20.パリ-8;ルーヴル
パリの話はどうしても43年前(1970年6月)の初めての訪問にもどる。この時はノルマンディ方面での仕事を済ませパリで二晩を過ごした。駆け足で夜も昼も名所を巡り歩き、モンマルトルの丘でサクレ・クール寺院を観た後ルーヴルに着いた。時間は4時頃だったと思う。今は地下の大ホールがメインの出入り口になっているが(今でも入り口は数か所ある)、当時ここはまだなく一階にチケット売り場やお土産物の店が在った。そのチケット・センターで「閉館までには時間があるが、今日のチケット販売は終わり」と告げられる。2時間足らずで観て廻る者などいないと言うことなのだ。
格別の絵画ファンではない。しかし、高校が上野の山に在ったこともあり比較的美術の話題には早くから触れていた。記憶に残るのが戦後初のルーヴル展である。まだ西洋美術館は出来ておらず、旧都美術館でそれが開かれ連日長蛇の列だった。ルーヴルと言う名を知ったのもその時である。だから次に訪仏の機会があったら「何としても」と思い続けていた。
10月3日(木)曇り。フルに観光に時間を当てられるは今日までなので、目いっぱいのスケジュールを組んである。その最初にルーヴルを持ってきたのは43年前の苦い思い出があるからだ。要領よく観るべきものを観るためには個人で入るより案内付きのツアーが良いとこれに参加することにした。8時45分にマイバス前集合、9時出発の早いプログラム。ガイドは美術研究をこの地で長く続ける鹿児島県出身の女性。参加者は10名程度でグループとしてのまとまりが良い。中に昨日ヴェルサイユ観光で一緒だった若い女性もいた。
マイバスのオフィスはピラミッド通りに在る。この名前は多分美術館地下ホールへの明かり採りのガラスでできたピラミッド状の構造物があるからではなかろうか?つまりマイバスからルーヴルまでは歩きで十数分しかかからないくらい近い。
この美術館はもともと宮殿として建造され、使われていたものでルイ14世がヴェルサイユへ移る(17世紀末)前まで王宮であった。その歴史は古く、要塞だった初期の時代の遺構が半地下部分に残っており、見学は先ずその部分から始まる。平日の早朝(ツアーの内部見学開始は9時半頃から)、既に人で溢れる地下ホールからここにくると嘘のように静かで人影もまばらだ。この歴史的部分を過ぎて一階に向かうとエジプト関連の展示があり、ラムゼス2世の石像などが置かれている。ここら辺りまでは空いていて、写真撮影に邪魔が入ることもない。しかし明るさが今一つで、どうしても少しぼやけてしまう。
この後に最初の主役が姿を見せる。“ミロのヴィーナス”である。シミや傷はあるものの、何とも言えぬ美しさと艶めかしさはさすがだ!ガイドの説明に依れば前姿は20代後ろ姿は40代、これが大人の女としての理想なのだと言う。サイズは必ずしも標準的な人間の体型ではなく、微妙にデフォルムされているとのこと。近くで解説を聞きながら眺めてみると「なるほど」と納得できる。ここはさすがに観覧者も多い。種々雑多な人種が、ツアーの同行者同士あるいはガイドに頼んで皆写真撮影に余念がない。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;パリ;ルーヴルつづく)
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