2012年7月20日金曜日

歴史街道を行く-吉野・高野・龍神を走る-(19)



19.雨中を走る
給油したスタンドはゼネラル高野口。ここから旧24号線に並走する自動車専用道路、京奈和自動車道(これも24号線)が始まる。最終目的地を自宅にセットして、あとはナビに案内を任せることにした。吉野へ向かう時散々悩まされたナビも高野以降順調に動いている(進行方向が上向きでなくなったのは、吉野へのルート選択で何度もセットをやり直すうちに、上が“北”を指すようにしてしまったためである。今はそれにも気がつき戻している)。
往きのこの地帯でナビが間違えたように、京奈和道路は貫通していない。五条北ICで再び一般道の24号線につながり北上する。御所(ごせ)・葛城・大和高田・橿原など歴史のある町が点在し、今や大阪のベッドタウンにもなっているこの一帯は、休日のショッピングにでも出かけるのか交通量が多く、各所で渋滞している。何とかそれを抜けて橿原で自動車道に戻り、郡山ICで西名阪に乗り換える。ここから天理までは有料だ。雨は依然続いており、むしろ強くなってきている。ワイパーをハイスピード上げる。
天理からは無料の自動車道、西名阪を走るのだが、この“無料”のせいか雨だというのにクルマが多い。特に休日にも拘らずトラックが目立つ。車高の低いスポーツカーの雨中走行はこういう環境が最も苦手だ。ミッドシップの抜群の安定性に救われるが、緊張の連続。悪いことに無料と古さゆえ道路沿いにSAPAがほとんどない。一旦一般道に下りる方式なのだ(米英のフリーウェイもこの方式が多い)。やっと休めたのは往きにも立寄った亀山PAである。ここで3時のおやつ。もしオリジナルプランで三重の山中から松阪経由のルートを通っていたら、この時間には着いていなかっただろう。
新名神が交わる亀山JCTはかなり渋滞したが、その後は比較的順調で、橋梁が続き、風が心配な伊勢湾岸自動車道も、警報は出ていたが、道路幅が広く取ってあり、危険を感ずることは無かった。豊田JCTで東名と合流。再びトラックが増え、雨も激しくなってくる。
ボツボツ決断しなければならない。往き同様新東名を走るか?オリジナル案の旧東名を行くかである。往きが新なら帰りは旧と考えていたが、新へ踏み込みたい動機はいくつかあった。交通量の少なさと走り易さ。風雨が強まる中での清水以東の海岸・海上道路部分走行への不安。それに、FM放送番組制作会社に勤める次女から今朝届いたメッセージ「新東名に関して、番組で使える情報が欲しい」である。放送担当時間はとっくに過ぎていたが、何か彼女に役立つニュースがあるかもしれない。こんな思いから、再び新東名を走ることに決する。
三ケ日JCTで東北に向かう新道に入るとしばらく登り、距離も多少長いせいか交通量はガクッと減る。トラックはほとんど走っていない。こんな天気、こんな時刻にパトカーがいるとは思えないが、走り易いのでスピードを抑えるのに苦労する。不思議なのは夕闇が迫り、クルマが少ないわりに、PAの混雑を告げる表示が点灯していることだ(これはニュースになるかな?)。雨の休日でも新道路観光が賑わっているのであろうか?
心配事は風雨ばかりではない。実はガソリン残量が気になりだしていた。高野口で満タンにしたが、自宅までは500km近くある。ぎりぎりの走行距離なのだ。この辺りから自宅まで自動車専用道路にはエッソ・モービル・ゼネラルのスタンドは無い。最悪の場合他社製品を少量入れるか?そんな思いで走っている。
足柄SAに着いたのは7時少し前。雨は止んでいた。ここまで来ればもう日常のドライブ圏内。夕食を摂りユックリ時間を過ごす。ガソリンはエコ運転を心がければ何とかなりそうだ。もう夜8時過ぎだというのに、厚木辺りから横浜・町田までは流れてはいるものの、全車線クルマでいっぱいだ。保土ヶ谷BP、横横と乗り継いで、自宅到着は915分。和歌山からの走行距離は580km。長い休憩もあるが13時間かかった。雨中これだけの距離を一日で走ったことはない。それも全く運転の楽しみを味わえずにだ。自らに「お疲れ様でした」というほかに言葉は無かった。

(次回;旅を終えて;最終回)

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