2014年11月4日火曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-26


5 1987年の経営トピックス;広がる顧客
1985年のプラザ合意以降円高は急速に進んでいたが(1985年;230円台→1987年;144円)、GDPの伸びは依然5%台を維持し、設備投資も右肩上がりが続いていた。IT業界もその恩恵にあずかり、単価こそ上がらないものの(新規参入も多く)、技術力と信用力があれば、仕事を見つけるのはさほど難しい事業環境ではなかった。
特に伸びが著しいく規模の大きいビジネスは、金融・流通、製造業では販売会計などの事務系システムにあったが、先にも記したように人員規模では中小企業の我が社は業種・業務を絞り込んで出来るだけ製造業の事務関連業務システムで、かつIBM・富士通に近い(社内あるいはその営業部門から声のかかる)ものや技術システム部門が既にかなりの顧客をつかんでいた石油・石油化学を重点的に攻めることにした。その結果、IBM関連では藤沢工場の継続ジョブの他本社の購買管理・販売管理などを統合したシステムの全面的更新プロジェクト、富士通沼津工場への長期常駐プログラム開発(最終的には富士通の顧客向け)、日本地下備蓄の経理システムなどを受注、これに前年からかかっている川鉄鋼板プロジェクト、加えてグループ内業務で手いっぱいの状態になってしまった。
技術系ではこの時代1960年代後半から1970年代初期導入されていたプロセスコンピュータの更新時期が来ており、多くの引き合いがある他、アジアの国々の経済成長に合わせて石油関連事業が活発化、特にコンピュータ導入の関心が高まりIBMACSの売り込み先として積極的な攻めの営業を展開していた。
ACSの国内販売促進活動の出発点は、IBMが天城に持つ研修センターンに石油・石油化学企業のキーパーソンを招待して23日で行うセミナーである。参加者は大体10名~15名、役員・部長クラスである。講義の大部分はIBMの担当者が行うが、東燃事例紹介の部分をSPINが担当するプログラムになっていた。これは参加者が最も聞きたいところだったから、期せずしてその後の営業活動に結び付いた。2泊を共にし、夜は懇親会になるので、一気に距離が縮まり同志的な雰囲気さえ醸成される。しばらくしてご挨拶伺いを問うと「あの時の話を社内でやってくれないか」となる。これでこの年は、太陽石油、富士石油、東亜石油、丸善石油化学、大協和石油化学(のち東ソー)などの商談が立ち上がってきた。
IBMはこの手法をアジアに展開することも試み、同種のセミナーを東京のホテルで日本IBMの上部組織、APGAsia Pacific Group)主催で開催した。韓国・タイ・マレーシア・インドネシアなどが参加し、各国の営業担当からSPIN協力を強く要請された。その結果、韓国の油公(ユゴン;現SKエナジー)が強い関心を示し、和歌山工場見学の後蔚山(ウルサン)製油所導入を決め、それを当社がサポートすることになる。SPIN単独海外プロジェクト第一号である。
海外プロジェクトの話は横河電機からもやってきた。これはTCS(東燃コントロールシステム;IBMACSと横河のDCS(商標名CENTUMというディジタル・コントロー・ルシステム)で使われたCENTUMの売込みへの協力依頼である。DCSだけではSPINとして大きな商売にはならないものの、ACS販売と海外ビジネスの情報収集には役立つことから受けることにした。顧客は国営石油企業のプルタミナ。どのようなビジネスに発展するか分からないので、営業部長の私が出かけることになった。準備したことは二つ。IBMセミナーと同じTCSプロジェクトのプレゼンテーションそれに製油所へのコンピュータ導入効果診断プログラムである。これを持って、プルタミナ本社、スマトラの製油所2ヵ所、ジャワ2ヵ所、ボルネオ1ヵ所を2回に分けて訪れ、診断結果を本社・各製油所で発表した。翌年スマトラのデュマイ製油所にCENTUM1セットの商談が実ったと横河から報告があった。

(次回;1987年のトピックス;つづく;思わぬ出来事ほか)


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