2015年3月6日金曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部)-14


2. 1988年経営トピックス-6;資本金と社名
東燃グループの物品・役務調達に関する支払条件は、契約時・製造時(あるいは役務提供時)・検収時の3分割(大体13づつ)で、納品あるいは作業終了時にはすべての支払いが終わる方式であった。従って手形での支払いは無い(私の父は公務員退官後手形売買会社に一時勤務していたが“幻の手形”と言っていた)。株主から原油を供給を受け、その100%子会社(エッソ石油、モービル石油)に製品を渡す際も検収時支払だったから出来たことである。この方式は調達コストを安くできたし、運転資金もミニマムに抑えられるので金融コストも安くなる。
SPINがスタートした1985年からこの年までは売上は東燃グループからの委託業務(アウトソーシング)が23程度あったから、資本金が5千万円でも支払が上記の方式なので何ら資金繰りに問題なかったが、グループ外の顧客は90日の手形支払いが多かった。業容は外部向けで拡大基調にあり、直ぐにはともかく数年後にはボーナス支払月などチョッとこれでは心もとない恐れもある。それでもTTECシステム部で外部ビジネスを始めて、システム部門のキャッシュフローで「勘定合ってゼニ足らず」になっても会社全体では何とかなっていたので、「ショートしそうならグループ売上をチョッと工夫して何とかなる」と考えていた。しかし新社長のSMZさんは経理財務の出身だけに「少し資本金を増やした方が良いんじゃないか」と言い出した。
SPINの設立には大株主(ExxonMobil)から厳しい審査を種々受けたが、ポイントは「一人前の会社としてやっていけるのか」ということに尽きる。それもあったのだろう、会社が順調に動き出すと早速1割の配当を要求してきた。5千万円で5百万円。増資をすれば当然この額は増える。配当が払えないわけではないが、数人の優秀な人材を採用できる余力が減ずる。だからSMZさんの増資案に直ぐには同意できなかった。しかし、清水の電算機センターや飯田橋オフィスの検討を進めるうちに、手許資金に余力がある方が経営の柔軟性が確保できることが実感として分かってきた。
結局この件はSMZさんと東燃経理財務担当のFJMさんの間で検討が行われ、一気に15千万円増資し、新資本金は2億円となった。
この資本金検討の中で出てきた話題に社名がある。会社設立計画が詰めの段階にあるとき、社名を東燃グループ社員から募集しことは、第一部で詳述したが、最も問題になったのが“東燃”をつけるか否かだった。それまでの子会社は、他社との共同出資である場合を除けば皆つけていたのだが、東燃の競合会社に営業活動をするとき「無い方がいい」との意見があり、単なる“システムプラザ”とした訳である。しかし、3年間これでやってきていくつか不都合も出てきていた。先ず、PCの普及推進に日本IBMがいたるところに“システムプラザ”を開設したことである。知名度は上がるが、勘違いされることも多かった。第2はリクルート活動への影響である。東燃自身一部上場会社としてブランド力は高くなかったものの、学校訪問でその名を出すと就職担当部門や学生の反応はまるで違った。さらに、新規分野顧客は情報サービスが信用力を重視することから“東燃”を評価してくれるところが多かった。また、この時期になると競合他社の間では東燃をつけなくともその子会社であることは衆知となっており、それでビジネスが滞ることもなくなってきていた。
121日、社名を東燃システムプラザと改名、資本金は2億円増資、4日には在京全社員飯田橋オフィスに移り、心機一転、一層の飛躍に向けて新たな一歩を踏み出した。

(次回;1988年経営トピックス;MIMI総代理店)


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