2008年11月17日月曜日

滞英記-10(2)

5)Villageツアー
 「娘婿が孫を保育園から引き取り、4時半頃ここに来る」 出来るだけファミリーを私に紹介しようという彼の気配りです。「未だ時間があるからVillageを案内しよう」 先に屋外に出て彼を待つ間、もう一度仔細に広場を点検しました。“クラシックカー”は何処だ?彼の家の左外部に、自動車一台分は充分ある横長の木製の柵があり、その奥にかなり大きな物置のようなものがあります。庭へ出た時それを見てひょっとして?と考え続けていました。外へ出てきた彼に、「ジェフ、あの左部分の土地も君のものかい?」「いや、奥の家のものさ」「……(クラシックカーはどうなったんだ!?)」
 路地を出ると村の中心ある忠魂碑のラウンドアバウトへ向かいます。両側は概ね小さな商店、インド料理が数件、タイ料理も数件、ベトナム料理もあるそうです。もちろんパブも何件か。八百屋、肉屋、忠魂碑は第一次、第二次世界大戦に参戦し戦死したこの村出身者の名前が刻んであるそうです。「これはどんな所にも必ず在るんだ。日本はどうだ?」「Shrine(神社)に在るんだが、何処の神社にもあるわけではないんだ」「Shinto(神道)か?」「良く知っているなー」「Hiroは神道か?」「いや、仏教徒だ」こんな話をしているうちに商店街が切れて、住宅街に来ました。いわゆるタウンハウス、それも二戸一棟のモダンで高級感のあるものです。「あれはいつ頃出来たものかな?」「ウン?あれは60年代だな(いかにも関心が無いと言うトーンで)」
 一巡して忠魂碑に戻り、今度は反対側を探訪。細い石畳を行くと先の方に教会が見えてきました。「Priory(修道院と一体になった教会)って知っているか?」「左側のタウンハウスは、昔はこの教会で働く人達の家だったんだ」「この教会はとても古いものだ。実は、我が家はこの教会教区の人達の馬具鍛冶の家だったんだ」「(馬具鍛冶か!それで隣の家に妙なグリ-ンの大きな扉があったんだ)」「この辺の人は殆どこの教会の信徒さ。でも俺は来ないんだ。これは英国国教会だが、俺はカソリックなんだ。」(I ‘m from UK!発言の理由が仄かに見えた瞬間です)。外へ出て別の道を戻ると途中に小川が流れています。「これが此処の地名の基、Trym川だよ」川に沿った道にトヨタMR-Sが止まっています。「これは僕の車と同じだ!」(一くさり講釈すると)「俺は1970年のモーガンを持っていたんだ。モーガン4だ。しかし数年前に手放した」(エッ!あれはモーガンだったのか!そうか、手放したのか!残念だがこれで“クラシックカー”は一件落着)。
 Cottageに戻ると直ぐ外で子供の声がし、可愛い女の子が駆け込んできました。最初の孫、Amyです。帰宅途中私のために寄り道してくれたのです。お土産を用意してあったので、手渡すと皆大喜びをしてくれました。娘婿は鉄道の保線技師だそうです。好感の持てる若者でした。早々に戻る彼らを見送りに外に出ると、車のチャイルドシートの中で男の子が寝息をたてながら眠っていました。見送るジェフの顔は本当に幸福そうでした。広場から戻ると、「今日は息子がディナーを用意してくれるんだが、仕事を終えて此処に来るまでにはまだ時間がある。パブへ行こう!」

6)パブ初体験
 “イギリスに行ったらパブに行かなきゃ”、訪英経験のある誰もが言うアドバイスです。ランカスターにも沢山パブがありますが、どうしても一人で行く気になれず、酒好きのMauriceも誘ってくれません。やっとその機会がきました。当然彼のパブ「White Lion」です。店は予想したより明るく、バーテンは皆黒い半そでシャツを着た若い女性、お客も結構女性がいます。「何にする?」「ビター(黒ビール)だな」「銘柄はなんだ?」「ウーン いつもはジョン・スミスだがジェフと同じにしてくれ」確かボンバルディアと言う銘柄のビターが1パイントグラスになみなみと満たされます。それをカウンターで受け取りテーブル席に移ります。アテは全くなし。これで何時間でも仲間同士語り合うのです。最近は大型のスクリーンなどを装備し、皆でフットボールやラグビーの試合に興ずる所も多いようです。
 いろいろな話題(特に、裁判員としての興味深い話が中心)を肴に飲んでいるうちに、酒の話になりました。「この間スーパーで買い物をしていたら“アイリッシュ・サイダー”と言うのを箱詰めで安売りしていた。アルコール類であることは分かるが一体どんな飲み物なんだ?やはりビターの類かい?一度味わってみたいが一缶売りがないので逡巡しているんだ」「あれはビターではない!ワインみたいな飲み物だ。飲む機会を作ってやるよ」
 翌日バース、ブリストル市内の観光を終わり、一旦ホテルで休んだ後レストランで食事をすることになっていました。彼が迎えに来てくれて、「ディナーまでには少し時間がある。パブで一杯やってから行こう」とホテルの裏手の方に歩き始めました。商店も無い通りの奥にポツンと一軒のパブがありました。「Coronation Tap」と言う店です。ドアーを開けて中に入ると薄暗く、カウンターもテーブルも黒光りしている荒削りな木製。“想像していたパブ”の雰囲気です。カウンターに行きジェフが「アイリッシュ・サイダーを飲んだことの無いやつを連れてきた」とカウンターの中のオヤジに私を紹介します。「Hiro 今いくつだ?」「68歳?!オイ68までアイリッシュ・サイダー飲んだことの無いやつに適当なのは何かな?」カウンターの後ろには蛇口のついた樽がいくつもあります。全部銘柄の違うアイリッシュ・サイダーなのです。ここはアイリッシュ・サイダーが売り物のパブです(無論他の酒も飲めますが)。「そうか!初めてか!じゃあ、“Exhibition”が良いだろう」私はExhibition、ジェフはビター、息子はラガーそれぞれ1パイントのグラスを持って、テーブル席へ。二人は私が飲むのを見つめています。一口飲むと、ジェフが「どうだ?」と、確かにワインのような味です。酸味と甘みが微妙にバランスし、シャンペンのように弾ける感覚がアルコールにそれほど強くない私の口にぴったり。「良い味で飲み易い!」すかさず息子が壁を指差しながら「気をつけてください!アルコール度はビールより高いですからね」壁に掛かった黒板に各銘柄のアルコール度が書いてあります。最高は7.4%もある!こちらへ来てから愛飲しているジョン・スミス・エキストラ・スムーズは4%。同じ1パイントだが店を出る時には確り違いを認識できる状態になっていました。
 アイリッシュ・サイダーはリンゴ酒で、食用とは別種の酸味の強いリンゴから作ります。発泡性のものとストレートの2種があり、私の飲んだものは発泡性の方です。アルコール度が高い割りには口当たりがいいのでつい飲みすぎてしまい、気がついたら足腰が定まらない状態になるのです。ワインと違い小さくてもハーフパイント(通常は1パイント)のグラスで飲むので飲み慣れない人はがぶ飲みしてしまうことも要注意だそうです。
7)英国家庭料理を味わう
 「White Lion」で飲んでいると携帯電話が鳴りました。「息子が帰ってきた。家へ戻ろう」 道路を渡り路地を通って小さな専用広場を横切るともうそこは“Vine Cottage”、飲み屋(ビター)から飲み屋(ワイン)への移動です。息子のGareth(ギャロ)は29歳、今年ブリストル大ビジネス専攻修士修了。これから本格的な職探し(英国の大卒者の就職状況についてはもう少し情報を集めてご報告したいと考えています。一言で言えば、大多数が学部卒業即失業者の状態です)に入ります。今まで親と離れアスレティッククラブで働きながら、大学院仲間とフラット暮らしをしていましたが、来週は自宅に帰ってきて、ジェフと暮らすことになっています。
 ジェフに訪問を問い合わせた時、二晩の夕食の希望を聞いてきました。「英国の伝統的な料理を食べたい」と返事をしました。その結果、今夜は自宅でギャロの手料理、明日は英国料理のレストランを準備してくれました。ギャロは学部卒後の半失業者時代、アルバイトをしながら世界各地を廻り、その間料理に関心を持ち、腕を磨いたとのことです。姉が二人、歳が離れて生まれた男の子、甘い感じを予測していましたが、確りした好男子です。挨拶を済ますと直ぐキッチンに戻り、私たちは広場側の居間で待ちます。暖炉にはチロチロとコークスが燃えています(イミテーションですが良く出来ています。実際はガスです。私のために7月だというのにデモをしてくれたのです)。煙突は機能しているそうです。用意ができたようなので、例の賓客用ダイニングルームに移ります。ここでも暖炉が燃えています。やがて運ばれてきた料理は“マッシュポテトの上にソーセージが乗り、独特の甘みをもったソースがかかったもの”です。ギャロの秘術はこのソースです。一口食べて“これはいける!”赤ワインと良く合います。
 訪英が決まった時、先にご紹介した東燃同期のF君が、デーリーテレグラフの東京駐在員が書いた、日英文化比較を草の根レベル行った本を贈ってくれました。その中に英国料理に触れた項があります。そこには、「英国料理は不味い不味いと言われるが、それはホテルや高級レストランで食べる料理に与えられる評価で、家庭料理は全く別物、美味しくないはずはない」と書いています。ギャロの料理を食べて、その記述に100%同意しました。
8)I’m from UK
 チョコレートケーキのデザートも終わり、ジェフも私もメートルが上がってきました。いよいよ今回訪問の主目的を質す時が来ました。「ギャロ、ジェフと僕が初めって会った時の話をしようか?」「是非!」「ジェフ!覚えているかい?僕が“You are from England, aren’t you?”と聞いた時、しばらく黙っていて“I’m from UK”と答えたのを」「ウーン?覚えていないな」「日本語では英国(BritainあるいUK)のことをIGIRISUと言うんだ。これはEnglishから来ている。そして多くの日本人は(24年前の僕も含め)Englandが英国と同義だと思っているんだ。君のあの一言で英国に対する認識を一新し、UKを構成する国々を、新たな視点から見るようになったんだ。あの時意識してUKと答えたとばかり思っていたんだが」「……」。酔った勢いもありここから一気に詰めに入りました。「ジェフ、君は何処で生まれ、何処で育ったんだ?」「ミッドランドだ。ブリストルのやや北東、バーミンガムやコベントリーの在る一帯をそう呼ぶ」「じゃあ典型的なイングランド人なんだね?」「いや!先祖はアイリッシュさ。そしてAvrilはウェリッシュ。玄関の入口に在った石の置物に赤い竜が描いてあったろう?あれはウェールズの紋章さ!」
私の不勉強から発した“from England?”に対して、あの時ジェフの心に去来したに違いない、怒りの根源を解明しました。この旅の目的が達せられた瞬間です。
 24年前のバークレー管理職向けMBAプログラムの副題は“アメリカ経済を如何に再生(Revitalize)するか?”でした。“Japan as No. 1”の時代で、授業には頻繁に日本がでて来ます。そして、論じられたのは“日本は特殊か否か?”でした。ジェフはこの時のことを良く覚えていて、今夜は“英国特殊論”を展開し始めました。「アメリカもドイツも日本も同じさ!Britishだけは違うんだ!」「どこが?」「アメリカは何かあれば国歌、国旗だ!一つに纏まろう、纏めようとする!ドイツはもっと国家意識が強い!日本はもともと単一だ!我われはそれぞれが独立し、一人で考え、独りで決める!これがBritishなんだ!軍関係以外、学校で国旗掲揚や国歌を歌ったりしないんだ!」酔いが廻ってきた彼の論理に疑問を感じながら、“UKと一まとめにされて堪るか!”と言う、複雑な歴史を背負うこの国唯一の友人の本音を見た思いがしました。訪ねて来て良かった。確実に、彼と英国理解に一歩踏み込めた。
9)ヴィクトリア朝タウンハウス
 翌日18日は朝から良い天気。9時半にジェフが迎えに来てくれました。今日は一日ブリストルとその近郊を案内してくれることになっています。しかし、観光はアペタイザーでした。
 ホテルの近くは英国では珍しく、gorgeと呼ばれる深い谷が切り込んでいます。その谷にはブルネルと言う技術者が200年前に建設した、見事なつり橋がエイボン川を跨いで架かっています。今でも十分実用に耐え車が往来しています。我われの車はその橋の遥か下方、エイボン川に沿った道路を南東に向け、Bathを目指します。Bathはバス(風呂)の語源となった土地で、温泉(Spa)があります。ローマがこの島に到来した時に建設した浴場があり、近年までこれも周辺を整備した上で実用に供されていました(現在は衛生上の問題で見学するだけです)。英国有数の観光地で、日本の英国観光案内書にも詳しく紹介されていますからここでは省略します。
 バース市内の名所を観て歩いた後、紅茶とスコーンで軽い昼食(?)を摂っているとき、「これからブリストル市内に戻り、車をホテルに置いて何ヶ所か観光スポット案内する。その後ジーニーの家を訪問する。ジーニーはAvrilの幼馴染なんだ。家族みたいな者だから遠慮はいらない」「…(何でそんな人を訪れるのだろう?)」
 市内では先ずエイボン川がブリストル港を成す場所に行き、1497年ここから出てカナダのニューファウンドランドを発見した帆船のレプリカなどを見学、そこからホテルに戻り、ここに車を置いて最初に向かったのが、gorgeを成す崖縁に建てられたホテルです。ここの広いテラスは市内とつり橋が見渡せる絶景の地です。晴天のテラスでビターを飲んでいると、「新年に送った手紙に添えた写真が有っただろう?昨秋のコンコルドのラストフライトとあのつり橋が写った」「あぁ あの写真、覚えているよ」、それはAvrilの死を伝える手紙に添えられたもので、生まれたばかりのAvril二世の写真と一緒に送られてきたものです。手紙には「コンコルドを見上げる群衆の中に、Avrilと自分も居るんだ」と記されていました。「われわれが居たのはこのテラスさ」季節こそ違え、陽光の中でワインを手にしたAvril(彼女はワイン派:だからVine Cottage)とビターを持ったジェフ、一瞬にして飛び去っていったコンコルドのラストフライトを興奮気味に語り合う仲の良い初老のカップルが目に浮かびます。自らの間近に迫ったラストフライトも知らぬ気に。
 次に向かったのはブリストルのランドマーク、カボット(John Cabot;ニューファンドランドの発見者)タワーです。高台のホテルから一気に行けると思ったらおお間違い!途中何度もアップダウンがあり、エイボン川に向けて市内が一望できる公園内に建つタワー下に着いたときは二人とも更に展望台に上がる元気はありませんでした。しかし、お陰でアルコール分を発散し、ジーニー宅訪問には好都合です。初対面で酒臭いのはまずいですからね。公園内の道をタワーから下りながら「ジーニーの家はこの道を下った所にあるんだが、最近来ていないから直ぐに探せるかな?」と頼りない。公園を出た一筋目の道でそれと思しき所で一軒一軒チェックを始める。間もなく「あっ!ここだ!どんぴしゃだ!」それは正面を公園の側に向けて建てられた品の良いヴィクトリア様式のタウンハウスです(ヴィクトリア様式とジョージア様式の違いは、後者は2階部分にテラスがありしばしばテラスハウスと呼ばれます。また、前者は出窓部分があるなど凸凹した構造に対して、後者は平べったい造りになっています)。ランカスターの街なかで目にするタウンハウスとは出来が違うこと一目です。周囲の環境も公園があるので緑が多く、区画全体が宮殿の一角のような雰囲気です。傾斜地に建てられた10戸ばかりが一棟を成すタウンハウスの一番高い側がジーニーの家です。
 前庭部分はかなりありますが、残念ながら“庭”の部分は僅かです。それは傾斜地に建てられていることや、この家独特の構造からきています。左部分は玄関に向けて門から階段を上がっていくためそのスペースが必要です。右側部分は半地下の部屋に向けて傾斜しそこは駐車スペースに使われています。
 階段を上がってジェフが呼び鈴を押すと間もなく、小柄で銀髪のいかにも上品な感じの女性が現れ、ジェフと頬を寄せ合い挨拶を交わしています。ジーニーです。
 「これがHiroだ。バークレーで一緒でね(全く関係は有りませんが、直ぐそばにバークレーと言う名の通りがあった)。英国人の家を見せてやろうと思って連れて来たんだ。いいね?」「ようこそ!もちろんよ」「突然お邪魔してすみません」「良いんですよ。さあ、中へどうぞ」、「主人を20年前に亡くし、色々あったんですよ。でも今は娘も独立、他の女性がパートナーとして一緒に住んでいるの」と言うような按配で第二の英国家庭訪問です。
 玄関を入るとホールのような、廊下のような部分が奥へ続いています。奥にはシッティングルームがあってその部屋はバックヤードへの通路を兼ねています。この奥のシッティングルームは同居している女性が主に使うようです。玄関を入って右側にダイニングキッチンがあります。薄茶色の木目調の家具・調理システムで纏められた部屋は明るく丁度公園が借景となって緑が窓いっぱいに広がっています。「普通ここはシッティングルームとして使う人が多いんだけど我が家はダイニングにしたの。シッティングルームは上の階。どうぞ自由にご覧になって」玄関ホールの中央部に入口と直角の位置で階段があります。階段を途中のステージまで行くと玄関と反対側(バックヤード側)に部屋がありそこにはデスクの上にPCなどがありどうやらジーニーの仕事室と言う感じです(彼女の仕事はマーケティング関係)。そのステージで折れて更に上がると公園側に玄関ホールとダイニングキッチンを合わせた広さのシッティングルームがあります。ソファーは白、家具は薄茶色、大きな暖炉があります。窓一面に公園の緑。エレベーションが高くなった分道路と絶縁され、眺望が開けます。シッティイングルームの裏庭側は扉が閉じられています。多分ジーニーの寝室でしょう。次いで裏庭に廻ります。玄関から裏のシッティングルームを通ると裏庭に向けてドアーがあります。ここから裏庭には玄関同様階段で下りていきます。裏庭に出てわかったことは、この家には半地下式の部屋が更に二つあり、一部屋はどうやら同居の女性の寝室、もう一つはユーティリティのようです。
 庭は芝生ではなく、中央部に正方形の石を配し、周辺に草花や小振りの樹木が植えられています。三方は石壁で囲われ、プライバシーが適度に保たれています。鳥が来て餌を啄ばむ台なども有り、都会の中とは思えない空間が出来ています。石を敷き詰めた部分には木製の丸テーブルと同じ材料で出来た椅子が四脚置いてあります。日はまだ高く、庭の三分の一位はまぶしい陽光が、家に近い残りの部分は日陰になり光のコントラストが強烈です。こんな光の具合は英国に来て初めてと言って良いでしょう。落ち着きと華やかさの中で美味しいレモンケーキと紅茶をいただきました。
 去る時聞いてみました。「このお宅は何時ごろ出来たものですか?」すかさず「1880年よ。そんなに古くないの」 恐れ入りました!
 最後に駐車場を眺めると、黒いソフトトップと車体は銀色の小型車が置いてありました。ジーニーの車です。サングラスを掛けた彼女が幌をオープンにし、銀髪をなびかせながら田園を走る姿が頭の中を過ぎりました。

 この日はこの後ホテルで休養し、先にご紹介したアイリッシュ・サイダーを飲みにパブへ。そうして最後は繁華街からは離れた場所にある、こじんまりした英国料理のレストラン(「チョッとフォーマルだからな」「タイは要るのかい?」「タイは要らないが、シャツとジャケットは着用してくれ」と言う程度の)でフルコース(と言っても、前菜・メイン・デザート)ディナーをご馳走になりました。私が選んだメインは“ロースト・ラム”。「誰だ!英国料理は不味くて食えないなんて言ってる奴は!」


 良き友、良き人、良き家、良き酒、良き料理で過ごしたブリストルでした。

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