6.コルドバ-2
コルドバの見所の代表は何と言ってもメスキータ、スペイン語でイスラム寺院を意味する。レコンキスタの後はカソリックの聖堂になったのだからカテドラルと称されてもおかしくないのだが、ここは依然として“モスク”なのである。これだけでもその歴史的重みが分かる。これで思い起こしたのが、1996年イスタンブールを観光した時に訪れたアヤソフィア、もともとは東ローマ帝国時代の大聖堂を15世紀オスマントルコがその地を征服した後、モスクに改造したものである。どちらが良いかと問われれば、無論メスキータである。ヨーロッパの周辺地域にはこのような文化文明の交錯した、歴史的遺産が各所に現存するところが観光の楽しさである。
このメスキータの建立されたのは紀元8世紀、800年後の16世紀にカソリック教会に改築されたのだ。美術や建築の専門家はそれを“改悪”と決めつける傾向が強い。イスラムの伝統を守る、明るく、開放的で清潔感にあふれる大規模モスクを見たことのある者にはその評価がよく理解できる。とにかく現在のメスキータは暗いし、巨大な祭壇などが中に収められ、折角の広い空間がせせこましく感じられる。実は市民の反対を押し切り、オーストリア人の司祭にそそのかされて、この改築に勅許を与えたカルロス1世は現場を見たわけではなく、後にポルトガル女王イザベルとセビーリャで結婚式を挙げたあと新婚旅行にここを訪れ、“改悪”を理解した時「世界に一つしかない建物を壊してしまった」と猛省するのだが“時すでに遅し”だったと伝えられている。
中に入るとまず目に入るのは多数の円柱である。本来の数は1012本、改築後は約850本に減じているのだがそれでも“石柱の森”である。年輪を重ねた柱は加工の仕方や材質、礎石や柱頭もよく見ると異なっている。既存の建造物の石や柱を転用しているのだ。そのアーチ部分は一色ではなくいかにもイスラム風の赤と白の縞模様になっている。構造は一気に天井に至るのではなく、何段かのアーチを重ねて天井に達している。この辺り、当時の建築技術の限界もあっただろう。説明を聞いて残念に思われたのは、イスラム時代には外壁部分は限られており、中庭と一体になり、そこにも礼拝者が参列し、祈りを捧げていたとのこと。明るい光と乾いた空気が室内にも満ち満ちてわけである。いまその中庭にあった石は引きはがされオレンジの木が植えられている。しかし、これだけ“改悪”されても感動させられるものが残っているのはさすがである。
次に出かけたのはユダヤ人居住区。スペインの歴史的な街にはどこにもこう名付けられた一画がある。宗教が違うので、イスラムともキリスト教徒とも完全に共棲することはないものの金融業など彼らの役割はそれなりにあったことがこのことから分かる。いまではユダヤ人が住んでいるわけではなく単なる地名だが、街のつくりが異なり狭く入り組んだ路地が特徴で、そんな中に花で飾られた小さなパテオ(中庭)を発見するのも楽しい。丁度年度替わりの休みを利用した遠足で小学生たちも見学に訪れていた。
昼食は、白壁の美しいAlmudaina(意味不明)と言うレストランで、生ハムとビーフシチュー、それにシェリー酒。生ハムは(どこでも)個人的にやや塩辛い感じがしたが、ビーフシチューとシェリー、それにパンには十分満足した。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;セビーリャ)
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