4. 1986年のトピックス-1;プロパー社員採用
情報サービス産業と一口に言ってもその内容は、データ入力(この時代はまだカードパンチがかなり多かった)やコンピュータのオペレーション、アプリケーション・システムの設計、プログラミング、業務改善コンサルティング、さらにはコンピュータの時間貸し、ハードウェア販売とそれに付随するサービスの提供など多種多様であった。この内コンピュータの時間貸しは言わば装置が稼ぐビジネス、ハードウェア販売は商社機能だが、あとは人間が専ら稼ぐ仕事である。つまり売上も利益も基本的に人数に比例する。
SPINが市場(グループを含む)に提供するサービスは、この内コンピュータのオペレーションと時間貸し、それにソフト開発(アプリケーション開発とプログラミング)であるが、時間貸しはグループ向けに限るので外部向けに伸ばす考えはない。業容を拡大していくにはソフト開発が中心、人員増強が不可欠である。高度成長期の工場建設や2回の石油危機で生じた余剰人員は一時期ある程度情報化推進に転用出来たものの、SPIN創設時にはもうほとんどグループ内に人材供給の余力は無くなっていた。初年度はグループ業務主体、次年度につながっていく外部ビジネス、IBM社内向けシステムや富士通から紹介のあった川鉄鋼板、は何とか現有戦力でこなせるとしても、とても積極的に受注拡大を進められる状態ではない。受注と人員のバランスはソフト開発ビジネスの今に続く大きな経営課題である。このことは設立準備段階から分かっていたし、本社における各レベルの経営会議でも何度も議題として論じられたが、既に大手情報サービス企業やエンジニアリング会社では常識となっていた多重下請構造に倣うやり方が適用可能、協力会社を何社か作り、お互いに仕事と人材の融通を図っていく、「軌道に乗ってくればいずれ独自社員を採用したい」との説明でクリアーしてきていた。
しかし、これが容易でないことは営業を始め具体的な引き合いをいくつか検討する段階で明らかになってきた。希望する人材を適正な単価でタイムリーに獲得できるには、稼働率を高く維持できる営業力、派遣された人材を管理できるプロジェクトマネージメント力、コンピュータ会社やエンドユーザーとの交渉力、それにある程度の企業規模(少なくとも3桁)が外部から認められることが不可欠なのだ。プロマネジャーはコンピュータ会社やユーザーとの交渉力も含めてそれなりの人材は居るのだが数が少ない。従業員はこの段階では100人に達していない。営業活動はIBM・富士通が頼りである。これではなかなかこちらの条件に合う協力会社は得られない。少し時間をかけてでも自社社員を増やす必要を痛感させられることになる。
「プロパー社員を採用しよう」 社内経営会議で社長以下経営陣の意見は一致した。とは言ってもこれは東燃グループ全体の経営検討案件、SPIN単独で決められることではない。最初の関門は東燃本社人事部、ONO部長に私(営業部長だが経営企画も職掌)が話を持っていくと「簡単にはいきませんよ」と言いながら打開策を一緒に考えてくれた。それは①初年度として女性の学卒を10人未満新規採用する、②東燃採用基準を満たす学卒エンジニアを数名中途採用する、と言う案であった。いずれも「もしSPINの経営が思わしくなくなったらプロパー採用者をどうするか」から発した案である。
女子採用については、当時の東燃はまだ一般事務職の女子社員を採用していたし、SPIN男子従業員で工場採用の人の中に帰任希望者が居たので、それらへの転用、埋め合わせに当てればいいと考えた。また学卒エンジニアは人材が払底していた新規事業要員(実際中途採用していた)に使えると期待したのである。
(次回;1986年のトピックス―2;“プロパー社員採用”つづく)
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