2009年3月8日日曜日

今月の本棚-2月

On my bookshelf-7

<今月読んだ本(2月)>
1)すばらしい数学者たち(矢野健太郎):新潮社(文庫)
2)知って驚く飛行機の話(飯山幸伸):光人社(文庫)
3)鉄の棺(齋藤寛):光人社(文庫)
4)ワイマル共和国(林健太郎):中央公論新社(新書)
5)Uボート決死の航海(P・ブレント):扶桑社(文庫)
6)島秀雄の世界旅行-1936~1937-:(島隆監修):技術評論社

<愚評昧説>
1)すばらしい数学者たち

 筆者はわれわれの高校生の時代ちょっと知られた数学者で、相対性原理の数学的基礎付けに重要な役割を果たした、微分幾何学の世界的な研究者である。実はこの人は高校の先輩で、一度母校で講演をしたとき話を聞いたことがある。話の内容はまったく記憶していないが、楽しい語り口が印象に残っている。
 数学あるいは算数と聞いただけで、「何であんなものがすきなんだ!?」と嫌悪感を露にする人、「結構なご趣味ですね」と言いながら皮肉っぽい表情を示す人。ほかの教科と違い数学には、何か特殊な学問のような見方がついて回る。経験的に、これは日本人だけでなく欧米人にも見られる。
 断っておくが、私は数学が得意ではなかった。成績に一番むらがあった教科である。ただ解けたときの(あるいは“理解出来た”と確信したときの)気分はほかの学問にはない爽快感が在ったのは確かである。またここで好き嫌いを論ずる数学は決して最先端や歴史的に難解な数学ではなく精々、大学受験程度のものである。
 筆者もしばしばこういう局面に会ったのであろう。この本はそのような人たちにも何とか数学に関心を持ってもらおうとの意図で書かれたものである。その手法は、数学の解法や定理そのものを解説するのではなく、それらを作り上げていった数学者の生涯や逸話を語ることによって、興味を持たせようという試みである。
 高度の専門領域をこのようなアプローチで理解させようとして書かれた書物は、それほどユニークなものではない。例えば、数学の分野では、1930年代に発刊され、いまだに世界的なロングセラーを続けるアメリカの数学者E・T・ベルの「数学をつくった人びと」がある(ハヤカワ文庫全3冊)がある。この本は、当時の現代数学へのつながりを考え、デカルト(17世紀前半)からスタートし、30数名の数学者を一人ひとりかなりの紙数を割いて紹介していく、いわば近代数学者史とも言えるものである。
 これに対して書評に取り上げた本は、アルキメデスやピタゴラスに始まり、中世、近代にわたる著名な数学者の業績と私生活やそれにまつわる小話を交えながら平易に紹介してゆく。無論数式や図形も出てくるが、記述方法や紙面の割付が要領よく行われているので取っ付きやすい。例の、ピタゴラスの直角三角形の各辺を一辺とする正方形の面積の証明など、「こんな方法もあったんだ!」この歳になって教えられることもあった。
 ただ、ベルの本もこの本にしても、紹介される数学者の多くが奇人・変人なのは変わらない。やはり天才的な数学者とは常人とかなりかけ離れた存在との印象はぬぐえない。筆者の講演が人当たりのいい洒脱な感じだっただけに妙な読後感を味わうことになった(筆者ははたしてどの程度の大数学者だったのだろうか?)。

2))知って驚く飛行機の話
 中学生・高校生のときは航空エンジニアを目指していた。夢破れてそれは実現しなかったが、飛行機ファンであることはその後も続いる。大学生のときは1/50木製ソリッドモデル、家庭を持ってからは1/72プラモデル。書斎のガラス棚の中には30機を越すわが空軍が納められている。そのほとんどは第二次世界大戦機である。“航空ファン”、“航空情報”、“航空ジャーナル”などの月刊誌も一時期定期購読していた。
 フィクション・ノンフィクション、戦記・技術開発・航空事故(整備・管制を含む)・冒険飛行・航空会社経営・伝記・年鑑、和・洋、おそらく200冊は超えるであろう飛行機ものの本が書棚に積まれている。古い時代(黎明期、第一次、第二次世界大戦)のものは書き尽くされ感があるし、新機種は技術進歩の反作用で価格が高騰して稀にしか誕生しない。そんな訳で、最近は面白いものがほとんど出てこない(特にノンフィクション)。それでも“飛行機”とタイトルがあるとつい手にとってしまう。この本もこの“つい”手にして暇つぶしに(ほとんど暇なので暇の間の気分転換というところか?)と購入したものである。
 この本は雑誌か何かに連載した記事をひとつにまとめたものであろうか?あれこれのテーマが一貫性なく並べられている(だからこんな妙なタイトルになったのだろう)。また話の内容も大体どこかに書いてあるもので、一心不乱に読む本ではないし、そんな気分になることもない。そのため“気分転換にちょっと”には向いている。
 少し面白かったのは第二次世界大戦時の、ジェットエンジンとジェット機に関するところで、英・独・米にイタリア、それにわずかだが日本におけるこれらの開発と実用化(これは独・英のみ)の経緯が二章にまとめられている。これも個別にはほとんど既知のことだが、並べて比較するとその国のお国柄が出て「なるほどそうだったのか!」とささやかな好奇心が満たされた。

3))鉄の棺 オリジナルは、巻頭に“印象”と言う紹介文が幸田文によって与えられ、昭和28年(1953年)に出版されて、3度も映画化されている(日活、新東宝;まったく知らなかった)。筆者は慶大医学部を卒業後若い軍医として潜水艦に乗り組み、レイテ沖海戦、アドミラルティ泊地への人間魚雷「回天」急襲作戦に参加している。これはそのときの体験を綴ったものである。乗り組んだ伊56潜水艦は、筆者が退艦したのち、沖縄特攻で撃沈されている。
 潜水艦に関する本は飛行機に次いで多い。ドイツ潜水艦隊を戦略軍に仕上げ、ヒトラー亡き後その後継者になるカール・デーニッツの回顧録(英語版)を始め、独・英・米・日のフィクション・ノンフィクション、和・洋50冊は超えている。ハンター・キラー(陸上基地や護衛空母から発した航空機で潜水艦を狩り出し沈める)ものも含めれば100冊くらいになるのではなかろうか。
 兵器と人間を扱う書き物でこれほど息詰まる感じを体験できるものはない。それは映画も同じである。クラーク・ゲーブルとバート・ランカスターが艦長と副長を演じた豊後水道を舞台にする「深く静かに潜航せよ」、ロバート・ミッチャムの駆逐艦長・クルト・ユールゲンスの潜水艦長が虚々実々の戦いを演じた「眼下の敵」、新しいところではショーン・コネリーがソ連原潜の艦長を演じる「レッド・オクトーバーを追え」などがある。“コーン”と響く音響探知機の発信音、近づく護衛艦のスクリュー音、爆雷攻撃の凄まじい爆発音と船殻の軋み音、暗い密室空間で耐える無言の乗組員、常人には全くうかがい知れない世界がそこにある。
 さて本書である。作戦に従事する潜水艦に軍医が乗り組むのは欧米では例がない。これは日本と基本的に用兵思想が違い、日本の潜水艦が大型で乗組員が多いことから来ているのであろう。ほかのノンフィクションはいずれも指揮官や乗組み戦闘員が書いたものである。その点で、本書は非戦闘員で極限状態の人間を冷静に観察できる医師によって書かれたところに最大の特色があるし、貴重なものである。特に初陣のレイテ沖海戦では敵駆逐艦に追い詰められ、爆雷をかわしながら深度100メートルで50時間を超える潜航を余儀なくされ、艦内温度が上昇する中(最高50度)炭酸ガスの増加で動けなくなる乗組員が続出する。汗腺が疲れ切って発汗さえできなくなる。通常の当直交代は3時間間隔だが30分にまで縮めるが交代でベッドまで戻る体力もなくなり、その場で倒れ込む。ここまでくると体内に寄生していた回虫まで口から嘔吐とともに逃げ出してくる。
 危機を脱して浮上した艦内に流れ込む新鮮な空気は、読むものにも、今までの苦悩を洗い流すように心地よく感じられる。
 本書の構成は前編・後編の二部構成になっており、レイテが第一部、第二部はアドミラルティ諸島のアメリカ海軍泊地への回天特攻の話だが、ここでも駆潜艇や駆逐艦に追い詰められ同様の苦悩を味わうが、前回との大きな違いは特攻隊員4名の搭乗で回天出撃直前に青酸カリを手渡す命を受けていることである。発射すれば生きて帰れぬ者に何故こんなことまでするのだ?!帰投後の潜水艦乗組軍医科士官研究会の席で、やり切れぬ思いを「用兵者においては潜水艦の使用方法を根本から考え直すこと」を訴える。その直後残留が決まっていた艦からの転属命令が出る。筆者は生き残り、仲間の多くは深海の“鉄の棺”に今も眠る。
 この本を今日まで知らなかったのは大いなる不覚である。
 同名のタイトルを持つUボート艦長の本があり、こちらのほうが有名であるが、訳本が出たのが1974年だから本書のほうがはるかに古いことを付記しておく。

4)ワイマル共和国
 初版は1963年、古い本である。しかし2008月に41刷が出ているほどのロングセラーである。筆者は西洋史特にドイツ史に詳しい歴史学者、後の東大総長である。副題は“ヒトラーを出現させたもの”となっている。この副題こそ評者がこの本を必要とした理由である。ライフワークの“OR歴史研究”のカギは英国のナチス空軍に対する恐怖にある。ナチス台頭の背景を理解しておくことが欠かせない。
 第一次世界大戦というのは開戦も終戦も何かすっきりしない。確かに開戦はセルビア人によるオーストリア皇太子射殺に端を発したことは間違いないのだが、同盟の連鎖と最後通牒・宣戦の布告などの流れと、休戦後のドイツ一国に対する“戦争責任”追及は「何故ドイツだけにこんな過酷な?」の疑念を残したまま、その後のワイマール(評書のタイトルは“ワイマル”だが、ワイマールの方が一般的なので以下これを使う)共和国誕生で高校の世界史は終わる。次に現れるのは“ナチスの台頭”である。
 ナチスの台頭については多くの書物があるのだが、評者が今まで目にしたものは“ナチス”あるいは“ヒトラー”に重点が置かれ過ぎ、当時のドイツ社会(あのハイパーインフレだけは印象に残るが)や政治情勢がいまひとつはっきりしない。民主的な新憲法、ワイマール憲法が何故機能しなかったのか?何故頻々と総選挙が行われたのか?帝政廃止からヒトラーが全権を握るまでドイツ政界はどう動いていったのか?この間国防軍はどうなっていったのか?
 これらの疑念にわかり易く答えてくれたのが本書である。ロシア革命の影響と左翼政党・労兵協議会、これに対する保守派・(防共)義勇軍、中間勢力たる社会民主主義標榜の政党、の主導権争い・多数派工作。これにプロシャ中心と反プロシャ(特にバイエルン)勢力の地域間闘争、ウィルソン講和条件と連合国間の利害衝突(ウィルソンの“公平な講和”構想・理念の崩壊→過酷な賠償)、ワイマール憲法における大統領権限(皇帝に近い権限の付与→ヒトラーの権力へ)、賠償不履行によるフランスのルール占領とそれに対するナショナリズムの高まり、国防軍長官となったゼークトの新生国防軍(政党との中立を名目に、政府の全く力が及ばない独立的な国防軍を作る)、そして最後のとどめは世界恐慌である。反共と強い国家の再生を願う大衆は、巧みなナチスの教宣活動に雷同してゆく。
 筆者は歴史を書くことの難しさを「史実の正否よりももっとむずかしいのはその解釈である」と言い、「現代に近く、身近な問題が提出されているところでは、どうしても叙述に史観が結びつきやすい」「私も自身の立場によってこの本を書いたので、事実を述べながらその間に私の意見を積極的に述べることを辞さなかった」としている。左翼史観の強かった時代に書かれた本にこれを批判する考えを随所に開陳し、自分の信念で書き上げたこの本を高く評価する。

5)Uボート決死の航海 またまた潜水艦ものである。今度は戦後の西ドイツ海軍の潜水艦乗りが書いたフィクションである。ノンフィクションではUボート乗りの戦記が多いが、この分野でドイツ語小説の日本語訳は珍しい。その点ではある程度価値があるものの、それだけが価値とも言える。
 原題はJagd vor Afrika(アフリカの戦い)。北大西洋が主戦場だった護送船団とUボートの戦いをアフリカ沖に持ってきたところにほかの護送船団ものとの違いがある。筆力・構想力の違いか訳の問題か、一流の英国海洋作家(ダグラス・リーマン、アリスティア・マクリーン、セシル・フォスターなど)と比べると臨場感、緊迫感を欠く三流作品といっていい。技術的な点で何か面白い発見でもあればと思ったがそれもなかった。帯には「Uボート冒険小説の決定版」とある。これを“羊頭狗肉”と言う。
 ドイツ人の戦記はノンフィクションに限る!戦士民族の息吹が伝わってくる。

6)島秀雄の世界旅行-1936~1937-
 島秀雄とは新幹線操業開始時の国鉄技師長である。1925年に東大機械工学科を出て鉄道省に入省したキャリア技官、技術系同期入省者には不可解で悲惨な死を遂げる、後の下山国鉄総裁がいる。
 小学生のときは鉄道技師が夢だった。 “国鉄技師長”という言葉を知ったのも小学校時代である(技術者の総帥らしい)。それは総理大臣や総裁よりももっと高みにある特別なポストのように思えた。もし島秀雄が国鉄技師長でなかったならば、この人の名前を覚えていたかどうか。新聞の書評欄でこのタイトルを見たとき「アッ!あの人だ」と直ぐに思いついた。書評の内容など関係なくアマゾンに直ちに発注した。
 当時のキャリア官僚が現在に比べはるかに社会のエリートであり、日本の近代化実現を担う人材として期待されていたか。この本は余すところなくそれを伝える。それはこの本が2年にわたる在外研究員として特別な教育・研究機関に派遣されるわけではなく、自分の興味のあるところを遊びも含めて、2年間にわたり十分な資金を与えられ視察する旅を基に生まれたからである。
 ナチスの絶頂期、日本が大陸の戦争を拡大していくこの時期、30台半ばのエリートたちが二陣に分かれてこの研修旅行に送り出される。技術者ばかりではない。下山の後を継ぐことになる加賀山のような事務系もである。ヨーロッパ航路の一等船客として諸所の観光めぐりをしながらマルセーユに上陸。当面の逗留根拠地、ベルリンに滞在して鉄道、自動車の調査をしつつ、オリンピックやパリ遊覧などもしている。北欧、英国、イタリアまで足を伸ばして鉄道・交通事情の調査に励む。その後、南アフリカ連邦(これは狭軌鉄道のライバル)、南米、北米を回り、現地で購入した(これは父親からの私金)フォードで北米大陸横断までやってのける。文字通り世界一周の旅である。
 この間愛用のライカで撮った2300枚のショットから選ばれた、セピア色に変じた写真がこの本の主役である。全体の構成と個々の章立ての解説は専門のジャーナリストに依るが、それに資料を提供し監修したのは子息の島隆氏でこの人も父の後を次いで国鉄技師として活躍した経歴を持つ(台湾新幹線プロジェクトの技術顧問)。
 また解説文にしばしば登場する秀雄の父、島安次郎も東大大学院出の鉄道技師で、短い期間だが満鉄総裁の地位に就いている。当に鉄道一家である。この安次郎は狭軌を標準軌に改める活動にまい進するが政争に破れ一敗地にまみえる。その父親の夢を新幹線で実現する過程がこの本のもうひとつのストーリーとなっている。
 ユニークで出色の技術読み物である。(戦前計画された標準軌の弾丸列車)

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