2011年2月23日水曜日

決断科学ノート-58(大転換のTCSプロジェクト-1;前奏-1;初のDDCシステム)

 1968年(昭和43年)秋、東燃初のプロセス制御用コンピュータ(プロコン)・システムが和歌山工場重質油脱硫装置を中心としたプラント(OG-2)で稼動した。中核を占めるコンピュータは横河電機製のYODIC-500である。プロトタイプ・システムを前年借り受け、既存プラント(OG-1)で実験を続け、その実績を踏まえ開発された実用機である。
 この時代(プロセス制御用コンピュータ黎明期)、そのためのコンピュータはは二つのタイプが在った。一つはSPC(Supervisory Process Computer)と呼ばれるプラント全体の運転データ処理やプロセスの数学モデルを使って最適運転を行うもの、もう一つは制御点(温度、圧力、流量、液面位など;当時のプラントで100~200点)一点ずつ割り当てられた制御機器(アナログ・コントローラー)を一台のコンピュータに置き換え、集中して行うDDC(Direct Digital Control)である。
 SPC(下にアナログ・コントローラーを従えて)は石油・石油化学に限らず、鉄鋼、セメント、化学などで既に実用化が進んでおり、グループでも東燃石油化学が川崎工場で適用を始めていた。しかし、DDCはプラントと直結するため、万一停止すると全プラントが止まってしまう、それへの対応策として従来型のコントローラーをバックアップとして持つ必要があり、経済性に欠けるところが問題視されていた。プラントへのコンピュータ利用で先行していたExxonでもIBM-1800やPDP-8が導入されていたものの、SPC機能を併せ持った使い方や実験的な規模に留まっていたのが実情である。
 そのような信頼性・経済性問題に挑戦すべく開発されたのが世界に類の無いYODIC-500である。コンピュータの故障で最も致命的なのはCPUと呼ばれる中央演算装置である。記憶装置や周辺制御装置は、バックアップや回避経路で短時間は持ち堪えられることも出来るが、ここだけはなんともし難い。そこでCPUを二重化し並行処理して、不一致があれば診断プログラムを走らせ、異常の側を切り離し、スペアと交換するのである。これならばバックアップを最小限に抑えられる。これはプロトタイプ実用実験を踏まえて開発された、当時最高の軍事システムや宇宙技術と同様のシステム構成であった。
 幾多の創意工夫(特に横河電機の開発陣)や周到な準備作業(特に運転方法や運転員の教育・訓練)もあって、このシステムによるプラントスタートアップは思いのほか順調に推移し、ほぼ一週間後には定常運転に移って行った。
 スタートアップから一ヶ月くらい後で、このシステムによるプラント運転に関する報告会が本社で行われ、私も工場のプロジェクト推進者の一人として参加、DDCシステムのトラブル・信頼性あるいは操作性について発表を行った。いくつかの質疑の後、当時本社技術部次長だったYKIさん(この人は造兵(器)を専攻、当社で計測・制御分野の草分け)が、「ところでこのDDCの寿命はどのくらいなんだ?」と問うてきた。最新技術の説明の後であり、予期せぬことだった。こちらに何も根拠になる数字が無いが、担当部門としてはこの後にも導入計画は多々予定されているので「分かりません」と答えるわけにはいかない。航空ファンである私が、咄嗟に思いついたことは、最新鋭の戦闘機や旅客機のライフサイクルである。口から出たのは「10年から15年くらいは持つと思います」と言う言葉だった。YKIさんは納得したようには見えなかったが、それ以上突っ込んでもこなかった。しかし、発表後もこの質問は頭に残り、やがて不安が芽生えて行く。それは意外に短い半導体の世代更新だった。
(次回;多彩な第一次世代プロコン)

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