2009年10月30日金曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(28)

28.中辺路 京から熊野三山に至る古来からの道は、高野山から南下し十津川を経る小辺路(こへじ)、田辺の湊からほぼ半島の中心部を東へ向かう中辺路(なかへじ)、田辺に上陸後海岸伝いに新宮まで至り熊野川を遡上する大辺路(おおへじ)がある。小辺路は陸路だけで至る最短ルートであるが、今でも高野以南は人の住むところは無く、山岳ルートと言っていい。当時このルートを歩いたのは主に修験者であったろう。大辺路は半島の外周を廻るので他のルートに比べるとかなり遠回りになる。中辺路がこの三本の道の中で最も往来があったのは、田辺から距離的に近いのと、山深いわりに途上に所々平地がありそこには旅を援ける環境もあったからに違いない。
 昭和44年11月、ブルーバードSSSで中辺路を走った時は紅葉の真っ盛りと言うこともあり山中ドライブを大いに楽しんだ。カーブの連続する狭い山道だが勾配はそれほど急でなく、交通量も少なくて自然の中を人車一体となって走る高揚感に浸ることが出来た。時たま行き交う車とはどちらかが待避所までバックするのだが、これも心が通じ合うようで煩わしさは無かった。今回同様出発は“あづまや”から。41年前は再現されるのだろうか?
 5月22日の朝は小雨だった。横浜を発つ前に調べた天気予報どおりである。しかし傘を差すほどではない。この程度の雨はむしろ半島深奥部のしっとりした情景に相応しい。
 ワイパーを間欠動作にして宿の車庫から出発。集落の出口に広い舗装された駐車場がある。嘗てはこんなものは無かった。そこを出ると道は舗装されてはいるものの昔と変わらぬ風情になる。やがて小さな谷を挟んで下り坂になった向こう側の道に、黄色とオレンジに塗装されたバスが止まっている。どうやらこちらを見つけ、待避所でやり過ごすために待っていてくれるようだ。以前もこうして国鉄バスと入れ違った記憶がある。谷川にかけられた橋をUターンする格好で渡り、上り坂をバスの方に向かう。バスはこの地の足、竜神バスだった。滅多に使わないホーンを鳴らして挨拶をする。しばらく道は折れ曲がりながら峠まで上りそこから下りになる。はるか先に橋があり渡りきったところはT字型で、もう一本の道路と交差している。どうやら中辺路が変じた国道311号線らしい。田辺・竜神方面へ右折すると、道は完全舗装の2車線、水はけのための側溝を備え幅も十分ある。直ぐに長いトンネルに入った。あの谷沿いの林間を走る曲折した道は消えていた。
 旧道らしき道が時々交差するがとてもスポーツカーで走るような道ではない。ガードレールで塞いである部分もある。一部が林道としてでも使われているのだろうか?今回のドライブで最も期待していた道はこうして思い出から飛び去ってしまった。
 中辺路は巡礼の道の名前であると共に、その途上の集落の名前でもある。41年前は町だったかどうか記憶に無いが、今は中辺路町である。湯の峰を出るときナビにセットしたのは、観光案内書にP(パーキング)マークのある“なかへち美術館”だ。ここにしばし車を停め、熊野古道を散策するためである。
 何処にでもある一般道と同じ311号線を約1時間走って盆地状の中辺路地区に入るとナビは右折を指示してきた。道がいかにも旧道と言うように狭く曲がりくねり上下し出す。やがて郵便局や小さな農協経営のスーパーが在る町の中心部(?)に達したので、傍にある自動車修理工場で美術館の駐車場を教えてもらう。吃驚したことにその駐車場は大型バス数台、小型車は数十台停められる広さがあり、大きなトイレまであった。この日は平日、そこに停まった車は我々の一台だけだった。正式には“近露(ちかつゆ)王子公園”駐車場と言い、この駐車場に隣接して“なかへち美術館”がある(この時は休館中だった)。
 この駐車場や公園、美術館の存在から推察すると、どうやらここは熊野古道巡りのベースキャンプの役割を果たす土地のようだ。集落は道路同様41年前とはすっかり姿を変えている。地元の人々にとっては暮らし易くなったに違いないが、あの如何にも鄙びた雰囲気は全く失われてしまい、41年前黄葉の下でSSSを撮影した場所すら見つけられなかった。取り敢えず付近を廻り熊野古道への道案内を探した。広い駐車場の片隅に地図看板が在った。

(写真はダブルクリックすると拡大します

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