4.1989年経営トピックス-5;LS研
通称LS研はラージシステム研究会の略、富士通大型汎用機ユーザーで構成される研究会である。この他にファミリー会というのがあり、こちらは小型機も含めた親睦団体である(その後汎用機はクライアント・サーバーシステムに変わったので、ラージシステムは適当でなく、リーディングエッジシステムに変わった。研究会も今ではファミリー会の一部になっている)。LS研の研究テーマは極めて先端技術的なものから経営課題まで幅広く、常時30前後の分科会が1~3年の研究期間で走っている。テーマはユーザーから提案されるものが多いが、時には富士通側から起案されるものもある。
この年私が参加した“情報システム戦略度診断手法”研究は、折からブームとなっていたSIS(Strategic Information System)を踏まえて、富士通SEとユーザーの中でも早くからそこに問題意識の高かったカネボウ(株)情報システム部長のYSDさんが発案者と聞かされていた。今までLS研活動は自身が参加するものとは思っていなかったが、二つの理由からメンバーになることを決した。一つは前回書いたように東大の土屋教授がノースウェスタン大学マンハイム教授と進めていた日米SIS比較研究のインタビューを受けたこと、もう一つはファミリー会の理事をしていたMTKさんからYSDさんの論客ぶりを聞かされていたからである。募集対象は管理職となっていたが、経営者でも許されそうなので応募した。これは後日談になるのだが富士通内部では「なんであの人が?」と相当話題になったらしい。理由は私が東燃におけるガチガチのIBM派と位置付けられていたことによる。これが全く誤解であることは本ノート「決断科学、事例、メインフレームを取替える」に詳述しているので省略するが、本人の知らないところで騒動を起こしていたらしい。
4月のLS研新年度スタートでこの分科会に集まったのは、日石、NHK、松下電器、グローリー工業、北陸電力、日商岩井、日軽金、東洋インキ、セイコー電子など我が国を代表する大企業の部課長が十数人。YSDさんがリーダー、サブリーダーはオリンパスのHRDさん。富士通側はLS研事務局長代理のYMTさん、それに二人の現役バリバリのSE課長、ASIさんとMZNさんが分科会事務局を務めるという贅沢な布陣であった。
研究会は月一回富士通や各社の研修施設などに一泊二日(大体金・土)合宿し、夜を徹して議論をしながら年度毎に最終成果物をまとめ、総会で発表し評価をうける方式である。我々分科会の場合、初年度は診断法開発を中心に活動し次年度は診断結果に対する処方と総合的な手法ブラッシュアップに費やした。この研究のためにIT利用発展に関する内外研究者の書籍・文献を深耕するとともに、自社を始め我が国ユーザーの利用実態をアンケートや訪問調査で調べ、診断と処方の仮説を修正しながら完成させる日々は、日ごろの経営管理とは違った(人に命ずるのではなく自ら作業する)、厳しいが新鮮な刺激に満ちたものだった。
2年目はYSDさんからバトンを引き継ぎ、リーダーとしてゴールをめざし走ったが、幸い最優秀論文の評価を受け、1991年5月オーストラリアのアデレードで開催された富士通ユーザー国際大会で発表する機会を与えられた。さらに、この内容に興味を持った日本能率協会から出版の話が持ちかけられ、YSDさんと2年目のサブリーダーNHKのTKH部長それに私の共著として12月に「SIS診断-競争優位への道しるべ-」として世に出ることになった。
振り返れば、この研究活動そのものがビジネスに直ちに直結するものではなかったが、私自身企業におけるIT利用に関する理論武装が出来、研究内容紹介を潜在顧客に求められることが多くなって、会社の知名度が高まり、やがて個々の商談に結び付いていった点で経営に寄与するものだと今でも思っている。
(次回;1989年経営トピックス;海外関連)
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