北朝鮮ミサイル騒動
何故あんなに大騒ぎになるんだろう!?北朝鮮のミサイル発射に関する私見である。特にメディアと政治家が酷かった。国際条約違反に対する警告声明で十分である。実害なんかあるはずないのだから。あれでは北朝鮮の思うツボ、もうひとつ彼らに切り札を与えてしまった。この中で“ミサイル航跡探知”誤報事件が起きた。犯人探しが今でも防衛省内で行われているのだろうか?
実は“ORの起源”はこれと同じような状況下で始まった。古代・中世はともかく、近世英国は島国ゆえ長いこと本格的な他国の侵略を受けてこなかった。ナポレオンもスペイン無敵艦隊も海が封じた。陸軍は植民地治安軍に過ぎない実力だが、大英帝国を維持する海軍は第一次大戦後も世界の海を制圧するほどの規模を誇った。しかし、この大戦に出現した航空兵力は当初は補助的なものであったが、着々と技術発展をとげ渡洋爆撃の可能性を示すことになる。制空権こそ戦争を制するものだとの考えが浸透し、大戦中のロンドン爆撃は僅かな被害しか無かったものの、その体験はトラウマと成り空襲の恐怖に国防政策は翻弄されていく。大戦後の英国は「このような大戦争は二度と起こらない(起こって欲しくない)」ことを前提に10年間の国防費縮小政策(1932年まで続く)を採る(第一次大戦は落ち目の大英帝国経済に致命傷を与えた)。この間英国空軍の創設者ともいえるトレンチャードは戦略爆撃論を展開し、その思想は各国の空軍独立論者の手本として崇められるほどであった。しかし、これはあくまでも考え方の段階で留まり、実際の空軍力整備が進められたわけでは無く、軍用機や防空システムの開発に見るべきものはない。一方で軍事用航空機全廃論なども現れる。
このような状況に抜本的な国防政策の見直しを迫ることになるのが1933年1月のナチスドイツの誕生とその後の復権・拡大政策である。あの酷いヴェルサイユ条約のくびきの中から国力を回復したナチスは、空襲恐怖につけ込むように、空軍力を実力以上に喧伝する。リンドバーグのような専門家さえもすっかり魅了してしまうほどナチスの宣伝は巧妙だった。
英国の防空政策を如何にすべきか?がこれ以降朝野で喧しく論じられることになる。その中で1938年設置されたのが空軍省防空科学研究委員会である。これこそOR発祥の組織である。委員長はインペリアルカレッジの物理学教授ヘンリー・ティザード、その下にはレーダーの発明者ワトソン・ワット、“ORの父”と称せられることになるケンブリッジ大学教授で物理学者、戦後ノーベル物理学賞をとるブラッケトなど錚々たるメンバーが名を連ねる。
まず敵機を如何に早期に発見するか?光、音、熱(赤外線)、電波の利用が検討される。ここから生み出されたのがレーダーである。こんな一流の科学者が揃っても初期の段階では殺人光線の可能性などを大真面目で研究したりしている。それくらい空からの恐怖が大きかったとも言える。
レーダーの原理は分かっても実用化への道のりは果てしない。雑音と正規の信号が識別できない。これは今回の航空自衛隊の高性能レーダーにおける“航跡探知”誤報も同じである。信号と分かっても敵か味方か分からない。大型機か小型機かが分からない。方角が分かっても高度が分からない。この識別精度を上げるためにOR手法が必要の中から生まれてくる。課題はレーダーの改善ばかりではない。敵は何処を攻撃する可能性が大か。どこの基地から何機の戦闘機を発進させるか。誘導経路をどうするか。情報ネットワークをどうするか。ソフト面でのORが活躍する。空軍ばかりではなく陸からの対空砲火の精度改善にも大きな貢献をする。
研究段階から実用段階まで予算を確保するには政治家の力が必要になるが、防諜のためにはあまり手の内を見せられない。味方をも欺く対策は不信を呼ぶ。空軍省内にはトレンチャードの薫陶を得た攻撃優先論者たちが防御システムへの予算増額を妨害する。こんな混沌を何とか切り抜けて作り上げた防空システムが、1940年初夏から始まったバトル・オブ・ブリテン(英独航空戦)に間に合い国運をかけた戦いに勝利することになる。
戦後首相を務めることになるハロルド・マクミランは往時を振り返り「1938年当時の空襲に対する恐怖は、現代における核への恐怖と同じものであった」と回顧している。その視点から見れば今回の北朝鮮ミサイル恐慌現象に頷けるところもある。それならば騒ぎ立てるばかりではなく、英国の為政者が科学技術の叡知を動員して見事な防空システムを築きあげた点をもっと学ぶべきであろう。
2009年4月12日日曜日
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