2009年9月28日月曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(24)

24.紀勢南の道 三重県に縁のある人が「あの県は、北はいいのですが、南が問題なんです」と言って、南部の後進性を語ってくれたことがある。北には四日市を中心に、鈴鹿・亀山・桑名などに工業地帯があり、伊勢・志摩は観光で人を引きつけている。しかし、南は平野が無く農業は零細で、昔から半島と黒潮の接点として栄えた尾鷲以外はこれといった町も無く、沿岸漁業と林業くらいしか暮らしを支える産業が無いのだと言う。
 確かに、今回のグランド・ツーリング計画でも、賢島を発った後新宮まで特に寄るところを思いつかなかった。前回は志摩から一旦伊勢経由で松阪まで戻り、そこから42号線に入り多気町を通って尾鷲に向かったが、ほとんど山中ドライブの記憶しかない。今ではこのルートは伊勢自動車道から紀勢自動車道が途中まで通じているものの、自動車専用道路は旧道以上に味気ないだろう。そんなこともあり、今回はリアス式海岸が続く海沿いの道、260号線を42号線との合流点まで行くことを計画していた。鉄道や幹線道路から隔絶した地にどんな生活があるんだろう?
 21日の朝は曇り空だった。しかし雨が降るような重さはない。一番先にしなければいけないことはガソリン補給である。ホテルから260号線へ出る県道17号線にゼネラルのスタンドがあることを事前に調べておいたので、ナビをそこにセットして向かった。やがてそのスタンドが見つかったが塗装の感じはゼネラルだが看板がない。降りて聞いてみると最近ゼネラルをやめたとのこと。無論エッソ・モービル・ゼネラルの共通カードも使えない。しかし店の人は親切にもエッソのスタンドが近くのわき道にある事を教えてくれた。早速そこへ出かけて満タンにした。給油量は37L、自宅からの走行距離は397km、10.7km/L。高速道路が効いたのだろうが予想以上に燃費が良い。
 給油をした浜島口から県道17号を経て260号線に入る。この道路は複雑な海岸線に沿っているのでほとんど高低がない。生活道路なのだろう行き交う車は地元の軽自動車程度で、交通量も極めて少ない。それもあって道路は何か埃っぽい感じがする。小さな湾や半島が出ては消え消えてはまた現れる。海岸に近づくと防波堤で景観を遮られる。トンネルは照明も無く、青の洞門もどきだ。時々漁村や小さな漁港施設があるが人の気配はちらほら。はるか離れた紀勢線の駅とでも結ぶのか道路にはバス停もあるがそれと行き交うこともない。いずこも静かである。と言うよりも活力がまるで感じられない。格差社会を見る思いで心も晴れない。曇天もあって海の明るさを楽しむことも出来ない。
 42号線に合流するのは紀伊長島。その少し前から海岸線を離れ、道路はアップダウンと曲折を繰り返す。運転を楽しめたのはこの間だけであった。やはり「この県は南が問題です」を体感した。
 42号線はこの辺りでは熊野街道と言う。昔から生活に密着した街道なのだ。41年前発破工事で待たされた峠は今回260号線を走ってバイパスしたので、峠越えは無いものの、高い山が間近に迫るところは昔と変わりない。それでも紀伊半島外周を巡る幹線道路だけに交通量も多く、沿線に町やショッピングセンターなどが現れる。少し大きな町はバイパスが設けられ、車の流れもスムーズだ。尾鷲を過ぎると一旦山に入るが、直ぐに熊野灘に沿う平坦な道に戻る。左側に大海原が広がっているはずだが、防風林と背の低い車のせいで全く見えない。三重・和歌山の県境を成す熊野川河口で道は川を遡る方向へと向きを変え、新宮市の街中を貫く位置で渡河する。今日見る最大の町、新宮が大都会に見えた。
 取り敢えず目指すのは熊野三山の一つ熊野那智大社である。42号線をもうしばらく南下し、那智駅の前で県道46号線に入り、山間の田舎道と言っていいこの道を走って、神社下の門前町に辿り着いたのは1時頃だった。駐車場・お土産物・食堂兼用の店で先ずは腹ごしらえのうどんを食した。

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