2008年8月29日金曜日

滞英記-5

滞英記-5
2007年6月21日

 英国の6月はベストシーズンと言われており、月の前半は比較的良い天気が続いていましたがここのところ天候不順で、中部(特に、シェフィールド)では洪水の被害が出るような雨が降っています。我が家は町の外れ、自然環境は良いのですが墓地や得体の知れない病院(古城の様は建物群が高い塀に囲まれ、メイン道路からのアクセス道路は遮断機が設置されている。普通の病院のように患者の出入りは見かけられない)などもある寂しいところです。夜半に雷鳴を聞くと英国の奇怪小説に出てくるような雰囲気もあります。
 そんな中、久しぶりにレンタカーを借りブロンティの小説、「嵐が丘」の世界を訪れてみました。今回はそのご報告をお送りします。

<“嵐が丘”へ>
 先にお断りしておきますが、私はエミリー・ブロンティが書いたこの小説を読んでいません。また、姉のシャルロットの書いた「ジェーン・エアー」も読んでいません。ただ、これらに関して書いたものや、映画のダイジェスト等で、英国中部の荒野が舞台の暗い恋愛(?)小説であることは知っていました。
 気晴らしにドライブに行きたい。一度ゆっくりイギリスのなだらかに続く緑の丘陵地帯をのんびり走ってみたい。何処にするか?持参したイギリス観光のガイドブックを見ていたら「ヒースが生い茂る『嵐が丘』の舞台:ハワース」と言うのが目に入り、そこがここランカスターから充分日帰り圏にあることが分かったのです。最近購入したロードマップで調べると、我が家からはM6→M65→A6068と辿り、あとは名も無き道(実際はあるのですが、全国版の道路地図には無い)をMoorと呼ばれる荒野の中を進めば良いことが分かりました。因みに、Mはモーターウェイ(高速)、A, Bは一般国道、桁数の少ないほど主要道路です。
 当日予報は午前中雨でしたが、午後からは回復してくるとのこと。意を決して出かけました。M6, M65は日本やアメリカの高速道路と変わりません(ただし、タダです!)。ひたすら走るだけです。順調にA6068に取り付き進んでいくと、途中の町で“Bronte Personage Museum”と言う標識が右方向を指しています。“こんなところでは無いはずだが?” キースリーと言う町を経由してハワースに入る予定にしていたのでそれを無視して走り続けましたが、その標識の近くに観光バスらしきものが駐車していたのが気に係りUターン。再度標識を確認すると確かに右を指している。“こちらにも何かゆかりのものがあるのかも知れない”とその道へとハンドルを切りました。この辺の町は、街道沿いは町らしい佇まいですがあまり厚みが無く、街道から外れると直ぐに石垣に囲まれた牧草地になってしまいます。“どこに展示館があるんだ?”と左右に注意を向ける間もなく人家はあっという間に無くなってしまいました。雨は酷くなってくる。先にも後にも車は走っていない。しかし分岐路も全く無かったから道を間違えていることもない。石造りの家がぽつんと野中に在ったりするが、人の気配は全く無い。牧草地の景観はだんだん荒涼感を増してくる。不安が募る。引き返してキースリーへ出るか?ただ、確信していたのは“方角は間違いない!”と言うことです。前の晩幾種類かの地図やガイドブックを調べ、一枚の白紙にドライブ経路や関連情報を自分なりに即断できる形に整理する過程でこの方向感覚が出来上がっていたのです。多少寄り道になるかも知れないが時間は充分ある、と腹を括って進むことにしました。わき道にそれてから20分くらい走ったでしょうか、やがて木立と数軒の家が固まっているのが見えてきました。近づくとそこにInn(旅籠)が在り、数台の車が止まっています。中に入るとフロント(?)におっさんがいたので、「この道はハワースに通じているのか?」と聞くと、「これで良いんだ。あと4マイルだよ」との返事でホッとする。フロントの前にはロービーらしき空間があるが誰もいない。「お茶でも飲めるかな?」と問うと、「上へ上がってくれ」と階段を示すので、そこを上がるとなんだか様子がおかしい。そこいら中に、食卓、いす、ベッドが乱雑に置かれている、奥のほうもそんな状態で、何処でお茶が飲めるのかまるで分からない、さらに階を上がるとそこも同じようになっている。これは一体なんだ?と思っていると、奥の方から人声と食べ物のにおいが漂ってくる。奥へ進むとテラスがあるティールームがありました。このテラスからMoorを眺めながら飲んだヨークシャー・ティーは、味はともかくどんなに心安らぐ気持ちにしてくれたことか!
 ところでここは家具屋を兼ねた旅籠だったのです。こんな兼業、想像できますか?誰がここまで家具を買いに来るんですかね?

 ハワ-スは小さな町で、観光用の鉄道がキースリーから延びてきていますがここが終点です。本数も限られているようです。あとは車で来るしか手段はありません。この前のゼミの際、「今週末はブロンティ姉妹の町、ハワースを訪れる予定なんだ」とMauriceに話したところ、「あの町は日本人に人気があるんだ」との返事が返ってきました。そこでインフォメーションセンターを訪れ、「日本語の案内はありませんか?」と聞いてみると、さすがにそれは置いていないとのこと。しかし、ブロンティ展示館(例の“Bronte Personage Museum”;ブロンティ家の住まいを増築して展示館にしたもの)に行ってみると、丁度観光バスが着いたところで、入り口前の庭で多数の日本人がガイドの説明を聞いているところでした。狭い展示館の中で一緒に行動したく無かったので(彼らは一括して入場料を払っている)、先に町をぶらついてから入ることにしましたが、他でも大勢の日本人グループに会いました。観光バスが着くとそんな感じのするほど小規模な観光地です。展示館には日本語の案内パンフレットがありましたし、姉妹の父親が副牧師を務めた教会(ここの地下にブロンティ家の人々が葬られている)には、「館内での写真撮影は自由です。個人的な写真以外の方は予め許可を得てください」と英語と並んで、日本語の注意書きがありました。
 ロンドンでツアーをした時、ガイド(日本人で英国人と結婚している女性)が「日本人も多いのですが、最近は韓国・台湾・中国本土からの観光客が急増しており、お土産物購入では日本人よりはるかに上得意です」とのこと。一方で、今回や湖水地帯(ワーズワースやピータラビット)でも見たように日本人は一味違った観光をするようになってきているようです。ガーデニングなどへの関心も高く、これはこれで文学を愛し、歴史を大切にし、自然を愛でる英国人に喜ばれているように思います。日本人の海外旅行もそれだけ成熟したともいえますね(どこまで本気かな?と言う気はしますが)。

 さて、ハワースの町ですが、この周辺地域全体が“Bronte County”と呼ばれるほどで観光の目玉はブロンティに関するもの以外めぼしいものはありません。メインストリート(と言う名前の小道)は石畳の狭い坂道で、車は特別なもの(救急車のようなものが偶々来ていたり、住民の車がゆっくり観光客に遠慮しながら走ることはある)に限られているようです。この道を歩いて直ぐ思ったことは、「これは中山道馬篭宿英国版だ!」と言うことです。島崎藤村しか売り物の無い馬篭宿は中山道の宿場を観光用に再開発して結構人を集めています。石畳の坂道、両側に土産物屋や飲食店、それに藤村記念館。おまけに両者の小説とも暗い。違うのは山深い信州と荒野の広がる周辺の景色だけです。
 そこでこの“ヒースの茂る荒野”に出かけてみることにしました。ガイドブックには荒野(と言っても放牧場なのでフットパスと呼ばれる人間の歩く道が特別に作られている)を数時間歩いて“嵐が丘”の気分を味わうよう勧めています。しかし、そんなに時間もないし、天候不順の中装備も無いので教会の裏の墓地を抜けるフットパスを辿って30分くらい歩き、その辺では周囲の展望が開ける所へ出てみました。雨は止んでいますが雲は重く垂れ込めています。しばらくすると、北東方向の雲が遠くで切れ、そこから明るい日がゆったりうねる丘の稜線を浮かび上がらせ、頭上の暗雲をさらに強調するようなコントラストが出現しました。もしこれが冬で、緑が枯れて赤茶けた色になり、北風がびゅうびゅう吹き荒れていたら、と想像してチョッと不気味な小説の世界を味わうことが出来ました。
 展示館で見た資料などによるとブロンティ姉妹は早く母を無くし、6人の子供の内5人の姉妹は一時養育施設に預けられたりして、精神的にも特異な成長過程があったようです。その暗さは自然環境だけではないと思いますが、有名な小説の背景を体験した得難いドライブ行でした。

 ところで皆さんは「嵐が丘」の原題をご存知ですか?Mauriceに会った時「今週末は“嵐が丘”の舞台へ出かけるつもりだ」と言おうと思ったのですが、正しい英語の題名が分かりません。そのままなら“Stormy Hill”かな?とも思いましたが、名作の題名としては如何にも軽々しい。そこで「Bronte Sistersの町、ハワースに行く」と誤魔化したのです。
 正解は、“Wuthering Heights”です。展示館のショップで売られている本を見て知りました。しかし、“Wuthering”と言う単語は見たこともありません。こちらには電子辞書を持ってきています。帰宅して先ず英和辞典でこれを引いてみましたが出てきませんでした。この電子辞書にはオックスフォード現代英英辞典も付いています。これで引いてみましたがやっぱり出てきません。古語(19世紀の中頃に書かれた小説ですからこの可能性は低いでしょう)あるいは方言でしょうか?Weather(天候)の訳に荒天・暴風雨がありますがこれと関係するのでしょうか?ご存知の方、教えていただければ幸いです。

-後日談-
 このレポートをお送りすると先輩から直ちにご返事をいただきました。
「研究社発行のリーダーズ英和辞典にはWuthering Heights(嵐が丘)と云う語彙以外にwuthering(方言)形容詞 吼えるように強く吹く風或いはビュービュー風の鳴る土地 が載っていますし、小学館発行のランダム大英和辞典にも記載されています。さすがに三省堂のコンサイスには載っていません」

0 件のコメント: