もう半世紀も前(1958年)の話になるが、当時航空自衛隊の次期戦闘機として、米海軍の艦上戦闘機グラマンF-11-F(タイガー)を陸上用に改造強化した、スーパータイガーが空自調査団によって内定した。これに国会で難がついた。建前は「米軍で制式採用になっていない」と言うことだが、直ぐに対抗機種として空軍のロッキードF-104Cが出てきたところをみると、本音はロッキード派の巻き返しであろう。翌年航空幕僚長になる源田実氏を団長に調査団が編成され、再度評価が行われ、ロッキードに逆転決定した。この機体は空自向けに改造を施したF-104Jで、米軍制式機ではないことに関してはグラマンと同じであった。この調査団の団員の一人は大学の親友、MTの父親(当時運輸省航空技術研究所長;元海軍技術中佐)であったことから身近な“技術と政治”の問題として、いまでもしばしば、類似問題があると思い出す。
このケースの場合、最初の調査団に日本用として提案された機体は、米海軍の制式戦闘機より強力なエンジンに換装し、その他の部分でも性能向上が図られていた。これから将来に向けて導入するのだから、制式現用機をそのまま導入したのでは部隊運用時点では旧式機になる恐れがあるわけで、確かに調査時点では完成していないが、個別の技術は実績があったので、専門家の技術評価としては正しかったと言える。これに対して素人の政治家が、他意(おそらくは金銭絡みであろう)をもって覆したわけである。
ただ中学時代から航空技術者を目指していた航空少年の私にも、最初の選択に引っかかることがあった。それはグラマンが戦前から続く、海軍機専業に近いメーカーであり、新生米空軍ではほとんど実績の無いことであった。
金銭はともかく、民間企業においてもこれに類似する決定が、納入者選定、機種決定、一括請負業者決定などの際しばしば起こる。と言うよりも大きな商談になれば必ず裏に応援団が居ると言っていい。財界系列グループ、メインバンク、政治家、大学の同窓などを通して社内の意思決定機構に有形・無形の圧力が掛かる。この場合、仲介者はほとんど技術的な内容は理解しておらず、専ら政治的(ある種の経営的要素を含む)力点から押してくる。若い時分一担当者として技術評価を命じられ、実験までして確信を持って出した結果が、政治的因子で乱されると、怒り心頭に発したものである。
しかし、同じような政治的視点で技術評価が覆されても納得できることがある。それは技術評価を真摯に聴取した上で、断を下された場合である。
まだ20歳代の半ば、世は高度成長期、石油製品需要は増加の一途にあった。建設に次ぐ建設である。そんな時遠隔操作でタンク尺(タンク在槽の液位;高さ;これを基に取引証明が行われるほど大切な数値)を計るタンクゲージと言う計器が石油会社で導入され始めた(それまでは人間がタンクの屋根に上がり、特殊な巻尺で計測していた)。米国のVarec社が先鞭をつけ国内マーケットでは競争相手は無かった。そんな時国内三大オートメーション機器メーカーであったHK社を代理店にしてTexas Instruments社(TIと略す;今でこそICの先駆者として有名だが、元々は石油会社向けの計測器を作る会社だった;社名の“Instruments”はそこから来ている)が新方式のタンクゲージを売り込んできた。Varec社のものがフロート(浮き)を利用したものであったのに対し、TI社のものは洗面器を伏せた中にフロートをつけたような形をしており、計測時このフロートをモーターで巻き上げると、液面を出る瞬間表面張力が生じる。これを検知して尺を測る形式だった。単なるフロートでは液の比重やフロートの汚れなどで精度に影響が出るが、新方式は液面を出る瞬間を捉えるのでより正確だと言う謳い文句で現場実験を申し込んできた。
この申し出を本社の技術部が受け、和歌山工場で評価することになり、それを担当することになった。補修中のガソリン用タンクを利用してそれを装着、数ヶ月かけて行う本格的な実験である。
結果は精度について、売り込み通り満足すべきものだった。気がかりは、計測するたびに表面張力がかかるのでテープの寿命がどうかであったが、短い期間ではそこまで確かめられなかった。それを含めて報告書を書き工場のラインを通じて本社に提出した。本社技術部は次期和歌山工場拡張で大量に建設されるタンクにこれを採用したいと結論付け、工場技術部に了解を求めてきた。
本社の代表は技術部計装技術課長、Uさん。学究肌で誠実な人柄。学会や企業の専門職の人たちに知己が多い。対する工場は技術部機械技術課長、Yさん。バックグランドはこれも計測・制御だが、今は材料・回転機械から電気・土木まで広範な分野を統括する、独特の技術哲学と鋭い問題把握・分析力を持つオールラウンド・プレーヤーである。二人はほとんど同年代、社内資格も同等の部長資格だった。
二人だけの話し合いの場に同席を命じられ、自分では評価を行ったTI社のものが当然決まるものと思ってその場に臨んだ。
U課長は、実用実験評価の結果を踏まえ、更に価格、取り扱い代理店の信頼性(Varec社のそれは大手商社をスピンオフした個人が経営)などからTI社のものを採用したい旨説明し、工場の了解を求めた。
説明の間一言も発しなかったY課長は、その後もしばし沈黙。特徴のある大きな目はまだ相手に向けられていない。この沈黙の時間と目がYさんに対峙する身には不安なひと時である(この不安感が表情に表れなくなるとやっと一人前に扱われる)。やがて重い口を開いたY課長は「Uさん、その提案は受け入れられないな」と静かに語り始めた。「確かに、技術評価を行うこと、その評価結果の内容に同意はしたが、技術評価と機種決定は別でしょう!?」「この報告の中核を占める精度の問題は、既にVarecを導入している川崎工場や他社で深刻は問題になっているわけではない。TIがより精度が良いというだけだ。また、この評価で結果は出ていないが、長期使用には課題を残していると言っている」と、まず技術評価から機種選定の関係を断ち切った。
次いで、国内外実績と社内実績から両者の比較を語り、敢えて全く国内実績の無いTIを採用するメリットはあるのか?と疑義を述べる。
最後のとどめは、代理店のHK社の扱いである。オートメーション機器の三大サプライヤーとは言え、HK社は石油精製・石油化学の実績は他の2社(YGとYH)に比べはるかに劣り、そこへの実績作りに汲々としていた。オンサイト(生産設備そのもの)では勝てないのでオフサイト(タンクや出荷設備など)から食い込む戦略を取っており、タンクゲージはその戦略兵器と言ってもよかった。「わが社程度の会社が、三つの大手サプライヤーと付き合っていくことは、経営的視点から見て決して効率のよいことではないと思う」と締め括った。いつもは「今度はどんな新しい技術に挑戦するんだ?」と若手・中堅の意欲を掻き立ててくれる人の結論とは俄かに信じられなかった。
建設が目白押しの中で、投資案件は枚挙に暇が無い。政治的混乱を少しでも避けたいとの思いから発した決断である。こうしてTI社のシステムは退けられた。このシステムは結局世界でも主流とはならなかった。
技術至上主義の若い身で、技術以外が最終決定に大事な事を、身を持って学んだ事例である。その後の重要意思決定において、どれだけこの時の教訓が役立ったか分からない。冒頭の次期戦闘機も、パイロットだけに機種選定を任せてはいけないと言うことだったのかも知れない。
2009年9月12日土曜日
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