2014年5月1日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)

1;新会社創設-2

TTECはもともとExxonの石油精製技術を日本で販売するために設立された会社である。先ず高度成長期の精製設備・工場全般の建設、次いで重質油をガソリン留分にするための分解装置、さらにオクタン価を高める鉛添加剤の使用禁止をにらんだアルキレーションプラント(もともと航空用ピストンエンジン用高オクタン化燃料製造装置だが自動車用に適用)の建設、また石油危機を契機に始まった国家備蓄関係の仕事にと業容を拡大していったが、80年代に入るとそれらが一段落、本体の東燃同様ここも新事業分野の開拓が必要になってきていた。タイミングよく先端プラント制御システム、TCSが和歌山工場で順調にスタートしたこともあり、日本IBMと協力してこのTCSを我が国で販売することになり、1982年からTTECを通してそのビジネスを始めていた。世界的に高い評価のExxonの石油プロセス技術、コンピュータ業界におけるIBMの突出した力、我が国石油会社の中で抜群の収益力を誇る東燃、この3社が一体となったイメージを持つTCSは当然注目を浴び、活発な引き合いがあり、TTECの新事業として期待できるようになってきていた。
19831TTECにシステム部が創設されTCSビジネスを本格化させる。技術課と営業課の二つで構成され、技術課はTCS開発の中心人物だったTKWさん、営業課は私が担当した。技術はともかく営業活動は全く未経験分野、IBMの営業やTTEC営業部にくっついて見よう見まねで学んでいった。そんな素人営業でもJapan as No.1の時代、潜在顧客の目はことさら最新技術に向いており、ポツリポツリと成約が出始めてきた。プロセス技術ライセンス販売とは桁違いだが、確り利益も出るようになる。ただここにからくりのあることは一部の人間しか知らなかった。
先ずシステム部員は私に含めすべて情報システム室からの出向者。TTECの人件費は実働時間ベースなのでごくわずか。加えてIBMからの販売協力報奨金が極めて高かった。TTECも事業分野毎やプロジェクト毎の収支分析は行っていたが、全員が出向者だったしライセンス料もExxonとの間でルールが出来ていたので、それほど厳密なものではなかった。だから見かけ上の高収益が本社を含めて独り歩きしていたに違いない。
当時NKHさんは経理・財務それに新事業担当の常務。TTECは技術担当役員の下にあったから、NKHさんにシステム部の活動内容が詳しく伝わることはなかったと思われるが、入社以前の米国留学でコンピュータを学び、先駆者を自負していた人だから、それなりに情報収集をしていたのであろう。ある日秘書室からお呼びがかかりNKHさんと11で対面することになった。「TCSのビジネス、順調のようだな。ところでIBMがこんな資料を持ってきた。内容を吟味してコメントをくれ」 示されたのはACSTCSの母体システム;ExxonIBMで共同開発したプラント運転制御システム;この時点ではIBMの所有)の我が国における市場予測である。あらゆるプロセス工業(電力・ガスなどを含む)が網羅され潜在需要は100セットを超えている。直ぐに「(これほどの需要はありません)」と思ったが、一応その場は資料を受け取るだけで引き取り、後日分析結果をまとめて報告にうかがった。実質「ノー」の回答に何か言われるかと思ったが「こういう分析が欲しかった」と何事もなく落着した。
当然のことだが私はこの裏を考えた。誰が何のためにあの資料をNKHさんに渡したのだろう。行き着いた結論は「IBMが何かの共同事業を持ちかけているのではないか?でも何故いま?既に一緒にACSを売り歩いているのに」と言うことだった。
実はこの時期、先に連載した次期メインフレームの検討が始まっており、今までのIBM一辺倒を見直す声が情報システム室内で出始めていたのだ。「それを察知され、阻止策を打ってきたのだろうか?」

(次回;“新会社創設”つづく)


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