7.門司港
関門海峡を初めて渡ったのは1946年(昭和21年)9月の下旬である。満州からの引揚げ船は博多に着き、そこから母の実家がある東京に向かう途上であった。父が「このトンネルは海の下を通っている」と教えてくれ、強く印象に残っているのだ。爾来この海峡を何度か、新幹線を含め鉄道で渡っているのだが、トンネルは海岸の遥か手前から地下に潜るので、海峡そのものを見る機会は今まで全くなかった。今回もトンネル国道(無料)を走る案もあったが、海峡そのものを見たくて橋で越えることにした。しかしそのあっけないこと三浦半島先端の三崎から城ケ島へ渡る有料橋と大差ない感じだった。
現在の門司港駅はトンネル開通前の門司駅、ここから下関へ鉄道連絡船が通っていた。つまり、門司港駅周辺こそ本来の門司の街なのである。太平洋戦争末期激しい空爆にあっているにも拘わらず、税関を始め船会社の事務所など歴史的な建造物が多く残っているし、海峡・港湾を眺めてトンネル開通前の往時を偲ぶにはもってこいの場所なのである。
海峡が見える部屋、レトロ地区に在ること。ビジネスホテルでなくともよい。これで宿泊先を当たると“門司港ホテル”しかないことが直ぐわかった。ただシングルの部屋はなく、ツインかダブルしかないが、宿泊費は税込み・朝食付きで1万円を切っており、いまどきの都市ホテルとしてリーズナブルな値段であったから即予約した。
ICを下りて10分もせずに埠頭に接するホテルに到着。駐車場が出入口に警備員の居る地下に在るのが良い。その警備員の案内に従いフロントに向かうとチョッとせせこましい感じがする。こちらの怪訝な表情を察したのかチェックイン担当者が「正規のフロント・ロビーが改築中で申し訳ありません」とことわりを述べる。そういうことだったのだ。あとで本来のフロント・ロビーへ出てみると、一階正面から広い階段を上った2階にそれが在り、横浜グランドホテル旧館の趣と似てクラッシックホテルの雰囲気がある(ここは1998年オープンだが)。
部屋は9階、広さも充分。バスルームもユニットタイプではなく、作り付けの本格的なものだ。希望通り海峡に面し、対岸の下関は指呼の間、関門橋も部屋の窓から見えから夜景も楽しめそうだ。有線LANもあるから今日もフェースブックに投稿できる。
暗くならない内に足早にレトロ地区を散策することにして直ぐ部屋を出る。ホテルの西側は埠頭に接し、その先は狭い海峡を隔てて下関。この埠頭から時計回りで観光用の橋などが架かった港湾地区を一巡する。三井倶楽部、郵船や大阪商船の旧支店などが今はレストラン、美術館やブティックなどに利用されている。旧門司駅(現門司港駅)へ行ってみる。残念ながら正面は鉄道記念館への改築工事中だが、駅の中に入ってみると頭端式(行き止まり式)のホームが在る。かつての本線はここ止まりで門司駅までの盲腸線になっている。しかし、レトロ趣味にはむしろ相応しい。
ご当地名物B級グルメは“焼きカレー(カレーライスのグラタンのようなもの)”だが、一人とは言え折角のディナーをこんなもので済ませたくない。天気も下り坂なので外出はやめにして、ホテルへ戻ると夜景の楽しめるイタリアンレストランを予約した。これがチョッと失敗だった。一休みしてレストランに出かけ席に案内される。これも希望通り“海峡ビュー”の席だ。手渡されたメニューを見なが「ワインは欲しいが、あとは前菜数種+パスタで軽めに」と探すが。コース料理しかない!聞けば「ディナーはコースのみです」との返事。遅いランチでしっかり食べてしまったのが悔やまれる。
近くには壇ノ浦や巌流島も在る。もう一度ここだけの観光で出かけてくるのも悪くない。そんな門司港であった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;天孫降臨の地へ)
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