-磐梯・吾妻・奥只見を走る-
14.振り返れば
旅の意義はその非日常性にある。対象は人・景観・歴史・芸術・特産品・食べ物・乗り物などさまざまだ。私の旅(と言うよりも、私のドライブ行)は当然車と道(乗り物)にあるのだが、今回はそれに紅葉狩り(景観)が加わった。それらについては、連載で既に紹介したが、それ以外の要素にも触れながらこの旅を振り返ってみたい。
知人や友人が居る遠方へ、偶さか出かけると、会って話をするだけでたっぷりと非日常が味わえる。未知の人であっても一期一会と言うこともある。もう6年前になるが三春に“滝桜”見物に出かけ、町役場に勤める友人の親類で、切り絵(アマチュア)をやる人のお宅にお邪魔し作品を見せていただいたことがある。これなどその典型だろう。
車好きは、お互いの車やナンバー・プレートだけでも話のきっかけができる。車そのもの、道中の出来事、材料はいくらでもある。今回も白布、奥只見ともに宿泊先の駐車場で東京地区のプレートをつけた車を見かけた。しかし残念ながら付近に人は居らず、話す機会は無かった。旅館・道の駅・食事処で多くの人々に接したが、特にご縁を感ずるようなことはなく、方言すら聞くことが無かったのはチョッと寂しい。
この連載は“逆賊三藩”と名付けた。維新に際して官軍(薩長)に、徹底的に痛めつけられた、米沢藩・会津藩・長岡藩の三つである。白虎隊の飯盛山を始め、史跡に事欠かない一帯だが、残念ながら今回はそれらを訪れることは全く無かった。理由は“山岳”にある。つまり、史跡は米沢市・会津若松市・長岡市の市内や近郊に在るのでルートから外れてしまっていたからである。春の“吉野・高野・龍神”とはそこが大きく違っていた。少しこれに近かったのは喜多方で“蔵の里”を見学したことくらいである。
食については、福島西ICを出て磐梯吾妻スカイラインにとっかかるところで立寄った蕎麦屋「胡々里庵」、それに喜多方ラーメンの「まるや」いずれも味・値段とも満足のいくものだった。また、食材を地場・自家製品を使った「奥只見山荘」の夕食・朝食も、材料だけでなく調理も含めて、独自色があり、山歩きや釣り客が主体なのだろうが、それを味わうだけでももう一度来てみたいと思わせるものだった。三日目の昼食は352号線が山を下って会津高原まで達した所に在る道の駅「番屋」で摂ったが、後で調べてみると、尾瀬口とここの間、桧枝岐村に「かどや」と言う蕎麦屋があり、そこの“蕎麦定食”がお薦めらしい。事前の調査を怠り惜しいことをした。
最後に道について総括しておきたい。磐梯吾妻スカイラインは大昔一度走ったこともあり、道としての印象は変わっていないが、夏と秋の違いで、期待通りの紅葉が素晴らしかった。他の道に比べ道幅・整備も良く、存分に運転を楽しめた。
つづく西吾妻スカイヴァレーは“山岳”ドライブと言う点では前者以上に楽しいコース、時刻が遅く雨も降り出していたが、紅葉も素晴らしく思わぬ拾い物と言っていい(もっとも翌朝の濃霧には参ったが)。再び同じシーズンに走ってみたいものである。
メインエヴェントと考えていたJR只見線に並走する252号線は、紅葉には少し早かったことも在るが、思ったより道が平坦で変化に乏しく、田子倉ダム下から六十里越と呼ばれる、福島・新潟県境辺りを除けば、それほど運転を楽しめるような道ではなかった。もう少し時期を遅らせれば、鉄道作家宮脇俊三が言う“国鉄の車窓から見る日本一の紅葉”が楽しめたのかもしれないが、それでは磐梯・西吾妻、それに樹海ラインの木々の葉はもう落ちてしまうだろう。悩ましいルート選定なのだ。
352号線、樹海ラインは山岳+“秘境”ルート、大型車乗り入れ禁止の道を1時間以上走る。かなりの区間は携帯電話不通地帯でもある。それに1年以上にわたる復旧工事で10月1日にようやく開通したばかり。こんな道で何かトラブルにでも遭遇したら大変なことになるが、その分冒険性があり、非日常の極みと言って良い。今回小出方面から乗り入れた時は夕方だったので、奥只見シルバーラインと呼ばれる並走隧道を銀山平まで走ったが、本道には枝折峠(1065m)と言う難所もある。次は逆方向から、フルコース走ってみるのも面白いかもしれない。
これら全ての道は、今日(12月8日)現在、全線あるいは一部区間が雪のため通行止めとなっており、来春雪解けまで通しで走ることはできない。
以上の山岳道路と東北自動車道を中心に走行距離;1060km、消費燃料;101.4L、燃費;10.45km/Lはこれだけの山道を走ったにしては良い数字である。
長期間ご愛読、有難うございました。
(写真はクリックすると拡大します)
(完)
0 件のコメント:
コメントを投稿