この初の油公(ユゴン;現SKエナジー;韓国最大の石油・石油化学企業)訪問は、本来業者(システムプラザ;SPIN)が仕事を無事終えられたことに対するお礼の意を表すものであった。しかし、JHが社内に作り上げていてくれた受け入れ態勢は、大事なゲストを迎えるそれだった。訪韓に先立つJHとの計画調整の中で、いくつかの講演やミーティングが組まれていた。話題の中心は東燃が進めSPINビジネスの出発点となったTCS(東燃高度プラント制御システム;IBMのACS(高度制御システム)と横河電機のCENTUM(分散型ディジタル制御システム)で構成)の紹介(システムそのものとプロジェクト推進)がメインであったが、これに“東燃全体の情報システム”、“日本における石油業界のコンピュータ利用状況”、それに“SPINの経営”に関する話もできるよう求められていた。いずれも国内の営業活動や海外のセミナー(主にIBM主催)で取り上げてきたテーマなので材料・準備は揃っていた(全部英語で行うのは初めてだが)。これが賓客待遇の因であり、爾後年1~2回の訪韓にはテーマを変えて講演会が組まれ、この扱いが続くことになる。
当時の油公本社はソウルのマンハッタンとも呼ばれる漢江(ハンガン)の中洲、汝矣島(ヨイド)に在り、高層ビル一棟全てを占めていた。その上階の一フロアー全体が情報システム部門で、一角に担当の安理事の部屋が設えてある。JHに受付で迎えられ、最初に招じ入れられたのがこの部屋である。JHは私の来訪を告げると直ぐ出て行った。初対面の二人だけが残される。第一印象は「チョッと気難しそうな人だな」と言う感じだったが、話す(英語)内に「謙虚で仕事熱心、部下への思いやりも深い」と好転していった。
壁に貼られた米国コンサルタント会社の情報システム分析図(現状と将来像)を示しながら「やらねばならぬことがいっぱいある。スタッフは充分でなく、経験も浅い。是非進んだ日本から学びたい。協力をよろしく頼む」 ここにはしばしばメディアで目にする“日本と見れば敵愾心を燃やす韓国人”は全く無かった(他のことごとも含め、知識・技術を得たいがための方便とは今でも思っていない)。一気に韓国、そして韓国人に親近の情を感じてしまった。
この日は午前、午後二回講演を行った(最初がメインのTCS;他の部署にも声をかけてくれたのだろう大勢の参加者があり、いつになく緊張した)。安さんは初回の冒頭挨拶を行ったが(これは韓国語)、JHが後で語ったところではほぼ同様の主旨だったようだ。質疑(人によっては韓国語だったが、JHが通訳してくれた)も真剣かつ気持ちの良いものばかりで、時間が足りないほどだった。
昼は近くのビルにある日本レストランで安さんを囲む昼食会。夕食はこれも安さんが選んだ中堅どころ数人と国会議事堂が見える韓国経団連ビル(だったと思う)上階にあるレストランで洋食をご馳走になりながら歓談した。むろん両方にJHが同席したことは言うまでもない。
これ以降訪韓のたびに先ず安さんを訪ね、あれこれ情報交換するのが慣例になっていった。そんなことが続いた何回目かの訪問で二人だけの会話の折、情報システム部メンバーたちが話題になりそれがJHに及んだ。「彼はたいした奴だ!仕事も出来るし性格が良い!しかもあのハンディキャップ(下肢が不自由)にも関わらずだ!自分は本来情報技術の出身ではないので(応用化学出身で試験・研究畑を歩いてきた)、信頼できる部下無しでは任務を全う出来ない。彼は欠かせぬ人材なんだ!」 工場の一課長と担当役員という、立場の違いを感じさせない信頼関係が確り出来上がっていたのだった。
(つづく)
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