<今月読んだ本>
1) 思考のレッスン(丸谷才一;対談):文藝春秋社(文庫)
2) ペーターのドイツ世界遺産全踏破(ペ-ター・エンダーライン):平凡社(新書)
3) 誰よりも狙われた男(ジョン・ル・カレ):早川書房(文庫)
4) 天才と異才の日本科学史(後藤秀機):ミネルヴァ書房
5) 石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?(岩瀬昇):文藝春秋社(新書)
6)シェールガスの真実(藤田和男、吉武惇二):石油通信社(新書)
7)「阿房列車」の時代と鉄道(和田洋):交通新聞社
<愚評昧説>
1)思考のレッスン
子供の時から本を読むことは好きで、それは今でも変わらない。しかし「何のために?」とあらためて問われると考えてしまう。強いて言えば「好奇心から」が最も近い答えだが、実際は中学生時代母が喝破したように「活字中毒」が正解で、タバコを吸っているのと違わないような気もする(私はタバコを吸わないが)。肺に溜まるニコチンのように、時間を潰してほとんど役に立たない、雑学知識のみが乱雑に蓄積されていく。知的慣習からは遥か遠くに在るのが私の読書である。とは言っても喫煙者同様読んでいる時、読み終わった後何がしかの満足感に浸れることも確かである。これが楽しみで読書をしていると言っても良い。
本書はこれとは全く対照的に「読書こそ思考の原点である」の立場から書かれた対談集である。インタヴュアーは文藝春秋社で編集長・役員を務めた文芸評論家の湯川豊(初出は同社小冊子「本の話」に連載)。答えるのは先月の本欄で紹介した「読書の達人丸谷才一」である。読むきっかけは無論同書にある。そこに“読書の意義”や“読書のコツ”が記されているとあったからだ。“思考のための読書”は私の中毒的乱読とどこが違うか?
6レッスンから成る本書の初めの2章は、文学者丸谷才一誕生の背景と影響を受けた人々について語る。旧制中学時代から文学の道へ進むことを考えた人だけに、読んでいた本、読み方がまるで違う。しかし、読書が奨められない時代(思想統制;陸軍幼年学校・士官学校では教科書以外禁止)、書物が得にくい時代(物資統制)、苦労して“(思想的に)読んではいけない本”を乱読したところは“中毒”症状と言えなくもない。
このような読書体験から得た近代日本文学に対する総括は「どうしてこんなに嫌なこと、不愉快なことを書くんだろう」となり、芥川龍之介、志賀直哉、正宗白鳥などの大家をバッサリと切り捨て、これらが反面教師となって、後年丸谷が重視する斬新さや遊び心への関心が育まれていく。
レッスンの本論は、思考の準備、本を読むコツ、考えるコツ、書き方のコツの4章から成る。大前提として、“あること”に関して自分の考えを整理しまとめると言う目的がある。このプロセス(結論を含む)が思考と言うことになり、その準備として“あること”に関する本を(沢山)読むことが大事だと丸谷は言う。総論としてはもっともなことだが、私にとって特定の“目的”を持った読書は教科学習あるいは仕事に関わるものが大半で、その手の本(例えは学習参考書や経営書)を読むことは“読書”と思っていなかっただけに、チョッと違和感を持った。しかし、この違和感を源に“読書と思考”の関係を身近なところで振り返ってみると、明確な目的は無くとも、結果として「これは仕事に使える」と触発され、ビジネスに生かす場面があったことは確かだし、意識しない目的であったような気もする。
インタヴュアーは思考における読書の意義を質した後「本を読む上で一番大事なのは何でしょう?」と問う。「本の読み方のコツは、その本を面白がること、その快楽をエネルギーにして前へ進むこと」と自説を披瀝し、「逆に言えば「面白くない本」は読むな」と断じて、鴎外の「即興詩人」をその俎上に上げる(面白くない本として一度放擲、再読で鴎外の特質をそこから発掘する;何が面白くてこんな本の翻訳に心血を注いだのかの視点)。なるほど、スパイ小説を読んでいて現実離れしたストーリーに辟易とさせられながら、ファッションや食事シーンに妙に魅せられ、それなりに楽しんだ経験がある。
思考における読書の効用について丸谷は以下の3点を挙げる;①情報が得られること;これまで知らなかったことを教わるのは楽しい。②考え方を学ぶことが出来る。③書き方を学ぶ。私の読書は専ら①に偏しているといえる。
では本をどう選ぶか;「コツの一つは書評を読むことです。そうすれば、かなり本選びのカンがわかります」「書評は読みっぱなしでいいんです」 私の場合、新聞で最も丁寧に読む(メモをとることもある)のは日曜日の書評欄だ。
読書論は巻半ばを過ぎてもまだ続く。「まとまった時間があったら本は読むなということです。本は原則として忙しい時に読むべきものです。まとまった時間があったら考えよう」 これには「参った!」私の今の読書は有り余る時間を潰すのに使われている。考えることなど全く念頭にない(結果として考えることはあるが)。
ここまで“思考の準備”の一部(主に読書と関係する部分)を紹介したが、以下“本を読むコツ”“考えるコツ”“書き方のコツ”と明解な丸谷調(これを引き出すインタヴュアーの力もなかなかのもの)で古今東西の書物(特に和歌や言語学関連)を援用してそれぞれが語られる。索引の効用、比較の重要性、仮説設定の留意点(大胆さ)、ロジックとレトリックのバランス(ロジック第一)など、この歳になって教えられること満載、できれば高校(国語の授業がこんなだったらと思うことしきり)かせめて大学の教養段階で学んでおきたかったと痛感させられた。
強いて本書の内容に疑問を呈すれば、文学の世界の思考法が社会科学さらには自然科学の世界まで敷衍できるのだろうか?と言う点である(部分的に適用できることは間違いないが)。これについては自らの経験・事例で検証してみたい気もしている。
2)ペーターのドイツ世界遺産全踏破
昨年一応フランスを片付けた(最低限これだけは見ておきたい思うものを見、やりたいと思ったことをやった)つもりなので、訪れてみたい優先度の高い国としてドイツが残っている。他の国はともかくここだけは自分で計画を作りたい。何故ならば団体ツアーでは実現が難しい旅になりそうだからである。
関心事の中心は科学技術(特に乗り物;鉄道、自動車、航空機、運河交通網)と戦争(兵器と戦跡)、これらに関係する博物館や土地を訪れ、産業遺産、最新の自動車工場なども見学したい。移動は鉄道、内航船とレンタカー。宿泊は中小都市の旅籠でいい。旅程作成は現地の旅行社とインターネットを通じて自分で行う(イタリア旅行で経験)。状況に応じて臨機応変にスケジュール変更が可能。これが夢のドイツ旅行案骨子、下地になっているのは、戦時中ドイツに滞在した航空学者でエッセイストの佐貫又男がベルリンの壁崩壊後想い出の地を巡る「ドイツ道具の旅」シリーズである。
漠然と、レンタカー利用を除けば、一人旅なら出来そうな気がするのだが、費用や所要日数の関係、加えて家内同道となるとこちらの希望通りとはいかないのは必定。歴史・景観・庭園と草花・芸術・グルメなどを考慮した妥協案が必要になる。その材料を得るために求めたのが本書である。
著者は本欄-53(2013年1月)で紹介した「ドイツ鉄道旅行案内」を書いた人。日本の事情によく通じておりそれに合った(つまり日本人旅行者向けのドイツ学習を兼ねた)内容で、歴史・地理・文化を学びながら38か所の世界遺産を訪ねて行く形にまとめられている。歴史・自然・文化・産業遺産合せて38と言う数はフランスと同数(本書脱稿直前もう1件認められ39か所になった)、1位イタリア、2位中国、3位スペインに次ぐ第4位であることを本書で知った。「意外に多いな!」が率直なところである。
全体の流れは登録順や地域別ではなく、先史時代から現代に至る歴史的変遷をたどりながら紹介されていくが、産業遺産は一つの時代として時代区分の最後に、自然遺産はさらにそのあとまとめられている。現代ヨーロッパの国々の成立には複雑な背景(民族・為政者・宗教・言語など)があり、中でもドイツは自由都市や選帝侯の存在など一段と込み入っていて、統一ドイツは19世紀になってやっと実現する。このような歴史に関する知識なしには世界遺産としての価値が理解できないことからも、この記述様式は適当なものと言える。
歴史・文化遺産基準のものが圧倒的に多く、概ねローマ帝国の遺構、教会・修道院、城郭・宮殿・庭園などで、これらは他のヨーロッパの国々(訪れたことのある英・伊・仏)のものと、カテゴリーとしては共通する。ユニークなのはハンザ同盟自由都市の存在からくる市庁舎や街並み、千年もの歴史を持つ鉱山の遺構、水利管理システムが挙げられる。自然遺産が数カ所在るがよく知られているものは無い。ロマンティック街道に代表されるライン渓谷中流は何と歴史・産業遺産の範疇だし(説明を読んでも“産業”に関することは何も出てこないが)、有名なシュヴァルツヴァルト(黒い森)は森林伐採が長く続いた後に人工的に造林されたものなので対象ならないとのコメントが自然遺産紹介の冒頭にある。産業遺産は、前記のライン渓谷を含め8件、製鉄所や炭鉱などの他バウハウス(建築家の家;グロピウスなどが参加)の作品群、ベルリンの博物館島などが登録されている。
記述は、先ず区分された時代の紹介が10ページ程度あり、その後に個々の登録遺産の解説が写真や地図を含めて2~3ページ程度、最後に囲みで登録年、所在地、アクセス(主要都市・駅からの交通手段、路線や時間を含む)、登録基準(ユネスコの基準10種のうちの該当項目)、照会・問い合わせ先ウェブ・アドレスという構成。この囲み情報は計画検討や調査に有効だ。
読後“夢の旅行計画”に加えたくなったのは一部の教会建築と街並み見学である。既に観てきた英・伊・仏のものとかなり異なる印象が強い。これらの解説には、今次大戦の爆撃の有無、復旧の程度などが記載され、私の関心事(英米空軍による独都市爆撃効果)を現地でイメージするのに役立ちそうだ。
本書に関する唯一の懸念は、内容の“現時点における信頼度”である。と言うのは前著「ドイツ鉄道旅行案内」においてその正確さを強調しており、それを本欄で紹介したところ、会社OBの友人たちが参考にしてドイツ旅行を実行したのだが、運行の不正確さたるや惨憺たるものであったと、帰国後しばらくして報告(非難)をうけたからである。実際、その後日経新聞をはじめ2,3のメディアや本欄で取り上げた「住んでみたドイツ、8勝2敗で日本の勝ち」にドイツ鉄道運用の杜撰さを取り上げた記事が載ったほどである。従って今回内容の正否について本欄は責任を負わないことをお断りしておく。
3)誰よりも狙われた男
サマーセット・モーム(秘密諜報員アシェンデン)、グレアム・グリーン(第3の男)、イアン・フレミング(007シリーズ)そして本書の著者ジョン・ル・カレ、皆英国対外諜報部MI-6部員であった。つまりある種のスパイである。生きた時代も取り上げる舞台も異なるが、これだけ著名作家を誕生させる興味深い組織だ。この中で本格的スパイ小説家としてはル・カレが際立って優れている(サマーセット・モームはスパイ小説家ではないが)。
劇画的な派手なアクションシーンやお色気はまるでないし、ページ稼ぎのファッションやグルメもない(007はこれだけが売り)。と言って社会派ぶった主張もない(グレアム・グリーンにはこの傾向がある)。しかし、全編を通じて、何気ない登場人物の一言・一所作が大ごとにつながるのではないかと、常に緊迫感と不安感に包まれつつ読み進む(特に見え隠れする背後に在る大きな組織の力がいつ表に出てくるのか)。これがサスペンス小説ファンにとっては堪らない。
ジョン・ル・カレを世に広く知らしめたのは英国推理小説作家協会が毎年優れた推理・冒険小説に与えるゴールド・ダガー賞受賞作品「寒い国から帰ってきたスパイ」(1963年)である。舞台は東ベルリン、冷戦さなかの英・東独スパイ戦である。著者はMI-6現役時代は西ドイツ駐在(ボン、ハンブルク)だったから、土地勘のある場所もこの名作誕生に寄与しているに違いない。そして今度の舞台も任地の一つ、ハンブルクである。
英国での出版は2008年、受賞後45年経た世界は大変貌し、得意としていた冷戦構造はすっかり消え失せた。今回対峙するのはイスラム過激派とつながる密入国者とそれを取り締るドイツ政府組織。信心深いアルメニア・イスラム教徒の若者と違法移民摘発を任務とするドイツ憲法擁護庁ハンブルク支局の課長が主役を務める。
アルメニアは旧ソ連の一部、キリスト教が主流でソ連崩壊独立後イスラムは少数派として迫害され、この若者もかなり精神状態が不安定になっている。父親はロシア人のKGB大佐で既に故人、阿漕な稼ぎ(二重スパイとマフィア)で得たカネを英国籍のプライベートバンクに貯め込んでいた。今の経営者(英国人)の父親の時代のことである。そのカネを手にするために息子はドイツにやってきたのだ(医師になるための資金以外は全てイスラム教団体に寄進し、アルメニア・イスラムを支援するする考えで)。ドイツには大規模なトルコ人社会がある。しかもそこにはドイツに居住したり永住するには不適な人々の出入りが絶えない。人種的に近いアルメニア人には格好の隠れ場所である。一方憲法擁護庁ハンブルク支局は違法移民取り締まりが主務だが、特にイスラム過激派の発見・摘発に熱心だ。何と言っても9・11多発テロの犯人たちの発進地がハンブルクだったからだ。ドイツはあの事件に対してある種のうしろめたさを感じているので、上級機関はアメリカの意向を慮る傾向が強い。
これに絡むのが人権擁護団体の若手女性弁護士。若者の保護者であり代理人でもある。この弁護士と銀行家がやがて若者の支援者として結びつきを強め、憲法擁護庁の活動に影響を及ぼしていく。しかし、終盤になるとこれらに過激派の陰の支配者と目されるイスラム法学者、それにCIA・MI-6・ドイツ諜報機関の面々が加わり、縄張り争いや国際関係が表出して、単なる密入国事件が複雑な対こテロ作戦に変じていく。
若者は無事摘発を免れるか?銀行家の父親は何故いかがわしいカネを預かったのか?今その真相を知るのは誰か?若者の本人確認は?カネは引き出せるか?引き出した金はどこへ流れるか?隠れ過激派リーダーは正体を現すか?捕まえられるか?逮捕のシナリオ作りは誰が握っているのか?そして結末は?(そう言えば「寒い国から帰ってくるスパイ」はハッピーエンドではなかったなー)
“巨匠” (最近ダガー“巨匠賞”を授与されている)ジョン・ル・カレはこの作品で何を訴えたかったのだろうか?読後によぎったのは“米国の英・独に対する力の大きさと国際関係に関する稚拙さ”である。
4)天才と異才の日本科学史
昨年の山中伸弥博士の生理・医学賞に次いで今年も3名の日本人科学者がノーベル物理学賞を授賞することが決まった。大変うれしいことである。1949年初の授賞者湯川秀樹博士が出たときは小学校5年生、敗戦の跡がまだ癒えぬ時代だっただけに、子供心に日本人であることに強く誇りを感じたものである。一方でこれから続々という雰囲気は全くなく、まだまだ欧米に追い付くには時間がかかりそうだなーと言うのがあの時代の授賞観だったように思う。事実二人目の朝永振一郎博士が物理学賞を授賞するのは1965年、私が社会人3年目の時である。だから、ここ10年くらいの自然科学分野における授賞者数で、米国を除けばトップクラスにあることに昔日の感がある。
しかし1950年代、のちの授賞たち、南部陽一郎、下村脩、小柴昌俊らが若手研究者として着々と授賞につながる成果を上げつつあったことを本書で知った。いずれの授賞も今世紀に入ってから、半世紀後の授賞である。
それでは湯川博士の授賞から半世紀遡ると(1900年頃)我が国科学界はどんな状態だったろうか?明治維新は1868年、ノーベル賞発足は1890年。北里柴三郎の破傷風菌培養成功は1886年(ドイツ留学中)、同時期ジフテリア血清開発でも成果を上げている。高峰譲吉のアドレナリン発見が1900年。いずれも世界の医学・生理学で高い評価を得た業績である。北里のジフテリア血清研究では共同研究者であったドイツ人が第1回ノーベル生理・医学賞を受賞するが、北里は外れている。後年この時の選考過程が公開され、そこに「第1回の授賞者に黄色人種は適当でない」との理由で退けられたことが記されている。ノーベル賞は、実は発足時から日本人の近くに存在していたのだ。
以上ノーベル賞を中心に本書の内容を断片的に紹介したが、全体としては維新後今日に至る150年間の我が国を代表する科学者と科学界(いずれも自然科学)、それを取り巻く社会環境・国際情勢などを絡めて、時系列的に対象を絞り込んでその歩みを辿る。記述は、大きなテーマを科学エッセイ風に区切りをつけながら綴っていくので大変読み易い。また専門分野に深入りするよりは研究活動と人間関係や組織の問題などに展開するので、理系以外の人にも楽しく読めるものである。
例えば、北里が留学帰国後官・学(東大卒業後内務省に入り、そこから派遣)に戻れないのは、脚気の原因を細菌説とする当時の主流(緒方正規東大教授など)に反し摂取食材(白米中心)に起因すると国際会議で報告していたことが理由であるとの話。これで受け入れ先の無いことを福沢諭吉が心配し、広く寄付を募り伝染病研究所を設立し北里に活躍の場を与え、そこに俊秀が集まり、志賀潔が赤痢菌を発見するなど次々と世界一級の研究成果を上げるのだが、これが国と東大に妬まれ、国に取り上げられてしまう。研究員は総辞職、再び福沢のバックアップで北里研究所(現北里大学)をスタートさせるくだりなど、学問・研究の裏にあるドロドロした世界を垣間見せてくれる。
科学者と国家の問題はこの話に限らずいくつか取り上げられている。特にフクシマとそれに先立つ東海村のJOC放射能事故に関することは今日的で身近な問題である。また、科学者の国籍問題にも触れ、南部博士(米国籍)や下村博士(永住権)を話題にするが、中国籍に関してびっくりするようなことも知らされる。それは彼の国の宇宙開発の父と言われる銭学森博士(故人;カリフォルニア工科大学教授、ロケット学者)のことである。共産主義者と疑われたことで自主的に帰国したのだと思っていたが、朝鮮戦争米国人捕虜との交換で不本意ながら帰国させられたのだった。北里とは逆の歪んだ国家と科学者の関係をここに見ることになる。
本書には書かれていることではないが、今回の授賞者中村修二博士は米国や韓国のLEDメーカーの顧問を務め(特許裁判の費用は米メーカーが負担)今や米国籍、出身企業や日本の科学技術政策を声高に非難し、科学技術に関して日本コンプレックスの強い中国や韓国は米人と報道するくらいだが、日本は彼に文化勲章を与える。中村博士の言ではないが「日本は太っ腹」である。
維新や戦後復興期のように、国を強く意識するような時代ではなくなってきているが、本書が若い人に読まれ、科学者が尊敬される環境がさらに強まり、それに触発され優れた人材がどしどしこの世界に入って、先人たち以上に国際的に活躍し、豊かで他国民から尊敬される社会の建設・発展に寄与するような国と科学者の関係が醸成されたらと願う、読後こんな気持ちが沸いてきた一冊であった。
とにかく誇りと元気を与えられた愉快な本ではあるが、いささか不満もある。それは取り上げられる分野が物理学と医学に極端に偏していることである(レーダー発明者の八木秀次博士なども出てくるが)。これは著者が原子力を学び後に転じて医学(医学博士)に進んだことと無縁ではないだろう。さらに領域を広げ次いで工学の世界にも踏み込み、先人たちが現在の高い科学技術レベルを実現した足跡を紹介して欲しいものである。
5)石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?
52年前、1962年石油精製会社に入社した。新入社員教育の際9年先輩の講師が「君たち、原油はこれから何年で枯渇するか知っているか?」と切り出し「あと40年と言われている。僕が入社した時も同じだったけれどね」と言ってニヤリと笑い「だから少なくとも君たちが定年(当時は55歳だから1994~5年)になるまでは大丈夫だろう」と結んだ。それから半世紀を経た今、依然として確定埋蔵量40年説は生き続けている。しかし、これは誰が決めるのだろう。実は、本書にも正確な回答は無い。
敢えて誤解を恐れず言えば、有史以来これほど利便性に優れ、経済性も高いエネルギーは無かったし、これからもしばらくはないだろう。確かに環境問題はあるが窒素酸化物、硫黄酸化物対策はほぼ実現したし、CO₂削減も技術開発が進んでいる(例えば自動車エンジンの効率改善)。エネルギー事情を知らない人は電力があると言うが、これは2次エネルギーでそれを生み出す1次エネルギー(核、石油、石炭、ガス、自然;太陽・水・風など)を必要とする。1次エネルギーを2次エネルギーに変換するところで大きなロスを生ずるし、発電したものを末端に届ける送電ロス、電池に充填しそこから放電するロスも大きい。だからこれからも石油がエネルギーの大宗であることは変わらない。つまり当面石油の需給が世界の趨勢を決めるのだ(思想闘争を除けば、世界の紛争の大半はエネルギー、特に石油をめぐる戦いである。尖閣諸島問題も根底は同じだ。依然として“石油の一滴は血の一滴”である)。
本書はこのような現実から、世界の石油エネルギー(天然ガス・LNGを含む)の探査・開発・生産・輸送・流通・消費の実態を俯瞰し、それに関わるプレーヤー(国家、企業)とその行動、価格決定メカニズムを含むビジネスの最前線などを解説して、我が国のエネルギー政策をいかに進めるべきかを考える材料を提供するものである。
その観点からはタイトルの「埋蔵量」は内容の一部に過ぎないが、これはこれで「埋蔵量」も各種があり(何を“原油”と定義するかも含め)、算出方法や算出機関もいろいろあること、開示された「埋蔵量」が社会に与える影響が決して小さくないことなど、分かり易く教えてくれ、エネルギー問題全体理解の重要な一助となっている。
書き出しは東日本大震災以降の貿易収支とエネルギー問題、特にLNG価格の日本プレミアムの話から始まる。次いで今話題のシェール(ガスだけではなくオイルも含む)革命を取り上げ、探査・生産技術、北米と他国の違い(特に開発のビジネス環境;投資家の下に集まる、専門特化した小さな企業や個人も参加して柔軟に構成されるコンソシーアム)、経済性と原油価格への影響など、多面的にこの新しい資源開発の実情を説く。つづく「埋蔵量」の章では先に上げた“量”そのものの他に、原油生成の諸説を紹介したり、我が国の海外における油田探査・開発ビジネスなども取り上げ、上流部門への関心を誘う。では各国のエネルギー事情はどんなものか。1次エネルギー消費量(石油換算)第1位は中国、2位は米国、ロシア、インドと続き日本は5位、中国は何と日本の26倍(大半は石炭)、米国も4倍も使っている。これをベースに、エネルギー効率を、単位GDP(100万ドル)を生み出すエネルギー使用量で相対比較(日本を1)すると、中国は日本の4倍、米国は1.7倍、我が国より効率が高いのは上位10ヶ国の中でドイツの0.88だけである(因みに世界一はスイスの0.57)。つまり資源小国ではあるが、利用効率は立派なもの、これは“ある種の資源”であるとダニエル・ヤーギン著「探究」を援用しながら高い評価を与える。まとめとして具体的な提言は無いが、かつてチャーチルが述べた「分散化こそ最大のエネルギー安全保障政策である」を終章に引用している。
著者は三井物産でエネルギー一筋にやってきた人(後半は三井石油開発役員)。ロンドンの石油商品取引所のメンバーでもあった。今日的な話題と歴史的な変遷、技術とビジネス、世界と日本、上流部門(探査・開発・生産)と下流部門(輸送・精製・販売)、石油と他のエネルギー関係、がバランス良くかつ分かり易く紹介され、石油(ガスを含む)入門書(下流しか知らない私にとって大変勉強になった)として、広くエネルギー問題に関心のある方に薦められる。
6)シェールガスの真実
前著を読んでいる時、友人の一人(吉武惇二)が共著者である本書が7月に刊行されていることを知り、早速取り寄せた。関心は専ら“シェールガス”にある。前著もこれに触れているが、全体としては広義の石油を扱い、今一つ、話題のシェールガスに関して物足りなさを感じていたからである。石油会社に長く勤務していたことを知る人から、最近はよくこのことで質問を受けるのだが、満足な答えを返すことが出来ず、「私の知識・経験はダウンストリームですから」と逃げていたことに忸怩たる思いがあったからだ。
結論から言えば、この私の思いを解決してくれる本であった。一番知りたかった技術的な疑問ばかりでなく、在来型天然ガスと各種非在来型ガス(日本近海に在るメタンハイドレートにも触れる)の違い、資源所在地と推定資源量(埋蔵量とは定義が違う)、その回収・利用の可能性、突如現れた(実際は、その存在は早くから知られていたのだが、技術と経済性で日の目を見るのが遅れた)新しいエネルギー源に対する各国の動き、国際天然ガスビジネスの仕組み、環境問題を始め楽観できないブームの裏側、この資源が及ぼす我が国エネルギー政策や化学工業への影響など、シェールガスに関する広範な話題を取り上げており、シェールガス入門書としてその全容を理解するのに適した一冊と言える。
在来型の天然ガスはお椀を伏せたような空間にガスが貯留するのに対し、シェールガスはシェール層(頁岩;けつがん)の中に散在するもの、成分は在来型と同じである。この岩の中に散りばめられたガスを集めて回収すれば、あとは在来型ガスの扱い(物理的にも商売としても)と変わらない。LNGは天然ガスを液化したものだから、シェールガスだからと言って特別な扱いをする必要はない。従ってシェールガス・ビジネスのポイントは岩の中の空孔に封じ込められたガスを一定量まとめてそれだけを回収する技術にある。立坑を約1900m掘り、そこから10度/100f(フィート)の割合で傾斜掘削に入って900f(90度曲がる)先で水平掘削に移る。さらに約1250m進んで、掘削管周辺の岩を水圧破砕する。この水には添加剤として特殊な砂粒が混じっており、破砕した岩の間に挟まってガスの通り道を確保する。大雑把に説明すればこれがシェールガス革命の肝である。この技術が完成するまでには多くの学者や技術者が関わっているのだが、最終的に実用に供するまで執念深く取り組んだのはテキサスA&M(Agricultural and Mechanicalが正しいが本書ではMをMine;鉱山と訳している)大学で石油工学と地質学を学んだジョージ・ミッチェル(故人)、この人は前著にも取り上げられ“シェールガスの父”と称せられている。
天然ガスビジネスは我が国でもそうだが、パイプライン輸送の経済性から本来極めて地域性が強い。しかし北米では天然ガス田が広く散在したこともあり、ローカルなパイプラインが結合され、長い時間をかけ複雑なネットワークを構成して、長距離移送が可能になっていく。これが最新のシェールガス・ビジネスに寄与し、裏庭で掘り当てたものが比較的簡単(安価)に他所で売れるようになって、ブームが到来しているわけである。
さてシェールガス推定資源量最大の国は中国である。しかしながらこの国のシェール層所在地は辺境、山岳地に在る。国家戦略で一部に資本主義国では考えられないようなパイプラインが敷設されているものの、米国のように密度の濃いパイプライン・インフラがあるわけではない。従って、本書ではこれが近い将来実用に供されることについて、大いに疑問ありとしている。
シェールガスブームで供給が増えた米国では原油価格の低下も相俟って、天然ガス価格は低下の傾向にあり、ガス回収だけでは赤字経営、随伴するコンデンセート(軽質油)の販売で何とか利益確保しているところも少なくないようだ。加えてシェールガス田からの回収減衰率は予測以上のスピードで進む傾向にあり、決してこのビジネスがバラ色ばかりでないことを示唆、著者は「どんなに技術が進歩しても、非在来型資源が在来型資源を凌駕することはあり得ない(30年は続かない)」と結ぶ。
著者の一人藤田和男はアラビア石油社員として原油探査・開発に長く携わったのち母校東大工学部教授。この間テキサス大学で博士号を取得しているので米業界・学界に知人・情報源を多く持つようだ(入手したシェールガス開発会社の資料など引用)。二人目の吉武惇二は東京ガスの企画畑が長く、同社のNY事務所長も務め、この間ハーバード大学行政大学院で学んでいる。エネルギー関連で京大より博士号取得、現在は英国エネルギー調査企業アーガス・メディアの顧問を務めている。これらの経歴が示すように、実務経験と理論研究の両面に精通した著者がそれぞれの専門(技術、ビジネス)的視点から、最新の情報を基に、今日的話題を解説しているところに本書の特色がある。
唯一の難点は、図表である。多くのものが他誌からの転写、新書版用に縮小しているので、細部が不鮮明で理解し難い(文字まで小さくなりぼやけている)。特に前半の技術解説では不可欠な情報だけに不満が残った。
7)「阿房列車」の時代と鉄道
内田百閒(ひゃっけん、本名;榮造)、“百閒”というチョッと妙なペンネーム(郷里岡山の実家近くを流れる旭川支流百間川からきている。俳号は百鬼園;ひゃっきえん)は高校生時代から知っていいたが、その作品を読み始めたのは30歳過ぎてからである。きっかけはアサヒグラフに連載されていた團伊玖磨の随筆「パイプのけむり」の中で「百閒先生から(書くことに関して)多くを学んだ」という意のことを書いていたからである。当時「パイプのけむり」を読み、身辺の何気ない題材を奥の深いメッセージに変える書き方に毎回感心していたから、その作者が手本とする作品に触れてみたいと思ったわけである。
乗り物好きの私が最初に手にしたのは当然「阿房(あほう)列車」である。これは戦後間もない頃雑誌「小説新潮」に連載された紀行文で、国鉄職員(広報の下役、上司は“目白三平”の作家中村武志)だった“ヒマラヤ山系”こと平山三郎氏が同行して、ただ列車に乗るためだけの旅行に出かけ、そこで見聞したことを記したものである。鉄道ファンにはそれで十分、何とも言えぬとぼけた味わいにすっかり惹きこまれ、シリーズ3巻を読み、次いでこれ以外の随筆にもかなり目を通している(小説は読んでいないが、本書で作風は全く異なるものであることを知った。“幻想的な怖い内容”)。
時代は昭和25年から30年にかけて(1950年~55年)、日本全体がやっと復興の緒に就いた頃、国鉄の経営も日本人の手に戻りつつあり、特急が登場してくる。それまで戦前の1等車・2等車は占領軍に徴発され、ろくな車両は残っておらず、長距離列車運用も進駐軍中心であったから、特急復活は画期的な出来事であった。こんな時、先生(百閒)とヒマラヤ山系は特急や急行の1等車(1等車が無い場合は2等車)で気ままな旅をする。一般人には縁遠い世界(価格、切符入手、時間)、ユーモラスな百閒の筆致、連載は大人気となり、初回の“特急はと”による東京-大阪間“特別阿房列車”から始まり、東海道線の限定区間、遠隔の鹿児島本線、東北本線・奥羽本線、山陰地方、四国、近場の房総半島などを巡り、最後は急行“筑紫”“きりしま”で 南九州を廻る“不知火阿房列車”で5年にわたる旅を終える。
本書は、これらの旅の記述内容を鉄道ファンの目で、細部から検証・補完、さらには現在の状況と比較し、それに時代背景や百閒の日ごろの習慣や言動などを加味して、名紀行随筆を振り返るものである。具体的には、列車編成や特殊運転(急勾配地における補機の連結・切り離しなど)、出発・到着時刻や所要時間、乗車車両車種とその後の変化、車内の設備やサービス(食堂車、寝台車を含む)、車窓風景の表現、トラブルの対応(台風や地震、乗継など)、鉄道関係者との交友、宿泊先などがこの比較・検証の材料となっている。
その結果わかってくることは、百閒の鉄道に関する知識の深さと愛情であり、彼がこの旅を心底楽しんでいたことである。
典型的な鉄道マニア向け好事家本と断ずることもできるが、ある意味立派な作家論と見做すこともでき、私は両方の視点から本書を堪能した。
著者は大学卒業後新聞社勤務が長かったようだが、子供のころからの鉄道ファンで、鉄道友の会会員と言う本格派鉄チャン。私より一回り若いので「阿房列車」の実物に触れる機会は無かったと思うが、当時の写真・地図などをよく集め、時代の違いを視覚的に補ってくれるところも評価できる。読後感として、英国教養人のアマチュアリズムのようなものを感じた。
最近なかなか文学的味わいの深い鉄道紀行物が出てこない。もう一度「阿房列車」シリーズを読み直ししてみよう。そんな気にさせてくれた。
(写真はクリックすると拡大します)