1;新会社創設-8
冷めていた分社化の話が復活するのは、明らかに1983年から始めたTCSの外販に起因するが、それだけならば1984年年初に出来たTTECのシステム部のままでよかったはずである。しかしこの年3月NKHさんが副社長に就任、社長はMTYさんが引き続き留任したものの、経営陣が一気に若返り、経営形態・方針に新しい動きが胎動し始める。
創設来副社長管轄下にあった情報システム“室”も技術・購買担当のMKN常務の下に移され、情報システム“部”にあらためられたが、部長は前年室長に昇格していたMTKさんがそのまま継続することで、組織的には大きな変化はなかった。
そのMTKさんが新経営体制発足間もなく秘書室に呼ばれ、戻ってくると課長・グループリーダ(5人)を招集して「今NKH副社長に呼ばれて、情報システム室分社化について調査・検討するよう指示された。当分の間他言無用と言われたが、そうもいかないので君たちだけには伝え、このメンバーでことに当たることにする。この点特に留意してほしい」と伝えられた。しばらくの間内々で“Z計画”と呼ばれる分社化プロジェクトのスタートである。
それまで何度か出た分社化検討が比較的オープンに行われていたのに対して、今回は何故“極秘”なのか?今でも真実は分からぬが、いくつか考えられる材料はある。何と言っても大株主(E/M)が新規事業全般に懐疑的であったこと、主管が副社長から常務に移っていたこと(しばらくの間常務にも知らされなかった)ことなどがそれらである。MTKさんとしては難しい環境下での課題だったので、我々メンバーには早目に知らせ、万全の態勢で臨もうとしたのでないかと推察する。
先ず始めたことは、現状の仕事にかこつけてコンピュータ・メーカーにこの辺りの業界事情を聴くことである。IBMとはメインフレームのユーザーとしての長い付き合いがあるし、最近はTCS開発とその中核をなすACS販売でパートナーともなっている。富士通とも前年メインフレームをIBMから置き換えることで急速に関係が深まっており、この世界のリーディングカンパニー2社から得られる情報は実情把握に貴重なものだった。次いで、これも従来から付き合いのあるコンピュータ関連雑誌社にも、適当な話題を提供しながら情報サービス業界の動きや経営状況を教えてもらった。さらには個人的な人脈を頼りに、UNIVAC(のちのUNISYS)のソフト外注部門、伊藤忠から分社化したセンチュリーリサーチ社(CRC)などを訪問調査している。このような対面調査と並行して、公開されている業界情報(主に会計・財務)や関連官庁・業界団体の各種予測データの分析をメンバーが手分けして行った。
TCSの外販主務者で、かつこのZ計画でも部長を除く最年長メンバーであった私は、これらの作業をすすめながら「極秘は難しいなー」と感じ始めていた時、創立記念日(7月5日)パーティーの場でNKHさんから「終わったら部屋に来るように」と言われた。出かけてみるとZ計画のメンバーの何人かも居る。話はパーティーで話題になっていたTCSビジネスから始まったので私が主に対応していたが、不意に「ところでMTKさんから話を聞いているか?」と問いかけられた。集まっているメンバーからZ計画に関することと推察して「聞いています」と答えたところ、不快な表情で「おしゃべりだなー」と予期せぬ言葉が発せられた。「しまった!」と思ったが取り消せない。MTKさんを副社長命令を破った不信者にしてしまった瞬間である。
このあとMTKさんと二人でお詫びをすべく秘書室を通じて面会を求めるが、長くそれは叶わず、Z計画は3重ボード(課長会→部長会→経営会議)で処理するようにとの指示が伝えられただけであった。構想を初めての課長会に上げたのは10月初め、担当常務への説明もこの直前に行ったが、“副社長の肝いり”と言うこともあり、構想を公式に諮ることに異論は出なかった。
(次回;“新会社創設”つづく)
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