2014年2月15日土曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(31)


20.パリ-7;ムーランルージュ
ナポレオンの棺を見終ったのが4時少し前、オペラからエッフェル塔を目指したとき利用した8号線のラ・トゥール・モブール駅から来た時とは逆方向へ向かいオペラで乗り換えてサン・ラザールに戻った。ホテルで一休みとも思ったがまだ日は高いので、近くに在るデパート、プランタンに寄ることにした。私の目的は孫たちへの土産に適当なおもちゃ(出来ればフランスの新幹線TGVやフランス車の模型)探すことだったが、本格的なおもちゃ売り場は無く土産物や人形程度しか置いていなかった。びっくりしたのは店内のブランドショップ(ルイ・ヴィトン、エルメスなど)に若い中国人観光客が長蛇の列をなしていたことである。
ホテルへ戻ると、帰国前の時間を利用して、三々五々散っているツアーのメンバーを待っている添乗員のOSNさんがロビーに居り、玩具屋情報をもらうことが出来た。プランタンに隣接するギャラリー・ラファイエットとホテルの東側の通りに専門店が在ることがわかった。今日はこの後ディナー付のショウを観に出かけるが、マイバスの集合時間は615分、部屋でしばし転寝をした。

 指定の時間にマイバスのオフィスに行くと、同行者の日本人は我々を含め10数名。中年の夫婦、若い女性グループ、オジサンサラリーマンなどが若い男性ガイドに引率されてパリ市街北の繁華街、モンマルトルに在るムーランルージュに向かう。やがてあの“赤い風車(ムーラン(粉砕機、風車)・ルージュ(赤))”前の小公園に到着。まだ明るいが7時開場を待つ入場者が幾重にも並んでいる。やがて開場、我々の席は参加者全員でひとテーブル(長方形で向かい合わせ)、位置は800人前後入る劇場の中央より舞台に近いやや左側、観劇にまずまずの場所と言っていい。我々の隣は三重から参加の旭化成の技術者夫婦、話も合って気分も和む。
この劇場は1889年営業開始、第一次世界大戦・第二次世界大戦時も営業、あのロートレックが踊り子をモデルにした数々のポスターでも有名だが、何と言っても名物はフレアーの沢山付いたスカートをたくし上げ足を高く上げる“フレンチカンカン”だ。前座の奇術やバンド演奏(この時は観劇者も中央に張り出したステージでダンスが出来る)がしばし続きこの間、観客は食事(メインはサーモン、シャンパンが二人に一本付いた)をする。食事の片付けが終わるといよいよ本番、スマ-トな体型だがグラマラスで艶やかな踊り子たちによる絢爛豪華な踊りが繰り広げられる。最後は三色旗を彩った衣装(スカートの内側やストッキングのガ-ターまで三色)を付けて踊るカンカンで締めくくる。
表へ出ると次の部(11時から)の入場者で通りはいっぱい。この辺りは悪所(ピガール;パリ版新宿歌舞伎町)も在って明るい時間以上の賑わいだ。
“これぞパリの夜”を満喫、帰りはホテルまで送ってくれ所要時間は4時間半、食事付で170ユーロは納得!であった。
写真はクリックすると拡大します)

(次回;パリ;つづく;ルーヴル)

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