない。今の政治・行政・言論にこのような課題に取り組み、国民に理解させる意気込みが全く見えてこないことを憂うる。出でよ!日本のスーザン・シャーク。
彼女が“危うい”と見ているのは、共産党一党独裁体制におけるトップのリーダーシップ(特に外交における)にある。毛・周時代は二人の圧倒的なカリスマ性で、彼らが決めた国策が云々されることは全く無かった。鄧少平も幾度も挫折しながら突出した力を持っていた。しかし、彼の開放政策は多様なマスメディアの出現を許し、一方で後継者(江沢民、胡錦涛)は彼のようなカリスマ性を持っておらず、メディアをバックにする政敵の批判をかわすことに汲々としなければならないのが実情なのである。そのためにはナショナリズムの高揚は保身材料になる。
またメディアも経営的な面からセンセーショナルな話題を好んで取り上げるようになってきており、経済成長による自信と相まってナショナリズムを煽ることが販売部数の増加に繋がっている。この対象が、米国、台湾、そして日本である。
米国に対しては覇権国家に対する新興超大国としての挑戦、台湾に対しては独立分離への牽制、そして日本に対しては中日戦争を勝利に導いたのが共産党であることを再認識させる格好の対象として、リーダーの危機に対して発動される特異的な外交行動になっていると筆者はみている。
共産党が中国史から汲み取った教訓は、体制に不満を抱えたさまざまな社会集団を一つにまとめる思想は、ナショナリズムであるということだ。だから支配が危機的になれば何が起こるかわからない。“(中央指導部の)弱い中国”は危機を招くと結論付け、これを防ぐためにはどうすべきか?筆者はこのための施策を最終章で、中国と米国指導部・識者向けにまとめている。
では日本は如何にすべきか?反日教育が教育現場だけでなく、体験者の口づたえに今も連綿として語られているだけに、この国との付き合いが我々にとって超長期国家戦略であることは間違いない。今の政治・行政・言論にこのような課題に取り組み、国民に理解させる意気込みが全く見えてこないことを憂うる。出でよ!日本のスーザン・シャーク。
5)「兵隊たちの陸軍史」;直木賞作家(1961年度;蛍の河)、伊藤桂一の帝国陸軍雑史である。もともと本書は大宅壮一監修の現代史「ドキュメント=近代の顔」シリーズの第一巻として書かれたものである。このシリーズを開始するに当り大宅は「第一巻は戦争、戦争ならば著者は伊藤だろう」と著者を指名したとのことである。
私は伊藤が旧陸軍を主体とした戦記文学者、それも兵隊の視座で書いていることは知っていたが、著作は読んだことはなかった。中国戦線の陸軍の戦いは殆ど最新兵器と無縁だし、誕生の地、満州とも関係が無いことが興味を呼ばなかった。この本を手に取ったのは8月6日、戦争モノが書店にいっとき集中する時期である。徴兵令の解説から始まる本書を眺めていると、続く初年兵教育、兵営の生活、戦闘行動の実際など、知らないことばかりである。大宅が現代史の一環として戦争を語るのに伊藤を選んだ狙いと慧眼にただただ恐れ入った。戦争を理解するのに、こう言う見方が有ったのだし必要だったのだと軍事オタクの目を覚まさせてくれた。
兵隊(氏は何度も召集をうけ、最後は上海郊外で伍長として兵役を終える)の立場から書かれた貴重な“旧陸軍辞典”である。
6)「海外旅行が変わるホテルの常識」;ニューヨーク・プラザホテルのアジア担当営業部長のアメリカ高級ホテル利用ガイド。評略。
7)イタリア人の友人が二人いる。二人に会ったのはアメリカ。そして二人とも日本を訪れている。毎年クリスマスカードには「イタリアへ出かけて来いよ!」と記されている。ボツボツこれを実現したいな。「知られざるイタリアへ」を購入したのはそんな動機からである。書店の旅行関連の書架に平積みになっている本書を手に取ると、内容は自動車旅行記の形になっている。これは一番好きな旅の本である(次に好きなのが鉄道)。買うときにチョッと気になったのは、筆者が外人名なのに、訳者が記されていなかったことである。あとで分ったことは筆者、ロバート・ハリスは嘗て有名なラジオ番組“百万人の英語”の担当者J.B.ハリスの息子、日本で生まれ、教育を受けた人であった。現在は紀行作家兼ラジオのナビゲーターをしている。
旅は8年前訪れたことのあるシシリー島の小村から始まる。その時の知人達との再会。当時の思い出とオーバーラップさせながら、風景、料理、酒、祭りなどを話題にして話は進んでいくが、最大の関心事は“人”である。時には映画“ゴッドファーザー(シチリアマフィア)”との関わりを交えながらの人物描写は、土地どちのイタリア人像を浮かび上がらせ、イタリアへの関心がいや増していく。
レンタカー、アルファ・ロメオ147はシシリーを離れるとナポリやローマのような大都会を避け、高速道路の利用を最低限に抑え、今回の最終目的地トスカーナ(フィレンツェやシエナが在る中部イタリア)へ向かう。地方の何気ない町で泊まり、人と出会い、会話をし、それを自身の人生の糧にしていく。ただの観光案内で終わらないところにこの旅行記の特色がある。
筆者(同行のカメラマンも)はイタリア語を喋れないが、この旅をそれほど苦労せず続けている点は、イタリア行きを目論む私にとって勇気付けともなった。
8)「アメリカ大統領の挑戦」;筆者は東大名誉教授でアメリカ史(思想史、政治史)の研究者である。この本は先行出版されている「正義のリーダーシップ」;ジョージ・ワシントン等、「共和国アメリカの誕生」;リンカーン等と合わせて3部作となり、アメリカ史に大きな足跡を残した偉大な大統領たちを中心に、今日に至るアメリカが語られる。
今回取り上げられた主役は、ウィルソン、ローズヴェルト、トルーマンの三人である。それ以降では比較的ジョンソンが好意的に取り上げられているが、巷間知名度の高いケネディはほとんど出てこない。そしで底流にあるのはブッシュ(ジュニア)がとんでもなく場違いな大統領で、この難しい時期に何故あのような人物をトップに戴くことになったかを、近代アメリカの社会環境変化を解説しながら語っている。筆者の状況認識は「アメリカ史最大の皮肉は、アメリカがかつてなく強大になった時に、国民はこれまでまずなかった程に不安を感じていることであろう」と言うことである。
ここに至るプロセスとして、アメリカ人にとって“平等(民主主義)の是非”、“自由とは?”、帝国(土着のアメリカ人から土地を奪うことを含めて)主義”、“進化論の影響”、“外交”を歴史的にフォローし、やがて大統領がポピュリズムに侵されていく姿を浮き彫りにしていく。
ウィルソンは、米国開闢以来始めてイニシアティヴをとる外交戦略(国際連盟)の推進者、ローズヴェルトはニューディール政策(それまで忌避されてきた政府主導の経済改革)の推進と第二次世界大戦の巨頭の一人、そしてトルーマンは大戦後の冷戦の断固たる実行者、アメリカだけでなく世界の指導者としてのリーダーシップ発揮した大統領として取り上げられている。大統領への助走期間、初期の評価、やがて傑出した力を発揮する(ウィルソンの場合は挫折する)個人としての資質や人間関係、行動がカッチリ描かれている。
この3人に続いて紙数が割かれているのはジョンソンとレーガンで、ジョンソンはケネディ人気の陰に隠れながら議会を含む利害関係者間の調整の能力、レーガンは“最高の大統領役者”と揶揄されながら、冷戦終結と経済活性化、に実効を挙げた点を評価している。
大学生時代40代の大統領、ケネディの誕生に強烈なインパクトを受けた私としては、彼が一顧だにされないことに複雑な思いだが、政治家としての後世の評価は“ポピュリズムよりは実績”という見方が正しいのであろう。いったい小泉純一郎とは何者だったのであろうか?20年後、30年後の評価を待ちたい(特異なリーダーシップは強く感じたが、景気回復は彼の成果だったのだろうか?)。
9)「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」;これは読み物と言うより“論文”である(実際論文を読み物として書き直したと筆者もあとがきしている)。従って時間潰しに気軽に読む類の本ではない。しかし、私にとっては面白い本であった。
骨子は、ブッシュがイラク・アフガン戦争(殆どはイラク戦争)で“3兆ドルをどぶに捨てた(戦死者や退役軍人に払う将来コストを含む。他の参戦国(日本を含む)を合わせれば少なく見積もってもこの倍;6兆ドルはかかると推定)”ことを各種のデータ(主として政府の会計データ)から証明することにある。これをノーベル経済学賞受賞の経済学者と商務省の元首席補佐官が行うのだから説得力がある。一体全体何処でこんなに金がかかるのか?どうやって賄うのか(“出来る”と筆者は明言しているが方法は示されていない)?どうしてこんな金額に達することがチェックを経ずにまかり通るのか(最初の予算は17億ドル)?そしてもしこの3兆ドルが他のことに使えれば、何が出来たか(出来るか)?が何度も(くどいほど)数字の確認(如何にひかえめか)を行いながら論述されている。
これらの論証過程で、最高意思決定機関(大統領府、議会、国防・国務省など)の意識的欺瞞あるいは制度的欠陥が明らかになり、あの民主的で情報公開の手本であるアメリカでもこんなことが起こるのか!?と驚かされる。また、戦争のコストとして戦死者や退役軍人への各種補償(年金を含む)が膨大な額にあがること、負傷者(精神的なものを含む)の認定制度の欠陥(処理能力を超える申請で悲惨な状態にあること)、戦争の民営化(請負兵)の実態、災害対応に余力の無い州兵の影響(カトリーナ台風のような)などが、どう3兆ドルと関わるかを知らされた。
終章は“アメリカの過ちから学ぶ”として18の改革案を提示している。その前文には「アメリカはいつかふたたび戦争に参画する。だから・・・・・」となっている。特異な国家の特異な論文である。紛争・戦争に目を塞ぎがちのわが国でもこんなことを学者や官僚が自由に語れるような環境が出来ることを望む。「給油法の経済」を待ちながら。
私は伊藤が旧陸軍を主体とした戦記文学者、それも兵隊の視座で書いていることは知っていたが、著作は読んだことはなかった。中国戦線の陸軍の戦いは殆ど最新兵器と無縁だし、誕生の地、満州とも関係が無いことが興味を呼ばなかった。この本を手に取ったのは8月6日、戦争モノが書店にいっとき集中する時期である。徴兵令の解説から始まる本書を眺めていると、続く初年兵教育、兵営の生活、戦闘行動の実際など、知らないことばかりである。大宅が現代史の一環として戦争を語るのに伊藤を選んだ狙いと慧眼にただただ恐れ入った。戦争を理解するのに、こう言う見方が有ったのだし必要だったのだと軍事オタクの目を覚まさせてくれた。
兵隊(氏は何度も召集をうけ、最後は上海郊外で伍長として兵役を終える)の立場から書かれた貴重な“旧陸軍辞典”である。
6)「海外旅行が変わるホテルの常識」;ニューヨーク・プラザホテルのアジア担当営業部長のアメリカ高級ホテル利用ガイド。評略。
7)イタリア人の友人が二人いる。二人に会ったのはアメリカ。そして二人とも日本を訪れている。毎年クリスマスカードには「イタリアへ出かけて来いよ!」と記されている。ボツボツこれを実現したいな。「知られざるイタリアへ」を購入したのはそんな動機からである。書店の旅行関連の書架に平積みになっている本書を手に取ると、内容は自動車旅行記の形になっている。これは一番好きな旅の本である(次に好きなのが鉄道)。買うときにチョッと気になったのは、筆者が外人名なのに、訳者が記されていなかったことである。あとで分ったことは筆者、ロバート・ハリスは嘗て有名なラジオ番組“百万人の英語”の担当者J.B.ハリスの息子、日本で生まれ、教育を受けた人であった。現在は紀行作家兼ラジオのナビゲーターをしている。
旅は8年前訪れたことのあるシシリー島の小村から始まる。その時の知人達との再会。当時の思い出とオーバーラップさせながら、風景、料理、酒、祭りなどを話題にして話は進んでいくが、最大の関心事は“人”である。時には映画“ゴッドファーザー(シチリアマフィア)”との関わりを交えながらの人物描写は、土地どちのイタリア人像を浮かび上がらせ、イタリアへの関心がいや増していく。
レンタカー、アルファ・ロメオ147はシシリーを離れるとナポリやローマのような大都会を避け、高速道路の利用を最低限に抑え、今回の最終目的地トスカーナ(フィレンツェやシエナが在る中部イタリア)へ向かう。地方の何気ない町で泊まり、人と出会い、会話をし、それを自身の人生の糧にしていく。ただの観光案内で終わらないところにこの旅行記の特色がある。
筆者(同行のカメラマンも)はイタリア語を喋れないが、この旅をそれほど苦労せず続けている点は、イタリア行きを目論む私にとって勇気付けともなった。
8)「アメリカ大統領の挑戦」;筆者は東大名誉教授でアメリカ史(思想史、政治史)の研究者である。この本は先行出版されている「正義のリーダーシップ」;ジョージ・ワシントン等、「共和国アメリカの誕生」;リンカーン等と合わせて3部作となり、アメリカ史に大きな足跡を残した偉大な大統領たちを中心に、今日に至るアメリカが語られる。
今回取り上げられた主役は、ウィルソン、ローズヴェルト、トルーマンの三人である。それ以降では比較的ジョンソンが好意的に取り上げられているが、巷間知名度の高いケネディはほとんど出てこない。そしで底流にあるのはブッシュ(ジュニア)がとんでもなく場違いな大統領で、この難しい時期に何故あのような人物をトップに戴くことになったかを、近代アメリカの社会環境変化を解説しながら語っている。筆者の状況認識は「アメリカ史最大の皮肉は、アメリカがかつてなく強大になった時に、国民はこれまでまずなかった程に不安を感じていることであろう」と言うことである。
ここに至るプロセスとして、アメリカ人にとって“平等(民主主義)の是非”、“自由とは?”、帝国(土着のアメリカ人から土地を奪うことを含めて)主義”、“進化論の影響”、“外交”を歴史的にフォローし、やがて大統領がポピュリズムに侵されていく姿を浮き彫りにしていく。
ウィルソンは、米国開闢以来始めてイニシアティヴをとる外交戦略(国際連盟)の推進者、ローズヴェルトはニューディール政策(それまで忌避されてきた政府主導の経済改革)の推進と第二次世界大戦の巨頭の一人、そしてトルーマンは大戦後の冷戦の断固たる実行者、アメリカだけでなく世界の指導者としてのリーダーシップ発揮した大統領として取り上げられている。大統領への助走期間、初期の評価、やがて傑出した力を発揮する(ウィルソンの場合は挫折する)個人としての資質や人間関係、行動がカッチリ描かれている。
この3人に続いて紙数が割かれているのはジョンソンとレーガンで、ジョンソンはケネディ人気の陰に隠れながら議会を含む利害関係者間の調整の能力、レーガンは“最高の大統領役者”と揶揄されながら、冷戦終結と経済活性化、に実効を挙げた点を評価している。
大学生時代40代の大統領、ケネディの誕生に強烈なインパクトを受けた私としては、彼が一顧だにされないことに複雑な思いだが、政治家としての後世の評価は“ポピュリズムよりは実績”という見方が正しいのであろう。いったい小泉純一郎とは何者だったのであろうか?20年後、30年後の評価を待ちたい(特異なリーダーシップは強く感じたが、景気回復は彼の成果だったのだろうか?)。
9)「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」;これは読み物と言うより“論文”である(実際論文を読み物として書き直したと筆者もあとがきしている)。従って時間潰しに気軽に読む類の本ではない。しかし、私にとっては面白い本であった。
骨子は、ブッシュがイラク・アフガン戦争(殆どはイラク戦争)で“3兆ドルをどぶに捨てた(戦死者や退役軍人に払う将来コストを含む。他の参戦国(日本を含む)を合わせれば少なく見積もってもこの倍;6兆ドルはかかると推定)”ことを各種のデータ(主として政府の会計データ)から証明することにある。これをノーベル経済学賞受賞の経済学者と商務省の元首席補佐官が行うのだから説得力がある。一体全体何処でこんなに金がかかるのか?どうやって賄うのか(“出来る”と筆者は明言しているが方法は示されていない)?どうしてこんな金額に達することがチェックを経ずにまかり通るのか(最初の予算は17億ドル)?そしてもしこの3兆ドルが他のことに使えれば、何が出来たか(出来るか)?が何度も(くどいほど)数字の確認(如何にひかえめか)を行いながら論述されている。
これらの論証過程で、最高意思決定機関(大統領府、議会、国防・国務省など)の意識的欺瞞あるいは制度的欠陥が明らかになり、あの民主的で情報公開の手本であるアメリカでもこんなことが起こるのか!?と驚かされる。また、戦争のコストとして戦死者や退役軍人への各種補償(年金を含む)が膨大な額にあがること、負傷者(精神的なものを含む)の認定制度の欠陥(処理能力を超える申請で悲惨な状態にあること)、戦争の民営化(請負兵)の実態、災害対応に余力の無い州兵の影響(カトリーナ台風のような)などが、どう3兆ドルと関わるかを知らされた。
終章は“アメリカの過ちから学ぶ”として18の改革案を提示している。その前文には「アメリカはいつかふたたび戦争に参画する。だから・・・・・」となっている。特異な国家の特異な論文である。紛争・戦争に目を塞ぎがちのわが国でもこんなことを学者や官僚が自由に語れるような環境が出来ることを望む。「給油法の経済」を待ちながら。
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