2011年6月5日日曜日

今月の本棚-33(2011年5月分)

<今月読んだ本>
1)軍艦武蔵(上、下)(手塚正己);新潮社(文庫)
2)国家債務危機(ジャック・アタリ);作品社
3)プリズン・ガール(有村朋美);新潮社(文庫)
4)ヒトラー戦跡紀行(斎木伸生);光人社

<愚評昧説>
1)軍艦武蔵
 大和型戦艦の二番艦である武蔵。しかし、知名度・人気度において大和とは大きく差があり、出版物も少ない。比較的知られているのは吉村昭の「戦艦武蔵」くらいであろう。綿密な調査に基づく吉村作品は私も大ファン(特に軍事物)である。従って本書の題名を見たときには「いまさら紛らわしい名前で二番煎じか」と思ったが、少し情報を集めてみると、著者が文学作家ではなく映像作家であることに興味をもち取り寄せることになった。
 この本の書かれた背景は、武蔵の映像を作品にすることを持ちかけられ、そのために関係者(特に生存者・乗組員家族)多数に聞き取り調査を行い、結果的に武蔵の動画や写真がきわめて少ないことから、ほとんどその聞き取り調査場面で映像を作り上げることになる。その映画は自主上映作品ながら一定の評価を得て成功する。ただ聞き取り調査の時間は100時間を越えるが、映画は2時間足らず。著者に忸怩たる思いが残るところへ出版編集者から「これを本にしないか?」と声がかかったこと端を発し、更なる補足調査(映画完成後8年間の調査活動後執筆着手)を行い、“一切の誇張と憶測を取り除いて真実に近い武蔵の物語を作り上げたかった”作品が本書として結実する(2003年単行本刊)。
 著者は当然吉村の「戦艦武蔵」を読み、これを高く評価しているが、真実に近い武蔵像を描くための力点を、“乗組員の日常・戦闘行動”に置き、“建造”が中心テーマであった吉村作品とは異なるところに置いている。
 平成の時代まで生き残った生存者・関係者は決して多くない。彼らの多くは若い乗組員。階級の低い下士官兵や下級士官(小・中尉だが繰り上げ卒業)、艦全体ましてや戦争全体を語れるような立場には無かった人々だ。しかしそれだけに現場の臨場感は圧倒的だ。灼熱のボイラー下部での水封作業、横転しつつある艦腹を滑り降りる恐怖(牡蠣ガラで体が切り裂かれていく)、機銃掃射による飛び散る肉体、暗夜の漂流。苦難は救助後も続く。フィリピンに残置された乗組員は陸兵同様飢餓地獄の中を彷徨する。
 取り上げられる艦は武蔵だけではなく、これに随伴した駆逐艦にも及んで、救助活動に活躍した浜風、清霜などは武蔵に劣らず詳細な活動や戦歴が語られる。なかでも浜風は人命救助数が他の海戦(戦艦金剛、空母赤城、信濃など)も含めて千五百人以上という驚異的な貢献をしていることを本書で始めて知った。
 つくづく感じたことは、大鑑巨砲が如何に脆いものだったかと言うことである。航空攻撃に弱いばかりではなく、対潜水艦防護や防空兵器がまるで機能せず、エネルギー消費だけは桁違いな、無用の長物であったことがあらためて知らされ、不沈艦と信じて乗り組んでいた人々の無念が思いやられてならない。

2)国家債務危機
 わが国国債発行残高は約1000兆円、GDPの2倍に達する。国家財政は事実上破綻していると言っていい。これを正常に戻すことは可能なのだろうか?何か秘策があるのだろうか?日ごろこんな思いを持っているところにタイムリーに本書が出た(出版は1月末、購入は2月末)。
 著者は若くして(特別補佐官に任命されたのは38歳の時)ミッテラン大統領のブレーンであった経済学者で思想家。私は読んでいないのだが「21世紀の歴史」は“金融危機を予見した書”として話題になった。これはその続編ともいえるもので、財政支出(特に社会保障費の増加)と税収のアンバランス、およびリーマンショック後各国が国債で景気浮揚を図ることで一層財政悪化を招いていることに対する警告書であり、その解決への提言書でもある。
 経済・財政問題に強くない一般読者(私を含む)に国家債務を理解させるために、先ず現在の各国における財政がおかれている状態を俯瞰・分析した後、有史以来の為政者たちの借金とその解決策の歴史から説いていく点が、この本を前著に次ぐベストセラーしているに違いない。とにかく分かりやすく、興味が持続する。王様たちは戦費調達にいつも追われており借金漬けであった。唯一の返済は戦に勝ち戦利品(土地を含む)を与えることだが、なかなか帳尻は合わない。解決策は“踏み倒し(貸手の追放・殺害を含む;歴史的に西欧社会ではユダヤ人が貸手となる背景もこの本でよく分かった)”であり、硬貨の質を下げること、そして近世では紙幣の発行(紙幣の発案、その後は増発)などである。
 近世・近代、さらには現代に至る歴史的変遷は母国フランスを中心に解説していくので、社会や政治との関わりが深耕され、学者やエコノミストの書くもの(一般論が多い)とは一味違い現実味がある。例えば、この債務危機の解決には既得権を抜本的に見直す必要があるのだが、それがフランス社会で如何に困難なことであるかと言うような場面で示される。
 無論日本の国債問題にも言及している。他の国と大きく違うのは国債の購入者の90%が日本国民であること(フランス30%、アメリカ50%)でこれにより通貨危機は当面避けられているが、GDP比や歳入とのバランスでは危機的な状態ととらえ、「日本人の愛国心がいつまで耐えられるかが問題」と突き放している。
 このような不健全な国家債務を解消する策は、先進国における持続的な経済成長、税収の見直し(増税)、支出(特に社会保障関係)の見直しとしているが、中でも持続的経済成長は一国で片付く問題ではなく、国際協調が必要としている。その根本精神は、社会党政権のブレーンとして、そして欧州知識人多数の考え方、“放任(小さな政府)ではなく統制(大きな政府)”にあり、この点では米国が提唱する“自由な競争社会”とは異なる提言となっている。
 サルコジ大統領はフランス、そしてEUの経済活性化のために米国寄りの施策をとる傾向にあるが、政敵社会党のブレーンだった著者を大統領諮問委員会(通称アタリ委員会)の委員長に任じ、政策提言をまとめさせている。真の知恵者を、立場を超えて登用する(される)、わが国政界とはまるで異なる環境をうらやましく思う。
 多くの人に読んでもらい、厳しい財政改革に真摯に向き合う政治家を支えるような政治環境を醸成できたらと思う。

3)プリズン・ガール
 米国の連邦刑務所に懲役2年の刑で服した若い女性の体験記である。日本人が書いた米国体験記で目を通したものはおそらく50冊は超えているだろう。しかし“塀の中”はこれが始めてである。誰もこんな場所の経験を積みたいとは思わないだろうが、アメリカ社会を知る上でユニークな知見を得た。
 著者はよく米国で見かける、特に動機の確りしない語学留学生として、アパレル関係企業のOLを辞めた後NYに滞在している。パーティで知り合った、若いイケメンのロシア人と付き合ううちに、全く気付かず麻薬犯罪組織に取り込まれてしまう(ボーイフレンドが麻薬取引に関係していることは告白されているが)。ある日突然FBIに踏み込まれ逮捕される。アパートの自室が現物輸送の中継場所(恋人に頼まれた宅配便の受け取り)に利用されていたのだ。
 逮捕されて始めて、彼には妻子もあり、さらに愛人がいることまでFBIから知らされる。刑を軽くする司法取引を持ちかけられるが、愛情ゆえにそれは拒否する(結果的にはそれが正解であった。受刑者仲間に取引をしたために釈放後の報復を恐れている者がいること知る)。その結果が懲役2年である。
 米国の刑務所は連邦、州、郡とあるが、麻薬取引の場合単なる末端の売人はともかく、組織の中に組み込まれると複数の州に跨ることになるので“連邦”扱い犯罪となるのだ。一方で殺人や強盗は概ね組織的な広がりを持たないので州や郡の刑務所に送られる。従って、凶暴の度合いから言えば連邦が最も低いので、他の刑務所に比べ相対的に過ごし易い所らしい(刑を終え強制送還が行われるまでの間、連邦刑務所に空きが無いため、著者も州刑務所に2ヶ月滞在させられる)。
 連邦刑務所の服役者は、中南米人が50%、黒人が40%、白人・アジア人が残り10%で、犯罪内容は麻薬・不法入国に関するものが極めて高いのが特色である。一方で州・郡刑務所は強盗・窃盗・殺人を犯した黒人・白人が多い。
 刑務所の中での人間関係(犯罪の種類、人種問題、グループ(レスビアン関係を含む)、看視との関係)、仕事(仕事に応じて賃金が払われ、これが刑務所専用口座に払い込まれ、種々の品物を売店で購入できる;著者は売店担当が長いがやがて日本語とピアノを教える)、生活(電子レンジを使って料理などかなり自由にできる)、病(特に精神)や所内規律違反への処遇などが赤裸々に語られ、特殊な社会とは言え米国社会を浮き彫りにして、既知の米国観を補ってくれた。

4)ヒトラー戦跡紀行
 戦争の本質に洋の東西差は無いが、大東亜戦争の決戦場は海や孤島、大陸では非対称戦(ゲリラ戦)で決定的な場所を特定できないので、なかなか決戦の跡を辿ることが難しい。その点欧州の戦いは都市が中心だったから現代でも比較的容易に訪れることが可能である。もう実現することは無理だろうが、一度そのような戦跡を巡る旅をしてみたいと、60歳代中頃までは思っていた。ダンケルク、ノルマンディー、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)、アルデンヌ、エル・アラメイン(これは北アフリカだが)などがそれらである。
 映画(記録・劇)や書物でいくらその場面の戦いを知っても、現場を見るとそれまでの印象が一変するのは、初めてモスクワを訪れ、シエレメチェヴォ空港から市内へ至る途上、巨大な戦車阻止障害物のモニュメントを見たときである。そこは1941年冬ドイツ軍がモスクワに最も近づいた地点であった。今は完全に郊外といえる場所である。「こんなに近くまで攻め込まれたのか!」「ドイツ軍はあと一押しだったのだな!」と実感した。その後に読んだ「モスクワ攻防1941」はまるでそこにいるような気分を最後まで持続させてくれた。
 この本は、そんな軍事オタク、特に第二次世界大戦の欧州の戦いにとりつかれている者向けの本で、戦場よりはヒトラー縁の深い地を紹介するものである。本営の在ったベルヒテスガーデン(オーストリア)とヴォルフスシャンツェ(東プロシャ;現ポーランド;暗殺事件があった場所)、ナチス党発祥の地ミュンヘン、第三帝国首都ベルリン、宥和政策で得たズデーデン地方など8ヶ所が取り上げられ、土地どちの歴史・ヒトラーとの関係・現在の様子(旅行事情を含む)などを解説していく。
 著者は国際関係論の専門家のようだが、これらの土地を何度も訪れており、建造物の写真や図面・地図なども比較的整っていて、この種のことに関心の深い人には旅行案内として大変有用な本である。私も機会を見つけて何ヶ所か廻ってみたいと思い始めている。
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