Letter from Lancaster-15
2007年9月2日
ついにレポートの発行月も9月になりました。結局短い夏も来ず晩春から、秋に入ってしまった感じです。異常な経験です。異常と言えば、今週一番の異常な出来ことは、29日(水)にイングランド・ウェールズの刑務官(Prisoner Officers Association;POA)が一日ストライキを打ったことです。全国ニュースばかりでなく、Northwest版には何と直ぐ近くにあるLancaster Farm(少年刑務所)までTVに登場です。争点は賃上げです。一番困ったのは中にいる囚人達だったようです。過去の労働党政権時代は労組に依存する傾向が強く、それによって経済ががたついてきた歴史もあるので、ブレアは支持基盤を組合依存から一般中産階級向けに切り替える戦略をとり、まずまずやってきましたが、好調な経済はインフレも伴い、現業公務員は厳しい生活環境にあるというのが、彼らの主張のようです。ブラウン首相も厳しい姿勢を示しています。それにしても刑務官が!と驚きました。
今回はこの最新ニュースはひとまず置き、最近の世相について、あまり日本には伝わっていないと思われる幾つかの話題を集め、<世相点描>としてお送りします。
研究の方は;
Waddington「O.R. in World War 2 -Operational Research against the U-boat-」を調べ終わりました。
この著書から得たものは;
1)OR活動の具体的な内容で、単に手法ばかりでなく適用推進の諸活動が、如何に科学者の評価を高め、次の展開に繋がるか。
2)組織の中で、専門家に如何に持てる力を存分に発揮させるか。と言うことを具体的に知ることが出来た点です。
英軍においても、科学者と接触の少なかった軍人は、おおむね“be on Tap, but not be on Top(必要なところだけ上手く使い、決してとトップになどに登用してはいけない)”という姿勢が強かったようです。対Uボート作戦中核だった沿岸防衛軍団でも、軍団長・参謀長とその科学顧問の関係は、人によって微妙に違いっています。軍団が抱える個々の問題ばかりでなく、その背景や問題の深刻さを、率直に専門家に理解させたトップの場合の方が、いい結果が出ています。“専門家は必要な時だけ呼べ”では士気があがりません。供に考える場を与えることが大事です。ただ、専門家の方もそれなりの広い見識を持つことが参画の必要条件であることは言うまでもありません。職人、専門馬鹿ではその資格はありません。
次のテーマに着手しました。カナダの歴史学者が著した「Britain’s SHIELD(英国の盾)」です。これはOR適用の嚆矢となった、“Battle of Britain(英国の戦い;英独航空戦)”における科学者の活動、特にレーダー開発、その防空システムとしての実現、そこでのORの役割、を技術的な見地ではなく、歴史、政治、国防政策、組織管理、人間関係などの面から論じたユニークな本です。まだ三分の一くらいしか読んでいませんが、いままで調べてきたものとは違う、新たな情報が多々得られています。例えば、“ORの父”と言われるブラケットが属していた、通称“ティザード委員会”を主宰していたティザード博士の姿が見えてきたことです。著者はこの人物を“二流の実験物理学者”と決め付ける一方で、「複雑化・細分化してきた科学を、上手く管理出来た、第二次世界大戦時最高の科学マネージャー、アドミニストレータ」と評価しています。OR普及の鍵はどうやらこの男にありそうです。
さらに、新たな資料が提供されました。これはMauriceに対する私の質問に発するもので、今まで目を通してきた、著書・文献が主として科学者や政治家等に拠っているので、「軍人が書いたものが無いか?」と問うたことに対する回答です。英空軍の公刊史「The Origins and Development of Operational Research in Royal Air Force」で、彼が国防省でフォト・コピーしてきた貴重なものです。遥々出かけて来た甲斐がありました。残る最大の課題“英爆撃機軍団は、何故OR適用に消極的だったか?”もこれから探れそうです。これも楽しみです。
<世相点描>
1)少年犯罪 犯罪(特に殺人がらみ)は、どこの国でもニュースとして頻繁に取り上げられます。この国に来てTVニュースを観ていると、特に少年が関わる事件が極めて多いことに、気がつきました。英国得意の犯罪小説(本屋の“Crime(犯罪)”と言うコーナーのスペースは一番広く、次いで、歴史、伝記)の世界では大人が主役ですが、現状は少年なのです。これと関連して一月くらい前に、BBCが“少年の飲酒”問題を扱った番組を放映しました。それは日本でも観ることが出来たようで、これに関連したメールをいただきました。飲酒・ドラッグ・銃、少年が絡む犯罪の三大助演者です。ここでは最近起こった二つの事件(いずれもランカスターを含むNorth West地区)を、社会の反応を含めてご紹介し、私なりのコメントを加えてみます。
①11歳のフットボール少年射殺
先週22日(水)夕方、リバプール郊外に住む11歳の少年が友達とフットボールの練習中何者かに射殺されました。目撃者情報では、犯人は13~15歳の少年と言われ、数日後15歳の被疑者が警察に拘束されましたが(2日現在では、他に4人が取調べをうけているようです)、詳しい情報が全く出てこないので、果たしてこれらの中に犯人がいるのかどうか分かりません。
これに対する社会や警察の反応は、明らかに大人の殺人事件とは異なります。一週間は完全に全国ニュースのトップでしたし(North Westのローカールニュースでは、今でもトップ)、警察のトップがしばしば登場し、全力を尽くして犯人発見・逮捕に努力しているかを縷々説明すると伴に、情報提供を訴えています。一般市民は被害者宅に、お悔やみの言葉を書いたカード添えた花束を捧げに続々と訪れ、警官が整理に当るほどです。また、少年はプロフットボールチームの下部組織のメンバーだったこともあり、キャプテンがTVに出演し情報提供への協力を訴えました。さらに、週末のゲームには両親が招待されグランドに選手と伴に並び、オナーがこの試合を彼への追悼試合にすることを宣言するとともに、さらなる情報提供を呼びかけました。
警察の捜査も細微を極め、練習していたフットボール場に、横一列に膝間づいて並んだ、作業服姿の警察官が、当に“芝の目を分けても”の姿勢で匍匐前進しています。近くの草むらでも別のグループが、池にはアクアラングを付けたフログマンが、物的証拠を発見すべくそれぞれの持ち場で頑張っています。これによって、直接犯罪とは関係なかったようですが、2丁の拳銃が発見されています。
動機不明の、少年による銃器を使った年少者殺人。其処此処で起こる類似の事件の中でも、被害者の年齢、場所(他は、繁華街、逆に人通りの少ない場所、車中など)などからこの種の事件の中でも、何故彼が?健全なスポーツのグランドで?と、格別の社会問題として注目されています。
②中年パパの死
これよりさらに一週間前になりますが、マンチェスター郊外住宅地で、中年の父親が、深夜自宅付近で騒いでいた少年たちを諌めたことから、事件が起こっています。やはり銃器による射殺です。優しそうなお父さんの写真が、毎日映し出され、犯行情報の提供を呼びかけています。監視カメラ社会の英国ですから、この種の行動は一部映像として捉えられているのですが、犯人特定に結びつくところまでは行っていません。少年たちが住宅に向かって物を投げつけ、窓などに当るシーンが映し出されています。自転車でやってきたり、車を近くに置いてこのような騒ぎを起すので、警察がやってきた時には既に何処かへ消えてしまっている。こんなことが全国で、頻々と起こっているのです。そしてこれには飲酒が深く関わっているのです。
さて、以上はTVで報じられている事件の概要です。少年、飲酒、銃器、殺人。これらを結びつけて、飲酒が問題、銃器が問題と論じていますが、英国人もこれは表面に表れた結果であり、問題の本質はもっと深い所にあると思っているでしょう。統計によれば、11~15歳の飲酒癖は27%を超えています(別のデータで、Children;年齢帯不明の、一週間の飲酒量5パイント;大体大ジョッキで5杯と言うのもあります)。ドラッグも17%を超えています。何故こんなに荒んだ生活を少年達が送るようになったのでしょう?
(Maurice)Kirby教授夫人、Barbaraは保護司をしています。最近は頻繁に警察からお呼びがかかるそうです。罪を犯した少年(少女)の親代わりをさせられることが多いそうです。「親はどうしているんだい?」「そこが問題なんだ!片親しかいない子が多くなってきているんだ。特に、シングル・マザーの子がね」「母親は働きに出ているため、警察に来られないんだ。それでBarbaraが代理をするんだよ」 英国経済史が専門のMauriceは、正確な年代を刻みながら、結婚年齢の変化(晩婚化)、正式婚姻関係でないカップルの割合(パートナーと称する)の増加、大学進学率の増加(彼の時代は同年齢層の6%、現在は40数%)、女性の自活割合、離婚率の飛びぬけた高さなど、これらと深く関係する家庭崩壊の歴史を語ってくれます。さらに、この背後にある、各政権の労働政策、教育政策、産業構造の変化に及んでいきます。「製造業の衰退は80年代に始まったというのが通説なんだが、実際は60年代から始まっていたんだ」「英国病イコール製造業の衰退なんだ」 彼の言わんとするところは、労働党と保守党のあまりにもかけ離れた産業政策に翻弄され、長期的視点を欠く企業経営・組合運営が個人の経済基盤を不安定なものにし、供稼ぎ・パートをせざるを得なくなり、家庭を確り維持できなくなって、子供たちが荒れてくる、と言う論理なのです。
今度の刑務官ストについても、「現業公務員の生活は確実に厳しくなって来ている」「刑務官や警察官にはストは認められない代わり、経済情勢を勘案した一定の賃上げが約束されている。刑務官の場合、今年は2.5%なんだ。既に1.5%は引き上げられており、残り1%は10月に行われる」「しかし、最近の政府発表インフレ率は3.5%で、2.5%では実質賃下げなんだ。彼らはこれに抗議しているんだよ」「保守党時代を含めて、15年続く好況などといわれているが、実態は下にしわ寄せがきているんだ」「これに金利引き上げが加わり、彼らは家も持てなくなってきているんだ」(こんな親を見て育つ子供たち、特に片親の、がまともに育つには難しい時代なんだ!)彼に妙案があるわけではありませんが、ここまで掘り下げれば、飲酒や銃器取締りで事態が改善されるわけではないことが、少し具体的に分かってきました。
2)誤爆戦死者
ブレアの引退、ブラウンの登場の背景には、イラク戦争およびアフガン紛争があります。経済政策は先ず先ずだし、社会改革(教育、医療など)もまだまだ途上です。しかし、確実に二つの戦争に対する厭戦気分が高まっています。特に、イラク戦争への参戦はブッシュ同様核兵器開発に関する誤情報を基にしており、訪英前から問題になっていました。その意味では、既に退陣のシナリオは出来上がっていたのです。
イラク戦争について、アメリカは、英国の戦略が専ら守勢にあることに不満を表明していますし、英国は、アメリカの政策は破綻したとまで現役の司令官が英マスメディアに語るところまできています。しかし、日常の報道は、このような国家化戦略に絡むものより、派兵されている個々の兵士の動向、特に戦死者に焦点が当てられたものが圧倒的に多く、同情をもって丁寧に紹介されます。相手がゲリラでは、勇ましい決戦の勝利など全く無いわけですから、長く続けば“何のための戦争か?”と言うことになります。
そんな中で、3週間前アフガニスタンで、アメリカ軍の攻撃ヘリコプターが英陣地をタリバンと間違え誤爆し、3人の若い英軍兵士が戦死しました。国防当局や軍事専門家は、アフガン戦場の難しさ(敵味方支配域のいりくみ、敵味方識別の難しさ)や攻撃ヘリの運用などの面から解説を試み、暗に“不可抗力”に近い状況であるかのような言い方をしていました。しかし、メディアや一般市民は当然それでは納得しません。連日戦場管理のトップの問題、アメリカとの共同作戦の是非、さらにはアフガン参戦への意義を問う方向に報道がエスカレートしていきました。そしてその先には、イラク戦争も含めた国際紛争に関する国策の見直しまで見えてきたのです。
問題の重要性(深刻さ)を素早く察知したブラウンは、直ぐアフガニスタンに飛び、現地政府や派遣軍に、アフガン紛争解決の重要性とそれへの英軍の協力を表明、その行動が国内世論に微妙な変化を与え、感情論先行を抑える方向に向かってきています。
ブラウンは就任後間もないので、性急な評価はできませんが、危機管理能力に優れ、姿を見せるべき時と場所を心得、課題対策について“自分の言葉で語っている(党内の意見集約や官僚に頼らず)”との印象を強くしています。
参議院選挙での自民党敗北で、テロ対策特別法案の継続是非が大きな問題になっていることは、このレポートをお送りしている先輩から詳しく国内動向に関する情報をいただいています。ブレアからブラウンへの政権交代は、同じ労働党内の出来事ですから、政策は基本的に継続されることで、日本とは事情が異なることは承知しています。しかし、去っていったブレアに責任を全て負わせ、国内世論に迎合し、保守党の攻撃をかわすため別の選択肢を選ぶことも可能だったはずです。総選挙の洗礼を受けていない首相だけに、票を睨んだ言動があってもおかしくない状況下でのアフガン行きは、ブラウンが国際問題にきちんとした見識を持つ指導者と評価できる行動だったと思っています。
テロ対策特別法案は、アフガン紛争対応で出来上がったものです。イラク戦争とは違い、ここではドイツ・フランスも共同戦線を張っています。“国連のお墨付き”だけを意思決定の判断基準にするような他力本願では、世界をリードする役割を担える国家として認めてもらえません。熾烈なグローバル・パワーゲームを、如何に勝ち抜くか?したたかな発想・行動が鍵です。国際問題を、国内の政争の具にするようなことのないよう願っています。
3)ダイアナ妃10周忌
今年はダイアナ妃が亡くなって10年目になります。7月には彼女が支援していた、小児病に関する活動を記念するチャリティーショウが開かれ、大勢のエンターテイナーが参加していました。ダイアナ人気は今も衰えず、パリでの事故の日が近づいた昨今TVでも盛んに回顧場面が放映されています。住いの在ったケンジントンパレスや墓地は献花や写真などが溢れるほどです。そんな中で、公式の追悼式が8月31日(金)ロンドンのチャペルで、執り行われました。BBCはこれを11時から1時の2時間にわたって実況中継を行いました。そのあらまし、トピックスをお伝えしましょう。
場所はロンドン市内の近代的なチャペル(小教会;名前は失念しました。後でわかったことですがこの教会は英陸軍のものだと言うことです)です。元々は歴史のあるもののようですが、第二次世界大戦時のロンドン空襲で爆撃に会い焼け落ち、戦後再興されましたが、昔の姿を留めるのは、正面奥祭壇・説教壇後部にある壁に削り込まれるように彫られた半円柱とドームの部分だけだそうです。全体に白の基調で、清楚で明るい感じが彼女を偲ぶ場所としてピッタリでした。チャペルですから収容人員も小規模で、200人程度が座れる大きさです。祭壇(と言っても別に写真などがあるわけではありません。通常の教会の祭壇です。周りには淡い色のばらが沢山飾られていました)の背後は前出の半円柱とそれに繋がる半球ドームで、その部分だけ金色の彩色が施されています。祭壇から出入り口に向かい、左右にベンチ上の椅子が2列に並んでいます。
11時から始まった中継は45分頃まではチャペルの内部の紹介、付近の情景や、関係者の思い出話、室内楽団の演奏などに費やされましたが、45分頃にウィリアムズ王子、ヘンリー王子(通称;ハリー)が到着すると彼ら二人は入り口に立ち、到着する人々と挨拶をしたり、頬を寄せ合ったりしています。既にブラウン首相は先に到着しているところを見ると、二人より後から来る人達は、王室関係者、特に近親の人達でしょう。
やがてチャールス皇太子(プリンスオブウェールズ)の到着です。彼は一人でやってきました。カミラ夫人は同行していません。BBCが行ったアンケート調査によれば、参加すべきでないが50%台、参加すべきは30%台でした(こんなに多いのに驚きましたが)。父子は入口で和やかに話し合っています。皇太子が、今日追悼のスピーチを行うハリーに何か言うと、ハリーはポケットのあちこちを探り、やがて何やら原稿らしきものを取り出し、三人で笑っています。
55分頃いよいよ女王陛下のご到着です。沿道から拍手が沸きあがります。先ず、女官、ついでフィリップ殿下、最後に降り立ったエリザベス女王は明るい紫尽くめのいでたちです。何故かこの時“ロンドンデリー”の演奏が始まります。皇太子、二人の王子に迎えられ、やがて皇太子を真ん中に左右に二人の王子が先頭、二列目が女王陛下とフィリップ殿下、起立してお迎えする参加者の間を最前列まで進みます。席次は、祭壇から見て右側が女王家、左側はダイアナ妃の出身家、スペンサー伯爵一族です。二人の王子がそれぞれの通路側に着きます。ウィリアムが女王側、ハリーはスペンサー側です。ウィリアムズの隣は女王陛下、ついでフィリップ殿下、最後が皇太子です。
左側は、ハリーの隣にダイアナ妃の姉、次いで兄が着きます。ブラウン首相は右側の3列目か4列目でした。
参加者の服装はまちまちで、男性はほとんど背広、必ずしも黒一色ではありません。ネクタイも黒タイは皆無です。シャツがカラーのひともいます。二人の王子も濃紺のダブル、ネクタイはエンジと黒のストライプのお揃いです。
女性は帽子が目立ちます。女王は服と同色のつばつき帽子です。若い女性の中にはベレーもいます。彩りは男性に比べはるかに華やかです。これが普通なのかどうかは分かりませんが、上品で華やかだったダイアナ妃に相応しい雰囲気が醸し出されています。
牧師の開会宣言、合唱隊による賛美歌。声変わりする前の少年合唱隊の美しいボーイソプラノが際立ちます。
ウィリアム王子が演壇に立ち、一礼して聖書の一節を朗読します。再び賛美歌です。次に演壇に立ったのはダイアナ妃の姉です。やはり聖書の一節の朗読です(大変険しい表情でした)。終わると、また賛美歌です。
ここで真打登場です。ハリーが演台に上がります。女王の方に一礼して、語り出します。母が如何に自分たち家族を愛していたか、人々から愛されたかを簡潔に、しかし心をこめて話していきます。ここで少し気になったのは、“父を愛し・・・”の表現に“Love”ではなく“Like”を使ったことです。離婚の原因が皇太子側にあることは衆知のことであるが故の言葉の選択かどうだったのか?特別な意味など無いことなのか?英語に堪能でもなく、この国の仕来たりも知らない私に真相は不明です。
この後の僧正(ビショップ)の説教も彼女の徳を称えるものでしたが、極めて分かり易く、アメリカでの彼女の人気などを援用して、坊主の説教らしく無いのが印象的でした。
皆で賛美歌を歌った後(沿道・公園に集まった人達も唱和)、彼女の好きだった歌(メロディーはよく知っているのですが、題目を知りません。SailingとCountryが入っているのですが)が演奏され、皆で唱和します。最後は国歌で終わりました。女王陛下のご退場です。丁度1時でした。
ダイアナ妃の人気は、王室(除く女王陛下)の不人気と取れないこともありません。お歴々が到着する際の、群集の拍手がそれを確実に表しています。拍手があったのは、二人の王子と女王の到着時しか聞こえませんでした。愛されてはいるが尊敬はされていないのではないか?そんな疑問も浮かぶほどです。
この国の王たちの歴史を辿ってみれば、女性関係のトラブルだらけです。英国国教会からして、カソリックの法王から再婚を認めらなかった(破門)ヘンリー8世が作り出したものなのです。近いところでは、離婚経験のあるアメリカ女性を妻にし、王位を放棄したウィンザー公の例もあります。人間的には正直な行動ですが、尊敬は無理ですね。
もう一つ“王室の尊敬”に関わることで気になるのは、“今の王室はドイツ人だ”と言う見方があることです。ヴィクトリア女王の夫君、アルバート公はドイツ人でしたし、フリップ殿下はクーデターで倒れたギリシャ王室の出身ですが、ギリシャ王室そのものがギリシャ人ではなくドイツ系で出来ていたことです。この考え方は当地に来てから知ったことで(アルバート公がドイツ人であることは知っていいましたが)、充分消化できていないのですが、興味深い見方です。
最後に、もともとこの国は4カ国なら成る連合王国です。本来別々の王家があったものを、現在の王家が代表することになったわけですから、気配りも4倍必要なわけです。自分の感情の趣くままに生きることが、許される環境ではないのです。
以上
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