2016年11月30日水曜日

今月の本棚-99(2016年11月分)


<今月読んだ本>
1) The Battle of The AtlanticAndrew Williams):Basic Books
2) アマゾンと物流大戦争(角井亮一):NHK出版(新書)
3) 生きているジャズ史(油井正一):立東社(文庫)
4)ノーベル経済学賞(根井雅弘編):講談社(選書)
5)戦艦武蔵(一ノ瀬俊也):中央公論新社(新書)
6)暗殺者の森(上、下)(逢坂剛):講談社(文庫)

<愚評昧説>
1The Battle of The Atlantic
太平洋戦争における我が国敗戦の因は、米軍による島嶼に対する水陸両用作戦と本土に対する都市無差別爆撃、就中広島・長崎に対する原爆投下をその決定因子(加えてソ連参戦)とするのが一般的である。大鑑巨砲も機動部隊も失ったのちの戦闘力を著しく欠いた中で、これは至極解りやすい説明である。しかし、当時の一部軍人や官僚あるいは戦後の戦史家や経済史家の中には、戦略爆撃機や原爆のような最新兵器が決定打となったのではなく、米潜水艦によるシーレーン遮断こそ真の戦争継続意思喪失につながったと説く人も居る。ただ、戦争末期泥縄式に対潜部隊を創設したものの、実効を上げる前に戦いが終わったので、数例の民間船撃沈の悲劇を除けば、潜水艦戦争が人口に膾炙する機会は極めて少なく、その恐ろしさが広く伝わることはなかった。因みに本書読後調べたところでは(公益財団法人 日本殉職船員顕彰会)、日本商船(100トン以上の鋼船)喪失数;約4千隻、戦没船員数;約6万名(戦没者率43%、海軍戦死者率16%)。貧弱なシーレーン護衛策が浮き彫りになる。(現代の海上自衛隊は、実質対潜部隊そのものと言ってもいいほど旧海軍と異なる戦略・戦術と装備を持っている)。
英国が欧州・北大西洋戦線で戦った著名な作戦には、負け戦であったダンケルク、ターニングポイントとも言われる英独航空戦(バトル・オブ・ブリテン)、戦艦追撃戦(シュペー;自沈、ビスマルク;撃沈)、イタリア離脱につながるシシリー島上陸、本格的大陸反攻のノルマンディー、ドイツ心臓部に短絡する意図で実施されたマーケットガーデン(オランダ、ベルギーへの大規模空挺作戦;失敗)、それにこの大西洋の戦い(対Uボート作戦)がある。これらの中で英独航空戦と対Uボート作戦は、英国本土・英国民に直接影響を与えた点でとりわけ関心が高く、単なる戦闘場面や軍事作戦以上に“総力戦”の姿が浮き彫りにされるところに戦争の本質に迫るものがあり、半世紀以上経た今でも視点を変えてしばしば取り上げられる。彼らは第一次大戦で既にその危機を体験し、第二次大戦では崖っ淵まで追い詰められただけに、小説にノンフィクションに映画にと、これを今に伝える作品に事欠かない。本作品もその一つ。BBCの放送作家・プロデューサーである著者が、TV番組作成のために行った取材内容をノンフィクションとして再構成した労作である。
開戦前の食糧・原料(石油を除く)の英本土への輸入量は6千万トン/年、これが開戦翌年には4千万トンに減じ、1942年には、沈められた船78十万トン(1664隻)、輸入量は3千万トンと半分にまで落ち込む。
これでは戦争継続が不可能となると危機感を募らせた政府は、本格的な対潜作戦を最優先事項としてそれに取り組む。キャッチャーボートやトロール船を転用した漁船護送戦隊、これらの船を造る船台を利用したコルベット艦と呼ばれる小型駆潜艦、米国老朽艦の借り上げ、前方投入爆雷や高性能音響探知機の開発・製造促進、爆撃機や飛行艇を利用した洋上哨戒の強化、航空機機載短波レーダー開発、船団の組み方に関する改善、輸送物資の内容検討(例えば鉄鉱石を運ぶことをやめ鉄鋼製品そのものに切り替える)、通信傍受とその分析(通信内容は分からないが、位置や頻度で推測する)。これに加えて対潜作戦専任の士官大量養成、商船に乗り込む船員の処遇改善など、ソフト面での強化も怠らない。
しかし、対するUボート艦隊も戦略・戦術を変えてくる。最も脅威となったのは“ウルフパック(群狼)”作戦と称する集団攻撃で、哨戒線で検知された船団情報が一旦潜水艦隊総司令部に通知され、付近に居るUボートを集めて一斉攻撃を仕掛けるのである。限られた数の護衛艦ではとても守り切れない。北大西洋の冷たい海に沈められる船と水死者(銃砲弾による死者より海難死者が圧倒的に多かった)の話が辛うじて生き残った関係者の証言として赤裸々に語られる。
潮目が変わるのは1942年末ごろ(確実な変曲点は19433月)、護衛駆逐艦にレーダーが装備され始め目視では発見が難しかったUボートが検知できるようになっていく。加えてエニグマ(ドイツ軍暗号システム)の解読が部分的に可能になる。Uボート発見数・撃沈率が高まっていくのに反して商船建造と沈没の差がプラスに転ずる。しばらくの間レーダーの件も暗号が敵の手に渡っていることも潜水艦隊司令部は気が付かないが、著名なUボートエース(撃沈トン数の多い艦長)の喪失が続くことで、レーダー対策(レーダー探知機、シュノーケル吸排気システム;潜水したままディーゼルエンジンを動かして充電できる)に着手するものの、退勢を挽回することは出来なかった。
Uボート撃沈数;少なくとも450隻、失われた乗組員数;約15千人。沈められた商船数;約35百隻、死亡者数を正確に数えることは出来ない(米国船や中立国船も多数沈没し植民地出身乗組員も居るため)が、英国船員だけで32千人以上、これに英海軍の死者(約5万人)の一部が対潜作戦で戦死していると推察される。これが“大西洋の戦い”の総決算である。
取材源は英国にとどまらず、敵国ドイツの生存者や関係先にも丹念に当たっており、それが臨場感を高めるとともに、時間が経つことでむしろ公平な目でこの戦いを調査分析したあとがうかがえる。また、直接的な軍事面ばかりでなく、当時の英国内の本作戦に関する政治経済的な分野にも踏み込んでいる点で他の戦史とは異なる読み物となっている。個人的には対潜作戦におけるOR(オペレーションズ・リサーチ)の貢献もかなりの紙数を割いて紹介されているところに資料的な価値を見出せた。

2)アマゾンと物流大戦争
中学生以来学校や職場から自宅に帰る途中、予定がなければチョッと本屋に立ち寄る。本社勤務時代、昼休みはビル内の書店で過ごすことが多かったし、待ち合わせなどで少し時間に余裕があれば付近の本屋で調整する。だからどこに住んでいても行きつけの店があり、小遣いが充分でない時代には、高い本を分割払いにしてもらうような便宜を図ってもらうことさえできた。近くにそれなりの規模の本屋がなかった和歌山工場(所在地有田市;和歌山駅から汽車で30分ほど南下)時代は、和歌山市で一番大きい宮井平安堂と言う店が、私と同じような本好きのために定期的に図書目録など持って工場や寮に出張販売に出かけてきて、飢えを癒してくれた。現在は自宅近くのヨーカ堂内の熊澤書店、上大岡の八重洲ブックセンター、横浜西口地下の有隣堂、それに月一回定期検診に出かける恵比寿駅ビル内の有隣堂が主たる行きつけの書店である。しかし、雑誌や旅行案内書を除いて年間80冊程度求める書籍の内、店舗で買うのは30冊程度、あとは専らネット通販、大部分はアマゾンからである。ネット通販では楽天も利用するが、それは旅行関連の手配を楽天トラベルで行うことが多いので貯まったポイントを活用する場合に限られる。理由は届くまでの時間が圧倒的にアマゾンが早いことによる。なぜこんな差が生ずるか?これで楽天はやっていけるのか?ほかのチェーン店(私が現在利用しているような)は生き残れるのか?本書はこんな世界を扱ったものである。
先ずなぜ差が生ずるのか?アマゾンと楽天のビジネスモデルに基本的な違いがある。アマゾンはロジスティックカンパニー(物流会社)、楽天はショッピングモール。前者は自社の物流倉庫に商品を在庫として抱え、顧客の注文に即応するのに対し、後者は店を貸すだけで商品は個々の出店者(書籍の場合は出版社)から発送される。前者は物流・在庫投資リスクがある反面即応性に優れ、後者では投資リスクは限定的だが出店者の受注・在庫・出荷状況にばらつきが出る。アマゾンの場合、米国で積み上げてきた物流倉庫配置、在庫管理、ピッキング(商品取り出し)・パッキング(梱包)のノウハウが最大の差別化因子となっており、これで先行することで商品調達力や輸送施策(価格決め)に優位なポジションを得て、さらに顧客を増やしていく正のスパイラル現象を生じさせている。
では皆がロジスティックカンパニーを目指せば上手くいくのかと言うとそうはいかない。そんな失敗例を米国および日本に採って具体的な問題点(例えばピッキング・パッキングノウハウの欠如)を摘出する一方、地域や対象商品を絞って成功している例(事務用品のアスクル、家電量販店ヨドバシカメラのネット通販など)を紹介する。
アマゾンは今や書籍中心の通販会社ではない。米国では家電・衣料・食料品を始め1200万点の品揃えを実現している。これには小売業No.1ウォールマートも危機感を募らせ、それに対抗するウォールマート・ドットコムを立ち上げて迎え撃つ構えを見せている。嫌でもネット通販分野に関わらなければ実店舗維持が難しくなると考えられているのだろう。1章を割いたアマゾン対ウォールマートの仁義なき戦いは、我が国の量販店、デパート、スーパーの将来を考える上で興味深い。
アマゾンの出発点は書籍販売、本書の中で全米第2位のブックチェーン店ボーダーの倒産(2011年)に触れている。サンフランシスコ(SF)のユニオンスクウェア-にあった店にはSF滞在の折よく訪れた。歴史書売り場の戦史・戦記コーナーは我が国書店とは比較にならぬくらい充実しており、そこで購入した本の幾冊かは本欄でも紹介、今回取り上げた1The Battle of The Atlanticもその一つである。書棚に並べられたものの中から「面白そうだな」と手に取り、パラパラっとページを繰りながら購入を決する、この手順はネットでは味わえない。ネット・実店舗共棲の道見つかることを期待したい。
アマゾン・ジャパンの売上高は1兆円(2015年)を超え小売業第8位、“プライムナウ”サービスは地域限定ではあるが1時間以内の配達を可能にし、さらに生鮮食品を対象にした“アマゾンフレッシュ”の展開を検討している。目の離せないネット利用の流通・物流業の今を知る入門書として好適な一冊と言える。
著者はもともと家業が物流業、物流受託会社を経営するとともにその分野でのコンサルティング(米国物流業界にコネクションが多いようだ)も行っている人。

3)生きているジャズ史
“ジャズ”という言葉は小学生の時に知った。戦後育ちには一時期すべてのアメリカポピュラー音楽(映画音楽やスタンダードナンバーを含め)の総称だったからだ。ラジオから流れるそれは日本の歌謡曲よりははるかに明るく軽快で斬新な響きだった。中学時代の友人にMED君と言う歯科医の息子がいて、父上がこのポピュラー音楽ファン、家に電蓄(電気蓄音機;ゼンマイでなくモーターでターンテーブルを回転させ、音を電気的に再生増幅する装置)があり、数多くのレコードを聴かせてもらうのが楽しみだった。あるときグレン・ミラーを聴いていて、「このジャズ、良いな~」と言ったらMED君が「これはジャズじゃないよ」とつぶやいた。爾来“ジャズ”を少し狭義に意識するようになった。ディキシー、シカゴ、スウィング、ウエストコースト、イーストコースト、モダンなど。後年米国出張でライブが聴けるとなると、ニューオーリンズやマンハッタンでそれを楽しんだ。
私のオーディオ履歴はラジオからレコード時代を飛ばして一気にCDになる。現在保有するジャズアルバムは約100枚、演奏はボーカル、各種楽器のソロ、コンボ、ビッグバンド、スタイルはディキシーからモダンまでカバーしており、夜分軽い本を読みながらこれらを聴き流している時間は至福の時である。「葬式の際にはどの曲を流してもらおうか?」などと考えながら(今のところ黒人女性歌手サラ・ボーンにしてもらいたいと思っている)。
我が国におけるジャズ全盛時代は195060年代、中心はラジオだった。その番組で人気解説者だったのが本書の著者、油井正一(ゆい しょういち)である。書店で懐かしい名前を目にして即購入、自身のささやかなジャズ体験と重ね合わせながらあの時代を追想した。
ディキシー以前の黒人音楽を発祥とし、これが変じてニューオーリンズ紅灯街で客を楽しませる出し物になる。次いで南北戦争後そこから解放奴隷が北上しシカゴを起点に斬新なダンス音楽として白人社会にも受け入れられ、さらにこれがニューヨークにおよび白人の演奏者やバンドが出現する。シカゴの秘密ダンス酒場では小規模編成でよかったが、ニューヨークでは大ダンスホールでの演奏を求められるのでビッグバンドが誕生する。スウィングジャズの出現はそれを加速し、戦後は西海岸で新しい演奏スタイルが生み出され、これに対抗するイースとコースト、さらにはモダンへと多様化していく。この一連の発展史では、音楽そのものばかりではなく人種問題を含む当時の社会問題(白黒混成バンドは長くご法度、それが許されるようになっても処遇上ははっきり差別される)や演奏環境(マーチングバンド→ダンス音楽→ラジオ・レコード、映画などの背景音楽)にも触れる。 また演奏家たちの子弟・徒弟関係、レコード技術が確立するまでの普及過程(マイクや録音技術の低い時代、ドラムは許されない)、大恐慌の影響、はたまた禁酒法やマフィアとの関係。ただ単にジャズの発展を時系列で整理したものでないところに、本書の面白味がある。
取り上げられる歌手・演奏家・作曲家の数も半端ではない。サッチモ、ベニー・グッドマン、ジーン・クルーパ(ドラム)、デューク・エリントン(作曲家、ピアノ、バンドリーダー)などには一章が割かれるほか、チャーリー・パーカー(アルトサックス)、ライオネル・ハンプトン(ヴィブラホーン)、カウント・ベーシー(ピアノ、バンドリーダー)、アート・ブレーキ-(ドラム)、デーヴ・ブルーベック(ピアノ)と多士済々。彼らの果たしたジャズ普及上の功績を、興味深いエピソードを交えて解説していく(著者はほとんどの演奏家と面識がある)。
本場のジャズ発展史ばかりではなく、戦前を含めた我が国のジャズを取り巻く環境とその変化も、著者が召集される前からこの世界に関わっていただけに(とは言ってもレコード演奏を聴くくらいであるが)、読みどころの一つである。
本書の内容は、音楽雑誌“ミュージックライフ”に1952年から2年余、テーマを変えて連載された記事をまとめて1955年に単行本として出版され24年間増刷されたものである。これを1988年大幅加筆・修正・増補して文庫本として復刊し、それを今年さらに復刻出版したものである。また、元ネタは米国ばかりでなく英・仏(英訳)などで定評のある文献から引いており、オリジナルは極めて古いものだが、ジャズの歴史と言う点では、これ以降大きな変化が起こっていないだけに、今日でも充分価値のあるものである。ジャズ評論一筋で勲4等瑞宝章授章者、一芸に秀でた人物の代表作。

4)ノーベル経済学賞
いよいよノーベル賞授賞式が迫ってきた。今年も大隅良典博士が生理学・医学賞を授賞する。日本人として嬉しい限りだ。私は今までに二人のノーベル賞授賞者の話を比較的少人数(20名程度)で身近に聞く機会をもった。一人は1973年物理学賞授賞者の江崎玲於奈博士にIBMワトソン研究所で1982年、もう一人は1983年カリフォルニア大学バークレー校で1951年化学賞授賞者のグレン・シーボーグ博士である。そして、何度もノミネートされながら残念なことに高齢で他界した候補者と中華料理のテーブルを囲んで親しく話をする機会を持った(夫人も同席)。その人の名はジョージ・ダンチック博士、スタンフォード大学OR学科教授、本欄で何度も取り上げている“工学部ヒラノ教授”の恩師である(この機会を作っていただいた)。業績は、膨大な1次多項式を素早く解く解法、シンプレックス法(単体法)の発案者、ノーベル賞対象分野は経済学賞であった。なぜ応用数学が経済学賞か?本書を読めば現代における数学と経済学の関係が良く理解できる。単体法は出てこないが、統計分析、金融工学、ゲーム理論(本欄で紹介した“ビューティフルマインド”のジョン・ナッシュ)など応用数学分野から幾人もの授賞者が出ているのだ。
経済学賞は創設が新しい(第11969年)。しかもノーベル財団が設けたものではなく、スウェーデン国立銀行が創立300年を記念して財団に加えることを求めて発足したものである。だから厳密には「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」が正式名称なのだ。こんないきさつがあるので、ノーベルの遺族の中には「経済学者の宣伝活動が功を奏し自らの名声を高めるために創設した賞」と非難する者もいると言う。また、西側経済をベースにするため政治的な公平を欠くと異を唱える学者も居るようだ(これは平和賞や文学賞にも言えることだが)。さらに問題なのは自然科学と異なり、経済学はその理論や学説が“正しい”ことを証明するのが極めて難しい学問であることがある。つまり問題含みの賞なのである。当然本文の中で、授賞者とこれらの問題点の関係が論じられる。
全体構成は1969年から1999年までの30年間は10年毎に1章とし、最後は2000年から現在までが一つの章とまとめられている。各章その時代の経済学を俯瞰した上で、何人かの授賞者を取り上げ、授賞の背景と賞の対象となった研究概要を紹介する。その概要紹介の中でそれぞれの筆者(各章ごとに異なる;編者の下で学んだ京大大学院経済学部出身の少壮学者)によって経済学の視点からコメントが付される。
第一章は“誰にするかよりも、誰から与えるか”の時代(候補者が待ち行列を作っている)。記念すべき第1回受章者はラグナ・フリッシュ(ノルウェー)とヤン・ティンバーゲン(蘭)の「経済過程の分析に対する動的モデルの発展と応用」なのだが、章総括でも一切取り上げられず、個人紹介は第21970年のポール・サミュエルソン(米)から始まる。その内容のほとんどは彼が1948年出版した「教科書『経済学』」ののちの経済学に及ぼした影響についてである。この章の中で面白いのはフリードリッヒ・ハイエクの項である。授賞理由は「貨幣及び経済変動に対する先駆的業績及び・・・」と言うものだがこの分野の研究をハイエクは1930年代に終えており、その後は過度な福祉国家を戒める自由主義経済の提唱者に変じていたのである(ケインズ経済批判の急先鋒)。「何故今頃?」との疑問が呈せられる一方、のちにサッチャー首相がハイエクの熱心な愛読者であったことが分かると「本当は後年力点を置いた自由主義思想に対して与えたのではないか」と再評価されたりしている。
数理が取り上げられるのは第1990年~99年「非-経済学の包摂」である。この10年間に、1990年マコーヴィッツ(米)、シャープ(米)、ミラー(米)が「ファイナンスの経済理論に対する先駆的な仕事」、1994年ハーサニ(ハンガリー)、ナッシュ(米)、ゼルテン(独)が「非協力ゲームにおける均衡に関する先駆的分析」、1997年にはマートン(米)、ショールズ(加)が「金融派生商品の価値を決定する新しい方法に対する貢献」で授賞している。章題が示すように「これが経済学か?!」の議論が起こったのは言うまでもない。その他に2000年ヘックマン(米)も統計解析の盲点を明らかにして授賞している。これなど今はやりの“ビッグデータ”活用の留意事項として大きな意味を持つ。
あとがきにあるように本書は“ノーベル賞授賞式”の時期を狙って出版社が企画したものである。しかし、そんな際物的な内容ではなく、「なるほど経済学とはこんなことを研究する学問なんだ」と教えられることが多かった。また、有名経済学者の生い立ちなどにも触れられ、それらの人々への理解も高まった。大学に入学し学部共通の教養科目(社会科学3教科)の一つとして経済学を選択した。公認会計士で常勤講師の講義だったが全く興味が持てなかった(従って成績も良)。爾来経済学を学んだことはない。しかし、本書を読んで「これが教科書だったら随分経済学への関心は違っていたのではないか」と感じた。現代経済学概観に薦められる一書である。

5)戦艦武蔵
私の軍事・兵器に関す興味は3点、戦略軍事システムへと発展した航空機・戦車・潜水艦、数理の軍事応用、それに諜報戦である。いずれもIT利用の普及・発展との関連が深くそこから学ぶことが多い。これ以外に我が国軍事システムの中では空母を集中運用する機動部隊に、世界初の戦闘システムであったことと航空機が絡むことから、惹かれるものがある。しかし、旧海軍の象徴であった戦艦には機械技術や材料科学の面で多少関心がある程度で、新たに知りたいと思うことはなかった。だから、本書が出版されたばかりの頃、書店で見かけた時には手に取る気も起きなかった。しかし、しばらくして新聞の書評を読んだとき、どうも従来の戦史・戦記とは異なる印象を受けたので読んでみることにした。
今までに“武蔵”と題する本を2冊読んでいる。一冊は優れた戦争文学を残してきた吉村昭の「戦艦武蔵」、それに本欄でも紹介した手塚正巳の「軍艦武蔵」、前者は武蔵の建造過程が中心の内容(特に機密保持)、後者はレイテ湾での戦闘・沈没を山場とする、乗組員に対する徹底的な聴き取りを基にしたノンフィクションであった。
確かに本書は、これらとは取り組むテーマが全く違っていた。あの戦争(太平洋戦争、大東亜戦争)について当時、戦後そして今の日本人がどう把えてきたかを問い質すために武蔵に舞台を借りて、突き詰めていく内容なのである。それならばより知名度の高い大和の方が良いように思えるのだが、その知名度ゆえにより美化された(あるいは幻想化された)部分が多いと著者は判断したようである。この着眼の仕方にも既刊の同種の戦史で終わらせたくない著者の意図が込められている。
骨格になるのは、建造計画の背景、建造過程、就役と戦闘、敗者たちのその後、と従来の戦記・戦史物と大筋では変わらない。しかし、いずれの場面でも巷間言われてきたことが正しいのか?と疑問を呈し別の角度(歴史認識)からこれを検証する。
建造計画から就役までの段階では「海軍中枢はこれで対米戦争に勝てると確信していたのか?」「ワシントン条約、ロンドン条約と武蔵の関係は?」「技術的に性能実現の可能性はあったのか?」「大鑑巨砲派対機動部隊派の力関係は実際どうだったのか?」「大和・武蔵は本当に浮沈艦と確信していたのか?事前に分かっていた弱点はなかったのか?どこかに手抜きはなかったのか?」
戦闘場面では「レイテ湾突入作戦はあれで良かったのか?」「途中での回頭行動、その後の操艦に問題はなかったか?」「艦長の退艦命令は本当に後日伝えられるようなことだったのか?」
救助された下士官兵の大部分はフィリッピンに留め置かれ陸上戦闘に巻き込まれる。助かった副長以下の士官は飛行機で帰国する。「何故こんなことになったのか?」「帰国した高級士官は何故安否を家族に直ちに伝えなかったのか?」「戦後の彼らの関係はどうだったか?(生き残った副長が戦友会の会長、副会長はそれを批判する下士官)」
いずれの局面でも答えは“希望的観測”や「やむをえなかった」と言うよう空想思想的(ファンタジー)なものばかり、本来責任を負うべき人物(主に上級指揮官や軍令部の参謀あるいは政府首脳、さらには昭和天皇)が居るはずなのに公式には何も追及されていないことに(下士官乗組員の著書などでは厳しい表現もあるが)歴史としての欠落を指摘する。そして私の既読である2書も取り上げ、さらに吉田満の「戦艦大和の最期」や“陸軍悪玉・海軍善玉論”に大きく影響をおよぼした阿川弘之の海軍ものにも言及して(いずれも責任論からの切込みがない)、日本人自身による戦争責任追及の甘さを糾弾、結局この甘さが戦後世代にあの戦争を幻想の世界のようにしてしまっていると現状の歴史認識を批判する。
著者は1971年生まれの歴史学者(埼玉大学教授、著書リストから戦史が専門のように見える)。息子と同年の者から「日本人自身の戦争責任追及が甘い!」と言われると「私も終戦時小学校1年生だったから」と言い訳したくもなるが、一方で「確かにそうだな~」との思いも生じた。

6)暗殺者の森
何もしたくないときに読む本、一応諜報戦をテーマにしているが得るものはほとんどないただの午睡促進剤。本欄で既に5話まで紹介してきた欧州戦線におけるスペイン在住の日本陸軍情報将校、北都昭平を主人公とする逢坂剛のイベリアシリーズ第6話。毎回史実を核にして謀略戦が展開されるが、ノルマンディー上陸作戦も成功し、東部でもソ連が失地を回復、ドイツの敗勢は明らかな状況下。今回取り上げられるのは19447月に起こったヒトラー暗殺計画、ヴァルキューレ作戦(失敗に終わる一部国防軍軍人によるクーデター)だ。
シリーズを通しての主人公は先に挙げた北都昭平だが、これに絡むヒロイン役は英国秘密情報部(MI-6)のスペイン駐在女性スパイ、ヴァジニア・クレイトン、二人は既に“出来ている”。そして毎回助演者として存在感を示すのがドイツ国防軍情報部(アプヴェア)長官カナリス提督。カナリスの真の敵は組織としてアプヴェアと拮抗するナチス国家保安本部(RSHA)。前回このRSHAがアプヴェアを吸収し和平派と見られたカナリスは閑職に追いやられ、カナリス接触を試みて秘かにドイツに降下侵入したヴァジニアはカナリスには会えたものの、和平交渉糸口策定の目的が叶わぬまま何とかスペイン国境まで脱出するところで終わっている。
この第6話では終章近くまで昭平、ヴァジニアとも出番は少ない。話の大半が“ヴァルキューレ作戦”に割かれるからだ。この作戦が失敗に終わった後、直接これに参加したものばかりでなく、反ヒトラー勢力一掃の厳しい捜査・粛清が行われ(ロンメル元帥も自死に追い込まれる)、カナリスも日頃の言動から獄につながれる。数々の場面でゲシュタポの恨みを買った昭平もスペインからドイツに拉致され、同じ獄舎にとらわれの身となる。両人の運命や如何に?
私の学生時代、“野獣死すべし”で華々しくデビューした、少し年上の大藪春彦と言う作家が居た。しかし、人気絶頂の中盗作問題で名誉失墜してしまう。もともと英文学?専攻で英語力抜群の噂はあったが、元ネタを英語小説に求めていた結果のようである。
本シリーズを読んでいていつも感じるのはこのことである。私は戦略兵器発展史と諜報戦と言う視点から欧州戦線について原書(英文)を含めはかなり読み込んでいると思っているが、今回のヴァルキューレ作戦も既読のノンフィクションと重なる部分が多い。シリーズを初めて読んだ時には「よく調べているな~」と感心したものだが、最近は「ここまでノンフィクションから引き写して良いのか?」と著者に対する評価が変わってきているストーリーそのものはオリジナルであることを認めるが、頁数から見ると無視できない。だからそんな部分は超飛ばし読みになる。今回は特にそんなことが多かった。

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