2017年5月24日水曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-14


8SPINの将来を考える-3
横河電機がソリューションビジネスに進出を表明することで、SPINの将来を考える上で、大きな存在になり、具体的に関係強化について検討し始めるのだが、それについては少し先で説明するこことし、このころの情報サービスビジネス環境を俯瞰してみたい。
ダウンサイジングとネットワークをはじめとする新技術の発展・普及は、サービス分野(コンピュータ運用、ソフトウェア開発、システムインテグレーション(SI))に限らず、確実に汎用機メーカーを中心とした情報産業全体に変革を求めてきていた。それまで自社製品販売を旨として来ていたIBMですら、PCビジネスではインテルのCPU(演算装置;ハードの心臓部)とOS(ソフトの心臓部)にはマイクロソフトのDOSを導入、自前戦略が崩れてきたこと、大型汎用機の一部機能がPCやワークステーションに置き換わること、オープン化で他社製品と組み合わせ需要が必要になるがSIサービスを行ってこなかったこと、これらが合わされて収益を圧迫していく。1993年この苦境を打開するために、それまで内部登用しかなかったCEO職に、マッキンゼーを経てナビスコCEOを務めいたルイス・ガースナーが招聘され、サービスビジネスに大きく舵を切る。“ソリューション(回答、解決策)”なる言葉が業界にあふれ出すのはガースナー以降である。日本のコンピュータメーカーはIBMと異なり、顧客向けアプリケーションソフト開発や他社製品を含むSIサービスを付けることで何とかそれに対応してきたが、この時代になるとそれが生きてきて、システムサービス部門が急速に拡大していく。
一方バブル経済が1990年代初めに弾け、それまで事業拡大や新事業開発に奔走してきた我が国企業は総じて本業回帰の傾向を強める。この戦略転換の中に一時雨後の筍のように誕生した分社化情報サービス子会社の整理・再編成が起こってくる。ソリューション提供に欠かせないのはユーザーの業務知識、ユーザー系情報サービス子会社を取り込むことのメリットはこの業務ノウハウ取得ばかりでなく、コンピュータやネットワークの運用サービスを取り込んで安定収入を得られるし、自社製品を売り込むチャンスも増える。ユーザー系情報サービス会社獲得に、コンピュータメーカーばかりでなく、大手のシステムインテグレータも触手を延ばしてくる。
この業界再編成の中でSPINの将来を考える上で個人的に大きな影響を受けた出来事がある。1997年の山一證券倒産である。山一證券には山一情報システムという子会社があり、親会社の関連業務が多かったものの、野村コンピュータシステムなどと同様、独自のサービスも提供しており(例えば、地方選挙の当落判断、これは国政選挙とはかなり異なるノウハウが必要)、倒産前から業界の評価の高い会社であった。たまたまこの倒産前から社長を務めていたSMRさんと大学の情報サービス産業経営者同窓会(かなり先輩だが)で知り会い、前職は本社の常務だったが気さくな方で、親しくお付き合いいただいていた。山一が倒産するとこの子会社は業界大手で既に一部上場会社であったCSK(現日本フィッツ)に引き取られ、SMRさんはしばらくそのまま社長職を継続しており、同窓会で親会社変更の顛末について話を聞く機会が会った。一言でいえば、CSKが山一向けサービスが無くとも、山一情報を(当面)そのままの形で残すとしたことが決め手になったとのことだった。「SPINもこんな条件で引き受けてくれる会社があると良いんだが」株主移管の大きな方向性が胸の内に確り固まっていった。


(次回;SPINの将来を考える;つづく)

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