20.旅を終えて
4月18日に出発、22日夜遅く帰宅した。5日間の総走行距離は1361km、一日平均は300kmを切るのでたいした距離ではないが、最終日和歌山から自宅まで、雨中を580km走ったのはいささか堪えた。翌日、月曜日は水泳の日だったがさすがにパスした。いつも測定している燃費は、満タンベースで128.2リッターだったから、10.6km/lとなり、山岳走行がかなりあったことを考えれば、まずまずの効率といえる。
今回のメインは“吉野の桜”であった。初めて訪れる所だけに期待は大きかった。そして、その期待は天気も含めて見事に叶えられた。桜がその時代からあったのかどうか不明だが、壬申の乱(7世紀後半)、南北朝(14世紀)にも登場する土地、秀吉の花見は史実のようだから、16世紀には今の風景に近かった違いない。奥深い山中だけにその時代を今に味わえる貴重な場所である。
高野山は和歌山在勤時代何度か来ているが、宿坊に泊まったのは新入社員研修以来50年ぶり。団体だったので大きな寺だったことは覚えているが、それ以外記憶が無い。今度比較的こじんまりした寺に泊まり、その独特のサービス(精進料理から早朝の勤行まで)を体験でき、仏都ならではの時間を堪能した。雨の中の散策も風情があり、紀伊半島観光には欠かせぬ観光スポットと言える。
龍神は完全にセンチメンタルジャーニーである。45年前泊まった“上御殿”と和歌山に居てもなかなか行けない半島深奥部を再訪する旅だった。道路は信じられないように改善されていたが“上御殿”も周辺の景色もほとんど昔と変わっていなかった。むしろ一部の小集落など消え失せてしまったのではなかろうか?
私の旅の最大の目的はクルマの運転にある。交通量の少ない山道でのヒルクライムやカーブでのアクセル・ブレーキ操作とハンドル捌きを楽しむ。今回は3ヶ所それを計画した。吉野から高野山への上り、高野山から龍神を経て南部までの道、それに奈良盆地中央部から松阪へ出るルートである。最後の舞台は天候の具合で中止せざるを得なかったが、前二者は予定通り駆け抜けた。最初の高野への上りは初めてのコース、夕闇迫る中、ガソリン残量警告灯を点灯させながらの走行で気持ちに今ひとつゆとりが無く、“楽しむ”程度が減じたのは残念だった。高野から龍神は見違えるように道路が良くなっており、ここは期待通りのドライブが出来た。龍神から南部までも道路状態は昔に比べ改善されているものの、大雨の被害が修復されておらず、意外とタフな運転を強いられる場面もあった。しかし、山岳ドライブではこう言うハップニングも楽しみの内かも知れない。
旅の楽しみの一つに食がある。今回、これは何と言っても宿坊の精進料理に尽きる。珍しいだけでなく味も上等、量も適量。日本旅館の多すぎる種類と量に辟易とすることさえある昨今、宿坊に学ぶべしと言いたくなる。第二は南部の梅干。今でも夕飯時、おかずが少し少ないと嬉々として一粒いただいている。
和歌山を知らない家人を連れて二度目の紀伊半島ドライブ。3年前は伊勢志摩から新宮へ出て、熊野川を遡行して本宮・湯の峯と廻り、熊野古道の一つ中辺路を辿って白浜に至り、和歌山市に出た。今回は吉野・高野・龍神と比較的北を走ったので、残るは半島の東側から西に向かい、吉野付近から南下して十津川(熊野川につながる)を下り、新宮から本州最南端の串本経由で海岸沿いを和歌山に至るルートである(このオプションとして、吉野から大台ケ原を通り熊野へ出るルートも面白そうだ)。この途上は大震災後の豪雨で人口湖が出来るくらい打撃を受けており、いまだ不通個所も多いと聞く。いつの日かチャレンジしたいものである。
日本最大の半島、紀伊半島、海・山・川とも自然の深さはわが国有数。京都・奈良に近く歴史的遺産に事欠かないが、その大きさゆえか開けていない。今やこれが貴重な財産ともいえる。チョッと不便ではあるが是非多くの人に訪ねてもらいたい。このドライブ記が少しでもその参考になれば幸いである。
(歴史街道を行く-吉野・高野・龍神を走る-完)
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長期にわたるご愛読に感謝いたします。
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