2016年5月18日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(17)


14.知覧
321日(月)春分の日、三連休最終日も晴れてくれた。これで家族全員での旅は終わるが、天候に恵まれたことは何よりだった。あと半日の観光も問題なく過ごせそうだ。
この日の予定は、我々夫婦は次の宿泊地長崎に向かい、あとのメンバーはそれぞれ午後4時半頃の便で伊丹・羽田へ戻る。従って昼食までは皆一緒に行動し、知覧を訪ねることになっている。
旅行計画を考えている際、指宿に泊まり、そこから長崎・鹿児島空港に向かう途上で面白そうな土地を探したが、格別景観に優れた所や古い歴史的遺産のような名跡は見つからなかった。しかし知覧と言う地名を発見した時、太平洋戦争の記録をとどめる知名度が高いこの地を、戦史に特別な興味を持つ者として、ぜひ訪ねてみたいと考えた。また“特攻”のことを、まだ小さい孫たちはともかく、あの戦争を全く知らない3040代になった子供たちに、身近に学んでもらえる良い機会ではとも思った。この特攻をきっかけに知覧を調べてみると、武家屋敷の保存整備状態が良く、それも見所の一つになっていることを知り、ここを全員観光の最終地とした。
ホテル出発は920分。ルートは往路で走った国道266号線を原油備蓄基地の見える喜入の手前まで戻り、そこから県232号線を西へ向かうと知覧に至る。走行時間は約45分、“知覧特攻平和会館(特攻会館)”裏の駐車場に着いた。表に回ると市街地から記念館へ通じる広い直線道路が整備されており、観光バスでやってきた団体訪問客が大勢往き来している。
特攻会館はこじんまりした一階建て、かつての飛行場の一画に昭和50年代に建設されたものである(その後60年代に拡張したらしい)。大物は3機の戦闘機、隼(1式)・疾風(4式)それに海底から引き揚げられた半壊の零戦。“神風(カミカゼ)”で名高い特攻の先駆は海軍だがここは陸軍の基地、艦上戦闘機(海軍)である零戦がここに置かれているのにちょっと違和感。しかし、この会館の真の存在意義は、展示の中心となっている兵器や軍装ではなく、若くして国のために犠牲となった搭乗員たちの遺書や遺影にある。そのほとんどが10代後半から20代、泣き言めいた表現は一切なく、任務に殉ずることへの誇りさえ感じさせる筆致に胸をうたれる。死にゆく者、残された遺族双方の心情を、同道した8歳の孫を見ながら、密かに重ね合わせている私がそこにあった。
特攻会館の見学は1時間少々、館内案内の人に食事処を問うと、市内(南九州市)の中心部にソバや郷土料理の店があると言う。取り敢えず教えてもらった特攻隊員たちが利用していた往時を今に留める“冨屋旅館(食堂)”裏の駐車場を目指すが上手く見つけられず近くの市営駐車場にクルマを止める。そこは市役所や裁判所などが在る当に中心地なのだが、何故か適当な飲食店が見つからない。通り(県23号線)に面した商店で聞いたところ、東に10分ほど行くと郷土料理の店さらにその先にソバ屋があると言う。最初に目指したソバ屋はかなりの待ち行列、結局郷土料理を売り物にしている“高城庵”に落ち着いた。ここもほとんど満席、食事が出てくるまでにずいぶん時間がかかった。この段階で長崎までのルートの内天草を経由する案は時間の関係で諦めることに決する。息子・娘家族は十分時間があるので、食後は武家屋敷見学(地区全体が有料)をしてから空港に向かうことにし、我々夫婦は陸路だけで長崎に向かうことにした。

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(次回;長崎へ)

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