<今月読んだ本>
1) 空港は誰が動かしているのか(轟一博):日本経済新聞出版社(新書)
2) Skunk Works(Bob R.Rich):Little, Brown and Company
3) レーニン対イギリス秘密情報部(ジャイルズ・ミルトン):原書房
4)死んだライオン(ミック・ヘロン):早川書房(文庫)
5)カルチャロミクス(エレツ・エイデン、ジャン=バーティスト・ミシェル):草思社
6)シルバー民主主義(八代尚宏):中央公論新社(新書)
<愚評昧説>
1)空港は誰が動かしているのか
鉄道・自動車・飛行機、乗り物に関する本が好みの分野であることは、本欄で何度も触れている(船は軍艦以外興味がない)。読む目的は旅行記と近く、専ら息抜きや気分転換、それに少々の雑学的好奇心といったところである。本書を新聞の広告欄で目にしたとき、「空港か、あれこれ知られざる(世界的に有名な新幹線終着駅の車内清掃のような)裏方仕事の数々でも取り上げているのではないか?」 中身や著者を全く確かめず勝手にそんな思いが去来してAmazonに発注した。
序章を読んで「ウン?」となった。現役のキャリア官僚(旧運輸省、現国土交通省事務官)が、空港運営の経営形態一新を目的として取り組んだ関空・伊丹の統合とコンセッション(運営権売却;関西エアポート株式会社として発足)を巡るプロジェクト推進の要旨を、一般向けにまとめた内容であることが記されていたのである。「そんな辛気臭いことに興味ないなー」となったが、それでも“乗り物”に惹かれて読み進むことにした。
先ず空港運営とはどの様なものなのかを、本書の中心テーマとなる関空・伊丹以外も含む我が国空港全体を対象に、その開設準備段階から現状まで概説する。定期便に供される空港が100を超えること、そのほとんどが当初の目論見のように経営できておらず大幅赤字であること、それを改善するための主体が曖昧で抜本的な対策が講じられていないこと、が明らかにされる。根本にあるのは巨額の公共投資なのだが、前提となるフィージビリティスタディ、組織管理や営業活動(航空会社以上に空港自体の)にも問題累積であることが具体的に示される。例えば、本来その地域が持つ特徴・魅力を訴求する環境整備・PRを欠いたまま、空港ができ定期便が飛べば人が集まってくるような甘い予測を基に空港誘致が行われていることを暴く。また海外における空港経営のビジネスモデルは、航空系事業における着陸料収入と利用客を対象とする非航空系事業での収支を合算し、非航空系事業の利益を着陸料低廉化につなげてさらなる利用促進を図るようになっているが、我が国では空港基本施設(国・自治体)とターミナルビル(第三セクター)の管理運営が分かれており、一体運営ができていいないところに、万年赤字体質から抜け出せない主因があるとする。そしてこのような状況を抜本的に改革するために第1号案件として取り上げられたのが、関空・伊丹統合とそのコンセッションプロジェクトなのである。
最大の課題は“真の”民営化にある。著者に言わせれば民活の掛け声で発足した新関西空港株式会社は“民間風”であったに過ぎず、矛盾だらけの組織運営で「虎は放置してハエを追い回す」場当たり的でお上頼みの経営であったと断じ、その経営実態を具体例で示し、今までの民営化の限界を詳らかにしていく。本来関空サービス開始とともに消える運命にあった伊丹が既得権益温存で生き残り、それが関空経営に大きく影響している。ならばそれぞれの役割を見直し、一体化した新しい民間組織で関西地区全体の空港運営効率化を図ろう。この実現に至る苦難のプロセスを描いたのが本書の骨子である。
著者が航空局内に設置されたプロジェクトチームに配属されるのは2010年8月、35歳のときである。爾来本年4月関西エアポート株式会社に業務移管されるまで、この計画の渦中にあって、経営統合スキームの立案・調整から事業者選定までを担当する。
多くの所轄省庁・地方自治体が絡む組織改編・統合の難しさに相当の紙数が割かれているが、これは行政改革の常なので内容紹介を省く。本書ならではの収穫は、膨大な公共投資におけるその回収、運営に伴うファイナンスの現状や考え方である。例えば運営権を入手した企業(結果として、オリックス、ヴァンシ(空港運営ノウハウを持つ仏企業)・エアポートコンソーシアム)の格付けが、巨額の債務で低下しないようシナリオ(政府保証を付けずに)づくりをして格付け会社に飲ませるところなど「ここまでやるのか!」とその段取りと攻め方の見事さに感銘さえ覚える。
読後感は「国民や国のために使命感に燃えて職責を果たそうとするお役人がまだまだいるんだな~」と言うところである。つまり“空港よもやま話”よりは“官僚奮闘物語”としての印象が圧倒的に強かった。
2)Skunk Works
エンジニア(建築家は除く;大方の建築家は自身エンジニアと思っていないようだが・・・(芸術家?))の世界で個人名が語られることは、発明者や起業者を除けば極めて稀であるが、1950年代初めまでの航空機業界では例外的にそれがクローズアップされる傾向が強かった。「風立ちぬ」で若い人にも知られるようになった零戦の主任設計技師堀越二郎を始め、バトル・オブ・ブリテンを勝利に導いたスピットファイアー(英)の設計者レジナルド・ミッチェル、山本五十六大将搭乗機(一式陸攻)をブーゲンビル島上空で撃墜したロッキードP-38ライトニング(米)の設計者クラレンス・“ケリー”・ジョンソンなど、チョッとした軍事オタクや航空ファンなら、直ぐに機体と結びつくほど有名な人物である。本書はそのケリーと彼の後を引き継ぐことになるベン・リッチの伝記である。
IT業界に長く関わってきて、“スカンク・ワーク”と聞くと技術者個人や少数の同志が会社に目立たず(あるいは隠れて)、予算や人材を手当てして、画期的な製品を開発する行為を先ず連想する。しかし本書を読んでその起源がケリー時代(1940年代初旬)のロッキード社に発することを知った。ナチスドイツがジェット戦闘機開発を進めていることを知った米陸軍航空隊は同種の機種を、ケリーを長にロッキード社に研究開発させることを決めるが、戦時生産は多忙を極め既存の開発・生産拠点が使えない。そこでプラスチック工場の脇に大型テント張りの仮設研究センターを設けそこに新設組織を収容する。劣悪な環境(特にプラスチック加工の臭い)は、当時人気だった漫画に登場する密造酒醸造所“スコンクワークス”にそっくり。当初はその通りに“スコンクワークス”と称していたのだが、知財トラブルを恐れて“スカンクワークス”に変え、商標登録さえしているのだ。これは極秘プロジェクトを覆い隠すのにはうってつけだったようである。この間テント張りは爆弾の直撃にも耐えられる窓なし鉄骨コンクリートの巨大な建物に変じていく。
さてここでの新機開発である。時代は、終戦直前から1950年代の最盛期を経て、本書が出版される直近の1990年代まで。機体は、米国最初のジェット戦闘機となるF-80、次いで高高度スパイ機U-2、空自も採用したF104スターファイター、超音速戦略偵察機SR-71、世界初のステルス戦闘機F-117(技術開発の話としてはこれが最も面白い)、中国核施設偵察に投入されたドローン機、そして次期航空自衛隊制空戦闘機として取り沙汰されたF-22 (同型機であるが汎用性の高い(つまり制空戦闘力はやや劣る)F-35が有力候補)も取り上げられている。
著者が技術者であることから、紙数は専ら技術開発物語に充てられるのだが、革新的軍用機であるがゆえに、国内政治、国家安全保障・外交との関係が複雑に絡み、技術者として専門領域にとどまることを許さぬ様々な出来事が次々に派生、当事者として経営者や軍官僚あるいは議会や大統領府との折衝に人智を傾注する場面が取り込まれ、並みの技術ノンフィクションとは異なる面白味を醸し出す。
印象に残る一例は、アイゼンハワー政権におけるソ連領内でのU-2撃墜事件(1960年5月1日;メーデー)。CIA(U-2はCIAに所属)はソ連にこの機を打ち落とす能力がないと保証していたにもかかわらずそれが起こり、飛行士パワーズはとらわれ、機体の一部が回収されたことでパリでのアイゼンハワー・フルシチョフ首脳会談が直前に中止になるばかりか、再度ソ連領空を侵犯しないことを確約させられる。U-2の性能、開発中の偽装工作(味方も欺く)、それまでの実績(頻繁にソ連領を高高度で長時間飛行し、戦略爆撃機基地やミサイル基地の偵察に成功している)、政権内での事件以前の言動(アイゼンハワー自身は極めて慎重だったが、成功を重ねるにつれ、偵察効果に期待するようになっていく)、万が一の対応策(飛行士に青酸カリを持たせる、飛行目的は気象データの収集にあると日頃からPR)、事後のパワーズに対する世論、など交えてU-2を単なる兵器から歴史の証言者に変えていく。
また別の例では、産軍複合体の魑魅魍魎もいくつか紹介される。政治家にも軍人にもそれぞれのメーカーと特別な関係が存在する。地元企業に仕事を確保するために、技術的に時代遅れの爆撃機開発・生産にこだわる政治家、それに伝統的な有人機中心のキャリアパスに固執するブルースーツ(空軍の制服)の一派が加担する(高価なSR-71開発など止めて、B-1活用を推す;結局B-1はカーター政権下で開発中止)。
本書の著者ベン・リッチはユダヤ系アメリカ人、戦後大学を卒業した熱力学の専門家。軍用機開発では、エンジンの効率アップに加えて、熱検知システムに対する防御が重要なため、ケリーの下で仕事をすることになる。特にSR-71は音速の3倍で長時間飛行するため、エンジンの吸排気設計は材料選択を含め困難を極めるが、この解決策を見出してケリーの信を得てやがて後継者に指名される(ケリーは1975年常勤顧問に退く)。「私はユダヤ系ですがいいんですか?」「今時そんなことは関係ない!」(因みにケリーはスウェーデン系)
本書のもう一つの読みどころは著者とこのケリーの死(1990年;80歳)に至るまでの子弟関係にもある(著者も1995年他界)。認知症が進み、急速に体力が衰えてくるケリーの老い先を危惧し、意識のはっきりしているうちに、彼が関与したSR-71の飛行を見せてやろう。ケリーをリムジンに乗せスカンクワークスの前に止め、サイドウィンドウを下して外が眺められるようにする。その上空をSR-71が音速を破ってフライパス。衝撃音がリムジンを揺るがすと、顔がほころび口元が動く。終章の感動的な場面である。
翻訳「ステルス戦闘機-スカンクワークスの秘密」(1997年講談社)が出ていることを本欄で紹介した「ホンダジェット」で知ったのだが、絶版となっていたので英書で読むことになった。
3)レーニンとイギリス秘密情報部
英国秘密情報部(SIS;通称MI-6)に関しては、「MI-6秘録(上、下)」を始め、本欄で紹介したフィクション、ノンフィクションは二桁に達している。サスペンス小説はともかく、ノンフィクションはもうタネが尽きたと思っていたが、さすがに近代諜報戦の先駆国、まだまだ知られざる陰謀・謀略の数々があるのだ!今まで読んできたものの多くは第二次世界大戦と冷戦時代の出来事が圧倒的に多いが、今回の舞台はロシア革命前後のロシア国内とそれに連動する革命直後から展開されるボルシェビキ支配体制による南下政策(英国支配のインド、イランに対する)である。
1907年英国と帝政ロシアはイラン・アフガニスタン・チベット方面における両国勢力圏を定める英露協商を結ぶ。背景には日露戦争に敗れたロシアが仮想敵国の力を低下させたことがある。この協商の延長線でフランスを含む三国協商が成立し、第一次世界大戦ではドイツ・オーストリア-ハンガリー・イタリアの三国同盟と相対することになる。同盟国となった英国は軍事顧問をペトログラード(サンクトペテルブルク)に駐在させるのだが、その狙いは東部戦線の督戦と弱体化した帝政の動向を探ることにある。怪僧ラスプーチンの暗躍から国内外における革命勢力の活動まで、直接的な戦闘力低下以上にロシアの政治情勢は協商側の大きな不安要因だったのだ。この顧問団の中に10数人の情報将校が含まれており、大戦前に組織されたSIS(Secret
Intelligence Service)が彼らを統括し、情報収集のみならず、ラスプーチンの暗殺から反革命の支援まで幅広い謀略に深く関わっていく。
マルクスによる共産革命発展・実現過程は資本主義の果てにそれを行う機が熟するというものである。従って、当時最も資本主義が成熟していると考えられていた英国はその第一の標的であったから、レーニンの言動やコミンテルンの活動はSISの最も注視するところである。加えてロマノフ王家に対する残虐な処刑は同じ王政を布く英国に強烈な衝撃を与え帝政時代以上にボルシェビキに対するスパイ活動が活発化する。一方革命勢力は反革命制圧のために外国の影響力を排除し、さらに革命の機運をロシア以外にも醸成すべく、防諜・謀略組織(NKVD;のちのKGB)を急速に強化していく。
その動きはロシア国内に留まらず、共産革命を独立運動の活発だったインド(現パキスタンを含む)に展開することを目論むレーニンによる英露協商破棄、南西アジア・中央アジアにおける反英運動の扇動にまでおよぶ(レーニン言うところの“グレートゲーム”)。これに対して英国もこの方面での反革命・防諜活動で対抗、欧州とは異なる環境下で熾烈なスパイ戦が戦われる(結局1921年レーニンは経済危機から英国の援助が必要となり、この謀略を取りやめることを英国に確約する)。
他のMI-6物には深く触れられることのなかったサマーセット・モーム(諜報員名サマヴィル)に1章を割いているのは思わぬ収穫だった(この章はスパイに適した個人資質を解説するもので、モームがそれなりの人物であったことがうかがえる)。きっかけは1915年スイス在住時ドイツ国内で活動しているスパイの連絡係を務めていたことにある。1917年MI-6にリクルートされ、ケレンスキー政権(レーニン政権前)下のロシアに東部戦線での戦闘継続を謀るよう命じられる(軍資金運びを含む)。何とルートは米国廻り、サンフランシスコからウラジオストックを経てペトログラードに向かう。8月に現地到着、駐露英国大使にケレンスキーとの会見の段取りを乞うが協力を拒まれる(これ以降SIS諜報員を出先外交組織に委ねぬことは両組織間で数々のトラブルを生ずる)。そこでモームは旧知の友人(女性で一時恋愛関係にあった)を頼り、ケレンスキーとの面会が実現するのだが、とても英国が望みを託せるような人物ではないと断じ、取引相手を陸軍大臣のボリス・サヴィンコフに切り替え工作を続ける。しかし10月ケレンスキー内閣は倒れ、モームに課せられた所期の目的は叶わない。
本書のストーリーはこの革命政権初期のソ連と英国の諜報戦を、特にSIS工作員はじめ軍人、外交官や植民地官吏の目で追うもので、個人の回想録や日記が多用しながら、当時の世界規模の英露国家戦略を語るところに、大国ゆえの矛盾や効率の悪さ(特に英本国政府とインド政庁、あるいはロシアにおけるイスラムや異民族の存在)が露呈し、その戦略実現と統治の難しさを細部から教えてくれる。
著者は世界史を題材にしたノンフィクションを得意とする1966年生まれの英国人作家。それもあってか、アフガニスタン周辺の諸民族の動きや一部イスラム教徒の狂信性が妙に現代と重なってくる。
4)死んだライオン
7月29日のニュースで横山秀夫著「64(ロクヨン)」の英訳本が英国推理小説作家協会ダガー賞のインターナショナル部門にノミネート(5作品)されているとの報があった。世界のミステリー、サスペンス小説の頂点に位置づけられる賞に日本人が初めて候補になったことを素直に喜びたい。本作品はそのダガー賞2013年度“ゴールド(最優秀作品)賞”受賞作品である。
前掲“レーニンとイギリス秘密情報部”がロシア革命前後のMI-6(対外諜報工作)を扱ったノンフィクションだったのに対し、本書は国内防諜を担当するMI-5を取り上げた現代(冷戦崩壊後の)のスパイ小説である。本欄-80(2015年4月)で紹介した、この著者による邦訳第一作「窓際のスパイ」(2010年度ダガー賞ノミネート)の続編。前回同様MI-5本部で不始末をやらかした者が送り込まれる「泥沼の家」のスタッフが本部の無視する些細な事件(路線バス内での老人の急死、残されたメモには“蝉”の一言が記されていた)から、国際的陰謀を解き明かしていく話である。
事件のクライマックスは9・11同時多発テロを彷彿とさせる、ロンドン高層ビルへの航空機接近の場面だが、裏にあるのはイスラムや国際政治ではなく冷戦時代の遺物、その時代を現役として過ごした老スパイの復讐劇である。私怨か?得体の知れぬロシア新興成金(オリガリヒ)のはかりごとか?はたまた秘密諜報組織に対する組織的な挑戦か?当初は相互に関係ない出来事が、「泥沼の家」リーダーの差配で大事件を予測させる事態に至っていく。スタッフがここへ送られた理由はまちまちで、必ずしも明らかになっていない。各人何とか手柄をあげて本部復帰を狙っている。それを見透かして彼らを個別に利用し、昇進のチャンスを画策する本部職員。ここにかつてMI-5の仇敵だった幻のKGBスパイが登場する。“蝉”の中には20年間地中で過ごし孵化するものもいるのだ。コンピュータオタクの分析がコッツウォルズの一寒村の奇妙な居住者たちの過去を暴き、最後に予想もつかぬどんでん返しが持っている。
この種の本は「読んでのお楽しみ」なので内容紹介はここまでに留めるが、時空の広がりが次第に絞り込まれていくプロセスが見事なことと、皮肉やウィットに富んだいかにも英国風会話の妙(これは訳者の力量もある)が堪らない。サスペンスファンには是非前作から読むことをお薦めする。
なお″死んだライオン“とは子供の遊びの一つ;鬼になった子供は死んだふりをして動かない。最初に動いたものが次の鬼になる。これが長期潜伏スパイの象徴として使われているのだ。
5)カロチャロミクス
計測・制御技術を学び、そこから技術者人生をスタートさせた私だが、振り返ってみれば情報技術(IT)に関わった時間が最も長く、知見・体験した幅も深さも前者とは比較にならない。ITの黎明期(当時はIT=コンピュータだったが)から発展期にかけてそれに関われたことを幸運だったと思い、誇りにさえ感ずる一方、時として「一体どこまで進むんだろう?」と期待と不安が交錯する。つまり、スマホの利用から自動運転、各種ロボット、果てはビットコインまでかつての夢が形を成し普及することへの驚嘆と“置いていかれる感”が日々募る。
科学は、自然科学、社会科学そして人文科学に大別されると教えられたのは高校入学間もないころだったと記憶する。大学進学に向けてどの分野にどの学部が該当するか、科目選択をいかにすべきか、というような話の中である。この三分野への個人的な関心度は圧倒的に自然科学、次いで社会科学、人文科学にはほとんど興味がなかった。奇しくもコンピュータの時間的な適用順序も自然科学→社会科学→人文科学で、量からいってもこの順番である。
本書の内容は私の現役時代に極めて利用が限られていた(辞書、文字・文章チェック、(拙い)翻訳くらい)、この人文科学領域(主に歴史学、文学・言語学)における、緒についたばかりの画期的な研究方法・成果の紹介である。
(超高速で)“本を読むロボット”が存在し、世界中の主要図書館の蔵書を片っ端から読み込んで、ビッグデータ活用ソフトを用いて分析を行う。いずれの学問も文献調査は研究活動に大きな位置を占めるのだから、当然研究のやり方は変わってくるし、研究者に求められる資質や役割さえ現在とは異なったものになる可能性が高い。著者ら挑むのはこのような研究領域である。
英語の動詞時制変化において過去形は-edで終わるものが多い。一方重要な動詞にはis→ was、 go→ wentのように不規則に変化するものが多々ある。これを2~300年の長期で観測すると、不規則なものが-ed型に変化する傾向がはっきりしてくる。つまり不規則型が規則化していくのだ。例えば、burn(燃える)の過去形はもともとburntだったのだがこれが廃れてburnedが主流になる(私はいまだburntだが)。それはいつごろからか?また原型を今にとどめるものとの違いはどこにあるのか?この問題を上記の“本読みロボット”と著者らが開発したビッグデータ分析ソフト“グーグル・Nグラム・ビューワー”を用いて調べると、1800年頃にはburntが圧倒的に多いのだが、2000年には完全にburnedに取って代わられ、その逆転が生ずるのは1882年頃であることが分かってくる。また他の不規則動詞の変化も調べると、生物同様よく使われるものは生存し、使用頻度が低いものが淘汰されることが明らかになる。さらに放射性元素同様半減期まで予測できるのだ!
研究対象は言語そのものばかりではない。時代々々の有名人は誰か?なにゆえに名声を得られたか?その持続期間は?若くして名声を得るにはどんな職業が有利か?名声の経済効果は?新学説の受容と普及傾向は?言論弾圧の歴史とその結末は?などなど。膨大な書籍に記された言語の出現頻度分析から歴史と社会、そして文化が炙り出されてくる。
無論ブラックボックスに何でも放り込めば良いわけではない。例えば名声、そこには悪名もあるわけだし、ファーストネームかフルネームかの選択も場合によって必要になる。このような配慮は本研究に限らずビッグデータ活用の重要な留意点であり、研究目的によるデータ事前処理の検討が研究成果に大きく影響することを教えてくれる。
ここでは応用例のごく一部を紹介したが、本書には図書のディジタル化と利用可能の現状、それらに関する知財管理やプライバシー保護問題など、応用研究以前の課題とその解決策、あるいは言語使用頻度分析の歴史など、書籍関連ビッグデータ利用周辺事項についても実体験をもとに詳しく解説さる。このように馴染みのないIT利用の最前線を知るばかりか学問そのものの進化の過程まで学ぶことができる仕組みになっているのだ。それによれは、科学は自然科学と人文科学(宗教を含む)が先行し、社会科学は遥かに遅れた学問領域であるとのことである。確かに政治学、経済学、経営学それに社会学は抽象化・体系化が浅く感じられる。
著者;エレツ・エイデンはハーバード卒業の応用数学者、のちに生物学も専攻、ジャン=バティースト・ミッシェルはエコール・ポリテクニック(仏)出身の応用数学者かつIT関連の企業家。カルチャロミクス(Culturomics)は彼らの造語、カルチャー(文化)とオーミックス(“研究”を意味する接尾語(ゲノミクスのように)を合成した、人文科学と自然科学の融合域を意味する。
実は、大学受験に先立つ進学指導で“人文科学”分野に進むよう担任の先生に強く薦められた。しかし「一体なんで食べていくのだろう?」と一顧だにしなかった。もしその助言に素直に従っていたら、こんな世界に踏み込んで“名声”を得ていたのかもしれない。これが微かに自省を伴う読後感である。
6)シルバー民主主義
6月の英国EU離脱は、多くの人同様私にとっても「まさか!」の出来事だった。9年前地方都市(ランカスター)に半年滞在した。当時から東欧、中東や旧植民地からの移民が身近な問題であることは承知していたが、それが理由で離脱が決するとは思ってもいなかった(厳密には移民問題だけではないが)。投票結果の分析を見て即思ったことは「こんなことで国の“将来”が決まっていいのだろうか?!」である。つまり、若者の多くは残留を望みながら、地方の高齢者票でEUを離れることになったと読めたからである。そして、それは我が国の政治・社会情勢とも無縁ではない。否、世界でも類のないスピードで少子高齢化が進む我が国では英国以上に老人パワーが強くなっていることに注視する必要があるのだ(因みに、“大阪都”に関する住民投票では高齢者の反対票が多かった)。
もう10年以上前から親しい友人たちと歓談しているとき、冗談半分に「20代は2票、30,40代は3票、50,60代は2票、70,80代は1票、90歳以上は投票権なし」と言ってきた(今ならこれに10代1票を加えるが)。こんなことが“民主主義”下で実現するはずはないことは分かっているが、こうでもしない限り“将来”を真剣に考えた政策が実現しないと考えるからである。驚いたことに、本書の中に、研究者がこれとほぼ同じ考えを報告していることが記されていた(著者も民主主義の下では不可とコメントしている)。
高齢者の政治的関心事は何も社会保障政策に限れるわけではないが(自分自身福祉で選んだことはない)、本書で取り上げられる論点は、財政再建(次の世代へのツケを少しでも減じよう)との関係において、年金・医療・介護問題に重点が置かれる。これらの施策が発足時の社会情勢と著しく変わってきているにも関わらず、政治(野党も含む)も行政も高齢者からの反発を恐れ、抜本的な対策を講ずることなく放置し(啓蒙活動すら大事なところを誤魔化してきた)、国家財政を破滅的な状態に至らしめ、それによる世代間格差拡大が留まるところを知らない。本書はこの現況に対する警告と改革方針の提示が論旨となっている。要は「日本の老人は、若者に比べあまりにも優遇されており、それを是正しなければならない」と言うことである。
先ず高齢者対応の諸施策の実態をその依ってきたる政策(年金政策、医療政策など)の立案過程から説き起こし、具体的に問題点を明らかにする。例えば当初の年金制度(厚生年金、国民年金)は積立方式(基本的に積立額に連動する支給)であったものがその後(次世代分を取り込んだ)賦課方式(経済情勢に応じた算定額を支給)に変わり、経済成長に伴うインフレ下ではそれが上手く機能していたのだが、経済の成熟化と少子高齢化さらに寿命の延び(これが1970年代頃の予測と大きく違って延びている)が加わって、どんどん少数の若者に負担がかかっていく。このままでは2040年頃には破綻してしまうのだ。
ではどうするか?この年金問題では、支給年齢の引き上げ(オーストラリア70歳;2014年65歳から改定、デンマーク69歳、英国68歳、ドイツ67歳、米国67歳)、支給期限を設ける、世代別積立方式への変更(次世代に負担させるのではなく、同世代間で負担;一定額以上の所得者の年金を減ずる)、高齢者優遇税制を改める(シルバー民主主義は納税民主主義に反すると言う考え方)などを提言する。いずれもシルバー民主主義下では難題である。
ここでは年金に関する内容を手短に紹介したが、このほか医療・介護に関しても高齢者優遇は現役世代や諸先進国と比べて恵まれていることが具体的な数字も援用して解説される。つまり我が国はシルバー民主主義による“老人天国”なのである。こう総括すると「北欧では・・・」と言うような論を張る人が少なくない。しかし、税率の高さ、人口の少なさ、余寿命、終末医療の在り方(安楽死もどきが認められる)などを考えれば、「同じように比較するのは意味がない」と言わざるを得ない。
個人的に著者の主張に同意するところ多である。若い人が「死に逃げは許さない!」と言う声に、我々老人は真剣に向き合うべきであろう。
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