1978年後半から、COSMICS-Ⅱ(Computer Oriented Scheduling and Monitoring Information Control System;-ⅠはTSK)と名付けられた工場管理システムが、生産管理の新規開発と既存システムである業務(受注出荷)管理の更新置換を中心に進められた。先行した和歌山計画からの学習効果と選択したHP-3000の使い勝手の良さもあって、プロジェクトは順調に進んでいった。
1979年に入ると早くもその一部は実用テストに入り、スケジューリング用シミュレータが期待通りの効果を発揮して、白物(軽油溜分)収率の向上が認められまでになった。
少し遅れる形で、川崎独自の設備保全用資材管理システム;AIMS(Advanced Inventory Management System)や和歌山・川崎共通の計装保全管理システム;MOS-Ⅰ(Maintenance On-line System-Instruments;この後にⅡ(電機・回転機械)、Ⅲ(装置;塔槽類、配管)と続いていく)が別プロジェクトとして立ち上がり、HP-1000をベースに開発が進められようになる。
非定常(異常、停止、立ち上げ)時のプラント運転自動化推進や事務部門の業務改善は未着手のまま残ったものの、生産管理、保全管理という工場運営の両輪ともいえる機能をほぼカバーする工場管理システムがやっと実現の運びとなった。工場革新を目指した、システム開発室という組織発足から7年の長い道のりであった。
この年(’79年)の5月、まだ開発途上にあったCOSMICS-ⅡをExxonの技術会議(Technical Computing Conference;TCC)で発表するよう本社から指示があった。TCCはExxonグループ(原油探査・生産は除く)における技術分野でのコンピュータ利用に関する技術会議で、毎年この時期ニューヨーク郊外(ニュージャージに在った技術センター;ERE・ECCSのメンバーが参加しやすいよう)のホテルを借り切って3日間行われていた。対象は、プラント設計、プロセス制御、各種数理手法、研究開発支援、タンカー運用など多岐に渡り、参加者(約200名)が全世界から集まってくる大会議である。短期間に専門家が一ヶ所に集うので、情報交換にはもってこいの場である。ここでExxonグループの中でも先陣を切っている工場管理システムの紹介をして、反応を窺うことが使命であった。
参加してみると、工場全体の生産管理に関する発表は当社を含めて3件であった。一つはフォレー製油所(UK)の発表で、発売されて間もないIBM-4300(汎用機と共通する中型機)をプラットフォームとする、生産実績データ・ベース構築とその利用に関するもの、もう一つはアントワープ製油所(ベルギー)のIBM-370(汎用機)を用いたプロセス制御システム(ACS;Advanced Control System)上のプラント運転実績データを利用するものだった。二つとも“実績データ分析システム”で、プランニング(月次計画)やスケジューリング機能との連携は無かった。そんな訳で、プランニングは本社の汎用機を利用するものの、“プランニング~スケジューリング~モニタリング~分析“と一つながりになったシステムはCOSMICSだけであったので、発表後その効用や経済性について随分質問を受けることになった。
この会議の後、ニュージャージのEREやヒューストンのエッソイースタン(東燃の親会社)、シリコーンヴァレーのHP本社に立寄ったが、どこでも熱心なディスカッションが交わされた。不思議なもので、拙い英会話能力でも自信のあるシステムを懐にすると、実力以上に意が通ずることを実感した。
「Japan as Number 1」が出版され、第二次石油ショック(イラン革命)が起こったのはこの年、日本そして石油への追い風が吹いていた時期でもあった。
(次回;最終回;あれから30余年)
2010年4月17日土曜日
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