2013年5月30日木曜日

今月の本棚-57(2013年5月分)


<今月読んだ本>
1)私の途中下車人生(宮脇俊三);角川学芸出版(文庫)
2)ビブリオバトル(谷口忠大);文芸春秋社(新書)
3)ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト(ポール・アレン);講談社
4)工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行(今野浩);新潮社
5)集合知とは何か(西垣通);中央公論新社(新書)

<愚評昧説>
1)私の途中下車人生
毎度本欄でお馴染み(先月も登場)の鉄道紀行作家宮脇俊三の本である。しかし、本書はこれまでのものとはちょっと異なる。一応著者名は宮脇俊三となっているものの、対談者の問いかけに答える形でまとめられていること、話題は鉄道中心であるが、それ以上に宮脇の人生そのもの紹介であることがその違いである。
7人兄弟の末っ子として生まれ、幼少・少年時代に住んでいたのが市電(後の都電)の青山車庫(試運転場も併設)の近く、山手線も行動範囲という場所柄から鉄道に惹かれていく。因みに父宮脇長吉は元軍人、大佐で退役し代議士に転じている。国家総動員法審議に際し、説明を行う佐藤賢了中佐に強烈な野次を浴びせ、中佐の「黙れ!」の一言が陸軍大臣の謝罪につながる事件をひき起こして、その名を昭和史に留めることになる。彼がまだ小学生時代の出来事である。そんな環境・時勢の中で愛読書は“時刻表”と言うのは、かなり変わった子供だったようだが、一人ぽつんと離れて生れた彼を両親は好きなようにさせてくれる。それどころか父は仕事(翼賛体制からはじかれた長吉は落選、鉱山経営を行っている)で遠隔地に出かけるときに同道さえしてくれる。
宮脇が鉄道紀行作家として知られるのは、長く勤務した中央公論社を退職した後出版した「時刻表2万キロ」に依るから、少年時代好きだったことを続け、第二の人生を趣味に費やす恵まれた人と一見見えるのだが、そうでないところが人生である。その“途中下車”を、鉄道を核にして語り下したのが本書である。
旧制の成蹊高校(中高一貫;数学が得意だったので理系コースを履修)から東大理学部地質学科に進む(ここなら鉄道に乗れる機会が多そうだと)。しかし、家は戦災に会い熱海で暮らすうちに地質学への興味は失せ、戦後文学部西洋史科に転科する(学制が変わりあらためて入学試験を受ける必要があった。卒業論文はモーツァルト研究)。就職はNHK、文芸春秋に落ち、日本交通公社(JTB;本人は旅に関する出版に携わるつもりだが、会社はガイド候補として採用)に受かるのだが、ひょんなことで受けた中央公論に入社する(入社試験は論文だったが“小説”を書く)。しかし、結核に罹り長期療養、休職期限を越えてしまい退社。一転建築家を目指すが、思うように行かない。そんな時中央公論から復職の誘いがかかる。全集もの(中心になって進めた「世界の歴史」は大ヒットし、新社屋建設に寄与する)、婦人公論、中央公論の編集者(いずれも編集長を務めることになる)としての仕事の合間(金曜の夜から月曜の朝まで)の鉄道旅行はいつしか全国規模になり、“国鉄全線乗車”が見えてくる。経営者(常務)となった宮脇は労働争議で組合との交渉役として奮闘、何とかこれを解決するが、出版社経営への情熱は失せてしまう。定年を待たずに自己都合退職、作家としての人生を歩み始める。
専門分野変更、病気、失職、どれ一つをとっても順調な人生とは言えない(加えて、本書では全く触れられていないが、発病前に結婚し失職中に離婚している)。このような苦しい体験と本来の育ちの良さが影響し合い、途中下車や乗換えの多いローカル列車の旅を愛し、作品に共通する、飄々とした感じとユーモラスな雰囲気それに時として現れる優しさや哀歓につながっているに違いない。特に本書が書き下しではなく“語り下し”故にその感が直接伝わってくる。

蛇足;中公新書を起案・発刊したのもこの人です。

2)ビブリオバトル
ビブリオとは“図書”をあらわすラテン語。バトルは“戦い”だから、直訳では“図書戦争”と言うことになるが、「書評合戦」が適訳だろう(“バトル”と言うほど敵対的な性格ではないので、サブタイトルにある「書評ゲーム」がより実態を表しているともいえる)。言葉も、ルールも著者の周辺から発しており、その発案者が書いた本である。一見旧来の読書会・書評会のような印象を受けるが動機や進め方は全く違う。“書評”の文字に惹かれ読むことになったが、読み進むうちに「これは面白い!やってみようかな」と言う気分になっていった。
著者は京大で精密工学を専攻、博士過程ではロボットと人間のコミュニケーションを研究したようだ。博士号取得後得た最初の仕事は同じ大学の大学院情報学研究科ポスドク研究員である。この大学院は工学研究に限らず社会科学や人文科学も研究領域に含む新しい大学院で研究テーマの選定にもかなり自由度がある(それだけにテーマの発見・絞込みに苦労する)。この(コミュニケーション)研究テーマ発見とプレゼンテーション能力(これもコミュニケーション)向上を効果的に行う方法として考え出されたのが“ビブリオバトル”なのだ。
専門家や読書家にとって読んでみようと思う本には傾向があり、興味のないテーマはまず取り上げない。ここで大きな選別フィルターがかかってしまう。思わぬ本に出会い、それがきっかけで新しい分野にヒントを得て、そこから研究活動を展開し新発見・新発明に繋がるような成果があるのではないか。普段自分が手にしない本との出会いの新たな機会を作る。これがこのゲームの目的である。
ルールは;
1)発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2)順番に一人5分間で本を紹介する。(この時間制限は必須;時間がきたら途中でも終了)
3)それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを23分行う。
4)全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。
これだけである。
読書会や書評会が中身を問題にするのに対して、ここではその本の面白さを如何に説明するかが得点獲得のカギとなる。その点では書評としての深みはないが、広告で知る、店頭で手に取る、新聞などの書評を読むなどの方法に比べ、双方向の会話があり、チャンピンを目指した紹介者の意気込みが直に伝わることで、紹介された本に対する関心・理解が高まる利点がある。
一見本の紹介・発見の一手段に過ぎないこのゲームが、実は「人を通じて本を知る」だけではなく「本を通じて人を知る」ことになり、この面での効果が最近注目されてきているようである。本書の後半ではこの効用について具体的な説明をしているが、なかなか説得力のあるものになっている。
このゲームは2007年著者周辺から発し、大阪大学の科学コミュニケーション研究学生グループに伝播、ここを中心に有志が集まり“ビブリオバトル普及委員会”が結成され、試行グループが大型書店(紀伊国屋など)地方自治体(公共図書館など)などに広がり、緩いネットワークを形成して、着々とその場を広げているようである。
細かい運用上の注意事項(例えば、公開・非公開、大人数の大会)など、先行者による助言などあったほうが良いと思うが、著者は「まあ、居ればそれにこしたことはないが、必須ではない」と述べている。本を読む人が少なくなってきているといわれる。こんな試みが読書家を増やす切っ掛けになればと期待している。

蛇足;事例では、漫画本や写真集まで取り上げられている。

3)ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト
マイクロソフトが発足した時(1975年)社名は「アレン&ゲイツ」になるかも知れなかったのだが、著者(ポール・アレン)が「これではまるで法律事務所だ」と言って「マイクロコンピュータのソフトウェアを開発する会社だからマイクロ-ソフト(Micro-Soft;初めはハイフンが間にあった)にしよう!」とその名が決まったエピソードが出てくる。日本ではマイクロソフトはビル・ゲイツの起こした会社のように思われているが、米国では二人が若い頃からのパートナーであることはよく知られている。そのポールが書いた題名通りのノンフィクション伝記である。ただし原題は“Idea Man”。ビルを“ビジネスマン”とすれば二人の果たしてきた役割分担が明確に伝わる。そう!ポールはビジネスマンではないのだ!
二人が知り合うのはシアトルの私立中高一貫校レイクサイド・スクールだ。ポールは10年生(日本流に言えば高校1年生)、ビルは8年生(中学2年生)、コンピュータ室(とは言っても本体はなく端末だけが設置され、遠隔地にある大型コンピュータをタイムシェアリングで使う)に出入りしているうちに、お互いの優れたプログラム作成能力を認め合い親しくなる。評判は市内に在ったソフトウェア開発会社にも伝わり、そこで一緒に小遣い稼ぎを始める。やがてポールはワシントン州立大学のコンピュータ・サイエンス科に進み(1971年)、2年遅れてビルはハーバード大の数学科に入る。当時ボストンはシリコーンヴァレーと並ぶコンピュータのメッカ、ワシントン大の入門コースに物足りなさを感じていたポールはビルの誘いに応じて、休学してボストンに向かう。これがマイクロコンピュータ(マイコン)の出現と併せて、その後のマイクロソフト誕生の切っ掛けとなる。
コンピュータは人間がプログラム(一連の作動手順)を作って初めて動く。原初この手順指示は01の二つの数字の組み合わせで行われた(いまでも内部は同じ)。これを機械語と言う。しばらくするとこれをアルファベット数文字(3文字が多かった)で意味を持たせてプログラムを作る言語が出てくる(引き算なら“SUB”と言うような)。これがアッセンブラー言語である。これはさらに自然語近い高級言語(フォートランやコボルなど)に置き換わっていく。この高級言語の一つにBASIC(ベーシック)があり、やがてマイコン用に普及していく。このマイコン向けBASICMS-BASICとする)を二人が手がけ事業化に成功するのだ(1975年)。
この時のポールとビルの役割はそれほど明確に分かれていないのだが「マイコン用BASICを作ろう」と言い出したのはポール、MS-BASICプログラムの開発はビルに比重がかかっている。そして抜け目のないビルは「プログラム開発の貢献度は自分のほうが高いから、取り分は五分五分ではなく六分四分にしてくれ」と主張、ポールにも言い分(ミニコン、DECの上で動く開発環境(エミュレータ;一部しか公開されていないマイコン作動ロジックを推理しながら、ミニコン上に再現する)を作り上げたのはポール)はあったもののこれを呑む。
次のチャンスは密かにPCの世界に打って出ようとしていたIBMからやってくる。MS-BASICの実績を評価して、極秘裏にPC用のオペレーティング・システム(OS;コンピュータを動かすための基幹ソフト)を共同開発しようと言う提案である。このころのPCOSはサンディエゴに在るディジタル・リサーチ社(DR)のCP/Mが事実上の標準(デファクト・スタンダード)になっていた。MS-BASICもこの上で動いていたからMS側は三社の共同開発を提案、IBMDRとの接触を勧める。しかし、素性を明かさず機密保持契約を求めるIBMDRの共同経営者(妻;夫は不在)はサインを拒む。やむなく業界ではマイナーながら、ポールが早くから目配りしていたSCP(シアトル・コンピュータ・プロダクト)のOSをベースにIBMPC向け新OSを開発することになる。
このように業界の技術動向については常にポールが状況把握し、ビルがビジネスとしての可能性をタイムリーに判断する経営がしばらく続くのだが、新OSが世に出る前、ビルは自分の存在がより大きいと主張、会社の持分を六分四分から64%対36%にしたいと要求してくる(1977年)。再び不本意ながらポールはこれを受け入れる。
二人の関係に齟齬が生じていく中、新OSの開発は数々の問題にぶつかりながらも1981年完成、MS-DOSとして世に出る。IBMPCは爆発的に売れ、MS-DOSPC/OSとしてデファクトの地位を確立、マイクロソフトの知名度も一気に上がる。当時米国外では最も積極的なPC開発拠点だった日本はIBMに次ぐMSにとっての宝の山、精力的に売り込み・提携をこなしていくのは専らビルの役割。溝はますます深まっていく。19826月ポールはビルに決別の手紙を書く「とても辛いことだが、僕は一つの結論に達した。そろそろ僕は、マイクロソフトを去るべきなのだろう、・・・」と。
退職は直ぐにはしなかったものの、経営に直接関与することはなくなり技術顧問兼取締役(大株主)として部屋を与えられる。そこへ更なる不幸が訪れる。膝の裏側に痒みを感じたがそれが癌の一種ホジキン病だったのだ。結果から言うと、命に別状はなく回復するのだが、死への恐れと治療のために気力・体力とも著しく低下してしまう。「もうエネルギッシュに活動するビルについていけない」19832月ついに自分が作り上げた会社を退職する(29歳)。ただし、ビルからの「株式を引き取りたい」との提案を断わり、19905月の株式公開で大富豪になる。
現在(2013年)のビルの資産総額は700億ドル(7兆円)を超すといわれている。単純に前記の持株比率からポールの資産を概算すると350億ドル(ビルにはCEOとしての報酬もあるし、一方のポールはネットワーク事業への投資では大きな損出も出しているので、この数字は極めて大雑把なものであるが、今でも世界の資産長者番付で50位以内である)。
若くして大金を手にした者が何をするか?それが本書の後半部分である。バスケットボール・チーム(ポートランド・ブレイザーズ)やフットボール・チーム(シアトル・シーホークス)のオーナー、理想を体現したIT研究所、インターネット普及前の通信事業、脳科学研究所、映画製作会社(ドリーム・ワークス;スピルスバーグ、ルーカスの会社)への出資、シアトル出身のロック歌手、ジミ・ヘンドリックス記念館の設立(高校生の一時期、真剣にロック・バンドの演奏者(エレキ・ギター)を夢見たこともある。ミック・ジャガーと自家用船上で共演している写真がある)などなど。ここを読むと、この人は極めてITに関する先見性と好奇心に富むが、夢が先行してビジネスマンとしての脇の甘さが拭えない。自分でもそれを分っていながら何度か投資・事業に失敗している。ビル無かりせばの感を強く持つと同時に、ポールが去った後営利企業としては着実に経営されているものの、OSWindows)以外に魅力的商品が出ていないマイクロソフトが失ったものも大きいように思う。
ここで現役ビジネス・パーソンに伝えておきたい彼の考え方がある。それは“イノヴェーション経営の危うさ”である(特にIT分野ではそれが顕著)。一言で言えば「必ず後から来たものにキャッチアップされ、淘汰される(最初のチャンスをつかんだマイコン販売のMITS社、PC/OSで独走していたDR社、はIBMPCの出現で消滅あるいはリーダーの地位を失う)」と言うことである。閉塞感が漂う経済・経営環境の中で“イノヴェーション経営”が喧しいが、マイクロソフトの発展(マイクロソフトの製品に、真にオリジナルといえるものはない)から彼のもろもろの失敗まで、この警告の持つ重みは、自らの体験に基づくだけに大きい。改良(性能・価格だけではなく、デザイン・売り方・使い方などを含む)にこそカギがあると言うメッセージである。
いまや二人ともマイクロソフトを去り、起業家支援や慈善事業に傾注している。二人の仲も修復されたようだ。若きヒーローたちの波乱に満ちた猛々しい人生が、静かに収斂していく姿は読み終わってホッとした気分にしてくれる。これがアップルの創始者、スティーヴ・ジョブスの伝記(最後は壮絶な戦死)を読んだ後との決定的な違いである。

蛇足;ビルは結婚し子供もいるが、ポールは独身(ひとり結婚も意識して付き合っていた女性が出てくるが、ボストン時代に別れている)。遺産は主に社会福祉事業に向ける考えのようである。

元東芝青梅工場長(元東芝情報システム社長)を務められた方からのコメントです。
眞殿さま

Seattleにはよくいきますし、今年こそ行きませんが毎年と言っていい位です。
ですからPaul AllenとBill Gatesについて(Billとは青梅でパソコンをやってい
たとき前後10回くらい会っています、Paulには会ったことはありません)の私の
感想は今でも仲がよい富豪だと思います。それぞれの自宅がワシントン湖の湖畔
にあり素晴らしい家なんです。
Bill は技術者として立派な男と思います。自分の部下がやっていることを全て
出来るからです、その上責任感が強くやっかいな問題を自分の知恵と体力で切り
抜けています。Microsoftは大会社になりましたが、私が付き合っていた時代は
小さなsoftware会社でした。Billhaその時29歳と思いました。

岡本 行二

4)工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行
お馴染み“工学部ヒラノ教授”シリーズ第6弾である。今回は舞台をアメリカに移す。装丁も一新、いかにもアメリカンだ。
著者と私との生年の違いは1年、導入部に書かれた“アメリカへの憧れ・思い”は見事に重なる。特にハリウッド映画からの影響はまるで自分のことのようだ。大きな違いは、中学時代映画の観過ぎ(何と400本!)で高校受験に失敗し(編入で結局入るのだが)、高校では映画断ちをするところである。結果東大に見事現役入学している。私の場合、高校時代映画(ほとんど米画)鑑賞に熱中(中学ではとても著者に及ばないが)、3年生の進学指導で父が「ちょっと映画の観すぎです」と注意されたほどで、当然受験に失敗した。この映画を通じて刷り込まれた、眩しいほどに輝いていたアメリカ像が共通基盤としてあり、それをベースに読んでいるので、その後に直面する現実米国社会とのギャップ(人種差別;特に応用数学の世界で圧倒的な力を持つユダヤ人、競争社会;職場・地位の確保・維持、格差問題;身分・大学間格差など)を語る本書がよりよく理解できたのである。つまり根底にある“過度なアメリカ化”への批判に共感するところが多かった。
既刊の“ヒラノ教授シリーズ”や本欄の読者であればで、教授がスタンフォード大学で博士後を取得し、その後各種の国際研究機関や米国の大学で活躍したことはよく承知のことであろう。特に俊秀が集まるスタンフォード大OR学科での熾烈な競争は「世界トップクラスの研究室はこれほどの知的戦いの場なのか!」と認識を新たにしたに違いない。本書でもそのダンチック教授門下としての修行の厳しさは紹介されるが、主たる舞台は既刊ではあまり深く触れられなかったパデュー大学のマネージメント・スクールに移る。
パデュー大学はインディアナ州のラファイエット市に在る州立工科系大学。日本では根岸博士のノーベル化学賞受賞まであまり知られていなかったが、工学部は全米でも5指に入る名門大学。しかし、マネージメント・スクールの評価は今一である。つまり二流以下なのだ。ヒラノ教授はここに、有力教授のサバティカル(長期)休暇の穴埋め役として迎えられる。資格は客員准教授(当初は客員教授の提案、派遣元の筑波大学にも客員教授として申請しOKが出るが、最終的に論文数不足で准教授になる。このいきさつは“事件ファイル(経歴詐称)”に詳しい)。研究者としては既にウィスコンシン大学の研究所にも勤務経験を持ち、それなりに経験を積んでいる(一言で言うと、論文数不足で冷遇・卑下される)が、教えるのは初めての経験である。米国の大学では学生・教員の間も真剣勝負(当然評価の対象)、なめられたらお終い。先ず教科書に確り目を通し、万全の備えで臨まなければならない。客員ゆえ、自前で教科書を用意する必要はなく、休暇中の教授と学部長共著のテキストを使うのだが、スタンフォード辺りの一流と比べこれが丁寧すぎる。二流校ゆえである。
二流校を一流にしたい。どこの二流大学もこれは切なる願いである。スタンフォード大学も創設来戦後しばらくまではただの西部のお坊ちゃん大学だったようだが、カネに物を言わせて一流の学者を一気に多数揃え(ダンチック博士もこの時ランド研究所から引き抜かれる)、大変身した歴史がある。パデュー大のマネージメント・スクールにそれは可能か?ヒラノ教授の答は“否”である。理由は大学が所在する場所が余りに退屈な所からだと言う。大平原の中に大学しかない。一流の評価が固まっている工学部はともかく、これほど刺激のない場所で二流となると、少々報酬が高くても移ってくる人は少ないし、評価が高まれば外へ出てしまう。おまけにマネージメント・スクールは研究機関ではないので研究費で釣ることも出来ない。つまり解はないのである。
ヒラノ教授が次に驚くのはマネージメント・スクールの教育内容である。典型的なOR応用問題に輸送問題がある。複数の生産地と消費地が在る条件の下で、総輸送費が一番安い輸送計画を策定する。供給が需要を上回っている時、解は必ず求まる。しかし、需要が供給を上回ったらどうなるか?単純には解は出ない。ここで使った教科書にその問題と解法が出ていた。需給方向を逆転させるのである。こうすれば数学的には輸送費ミニマムの最適解が求まるのだが、何処かの(遠くて数量の少ない)お客はカットされることになる。「こんな経営でいいのか?!残業してでも増産するのが経営だろう!」ヒラノ教授は唖然とする。この問題からアメリカが誇るMBA教育への疑念が沸々と湧いてくる。「こんな教育を修めただけの学生がいきなり管理職・経営者になっていいのか?」と。
他にも、米国大学の財務体質(極めて金持ち)、学問上の功名争い、応用数学界におけるユダヤ人の見えざる糸、パーティーの重要性とルール(夫婦同伴、借りは必ず返す、お土産)、学問上の用語に関する誤解(Household Economics;を家政学と解釈し、「花嫁修業に役立つ」と応じて大学教授夫人(Household Economicsの博士)の逆鱗に触れ、出入り禁止となる)など興味深い話題満載。そこには彼我の大学そして社会比較が通奏低音として流れ、無批判でアメリカ文化を受け入れてきた我々世代の責任におよんでいく。
この本を読んで、誰に読ませたいかと考えた。中学生・高校生(特に理工系進学希望者)がその答えである。アメリカが世界に誇る大学教育システム(産業)と一流の学者・研究者の実態を知ることの出来るよい教材だからである。身近にそのような潜在読者がある方は是非薦めていただきたい。

蛇足;出版社が新潮社に戻った。売れると!と読んだに違いない。
本件に関する著者からのコメント;

新潮社との関係は以下の通りです。新潮社には同一著者のノンフィ
クションは年に一冊という内規があるそうです。若ければともかく、そ
れでは命が尽きてしまうので、あちこち当たって出してもらっています。
今回は年に1回の里帰りです。
秋にはまた青土社から出してもらえそうです。年に3冊、これが当面の
ノルマです。論文の場合は、内容が正しければ読者が少なくても出し
てもらえますが、一般書は読者がいない本(売れない本)は出してくれ
ません。また新潮社の編集者の審査は、OR学会論文誌のレフェリー
と同程度の厳しさです(OR学会のレフェリーは経済学者ほどではあ
りませんが、とても厳しい、もしくは厳しすぎるという評判です)。
というわけで、現役時代と同程度には“苦しみながら“書いています。

5)集合知とは何か
“集合知”という言葉すらこの本を読むまで知らなかった。ただ3月初め“総合知”学会と言うところで講演を求められ、細分化された学問領域を超えた新しい研究活動を進めている人々と交流する機会があり、それとの関係でこの言葉に惹かれ本書を読むことになった。読んでみて総合知研究(この研究自体まだ領域設定を模索している感があるが…)と集合知研究に多くの共通点がある一方、総合知は自然科学(主として工学)から社会科学(政治、経済、国際関係など)に領域拡大を目指しているように見えるのに対し、集合知は自然科学領域(工学、生理学・医学)を中心に人間と機械(主にIT)の役割分担のあるべき姿を追究しているところに違いがあると解釈した(この研究も人文科学;哲学・宗教、心理学などへの研究領域拡大はあるが…)。
先ず集合知の位置付け・意味をざっくりと要約すると、対極にあるものとして専門知がある。専門家の権威ある(と思われてきた)知識のことである。これに対して集合知は言わば“(素人)三人(多数)寄れば文殊の知恵”(となるかもしれない)となる。導入部では3.11における原発事故が取り上げられ、専門家の醜態・権威失墜(事故発生直後よりもその後の対応)がクローズアップされ、専門ムラ社会の問題点・原因が紹介され、一般人の常識を集めて整理すること(集合知)により、よりましな対応策ができた可能性を示唆する。だからと言って、携帯端末でつぶやいてことを決めるような無茶な考えを推奨する意図は全くない。
専門家の知見が尊ばれてきたのは何故か?先ず専門知を掘り下げるところから始まる。専門家の意見は論理的で客観的であることに説得力がある。昨今は論理的・客観的は良いこととされ、経験的・主観的な考え方を排する風潮がある(特に組織における意思決定・合意形成に際して)。しかし、論理に基づく解はその上にある枠組みに左右される(数学問題の解が初期条件・境界条件で変わることと同じ)。枠組みそのものは必ずしもは論理的に出来上がったものではなく、拠りどころは宗教や社会通念・規範にある。そう捉えると専門家の論理性・客観性にも限界があるではないか。専門分化の進み過ぎと併せて専門知の適用限界に迫っていく。
では集合知はどうだろう?広義には、“生命体の群の中に宿る知”と説明した上で、ここで取り上げるのは“より狭く、いわゆる「衆知」、とくにインターネットを介して他人同士が知恵をだしあって構築する知”とする。次いで2004年コラムニスト、ジェームス・スロウィッキーが書いてベストセラーとなった『「みんなの意見」は案外正しい』を引用し、牛の体重推測値を700人を超す仲買人に記入させ、計測したところ、“平均値が正解”だった話で、集合知の正しさについての考察をスタートさせる(無論著者はスロウィッキーの本の内容がそのまま学術研究につながるとは考えていないが…)。
導入部に次ぐ展開は、いきなり集合知に入る前に“個々の人間の知”とは如何なるものかを掘り下げていく。ポイントは個人の心の内(知)は同じ現象に接してもそれまでの体験や環境によって異なると言うことであり、それがどのようなメカニズムに依るかを既存の研究から解説していく。この辺りはいろいろな学説が援用され、それらの相互関係がやや複雑で、理解に手間取る。
次はこのように異なる個人(知)が複数集まり、ある事象に対して情報が与えられた時の挙動を実験観察し、 “望ましい集合知”がどうしたら求められるかを追っていく。結果は、情報開示度が“適度”な時まとめ役に近いリーダーが出現し、妥当と思われる問題解決案に収斂するが、公開し過ぎるとリーダー不在の混乱を生じたり、独裁者が出現したりする。つまり、ネットでほしい情報が誰でも、いつでも入手できることが、健全な集合知をもたらさないことをあきらかにする。
では“適度”な情報開示とは、どんな情報をどのようにオープンにすればいいのか?ここが現時点での集合知研究の最前線である。研究の一例として、限られた業務改善(ソフトウェア開発プロジェクトの混乱とそこからの脱出;チーム・メンバーの人的コンタクトを解析するための特殊な携帯ツールを全員が首から提げて記録し、コミュニケーション環境の改善を図る;単なる接触時間の記録に留まり、会話内容まで踏み込んではいない)が紹介される。
著者は計数工学を専攻した後、第5世代コンピュータ開発プロジェクトにも関わった経験のあるエンジニア(現在は情報学専攻の東大教授)で、コンピュータによる人工知能実現が如何に非現実的な構想(妄想)であったかを反省を込めて本書の中で述べている(700億円投入;コンピュータは一応出来上がったがほとんど使われることは無かった。誰も責任をとる者はいなかった)。そのような経験を踏まえ、ITと人間の望ましい共棲環境を追い求めている。
原発事故のような複雑な問題への集合知適用には程遠い段階だが、メディアが持ち上げる、ネット利用(ツイッターなど)ではしゃいでいる一部のITによる社会革命信奉者、政治家や市民運動家の陰で、このような地道な努力が続けられていることを知り、今後の健全なIT利用社会実現のために頼もしく思った。

蛇足; “集合知”と言う言葉を少し調べてみた。起源は1980年代後半から90年代前半に盛んだった“組織知能”(組織のIQ)研究であることがわかった(これなら知っていた)。2005年のWeb2.0の導入により、検索エンジンやSNS(インターネット利用の多人数参加型対話)環境が充実、知識の自動収集・集約で“新たな知”を生み出すことを期待して研究が新展開していった。これが集合知である。英語ではCollective Intelligence、本書に引用されたスロウィッキーの原著で使われているWisdom of Crowds(群集の叡智)とは本来異なるとするものが多い。

以上
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