2. 1988年経営トピックス-2;TCSとそれに続くもの-3
アーサー・D・リトル社(ADL)ではプロセス制御以外にも化学プロセス工業で利用されている、その他のプラント管理用システムも話題になった。品質管理やプラントメンテナンスに関する情報システムである。いずれもDECのPDP(ミニコン)で動くものだった。SPINにはこれらの分野に関してその時点で商品化されたものは無かったが、東燃グループ向けにはHPミニコンベースで最新のものが開発途上にあり、完成後は外部に向けても販売する考えだったので「方向としては間違っていないな」の感を強くした。一方で全く話題にならない大事なものがあった。生産計画立案ツールである。
TCSはプロセス監視・制御のためのシステムである。プラント運転における各種計測データ(温度・圧力・流量・液位など)を収集し、運転条件を安定的に保ちながら経済性の改善(例えば省エネルギー)を図ることが役割である。しかしそれら各部の計測値の最適点は、このシステムの上位にある、生産計画立案システムに依って決められる。原油の投入量や混合割合から各種プラント操作部分の設定値(例えば目標温度)までを予め定め、運転条件変更のタイミングを決めるツールがあって、初めてTCSが生きてくるのである。
この部分の仕事は需給環境・経済指標、場合によって国際情勢までが複雑に絡まるので、自動化は難しく、専ら工場操業環境を線形モデル(数式モデル)化して、人間とコンピュータが相互にやり取りしながら決める方式が長く採られてきていた。1988年当時、東燃も含め多くの石油会社はこのモデルを月次ベース策定まで使い、それより短い操業条件は経験豊富なスケジューリング担当者によって指示する方式が一般的であった。高性能のミニコン、ワークステーション、PCが目覚ましい勢いで普及し始めていたこの時期、「(月次)計画策定やスケジューリングをもっと手軽に行えるシステムが欲しい」と言う声は随所で聞かれるようになっていた。
ADL訪問の後、IBMのNYオフィスを訪れるとOKNさんが「以前ERE(エクソン・エンジニアリング・センター)に居たTom Bakerがニュージャージーで生産管理ツールの会社(Chesapeake Decision Sciences;CDS)を立ち上げています。お会いになりたければアレンジしますよ」と思わぬ情報をくれた。その後NJでTCSの会議が開かれる予定になっていたから願ってもない話である。二つ返事で会議後会えるようお願いした。
TomはExxonを代表するORの専門家。米国OR関係者にもよく知られた存在で、日本にも来てエッソ石油や東燃を訪問したこともある知日派でもある。私が初めて彼に会ったのは1979年NY郊外で開かれたワールドワイドのExxon
Computer Conference、その後、1982年シドニーで開かれたアジア地区ORワークショップ、同じ年に第2次石油危機の影響で東燃から派遣していた部下の早期引き上げ関連の打ち合わせなどを通じて親しく付き合うようになっていた。その彼が1980年自分も早期退職したことは知っていたが、音信は途絶えていた。
IBM TCS関連会議最終日は午前で全てのプログラムが終わり、ホテルで迎えを待っていると、これもEREに居たGery Cleavesがクルマで迎えに来てくれた。案内された場所はホテル、EREともさして遠くない小さな町ニュー・プロビデンス、その中心部にある2階建てのオフィスビルの一部であった。6年ぶりの再会を互いに喜び、いくつかの小部屋で構成されるオフィスを案内してもらうと、昔のECCS(Exxon Computer, Communication and Systems;EREと同じ敷地内に在るが別組織)の部下たちが何人もいる。会社と言うより大学の研究室のような雰囲気だ。GeryとTomがビジネスの概要を説明してくれる。商品はMIMI(Manager for Interactive Modeling Interface)と呼ばれるワークステーションベースの生産計画・スケジュール作成ツールである。Exxonを含むいくつかの大手ユーザーがスポンサーとなり一応ひな形が出来ており、実用に供されているが、機能拡張や製品のブラッシュアップをまだまだ行う必要があるとのこと。「大いに興味がある」と言ったところ、Tomが「自分の部屋へ行こう」と誘ってくれる。Geryはついてこない。「あとはオーナーとどうぞ」と言う雰囲気。
部屋で二人きりになると、机の上の“Research”と書かれた銘板を指さしながら「(名刺はPresidentとなっているが)経営よりこちらの方が好みなんだ。だから日常の経営はGeryに任せている」と言う。「でも大事なことは自分で決める」「“興味がある”と言ったがMIMIを日本で扱いたいか?」「Yes」
それから1時間くらい二人で日本でのビジネス推進に関して率直な話し合いを持った。「カネ(出資)はいらない。現在のスポンサーで充分だ」「ただ数を売るだけの商売はして欲しくない。ユーザーニーズをきちんと理解し真に役立つものに仕上げる力が大切だ。東燃のユーザー知見が生かせるSPINならこちらの期待に応えられるだろう」「法律家を挟んだややこしい契約はしたくない」 こっちらが望むことを先方から先に言われてしまう。
「ところでNJに在るのに何故Chesapeake(ワシントンDC東方の湾)なんだい?」「ヨットが趣味だから、独立したらチェサピーク湾に面したところに転居し、そこに会社を設立するつもりだったんだがワイフに反対されてね」(3人目の奥さんである!)
TomとCDSについては後に日本でのビジネスを中心に何度か取り上げる予定であるが、この出会いがSPINのポストTCSの大きなきっかけになったことは確かである。
(次回;1988年経営トピックス;“韓国油公”)
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