<今月読んだ本>
1) 日米開戦と情報戦(森山優):講談社(新書)
2)日本ノンフィクション史(武田徹):中央公論新社(新書)
3)十五歳の戦争(西村京太郎):集英社(新書)
4)Stealth at Sea(Dan Van Der Vat):Houghton Mifflin
5)戦争の物理学(バリー・パーカー):白揚社
6)死ぬほど読書(丹羽宇一郎):幻冬舎(新書)
<愚評昧説>
1)日米開戦と情報戦
-太平洋戦争への分岐点、南進論を巡る内政・外交情報戦-
70年余を過ぎた今でも、8月と12月を控える月にはあの戦争に関する書籍が、数多く出版される。本書を入手したのは開戦記念日(12月8日)を控えた昨年末だが、似たような題材(太平洋戦争における情報・諜報戦)は既に何冊か読んでいるし、読みたい本のバックログがあったので、直ぐに読むこともせず放っておいた。たまたま終戦記念日を前にして、文庫・新書(これらは電車で移動中読む対象)の手持ちが切れたので手にすることになった。
先入観としてあったのは、真珠湾攻撃に対する米軍による日本海軍暗号解読、外務省から駐米大使館に送られた宣戦布告暗号文書の解読遅れ辺りに関する諜報戦(スパイ活動)、と勝手に決めていた。帯にもしっかりその写真が使われていることもこれに輪をかけた。しかし、そんな予想はほとんど外れだった。
今月23日の日経朝刊“私の履歴書”欄で2007年外相だった高村正彦がこんなシーンを紹介している。参議院で少数派となったねじれ国会で、インド洋給油活動継続関連法案をやっと通した後、アフガン派遣軍支援へ自衛隊のヘリコプター部隊派遣を米国から打診される。これに対して当時の石破防衛相が米関係者に「自衛隊の能力からして、やってやれないことはない」と応える。真意は「“物理的”に可能だが“政治的”に不可能に近い」なのだが、米側はOKと解釈して、洞爺湖サミットの際ブッシュ大統領から福田首相に正式な申し入れを図ろうとする。外交上のチョッとした言葉足らずがもたらした誤解である。これを察知した高村が駐日大使に「不可」を伝え、未然に混乱を避け得たことを明かしている。
本書の紙数が最も割かれるのは開戦の年の7月に行われた南部仏印進駐に関する部分である。それに先立つ数年前からの日・英・米間の外交・内政に関する文書情報を分析していくと、石破発言に類似する誤解・曲解が、次々と当事国双方に生じて、南進策強行、ハルノート提示(事実上の最後通牒)と、関係者たちの多くが本意としない事態に進み、開戦に至る様子が見えてくる(だから奇襲が成功した)。
著者は1962年生まれの少壮歴史学者(静岡県立大学准教授;日本近代史、インテリジェンス史)。本書は科研費対象研究を基に書かれている。太平洋戦争への過程において南部仏印進駐が転換点であったことは格別目新しいことではないが、ここに至る我が国国策の変転や内容の曖昧さを、公開情報(いく種かの国策要綱、重要会議の議事録、参謀本部「機密戦争日誌」、軍トップ・外交官・重臣の日記や回想録、公開された外交文書(暗号を含む)、当時の新聞報道など)に基づいて分析していくところは、極めて丹念かつニュートラルである。この情報分析は当然意思決定プロセスと深く関係するわけだが、個々の関係者の言動を明らかにはするものの、厳しく責任追及をするものではなく、むしろその特質や背景にある社会・組織との関連を浮き立たせる点に重点が置かれ客観性を感じた。
見えてくるのは、統一できない意思(陸軍対海軍、政府対軍統帥部、政府内の対立・疑心暗鬼)、特に南進論に関し松岡外相の豹変する言動に、振り回されて(松岡の本心は“南進否”だが、軍を抑えて外交の主導権を握るために、敢えて過激な発言をしたと著者は見ている)の玉虫色のまとめ方(両論併記や但し書き付記)。米国側もルーズベルト(とその側近)の秘密主義による実務担当者との意思疎通の壁。軍・官僚中堅どころの突き上げ、面従腹背、牽強付会。情報処理とその扱いの難しさ(暗号解読者、翻訳者、行政官による不作為・作為的な情報操作。逆に生情報をそのままトップに提供することの是非)。これらが複雑に絡み合って、意図せぬ開戦に踏み込まざるを得なくなっていく。太平洋戦争は米国が勝利した。それ故に情報戦でも米国圧勝の論調が多いが、あの時点では対日戦まで考えていなかった米国が、それを回避できなかったことを見れば、情報戦の勝敗は必ずしも米国勝利とは断定できない(両者とも情報を上手く生かせなかった)、と言うのが著者の結論である。
諜報戦以上に高い視点から情報戦を見つめ、それをクローズアップ・分析する着眼点に目からうろこ、大変な力作である(実は、私は諜報戦に期待したのだが)。
2)日本ノンフィクション史
-ノンフィクションに、どこまで物語性が許されるか-
2004年から読んできた記録が残る図書カード(それ以前はMacでファイルメーカに記録していたが、残念ながら動かない。フロッピーに落としてあるから、何らか再生の可能性があるかもしれない)には約千冊かリストアップされている。そこにはフィクション、ノンフィクションの分類とジャンル分けもあり、ザーッと見て90%以上がノンフィクションだ。それ以前の傾向を、書棚にある本や記憶から推し量っても圧倒的にノンフィクションが多い。ただ、この二つに分ける基準は曖昧で、塩野七生の「ローマ人の物語」など本人がどこかで“小説(作中人物への思い入れ)”と語っていたものや、「工学部ヒラノ教授シリーズ」のように著者が“セミフィクション(事実を小説仕立てにする。よく知る実名が多いので私にはノンフィクションに読める)”と称しているものも含まれている。また、学術書に近い性格のものやビジネス書などフィクションではないが、だからと言ってノンフィクションと呼ぶには抵抗感がある(一応ノンフィクション分類)。本書は題名のように、我が国におけるノンフィクションの歴史を語るものだが、その核心課題は「ノンフィクションとは何か?」「ノンフィクションは如何にあるべきか?」にあり、その点でノンフィクションファンの一人として、これからの読書姿勢に少なからぬ影響を及ぼしてくる内容であった。
“はじめに”に2012年度の講談社ノンフィクション賞選考会の様子が紹介される。対象はノミネートされていた石井光太「遺体」(3・11もの、落選)、同じ著者既刊(前年発行)の「レンタルチャイルド」(インドにおける子供の遺体を購入して見世物にする話)までさかのぼって、一人の審査員が作品の内容に疑問を投げかけ、公開対談を提案する(実現しないが)。論点は、①ヒンディー語を通じた会話のやり方、②通訳の実名、③渡航を確認できるパスポート、の3点である。選考対象作品は2011年3月11日の東日本大震災だから、本書の著者も「何を今さら?」の感を持つが、一方で選考委員が既刊作から候補作品のフィクション性を疑っていたことを詳らかにする。では事実を正確に記せばいいのか?それでは無味乾燥になり、訴えたいことが読者に伝わらない恐れがある。著者の意図が盛り込まれる表現はあって当然ではないか?それはどこまで許されるか?これらを文学・ジャーナリズムの変遷の中で分析して見せるのが、本書の核心課題である。
ノンフィクションが現代のような意味で出現した(オックスフォード英語辞典)のは20世紀初頭、我が国では大分遅れて、1949年6月12日号の週刊朝日「記録文学への胎動」なる記事に「ノン・フィクションとはどういう意味か、非小説などといっては判りにくい」と登場したのが嚆矢らしい。だからと言って本書がそこから時代を下るわけではない。それ以前にも“ルポルタージュ”なる語が古くから在り、報告文学・記録文学などと呼ばれた前史がある。特に日中戦争から太平洋戦争にかけて、多くの作家(林芙美子、尾崎士郎、火野葦平など)がこれを著すようになる。この段階から事実の書き方・伝え方に個人差が目立つようになり、文学(小説)との違いがしばしば問題視されていたことを、かなり紙数を割いて詳らかにする。この導入部ともいえるところで頻繁に出てくるのが、その後のノンフィクション隆盛期を作り出す大宅壮一である。
この大宅が昭和33年(1958年)頃立ち上げたのが“ノンフィクション・クラブ”。アカデミズムが担う文化や大衆文化と一線を画する、放送(特にTV)、週刊誌、新書に代表される“中間文化”こそこれからの時代の中心的関心事と読んだ、大宅の先見性から生み出されたものである。一部の作家、経済や政治評論家、ルポライター、編集者がここに結集、一人一人ではメディア(放送、新聞、出版)に対抗する力を欠いた者が次第に大きな力を持っていく。ここでは、先月の本欄で取り上げた「週刊誌風雲録」の内容がふんだんに引用される(参考文献として明記されているが、コピペの感さえするほど)。
この頂点になるのが1970年発足の“大宅壮一ノンフィクション賞”。文藝春秋社が文学の芥川賞・直木賞に並べる位置づけとして、ノンフィクションを対象に設けたものである。しかし、ノンフィクションが広く認知されるようになってもフィクションとの境界は依然不明確で、一人の作家ですら時代とともに解釈や方向性を変えていく。その代表例として沢木啓太郎が取り上げられ、それが詳しく例示される(丹念な事実調査ベースから著者の思いを強調する筆致(物語性重視)へ)。
現在(と言っても本書完成までに7年を要している)の著者の問題意識は、最近のノンフィクションが、物語性重視に傾斜していること、社会が直面している課題に対して積極的な取り組みが見られないところにあり、これ是正するには、科学性を重視するアカデミック・ジャーナリズムや主題にかかわる事実関係を丁寧に書きとどめるリテラリー(Literary;文学に通じた、文芸の、の意だがここでは“事実を文芸的(創作ではなく)に表現する”くらいの意味)・ジャーナリズムにその解決の糸口があると予見する。
私の場合、ノンフィクション(すべての書物と言ってもいい)を読む最大の動機は「本当は何なのだ?」を知りたい好奇心にある。だから、この“真実か否か”は読書の成果物として最も重要なものである。いままでこの判断材料は文末に記された参考・引用文献のチェックくらいであったが、これからはもう少し本文の深読みと類似著作の内容比較に心掛けねば、と読書姿勢を正された。
本書は勤務する大学(恵泉女学院大学→専修大学)の紀要が基となっているため、いささか小理屈(言葉の定義や由来など)や繰り返し、引用が多く、決して読み易い本ではない。しかし、現代ノンフィクションの抱える問題点とその変化を知ると言う点においては、類を見ない書物であった。文学論やジャーナリズム論に興味のある方には、一読の価値があるだろう。
3)十五歳の戦争
-陸軍幼年学校生だったベストセラー作家の戦争観-
著者が有名なミステリー作家であること、どうやら鉄道物を専らの売りにしていること、は新聞広告で知っていたが、特に読みたいと思うようなことはなかった。そしてこれからもないだろう。本書に惹かれたのは副題の“陸軍幼年学校「最後の生徒」”にある。8月を狙った出版社の企みは承知の上で乗ってしまった。
旧日本軍の陸軍士官養成機関の中枢は、幼年学校・士官学校・陸軍大学校である。海軍には士官学校に相当する兵学校、陸軍同様参謀養成を目的とする海軍大学校があった。こう並べてみてユニークな存在は幼年学校ということになる。士官学校や兵学校は旧制の中学(5年制)4年・5年終了で受験・入学可だが、幼年学校は1年・2年終了時受験・入学し3年間学んだ後予科士官学校(この段階で中学卒業者と一緒になる)、さらに士官学校へと進む。この幼年学校制度はプロシャ陸軍に倣ったもので、俗世間に染まる前に軍人としての素養を身につけることを目的とする(ある意味、柔らかいうちに鋳型にはめる)。時期によって異なるが、東京の他大阪・名古屋・熊本・広島・仙台などに在った(平時は各校1学年50名程度)。軍における出世は陸軍大学校あるいは海軍大学校を卒業することにあるが、陸軍においてはそれ以上に幼年学校卒か否かが影響したと言われるくらいその存在は大きな意味を持っていた。「最後の生徒」とは言え、そこに身を置いた人の話は、旧軍を理解する上で貴重と考え、本書を手に取った。
主題や副題から当時の幼年校に色濃い内容を期待したが、それは全3章からなる本書の1章に過ぎなかった。全体としてはあの戦争を中心とした“西村京太郎自伝”である。残る2章は、“私の戦後”と“日本人は戦争に向いていない”で、著者はここで旧軍の欠陥・矛盾と戦後の憲法制定に至る米国(占領軍)の専横を、よく知られた戦闘や事件を援用して、積極的な不戦(厳密には中立)志向を表明する。おそらくこの2章こそ出版社の意図・期待する部分で、 “元15歳の軍人(生徒だが伍長)”にあの戦争を語らせたかったのだろう。ただ憲法問題にしても国の安全保障政策にしても、必ずしも現状に異を唱えるのではなく、体験に基づいて批判をしているだけで、左翼リベラリズムの観念論を感じることはなかった。
特に“中立”に関しては、「ただ、そのためには、日本は、ずるがしこく行動する必要がある」と述べ、第2次世界大戦時のスイスを例にあげて、国民皆兵が中立を守ったとする俗説を退け、理想(夢想)主義的な日本人の中立論を戒める。実は、ヒトラーの脅しにあい(枢軸勢力に囲まれ四面楚歌、石炭・鋼材から生活必需品まで入手が困難になる)、60万人いた国防軍を武装解除して恭順の意を表明するとともに、それを非難する英国に対して、連合国捕虜の救援や情報活動への協力を密かに約し、さらに連合軍が優勢になると、暗夜国境沿いの街の明かりを点灯して灯火管制下のドイツの爆撃位置を推定できるようにして、中立を維持したのだ。永世中立が非現実的なことは明らかだが、この“ずる賢く”は言葉が悪いので“したたかに”に置き換えると、外交・軍事のみならず今の日本・日本人が最も身に付けなければならないことのように思える。
“戦争”はひとまず置いて自伝としてみるとき。この人の“したたかさ”が随所に見られる。貧しい職人の家庭に生まれ、電気学校(現在の工業高校に相当)の1年生を終えて幼年校に入学するも4カ月で終戦。一旦電気学校に戻り、適当な職場が見つからないまま混乱の中で卒業(昭和23年)する。たまたま、占領軍の命令で臨時人事委員会(現人事院)が設立、大卒・中卒混在(同一労働同一賃金)の試験を見事に突破(幼年校も競争率が高いところだから、かなり勉強は出来たのだろう)、しばらくここに在職するが世の中が落ち着いてくると、旧来の官僚制度に戻り、高卒(旧中卒)では先が開ける見通しがなくなる。一念発起し役所を退職して(29歳)作家を目指すが、これが大変な道のり、アルバイトで競馬場の警備員や私立探偵までやりながら糊口を凌ぐ。昭和38年(32歳)オール読物新人賞、40年(34歳)江戸川乱歩賞を受賞するが、それでも注文が続々と言う状態ではない。42年総理府が募集した「21世紀の日本」この小説部門で一等入選、賞金5百万円を手にする。半分は内職で支えてくれた母に渡す。こんな時たまたま出かけた駅でブルートレイン人気を目にし、それに触発されトラベルミステリーを手掛けたことで、ベストセラー作家への道が開ける。現時点の作品数500、目標はスカイツリーの高さ634mを超える635冊だと言う。86歳にしてあと135冊、ただ者ではない!
タフでしたたかな著者が最後に語るのは、漢奸と蔑まれる傀儡政府の長、汪兆銘が残した言葉「現在の世界情勢から見て、どの国が勝者になるかわからない。そこで、私は日本と手を結ぶことにした。蒋介石はアメリカと、毛沢東はソビエトとだ。これで、日本、アメリカ、ソビエト、いずれが勝っても中国は安泰である」と。これを「恐ろしい話」と結ぶ。
率直に言って、幼年学校や旧陸軍に関する話は特別な目新しさがあるものではなかった(東京幼年学校が八王子に在ったことは今回初めて知ったが)。しかし、軍指導者の言動に対する批判、戦いの分析や当時(戦中、戦後)の世相あるいは自らの人生経験から語る“したたかさ”へのこだわりは、一読に値する。
4)Stealth at Sea
-ダヴィンチのアイディアから原潜の廃炉まで、海の忍者潜水艦のすべてが分かる-
今年会社の親しい先輩からいただいた年賀状の中に「家内の父が台湾沖で戦死してから・・・」と始まる文が添えられたものがあった。てっきり航空戦と思い込み、5月のOB会の際「パイロットですか?」とを問うてみた。答えは「潜水艦乗りで、あ号作戦に参加、長く消息が分からなかったが、最近米国などの資料からフィリッピン近海で沈んだことが分かってきた」とのことだった。併せてその人(川島立男大尉、死後中佐に特進)が海軍兵学校を首席卒業したことが加えられ、がぜん興味を持った。何度も本欄に書いてきたが、飛行機・戦車・潜水艦の発展史は、企業におけるIT利用に大いに参考になり、多くの書物に目を通してきていたからである。「首席が潜水艦乗りに(砲術科、航海科を専攻して大艦や空母を目指すのが普通なのに)?」と。
若き大尉(28歳)で、特別な戦果を挙げたわけではないから、名簿くらいあるかな?とWebで当たった。驚いたことにWikipediaに載っていたのである。海兵64期首席、呂36号艦長として戦死と記されているが、最大の理由は潜水学校教官を務めている時、校長名で連合艦隊司令長官宛てに提出された「潜水艦戦果発揚対策」なる建白書の主筆者だったからである。その内容を手短にまとめると「艦隊の前衛攻撃力として敵主力艦攻撃を主務とするのではなく、通商破壊戦に向けるべきだ」との提言である。しかし、帝国海軍がこれを受け入れることはなかった。
本書は英国居住者(名前がオランダ人風なので正確な国籍は不明)が書いた、1465年作と言われるレナルド・ダ・ヴィンチの図面から冷戦後の旧ソ連原子力潜水艦の廃艦処理までを、各国(独・英・米・露・仏・伊・日・その他)の潜水艦に関する技術・建造、戦闘・戦術・戦略、組織・人、政治・軍事・経済・社会、と多面的に調査分析した潜水艦(魚雷・機雷・対潜兵器・を含む)全史である。洋書やその翻訳書の多くがUボート(独)と護送船団(英米)の戦いに絞り込まれ、和書のほとんどが日本側から見た戦闘回顧録に過ぎないのに比し、本書は極めて網羅的で、各国の潜水艦施策を横断的に見られるところに特色がある。本書を読んで、前記の川島提言がいかに的確で先見性を持ったものであるかを、あらためて知ることになった。
構成は、プロローグ(1465年~1900年)、第一次世界大戦(ACT1;1900年~1918年;約100頁/350頁)、戦間期(1919年~1938年)、第二次世界大戦(ACT2 ;1939年~1945年;約150頁)、エピローグ(1945年以降)の5章から成る。
プロローグ;ダヴィンチから19世紀末までの潜水艦(艇)が語られる。ここで知ったのは南北戦争における蒸気や人力で動かす潜水艇の活躍である。ハンリー号はその一隻、8人の漕ぎ手(+ハンリー)が乗る人力潜水艇、長い棒の先にダイナマイトを付けて、チャールストン港(サウスカロライナ)を封鎖していた北軍の封鎖船の船底を爆破、自艦も沈没して生存者なし。人間魚雷もどきのこの艦が敵艦を撃沈した世界初の潜水艦である。
蒸気船の発明者、ロバート・フルトンがフランス革命戦争時にフランスのために建造した“ノーチラス号”(1801年完成)、初期の魚雷開発(英国人ホワイトヘッドが圧縮空気利用を考案)や水上・水中の推進エネルギーの切り替え(水上;蒸気機関やガソリンエンジンのちにディーゼルエンジン、水中;過熱蒸気の蓄積・放出から電池利用へ)など、その後につながる基本骨格が試行錯誤しながら形を成していく過程を解説する。
ACT1の章;ドイツ帝国の海軍拡張計画(大洋艦隊構想とその実態)が詳細に説明され、当初は各国海軍同様「潜水艦など不要」の意見が主流だが、熱心な潜水艦主義者(ウィルへルム・バウアー)のロビー活動に海軍司令官テルピッツが折れ、Uボートの建造が進み、無制限・無警告潜水艦作戦で英国を苦しめ、Uボート部隊が海軍の主力の位置を占めるようになっていく。
これに対して英国海軍内では潜水艦を軽視・軽蔑する風潮が強く(卑怯な兵器、決定力を欠く兵器)、積極的にこれを活用しようという機運が生まれてこない。潜水艦を熟知せぬ故にUボートの跳梁に当初なすすべがなく、対潜水艦戦争のやり方(兵器開発を含む)に四苦八苦する(科学者動員体制;音響兵器、爆雷など)。即効性があったのは護送船団方式であるが、これも海軍内で賛否が分かれ、大艦巨砲をこれに割くことに最後まで踏み切れない。
ドイツが潜水艦隊に独立性を持たせたのに対して、英国は主力艦隊に組み込む編成を採るが、性能の異なる艦隊の運用に種々の齟齬を生じる。さらに将来に禍根を残したのは、1918年4月の英空軍独立で、対潜作戦に有効性が見え始めていた海軍航空力が根こそぎ空軍に移管されてしまう(1938年に艦載機の主管をとりもどすが、遅れは否めない)。
この章で詳しく数字を挙げて書かれるのは、双方の艦船の喪失数やそれに依る食料や資源の不足状況。これを見るともう一歩で英国は干上がるところまで追い詰められたことがよく分かる。この通商破壊戦に関する限り、明らかにドイツが勝っていた。
Uボートの戦場は英国周辺海域・北海のみならず地中海から黒海あるいはバルト海までおよぶ。ナチ政権誕生で潜水艦隊司令長官となるカール・デーニッツは地中海で艦長を務め、潜航中艦が故障し浮上、英国の捕虜になっている。また日英同盟によって地中海に派遣された日本の駆逐艦隊の貢献も紹介される。
戦間期の章;ここに割かれるのは約40ページほどだが、潜水艦の役割変化を知る上で重要だ。経済が疲弊した英国の国家安全保障策(10年間は大戦争は無しとの前提)。これとも深く関わる軍縮条約(ワシントン、ロンドン)に対する各国海軍の考え方と潜水艦の扱い。密かに温存されるヴェルサイユ条約で禁じられた潜水艦に関する人(デーニッツは水上艦勤務)と技術(オランダ、ソ連等で設計・生産)、ヒトラー政権下で再建される独海軍Uボート部隊。第一次大戦時のUボートが各国へ及ぼした影響;技術面では、日本も基本的にこれに大きく依存していたことが分かる(2ページにわたって開発・建造史が解説される。他国とは異なる大型艦(伊号);大きすぎる→潜航に要する時間がかる→発見されやすい、居住性が悪い)。戦術・戦略面では、独は第一次大戦時のそれを確信し、英もこれから学んだのに対して、日・米にその機会がなかったことが、第二次世界大戦に大きく影響してくる。
ACT2の章;本書の肝である。潜水艦戦争のメインステージは大西洋、のちにチャーチルによって“大西洋の戦い(Battle of Atlantic)”と名付けられ、英(のちに米)・独間で凄惨な戦いが繰り広げられる。開戦時、英国の石油の100%、食料・原料の50%は輸入に依存していたので、当に死命を制する戦いであった。ここでの連合国側喪失;商船2,452隻(世界全体では2,828隻)、軍艦(主に英国)175隻、戦死者は船員3万人、海軍7万4千人、沿岸航空軍団6千人と1,777機、物資12.8百万トン。Uボートの損害;沈没(戦闘による)696隻、事故・自沈226隻、降伏156隻、戦死者25,870人(乗組員の63%!)。地中海の戦いでは沈められるのは北アフリカ戦線を支える枢軸国側の輸送船、攻撃するのは英潜水艦である。太平洋では専ら日本の輸送船と軍艦が米潜水艦に狙われ、1944年だけで603隻の商船を失い、1943年の輸入量16.4百万トンから10百万トンに落ちている。日本軍の潜水艦喪失数130隻、米国は52隻で約4千人の戦死者(22%)は率では全軍を通じた兵種で最高である。
開戦後第一号戦果?であるU30 (レンプ艦長)による客船アセニア号撃沈、U47(プーリン艦長)による英戦艦ロイヤルオーク撃沈、Uボートエ-ス艦長たちの活躍、群狼作戦(Wolfpack)と呼ばれた護送船団襲撃戦術、捕鯨用キャッチャーボートやトロール船改造護衛艦の奮闘、など戦闘描写は詳細をきわめ、これと合わせた暗号解読や通信分析(ソフト面)の寄与が戦いの趨勢を変えいく姿を、時間を追って描いていく。技術開発では対潜兵器(ソナー、レーダー、爆雷・機雷、対潜哨戒機)ばかりでなく魚雷の問題点(特に、初期の独・米は不良品(不発)が多かった)を、技術のみならず人や組織にまで掘り下げて詳しく分析される(日本の酸素魚雷の優秀性も含め)。
しかし何といっても興味深く読んだのはその運用思想である。根本にあるのは艦隊決戦か通商破壊戦かの違いである。これは潜水艦に限らず海軍戦略全体の問題であるが、これに最も影響されたのが潜水艦。日本海軍は第一次大戦前の英海軍同様、潜水艦軽視をそのまま太平洋戦争に持ち込んでしまった。艦隊前衛(偵察・哨戒、先制攻撃)の戦闘力として航洋大型艦を中心に建造、狙うのは敵戦艦・巡洋艦・空母である。これに対して戦間期および開戦後も独海軍軍人や駐日海軍武官から通商破壊戦への進言があったにもかかわらず、それを無視し続けたことが本書に記されている。冒頭取り上げた川島艦長の提言もこれを踏まえたものであるし、たまたまとは言え艦はUボートに近い呂号(中型艦)であった。米国も参戦までは日本同様の潜水艦運用であり、大型艦中心であったが、大西洋の戦い(米東沿岸からカリブ海までおよんだ)から学び、中型艦によるシーレーン分断に戦略を転換し、日本本土および島嶼への補給を断ち、兵糧攻めで勝利に貢献した。
著者は日本海軍の大型潜水艦をハードウェアとしては高く評価し、原爆起爆装置をテニアン島に運んだ重巡インディアナポリスが伊58号によって撃沈されるシーンでこの章を終える。「これが日本海軍最後の戦果であり、第二次世界大戦における潜水艦による最後の戦いであった」と。
エピローグ;戦後の原潜時代が詳述され、核ミサイル発射基地としての価値は依然あるものの、ディーゼル駆動やスターリング機関による通常動力型の性能向上と取り扱いやすさから、その有意差は縮まったとしており、(少し古いのだが;本書の出版は1995年)海上自衛隊の“ゆうしお”クラスをその例に挙げている。
潜水艦の世界全体を歴史的・横断的に俯瞰する(付け足し程度でなく)書物は、私にとってはこれが初めてである。そこから見えてくるのは;黎明期の関係者の苦闘、運用に不熱心な海軍主流(潜水艦のみならず対潜作戦も)、戦間期における潜水艦への関心度・方向性とそれに基づく艦整備(開発・設計・生産)・戦術・戦略の違い、各国間の潜水艦整備・運用に関する相互影響度、模索する技術開発(本体のみならず魚雷・機雷・爆雷・ソナー・レーダーなど)、これらに対する民間人(特に科学者)活用の度合い、航空機との共同作戦や対潜利用の限界(ゲーリングによる空軍力独占がUボート作戦の効果を著しく阻害する。英国でも爆撃機軍団と沿岸航空軍団の間で爆撃機の奪い合いが起こる)、ソ連(第二次世界大戦開戦時、老朽艦が多かったものの最大の保有国)やフランス(超大型潜水艦開発)のユニークな潜水艦発達史、数多く発生した事故(冷戦中あるいは後の原潜事故や廃炉問題を含む)、など潜水艦活用の容易ならざる全貌であった。
潜水艦辞典としての価値が充分あり、参考文献も列記してあるのだが、アルファベット順のリスト(日本人名は皆無)だけで、引用個所との紐づけが全く出来ていない。気になるところ(例えば“武士道”が出てくるのだが、誤解と思われる個所がある)を原典に当たりたいのだがどこからの引用か判別できない。不満はこんなところであった。
5)戦争の物理学
-戦争・兵器から学び直した物理学-
近頃本を読んだり書き物をしている時フッと「この言葉はいつごろ覚えたんだろう?」と自問することがあり、歳を感じる。“物理学”は直ぐに分かった。というより見ただけで“湯川秀樹”に直結する。1949年小学校5年生時、日本人初のノーベル賞受賞者が誕生、その対象分野が物理学だったからだ。同じ年1500m自由形で世界新記録を作った古橋広之進とともに、まだ占領下にあった日本人に、自信と誇りを与えてくれた忘れえぬ人物と出来事である。
小学校・中学校で最も好きな教科は理科だった。高校に進むと、生物・化学・物理・地学から選択することになる。航空エンジニアが夢だったから、1年生時物理を第一志望にしたがこれだけは一クラス(男子25名)しかなく、その選に漏れ、やむなく第二志望の化学を選ぶ結果になった。従って物理を学んだのは2年生の時である。授業は楽しかったが、成績は振幅が大きく、受験に向けて最大の悩みだった。振り返ってその原因を考えてみると、一つは用語と事象の関係が直感的に把握できなかったことがたびたび生じたこと(例えは“反作用”)と、これとも関係するが、具象から抽象世界へ踏み込む力(あるいはその逆)が弱かったこと、にあると思っている。こんなことを書いているのは、本書を読んでいて「こんな先生に物理学入門コースで教わっていれば・・・」の思いが去来したからである(“反作用”が何度も出てくる)。
有史以来の武器・兵器発達の歴史を著した書物は既に多数出版されており、私の書架にも数冊ある(個別兵器の発展史を含めれば数十冊)。しかし、丁寧に物理学と結びつけて解説したものは本書が初めてである。物理学を核に、歴史(戦史、科学史)、兵器、戦術・戦略、生産技術やそれに関する経済までもが同時に学べるのだから、当該分野に関心がある者にとって、これほど効率的に楽しめる本は先ずないだろう。そして物理に関する説明が分かりやすいのだ。取り上げられる兵器は、英語の副題“from Arrow to Atoms”、弓矢から水爆まで、その時代々々の「驚異の兵器」数十種に着目する。時代は紀元前15世紀から現代にまでおよぶ。物理学の分野は、ギリシャ時代の古典力学から、ニュートン力学、流体力学、熱力学、材料力学、光学、電磁気学、物性物理学、物理化学、地球物理学、宇宙物理学に言及、最新の核物理学までをカバーし、専門分野の弾道学は、銃砲の発達段階と併せて時代を追うごとに高度化していく。
読み易いのは物理学がいきなり出てこず、戦争・戦闘の背景や軍の規模・組織構成、主要兵器の解説と戦闘の経過・結果を導入部にしている章や項が多いことである。この部分はいわば戦記・戦史調でつい惹きこまれてしまう。また物理に関する説明も数式は最小限にとどめており、その式が分からなくても全体理解に大きな支障とならないよう配慮されている(“はじめに”で「読み飛ばしてくれてもいい」とことわっている)。
例えば弓矢の物理学;弓本体と弦、これに矢をつがえて絞ったのち放ち、矢が標的まで至る経緯では、射手の育成(子供の時から訓練を受ける)の話からはいり、彼の力が位置エネルギーとして弓に蓄えられ、放つとその力が速度エネルギーとして矢に移り、それに重量が影響して、弾道を描くことを、いくつかの基本的理論で説いた後、さらに弓矢の発展史(クロスボウ、ロングボウ)が続く。そこでは特別な人力は不要で、機械的な増幅仕掛けが組み込まれ、エネルギーが倍加されて射程、精度、威力が著しく向上することで、戦闘状況が一変した、というようにである。
また、アルキメデス、アリストテレス、ダヴィンチ、ガリレオ、ニュートン、ジェームス・ワット、アインシュタインなど有名人と兵器との関わりを知るのも楽しみの一つである。アインシュタインは原爆開発をルーズヴェルトに薦めたと巷間言われているが、大統領の目に触れるよう、名前を貸したというのが実態であることを本書で初めて知った。
原爆投下に関しては、米国内でも強硬な反対派があったことを縷々述べているが、「すでに米軍は、従来の爆弾を使った日本への空襲で2万トンのTNT火薬の投下に相当する大打撃を与えていた。これは原爆およそ一個分に相当する威力だ。それでも日本は音を上げなかった」と、米国の公式見解で結んでいる。
本書を通じて、長い歴史的視点から物理学と「驚異の兵器」誕生を俯瞰すると、産業革命(18世紀)までは現物が先に出来、理論は後からついていく(例;弓矢・投石器から銃砲まで);目的・用途先行。次いで産業革命から20世紀初頭くらいまで初歩的な実験や試作品によって理論が構築され、現物が生まれる(例;電磁気応用や飛行機);実験先行。20世紀に入ると理論先行で、それを証明する実験をベースに実用兵器開発が模索される(例;核兵器やレーザー);理論先行、の傾向がある。現在の最先端物理学研究から、次に何が生まれてくるのだろう?水素爆弾が使われれば世界は終わる可能性大だが、さらなる決戦兵器が出現するのだろうか?
著者はアイダホ州立大学物理学名誉教授。物理学に関する啓蒙書を数多く出版している(既刊邦訳もあり)。訳も理学部出身者が担当しているので、安心して読める。
6)死ぬほど読書
-読書は前菜、メインディッシュは人生論-
“読書”とタイトルが付くとどうしても気を惹かれる。しかし、本書が出た時は「待てよ」と自重した。著者が伊藤忠商事中興の経営者であること、民主党政権下の駐中国大使であったことをよく知っていたから「旦那芸ではないか?」と敬遠したわけである。しかし、その後の広告で実家が書店だったことを知って「それなら面白い話の一つや二つあるかもしれない」と読むことになった。
率直に言って期待するようなものは何もなかった。懸念した、功成り名を遂げた人の教訓本である(読書論より人生訓話・処世術指南の書)。読書に関する思いを伝えるには、皮相的、教条的だ。最後まで一応読み通したが、終始説教されているようで楽しく読めなかった。一体どこに読者の対象を置いたのだろうか?若手社員教育の講演用テキスト辺りなら、まあ使えるかもしれないが。
著者は私と生年が同じ(1939年生まれ)。書物が好きなことも共通する。規模こそ違えビジネスマンで一応経営者まで務め上げた。しかし、読書への考え方は全く異なる。著者は読書によって人間が変わる(品性が高くなる)とか論理性が高まるとか言う。また何かが“身につく”ことを強調する(特に仕事に役立つ)。が、どうも功利的なにおいを強く感じてしまう。私の場合、ただの時間潰しではないのだが、それほど高邁な目的を意識することはなく、人間改造をしようなどと考えたことはない。ほとんど役にも立たない雑知識が脈絡もなく積みあがるだけである。それでも好奇心が満たされた喜びは前向きに生きる力に転じているような気がしている。真の読書家と活字中毒者(私)の違いなのだろうか?本書に書かれた“読書”について知りたければ新聞広告(例えば、8月31日朝日朝刊)で充分である。
読書の面白さ・効用を知りたいなら、ハウツー物もどきの本書よりも、丸谷才一、外山滋比古あるいは古本屋の下働きで苦労した出久根達郎をお薦めする。
(写真はクリックすると拡大します)
0 件のコメント:
コメントを投稿