2)甘粕正彦-乱心の曠野-(佐野眞一);新潮社(文庫)
3)スターリンの対日情報工作(三宅正樹);平凡社(新書)
<愚評昧説>
1)運命の決断 日ごろの私の研究活動(?)に関心を持ち、本欄をご覧いただいているUさんから貸していただいた本である。前回ご紹介したリデル・ハートの「The German Generals Talk」の米国版とも言うべきもので、ドイツの命運を決めた六つの戦い(英独航空戦、モスクワ攻略、エル・アラメイン、スターリングラード、ノルマンジー作戦、アルデンヌ反攻)について、ドイツ軍首脳から聴き取り調査した結果をまとめたものである。
リデル・ハートの著書との相違点は、前著がリデル・ハート個人の問題意識をぶつける対話形式であったのに対し、今回は米陸軍の組織としての事情聴取であること、前著はリデル自身でまとめ記しているのに対し、後者はドイツ軍の将軍たちにそれを行わせているところである。このまとめ方は米軍内でも賛否両論あったようだが、ドイツ軍部内の内実を赤裸々に語る点において臨場感がある。また、各章はそれぞれの戦闘で重要な位置を占めた将軍たちが書いているのだが、それに対する解説が付記されており、それは最後の西方軍総参謀長ジークフリート・ヴェストファール大将一人によって書かれている。縦糸と横糸が交差するようなその編集の仕方が、戦いを複眼的に見る効果を与えて面白い。
いずれの戦いも既に議論尽くされているが、この調査の実施時点(1946年~48年)を考慮するとむしろこの本がその後の出版物の原資料となっている可能性は、リデルの著書同様高い。
将軍たちの心情吐露とも言える本書で特に印象に残ったのは、一つは戦線膠着・負け戦におけるヒトラーの「寸土の後退も許さず」と言う命令(決断)である。これが戦闘の自由度を奪い、無用な将兵の損失と取り返しのつかない敗北につながったことにあらためて驚かされ、結果的に「運命の決断」(それほど熟慮の結果とは思えないが)になっていることである。もう一つは、特に東部戦線におけるロシア兵の強さである。将軍の一人は「西欧社会では信じられないくらいの悪環境の中で戦い・生きていけるその生命力(人間ばかりか馬まで)は想定外のことであった」と述べている。“敵を知り”が出来ていなかったことが敗因につながったと。
終章(フィナーレ)でヴェストファール大将は「米ソを敵に回して、それに勝てるとは軍人ですら思わなかった。しかしカサブランカ宣言の『無条件降伏』を突きつけられ後は、最後まで戦い続けるしか道は無かった」としている。それはわが国も同じである。それまでの歴史には無かったこの過酷な条件は戦争を必要以上に残酷なものにした。これを言い出したのはルーズヴェルト大統領だが、この批判をそのまま公式の戦史として残すところに当時の米国と言う国の余裕を感ぜずにはいられない。これは今の米国とは明らかにスケールが違う。
2)甘粕正彦-乱心の曠野-
生まれ故郷、満洲を語るとき欠かせぬ人物である。本書のハードカバーが出たときから読みたいと思っていたが、積み置きが多く直ぐに購入しなかった。それが幸いした。文庫本ではハードカバー版で確かでなかった点などに読者からのコメント等が寄せられ、それを補完する加筆修正が行われたのである。
甘粕は関東大震災(1923)の混乱時、東京憲兵隊の大尉であった。物理的・社会的大混乱の中で社会不安を煽り政府転覆につながる恐れのある社会主義者、その中心人物であった大杉栄と内縁の妻、甥(7歳)を拘束し惨殺した首謀者として断ぜられた(とは言っても懲役10年、昭和天皇即位の恩赦でこれも短縮、1926年保釈)、昭和史に名を残す男である。
多くの甘粕物がこの事件を中心に書かれているのに対して、本書は、この部分はもちろん、特赦後の甘粕の人生、なかんずく満洲におけるその活動と終末(自死)にも力点が置かれており、その点で私の興味を最後まで持続させてくれた。
この事件は、形式的には甘粕の独断専行として軍法会議で手早く処理されるのだが、当時でもこれがもっと大きな組織(つまり陸軍や警察)が絡む犯罪であるのとの認識は強かった。本書ではこの点を、綿密な調査で追及し、宇垣陸軍次官や正力(松太郎)警務部長(警視庁)も関わりがあったことを明らかにしていく。“単細胞の鬼憲兵”を演じ、一人で罪を被り、組織を守った甘粕に対して陸軍は、保釈後その借りを返すように、彼の希望を適えていく(厄介払いの面もあるが)。それがフランス渡航であり、それにつづく満洲である。
清朝廃帝溥儀の満洲への移送(拉致?)、満州国建国、満洲における産業政策支援(日産コンツェルンの誘致、満洲映画経営)、関東軍協力(機密資金、特務機関)などあらゆる面に、彼と彼の人脈が関わっていく。新任の関東軍司令官は大連に在った彼の家を表敬訪問するほどの実力者であったのだ。やがて敗戦、最後は満映理事長室で青酸カリをあおって自殺する。
今やわが国ノンフィクション作家の第一人者と言って良い著者の作品は、とにかく調査の精緻で裏づけの確りしていることで定評がある。本書もその例に漏れない。満洲を読む時その細部に、私の記憶を残す“何か”が無いかを探すのが楽しみの一つである。
・世田谷に一人住まいする甘粕の母:彼女の家の隣は私の父方の伯母宅。確か小学生時分、年始で訪れた時、伯母が父と話しながら「あまかっさん(関西弁)のおばあさんがのー・・・」とやっていた。その時父が簡単に“事件”の話をしてくれた。
・父は一時期満洲国政府に勤めていた:当時産業部次長(わが国の経産省次官)は岸信介。二日酔いの朝、彼に承認印をもらったことをよく話していた。その岸が作り上げた5カ年計画実現のために、甘粕は日産コンツェルンの鮎川義介を担ぎ出す。こうして作られたのが満洲重工業。その傘下に満洲自動車があり、父は引揚げまでここに席を置いていた。
・満州国政府のトップ(大臣)は満人であった:この国を承認してくれた独・伊・スペインなどへ返礼の使節団が出る。ここに甘粕も同行する。その時の団長は経済部大臣韓雲階。彼の広大な屋敷は社宅(アパート)の裏に在った。我が家(2階)からその広い庭(真ん中はテニスコート)が見渡せた。彼はその後どうなったのだろうか?
・システムプラザのビジネスで、岡山地場に密着したユニークな経営で知られる林原(株)とお付き合いする機会を持った:現社長林原健氏の父、林原一郎は大阪高商卒業後渡満し、満州国民生部警務司(わが国の内務省警保局に相当)に入る。この組織の初代司長が甘粕だった(時期は若干ずれる)。
と言うような具合で、ノンフィクションの醍醐味を堪能した。
3)スターリンの対日情報工作 新書と言うのは専門分野の入門書・解説書的な性格がある。一方で軽い読み物で、今日的な話題をつまみ食いするような安直なものも多い。本書は前者に属するもので、思ったよりも歯応えがあった(言い換えればやや読むのに疲れた)。
主に語られるのはソ連のスパイ、ゾルゲであるが彼に関する組織以外にも第二次世界大戦におけるソ連の対日諜報活動に関わった個人や組織が取り上げられ、種々の情報源から上がってきた日ソ関係を左右する情報が、外交・軍事の情況判断に使われた様子を総覧することが出来る。
ゾルゲは、同盟国ドイツの新聞特派員と言う立場を利用し、日(新聞記者、政治家、官僚など)・独(駐日ドイツ大使館)の外交・軍事情報を収集分析し、独ソ戦開始に際し「日本の北進論なし」をソ連に伝える。来日以前を含め、1941年10月治安維持法違反で逮捕され、1944年11月7日(ソ連革命記念日)処刑されるまでの、彼を取り上げた著書は多いが、“ソ連の対日工作”と言う視点よりは専ら彼の情報集活動そのものに力点を置いている。
それらに対して、この本は“必ずしもゾルゲ情報はスターリンの決断に決定的ではなかった”ことを客観的に示そうとしている。
その最大の理由としてゾルゲが赤軍参謀本部第4本部(諜報担当部門)に属していたことをあげ、赤軍そのものに不信感を持っていたスターリン(独ソ戦開始少し前赤軍の大粛清が行われている)によって忌避されていたのだという。この帰属組織という視点は今までのゾルゲ物では曖昧であった。多くはコミンテルン(COMmunist INTERNtional;国際共産主義活動)の指示で動いていたとしているし、日本の協力者たち(尾崎秀実ら)もそれ故に彼に情報を提供していたと証言している(ソ連一国のためではなく)。
ゾルゲ以外の情報源として、来日したこともなく、1941年亡命先の米国で不審死(多分暗殺)したクリヴィツキーという工作員が日独防共協定の中身を正確に把握していたことや、冷戦後の開示情報を新に掘り起こし当時の日本政府高官あるいは政治家でエコノミストと称せられた工作員がいた話が出てくる(これが誰かは不明)。また有名なトルストイにつながる同族のトルストイが率いる暗号解読機関が米国よりは遅れたものの、日本の外交暗号を解読していたことなども詳しく紹介されており、当時のソ蓮の対日諜報活動を見直すきっかけを作る格好の入門書といえる。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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