4. 1986年のトピックス-2;ビジネス展開模索
本格的新会社経営の初年度と言えるこの年は、東燃グループにとっても時代を画する年だった。既定路線とは言え満を持していたNKHさんが東燃社長に就任、社是の“強守と模索”は“強守と展開”に変わった。SPINとしてもビジネス展開を具体的に模索し、それをモノにする活動を活発化していった。
技術システム系は石油・石油化学へのACS(Advanced Control System)販売がIBMのチャネルで拡大し出光石油化学や東亜石油への売込みが具体化する他、川鉄千葉高炉へ納入したACSの適用域をコークス炉へ広げるプロジェクトや大阪ガスのLNG気化プラントの運転員訓練用シミュレーター開発などの受注が決まり活況を呈していく。
さらに、石油・化学・ガスと言ういわばホームグランドに近い業種ばかりではなく、岡山所在の特異な食品・薬品原料企業として高い評価を得ていた林原(株)の最新工場へACSの導入が決まった。当時の林原は新規ビジネスをバイオ関係に広げるべくその分野の専門家を広く新設の研究所に世界から集め、また郊外に広大な実験用マウスの飼育場を持つなど積極投資を行っていたが、我々の仕事は収益源である食薬メーカー向け甘味料原料の増産のための投資の一環であった。ごく最近資産運用に関する不正経理が源で倒産したが、同族に依る意思決定プロセスが極めてユニークなものだったことは記憶に残る。
ビジネス(事務)システム系は先に紹介した川鉄鋼板のシステム開発が本格化した他に、IBM藤沢工場の新規開発業務を受注、加えて統計数理研究所の協力企業から統計分析ソフトに関係する仕事をもらうことが出来た。この時は後に同研究所の所長になる、この世界では有名な赤池弘次氏に何度かお会いしている。
模索は国内に留まらない。これも先に紹介したNTTインターナショナルが取り組んでいた中東(確かクウェート)の石油生産基地向け情報通信プロジェクト受注活動が継続しており、「本当に受注してしまったらどうするんだ!?」(仕事の内容は理解できるが、人が居ないし、各種リスクは計り知れない)の思いは抱きながら、精一杯対応していた(結局NTTIは受注できなかったが)。
新たな海外ビジネスの芽とも言えるものは横河電機からやってきた。8月インドのユーザーに川崎工場のTCS(ACSと横河のCENTUMで構成)見学を要請され、引き続き9月にニューデリー開かれるインド科学技術省主催のプロセス制御国際会議でTCSに関するプレゼンテーションを依頼され、私が出かけることになった。現地での関心は高く、多くの石油会社から訪問要請を受けたし、こちらも関心はあったが、この時はスケジュールに余裕がなく製油所訪問は叶わなかった。
次の話も横河からだった。シェル・シンガポール製油所のオフサイト(受入れ・出荷・貯蔵・ブレンド)設備へのプロセス・コンピュータ導入である。ACSとCENTUMで構成するシステムを提案したいとのこと。東燃はいずれこの組合せでオフサイトのシステムを動かす予定にしていたが、当時はまだ具体化していなかった。しかし、既存の川崎工場オフサイトシステムはIBM1800と横河のYODIC600で作られ、私が深く関わったプロジェクトだけに、何とかモノにしたいと思い横河と強力なチームを組んで応札することにした。結果は客先の意思決定に時間がかかり(確か1年くらい延びた)、経済・技術情勢も大きく変わって提案が実現することはなかった。
日本の製造業は日の出の勢い、中でも情報技術利用投資は盛んで、順調な市場展開と経営実績を挙げ得た年であった。売上高は約20億円(外部約5億円)。当期利益は4億円に達している。因みに人員数は約90名である。
(次回;1987年のトピックス)
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