1;新会社創設-6
情報システム外販の芽となるTCS販売は、当初はTTEC技術部内に10年近く前に設けられ休眠状態にあったシステム技術課を舞台に進められたが、’84年1月にこれがシステム部に昇格して本格化する。またその少し前’83年9月には備蓄基地のメインテナンス業務を担当するTTECの子会社、東燃メインテナンスが設立されている。いずれの新組織も話題になってから誕生するまで時間が随分かかっていた。それは本体東燃の組織改編でも同じで、この件が取締役会決議事項であったところからきている。
日常の経営は常勤の東燃役員によって執行されているが、取締役会はそれぞれ25%の株式を保有するExxon(E)とMobil(M)が議決に加わる。出席者は各々1名だが票の重さは半数になるわけで、その同意が取り付けられなければ承認されない。本業(石油精製・石油化学)に直結した組織改編・新設であれば、それほど問題にならないようだったが、“模索(新規事業関連)”に関してE/Mはかなり神経質になっていた。本業以外への資産(カネ・人)投入を慮ってのことである。
Eは70年代かなり情報産業(電子タイプライター、半導体素子など)に投資をしてきていたが、結局モノにすることは出来なかったし、Mは製造業以外小売業(百貨店のモントゴメリーなど)の買収まで手を広げたが上手くいかなかった。結果80年代に入ると両社とも本業回帰を鮮明に打ち出す経営に切りかえ、事業のリストラクチャリングを大規模に行った経緯がある。従って東燃の“模索”の動きを慎重に吟味する姿勢を強めていたのである。
一方の東燃は、2回の石油危機を乗り越えた日本経済全体の勢いと経営体制の変換期にあり「これから新規事業への取り組みを本格化するのだ」との空気が漲り、中央研究所に隣接するダイセル化学の研究所を購入して80年にはこれを新規事業開発の拠点とし、大幅な組織改革や人員増強を目論んでいた。つまり当時の大株主とプロパー経営陣の間に新しい事業取組に関する考え方の違いがあり、柔軟な組織の改廃が出来ない背景があったのである。
TTECの中でTCSビジネスをスタートさせたとき、TTEC経営陣も我々担当者も本籍である情報システム室も分社化は全く考えていなかった。TCSの開発はExxonとの共同開発だったし、TTECはもともとExxon(ERE;Exxon Research &
Engineering)技術を日本のユーザーに販売する会社だったので従来からのTTECの商売のやり方と齟齬をきたすこともなかった。
ただExxonと表裏一体とは言っても、TCSの潜在顧客は広義の装置産業(石油精製・石油化学のみならず、鉄鋼・非鉄金属・電力・ガス・化学・紙パルプ・ガラス・セメント・食品・薬品など)全体にわたるので、他の業種から引き合いがあった時(あるいは売り込みをかけるとき)一々Exxonの了解を取り付ける必要はないと考えていた。根幹をなすACSはIBMに帰属するし、(石油関連)ユーザー知見は持ち出す必要はないからである。しかし王子製紙苫小牧工場向け売込み活動を進めている中で客先から“パルプ原液のブレンド最適化制御”の提供可否を問われたときに思いがけない回答が返ってきた。EREとTTECの連絡担当者(米人)が来日した際、この件を問い質すと「業種が異なるから問題ないだろう」との返事を得たが、帰国してEREの主管部門と検討した結果「対象業種は違っても同じ制御手法を適用するので、他社への技術供与は一切まかりならない」との訂正回答。我々もまた上部組織との考え方の違いを思い知らされることになる。
東燃(TTECを含む)はExxonとの間でSRA(Standard Research Agreement)と称する包括的技術提携契約を結んでいる。これはグループ会社間でEREの活動を支えその成果を共有することが目的でグループ外への販売を目的としていない。「外へ伸びるためにはSRAとの縁切りが必要か?」 こんなことを親しい同僚たちと話し始めることになる。
(次回;“新会社創設”つづく)
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