2013年12月1日日曜日

今月の本棚-63(2013年11月分)


<今月読んだ本>
1)死もまた我等なり(クリフトン年代記第2部;上、下)(ジェフリー・アーチャー);新潮社(文庫)
2)本が崩れる(草森紳一);文芸春秋社(新書)
3)国家安全保障の基本問題(飯田耕司);三恵社
4)あの日、僕は旅に出た(蔵前仁一);幻冬舎
5)若き物理学徒たちのケンブリッジ(小山慶太); 新潮社(文庫)

<愚評昧説>
1)死もまた我等なり
本欄-5820136月分)で紹介した、英国人気作家ジェフリー・アーチャー作“クリフトン3代記-時のみぞ知る-”の第2部である。
主人公はブリストル在住の、父親を早くに亡くした下層労働者階級の男の子。この父の死と本人の誕生にまつわる秘密が第一部の骨格を成す。
母のたっての希望で初等教育を受けることになるが、本人は退屈な授業より早く働くことを願っている。しかし、担当教師と牧師が彼の優れた学習能力に気付き、上級学校(中学)への進学を画策する(教会付属学校の聖歌隊員奨学金取得)。下層階級出身者ゆえに障害が次々に現れるが、親友(産業資本家の御曹司)の助けもあり、それらを乗り越え、グラマースクール(高校)に進み、さらにはオックスフォード大学に合格する。また親友の妹と恋仲になり、在学中に結婚することになるのだが、式の最中出生の秘密が明らかになり、中止になってしまう。
折しも、第2次世界大戦が始まり、エリートたちは前線に志願して出ていく。主人公も港町で育った経験を生かし海軍に進むことを考えるが、その前に船乗りの経験(航海士)をつむため貨物船に見習いとして乗り込む。この船がUボートに沈められ、主人公は米国の客船に救助されるが、その際結婚破談の理由を解消すべく、他人(指導者だった先任航海士;死亡)になりすますことにする。やがてNYに着くと待っていたのは、逮捕状を手にした刑事だった。ここまでが第1部の粗筋である。
2部は他人を騙ったために着せられた罪を巡る裁判劇から始まる。死亡した航海士の両親に雇われた辣腕弁護士に言い包められ、罪(殺人とは別の)を認め、刑務所に服役する主人公。そこにアメリカ陸軍の特殊部隊編成の話が持ち込まれ、主人公は同房者とともに志願し、欧州戦線で隠密作戦に従事することになる。この部隊で活躍した後、やっとブリストルに戻り、恋人や母と再会することになる。
親友も同様に陸軍に志願、北アフリカ戦線で戦い、捕虜となりドイツの収容所に送られるがそこを脱走、ブリストルに帰り着く。
これでハッピーエンドにならないのは、実は二人が異母兄弟の疑いがあることである。主人公の母が結婚直前犯した過ちで、親友の父親が主人公の父親でもある可能性が拭えないのだ。
1部では健在だった海運・造船業を営み、貴族に列せられた親友の祖父が亡くなると父親が後を継ぐがこの父親も間もなく不慮の死を遂げる。主人公の誕生日が少し早いことから、もし実子であれば貴族を継承しなければならない。そうなれは“妹”との結婚は無論許されないので、爵位を辞退し親友に譲ることを提案するが、爵位相続問題はもう個人の手を離れ、国の判断を仰がざるを得ない状況に置かれてしまう。ここまでが第2部の骨子。主人公と恋人(妹?)の間には彼の行方不明中男の子が生まれている。多分第3部はこの3代目が中心にストーリーが組み立てられるのだろう。
前回も書いたが、ジェフリー・アーチャーは凄いストーリー・テラーである。とにかく一行だに無駄な文がなく、飛ばし読みなどする気にまったくならない。読みだしたら、中断するにはかなりの決心が必要だった。あまり日本人の小説は読まないが、司馬遼太郎(“坂の上の雲”のみ)、最近亡くなった山崎豊子(“大地の子”、“華麗なる家族”のみ)など長編で有名な作家に比べ、場面展開のスピード・幅・奥行きが桁違い、個人的に“面白さ”ではるかにこちらが上である。第3部の早い発刊が待ち遠しい。

2)本が崩れる
本欄-6020138月分)で“蔵書の苦しみ”を紹介しところ、「(東日本大震災の際)お宅では“書籍流”はありませんでしたか?」と言うご質問をいただいた。土石流にかけたセンスに思わず笑ってしまった。幸い書架に二段重ねになっている外側の数冊が落ちる程度で流れにはならなかった。しかし、こんな言葉が生まれたのは、関東でもかなり蔵書が崩れ、慌てた人も多かったのではなかろうか。
“書籍流”と聞いてフッと思い浮かんだのが、どこかで目にした本書。早速Amazonから取り寄せた。
著者の名前くらいは記憶の片隅にあったものの、よくは知らなかった。著者紹介やこの本を読み進むうちに、“婦人画報”の編集者から評論家(漫画・広告・写真)に転じ本書執筆時は“資料もの”と著者が呼ぶノンフィクションを生業としていることがわかった。生年は1938年だから私より一つ上。2008年に亡くなっているので大震災には遭っていない。
内容は「本が崩れる」「素手もグローブ」「この世に思残すこと無からしむ」3編の長編エッセイから成り、いずれも“文学界”など雑誌に掲載されたものをまとめたものである。当然のことながら私が興味を持って読んだのは「崩れる」で、「グローブ」は少年時代の野球に関する想い出、「この世」はタバコに纏わる有名人の言動、自分(へヴィー・スモーカー)の思いを書いたものである。
「崩れる」の書き出しは、風呂に入るため脱衣室に入り扉を閉めたところ、廊下側に積んであった本が崩れ、出られなくなる話から始まる。独り者の彼に同居家族はいない。膨大な蔵書を収めるため、窓が少なく、本棚スペースを確保するため廊下の長いマンションに住んでいる。隣家に簡単に助けを呼べる造りではない。下手をすれば孤独死したかもしれない。
そこから如何に脱出するかが一応時間的なフレームにはなっているものの、内容は何故かくも大量の書物を持つことになったか、それをどのように保管するか(積み方まで含めて)、必要なものをいかに探し出し取り出すかから、この蔵書を基に書いた著作の紹介(例えば、ナチスの力の源泉が“宣伝”にあることを突きとめ、これが共産主義統治国家と全く同じであることを明らかにする本)などに発展し、話は“蔵書談”から社会評論に転じていく。
ここへ移る前に住んでいたマンションを去る際、TV・冷蔵庫などの電気器具はすべて(黒電話と書き物をする炬燵机を除いて)処分、3万冊を超す蔵書は郷里(帯広)に送り、すっきりした環境を整えたにもかかわらず、再び本に埋もれた(万年床のスペース以外はどこも本でいっぱい)生活に戻ってしまう。読み進むうちに、「本が崩れる」状況描写に一人笑いするとともに、書くこと(そのために購入し、読み・調べ、保管する)に対するエネルギー・執念に圧倒されると同時に、妖気さえ感じさせる(晩年の写真は白髪・白鬚に覆われまるで仙人である)。
写真が趣味ゆえ、横積みされた本やそれが崩れた(る)様子、靴や灰皿が本と同居する日常など何葉かのスナップによって、その凄まじさを確認できるところも異色の“書籍もの”である。

3)国家安全保障の基本問題
著者は元一等海佐、工博で防衛大学教授も務めたOR(オペレーションズ・リサーチ;応用数理一分野)の専門家である。既刊の著書はこの軍事OR分野のものが多いが、今回はあらゆる軍事活動の起点となる我が国の安全保障に関する、著者の見解・主張を記したものである。
尖閣諸島を巡る中国との鞘当て、韓国の竹島実効支配、北朝鮮の核開発、ロシア首脳の北方領土訪問。すべて我が国国防力・国防思想の曖昧さに起因していると考える人が増えてきているように感じる。このような国際関係を身近な問題ととらえ、世界の歴史に類を見ない長期の平和ボケ、反軍思想の蔓延に警鐘を鳴らす、クールな書物も少しずつ注目されるようになってきている。個人的に良いことだと思っている。
本書もいたずらに不安を煽ったり軍事力強化を声高に主張するものではなく、周辺国の戦後の言動、経済力・軍事力の変化を含めて客観的に我が国の安全保障環境を解説・分析するところから書き起こされる。この部分は私の世代(70歳代)では、本来知っていていいことであるはずであるが、意外と教えられるところが多い。例えば、サンフランシスコ講和条約調印の場に韓国が呼ばれなかったことがある。これは英国が韓国は日本の交戦国ではないことを理由に参加を拒否したことに依る。最近の韓国の反日傾斜の根はこんなところにあるのかもしれない。また、中国の領海主張は、東シナ海(尖閣諸島)では大陸棚説、南シナ海では200海里説と自国に都合のよい方を使い分けている。さらには中国や韓国の歴史がその時の自己政権の正統性を作文する「正史史観」を連ねたものであるのに対し、我が国のそれは時の権力との関係が極めて薄いものであることを教授する。
次いで、平和ボケと自虐史観の内的要因が“戦後レジーム(左翼知識人とそれに迎合してきたマスメディアが作り上げた一国平和主義)”に依ることを具体的に明らかにしていく。ここではアメリカの進歩的理想主義者(必ずしもアメリカの本流ではなかった)が、我が国の国家観を歴史と伝統から根本的に覆すことを狙って定めた現用憲法に対する批判が縷々述べられる。そして憲法論議が戦力保持を禁じた第9条以上に、天皇・皇室に関わる点をクローズアップしているところが、他のものと大きく異なる。つまり憲法および安全保障の基となる国家観は天皇の在り方と不可分であるとの見解を示す。この考え方に対する賛否はともかく、実情に全く合わない(特に国家の非常時)現用憲法を見直す大きな論点をここに置いている。
著者は安全保障に関する“基本問題”は外的要因(周辺国)以上にこの内的要因にあると見ており、問題解決策として新憲法制定、自衛隊の国防軍への転換、教育改革、有事立法、司法・警察の質的改善など多岐にわたり個別に私案を示している。
私はこの本を著者から贈られ、教えられるところ大であった。もっと若い人に読んでもらいたい。そう思って過日近くに用があったので、神保町の書店街では軍事書の多い書泉グランデの5階(軍事と乗り物)へ出かけてみた。ここには普通の書店には置いていない防衛省関係者の出版物が結構在る。しかし、残念ながら本書は無かった。興味のある方は直接出版社(三恵社;http://www.sankeisha.com)に当たっていただくかAmazon経由で求めることができる。

4)あの日、僕は旅に出た
海外旅行の本は好きなジャンルの一つ。しかし、歳をとってからはバックパッカーのような世界にはあまり興味が持てない。実際出かけるわけではないが“体力がついていけない”感じがして読む意欲が起こらないのだ。貧乏旅行でも乗り物が中心だとチョッと気分が変わるのだが・・・。
本書を知ったのは新聞書評の著者紹介の欄だった。記事にザーッと目を通して、若いバックパッカーの教祖的な人であること、特に自身のインド旅行がその後につながることを知った。まず浮かんだのが本欄でも何度か紹介している下川祐治、次いで「全東洋街道」の藤原新也、「深夜特急」の沢木耕太郎、古いところで「何でも見てやろう」の小田実である。皆インドを経由して日本とヨーロッパを結ぶ旅をしている。それも貧乏旅行を。彼らの著作はいずれも旅の古典あるいはバイブルとの評価を得ているが、揃ってインドで受けたカルチャーショックを事細かに述べている。著者の旅へののめり込みもインドから始まる。
19869月、1週間ばかりインドに出張した。宿泊したのはニューデリーの米系ホテル。日曜日一日アグラに出かけタージマハルとアグラ城を観光した。往復はクーラーの効いた社用車。貧乏旅行とは無縁の世界である。しかし、暗い空港、闇にうごめくホームレスの人々、オールドデリーの喧騒、ポンコツ国産車や荷台が傾いだトラックが猛スピードで飛ばす田舎の悪路、大蛇を身体に巻き付けて近づいてくる少年(見世物)、ごみも流れる川での洗濯、それまで発展途上国へ出かけたことがなかっただけに今でも鮮明に思い出せるシーンである。そして私の満州からの引き揚げの話に涙したインド人(本ブログ“遠い国・近い人(インド編)”)。私もそれなりにカルチャーショックを受け、トルコと並んでもう一度じっくり旅をしてみたい国の一つになっている。そんなわけで、インドが舞台と知って本書を読んでみる気になった。
読んでみると、これは純然たる旅行記ではなく、むしろ著者の半生記と言った方がいい内容であった。しかし、それが他の放浪旅行記とは異なるところで、旅の場面場面を楽しむと同時に、「こういう人生もあるのか」とサラリーマン人生を全うした私には想像のできない生き方に引き込まれ、「それで、これからどうするんだ?」の連続に、サスペンス小説を読むような不安感・緊張感を持ちながら読み進んだ。
著者は大学(慶応)では法学を専攻しているが、学生生活の中心は専ら漫画研究会の活動だったようだ。目指すところは売れっ子の漫画家だがそれは叶わず、フリーのイラストレーターとして実社会に入っていく。売れない時期がしばし続いた後、急に仕事が入りだす。個人事業の大変なのは、チャンスを逃すと次が無いことである。無茶苦茶なハードワークの中で深夜タクシーの運転手に仕事を問われ、今の生活を語ると「鏡で自分の顔をよく見てみろ。このままでは先が長くない」と忠告される。これが契機となって2週間のインド旅行に出かける(1982年)。この時はそれほどインドに惹かれることはなかったのだが(むしろ悪いイメージ)、帰国してもインドがどうしても頭から離れないようになってしまう。“インド病”に罹ったのだ。経験者のアドヴァイスは「治すにはもう一度インドへ行くしかない」である。半年かけて仕事を整理、19839月中国・タイ・ビルマなどを経て19843月最終目的地のインド入りをする。帰国は19853月、滞在は1年に及ぶ。
このインド体験を、仕事を再開しながら「ゴーゴー・インド」(198911月)として出版したことから、著作・出版の世界に関わっていく。併行して取り組むのが発行部数50程度の旅行ミニコミ誌「遊星通信」を出し(1988年)、これがさらに個人旅行者向けの月刊誌「旅行人」とへと発展していく(199310月創刊、19955月有限会社旅行人社設立)。こうなるともう2足草鞋は許されない。イラストはやめ、兄に経営を任せ、本人は旅行取材と著述・出版に専念する。時はまだバブル経済の名残の時代、海外旅行者数(1995年度;1530万人)はうなぎのぼり、仕事仲間の女性とも結婚し、ここから多くの旅行作家を輩出、絶頂期を迎える。
しかし、本人が旅行取材するには限界がある。バブルは弾け旅行ブームも質を問われる時代になる。若者の気ままな個人旅行も減ってくる。簡単に欲しい情報が得られるインターネットの普及も旅行情報誌には逆風だ。これに少子化も加わり、月刊誌は季刊となりさらに年2回へと縮小し、ついに2011年休刊となる(55歳)。
本書はこの30余年にわたる時間を、訪問したその時々の各地(主にアジア、アフリカ;ヨーロッパ、北米はほとんど出てこない)での体験・想い出と仕事・生活を交えながら紹介していく。
先にも書いたようにこの本は単なる一つの旅の記録ではなく、20歳代前半の若者が55歳と言う高齢者社会の入口に至る30年の生き方を書いたものである。その点では、先輩の小田、沢木、藤原の(一過性)旅行記とは全く異なる、極めてユニークなものである。同じことを勧めるわけではないが、若い人にはこれからの人生を考える上で学ぶことが多々あるように感じた(反面教師的なことも含めて)。

5)若き物理学徒たちのケンブリッジ
このブログを立ち上げた最大の動機は、画面トップに記した通り、“組織における意思決定を数理に基づいて行う”環境醸成の一助にしたいとの思いからである。従って、分類したカテゴリー(主体は経営事例、今月の本棚、決断科学ノート;旅行記や外国人との交流はその点では2次的なものである)も、いずれ集大成するつもりである書き物のための情報収集・整理や備忘録あるいは文書化訓練を目的としている。その中で「今月の本棚」ではIT利用、数理、軍事システム、戦史・戦記、科学・技術研究およびこれらに関わってきた人々の伝記などを紹介してきた。特にOR(数理の戦争への利用)歴史研究に関しては、その父と言われる、P.M.S.ブラケット(マンチェスター大物理学教授;1948年度ノーベル物理学賞受賞)に関係する書物(すべて英書)は欠かせない資料であった。
ブラケットは元々海軍兵学校を出た(第一次世界大戦勃発で繰り上げ卒業)士官で実戦にも参加しているが、戦後繰り上げ卒業の埋め合わせのためケンブリッジ大学の短期教育コースに派遣されたのが動機で、学問の世界に興味が移り退役して本格的に物理学を学ぶことになる。その時所属したのが本書の舞台となるキャヴェンディッシュ物理学研究所、指導教官は本書の主役、ラザフォード。目を通さずにおけない本である。
ケンブリッジ大学(以下ケ大)を代表する自然科学分野の第一人者はニュートンと言っていいだろう。しかし、この時代ケ大に限らず自然科学は軽んじられ、ニュートンの研究成果は専ら自宅を含む校外の活動から生み出されている。自然科学、特に物理学や化学分野への力が入り始めるのは、19世紀に入りドイツのこれら分野での顕著な進展に触発されてからである。
キャヴェンディッシュ研究所は1861年ケ大総長となったデヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの多額の財政支援で1871年誕生する。初代所長は電磁気学の祖、マックスウェルである。この後に元素アルゴンの発見者で1904年ノーベル物理学賞のJ.J.トムソンが続き、3代目が本書の主人公、ラザフォードでマンチェスター大学から第一次世界大戦終了直後の1918年に転じてくる。ニュージーランド出身とはいえ奨学金を得てケ大で研究に従事しているし、既に1908年ノーベル化学賞(この時代核物理の世界は物理と化学の分野が明確に分かれていなかった)を受賞していたから、就任は当然のことであった。そしてこのラザフォード所長時代(1918年~1937年の不慮の死まで)がキャヴェンディッシュの最も輝いた時代であった(その後も衰退したわけではない)。それは設立来29名のノーベル賞受賞者(物理学20名、化学6名、医学生理学3名)の内12名がラザフォード時代に誕生しているからである。
さて、ブラケットである。この人はラザフォードの指導を受けていたものの、途中でマンチェスター大学に転じている。ノーベル賞受賞は1948年だから12名(あるいは29名)の中にカウントするのはおかしい気がするが、本書では含まれている。実は、彼はもっと早い機会(キャベンディッシュ時代)にノミネートされているのだが、同種の研究が同時期互いに知らぬまま米国で進められており、それが優先されたいきさつがある。しかもオリジナル研究(宇宙線捕捉の自動撮影)は当時滞在していた日本人研究者(清水武雄)が行っていたものを、帰国に際して引き継ぎ改良したことが受賞につながったことを、授賞式スピーチで述べている。ある意味ラッキーなキャヴェンディッシュ出身者と言えるようだ。
ところで題目の“学徒”およびここまで書いてきた多くの人名から、この本がキャヴェンディッシュ人脈相関図のように受け取られるかしれない。確かにこの読後感に登場しない物理学者はまだまだ沢山おり、著者にもそのような意図があることは間違いない。しかし、私にとって予想外の収穫は核物理学(特に実験)の発展史を知ることができたことである。ラザフォードが元素(あるいはその構成要素;陽子・電子・中性子など;この3要素の発見者はすべてキャヴェンディッシュの研究者)を衝突させることでさらなる新粒子を発見していくプロセスは、現在欧州合同原子核研究機構(CERN)が行っている衝突実験と基本原理は全く同じであることを理解し、最先端の物理学研究を身近なものにしてくれた(本年度ノーベル物理学賞はCERNの実験で証明されたヒッグス粒子の存在を予測したピーター・ヒッグス博士に与えられた)。
著者は物理学史を専門にする大学教授。内容は門外漢にも極めて分かりやすく書かれており、先端科学を紹介するものとして高く評価できる。
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