2017年10月3日火曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-35


16.情報サービス会社再編成-3
情報ソリューション事業部の発足は2001年秋、事業部長のISIさんと4社の社長が初めて顔を合わせたのが11月。そこで決まったことは、相互理解と情報交換のため原則月例の社長会を持つと言うことであった。この席でISIさんは「事業部として拡大・発展のため事業部本体を含めて、経営資源の効率的な運営を図っていきたい」と述べたが、即再編成を社長会の議題に取り上げたわけではなかった。ISIさんとしても制御システム畑から新事業部門に転じ、その実態を把握することが先決と考えたからだろう。ただ、SPINが独自製品とETS戦略が対象とする多くの顧客を多く抱えていたこと、再編成の言い出しっぺであることを慮ってか、それに関わる話題を社長会とは別の場で投げかけてきていた。私自身各社の実情をよく理解していたわけではなかったから「春まで勉強しましょう」と言うくらいの助言しかできなかった。
11月の初会合の時顔を合わせた3社長(YDCYITYTS)の中で、何かと気になったのはYDCMYSさんである。本社(三鷹)で開催の会合に遅れてきて、その理由を「チョッとUCD社長と会っていてね・・・」と切り出す。この年4月からSPIN会長に就任したNKMさんを始め横河の役員クラスもしばしば話題にする、型破りなビジネスマンのイメージそのままだった。NKMさん曰く「自分が不在のときに俺のハンコを勝手に稟議書に押して通してしまった」との武勇談?を聞かされていたし、ほかの役員からも「こんなこと言うとMYSが怒るからな~」との発言が出たこともある。横河ブラジル時代(現地社長は美川さん)、利益を外貨に換える制限が厳しく、余剰金で牧場経営にあたっていたとの話も耳にしていた。しかし、社長会で必ずしもイニシアチブを積極的の取ろうとするわけではなく、むしろややほら話めいた自社経営に関する自慢話が多く、それはそれで一聴に値するものだった(特にERP(統合業務パッケージ)、SAPへの取り組みやデータベースソフト会社オラクルとの関係など)。
20024月、新年度の情報ソリューション事業部キックオフミーティングに際して、ISIさんが事業部全体の再編成を打ち出し、つづいて開かれた社長会で「秋までかけて、ワーキングチームを作って新会社案を固めたい」と明言、4社もその検討開始に一応同意した。しかし、MYSさんの姿勢にはどこか斜に構えたところがあり、「YDCをどうするかが問題だな~」の感を抱かせた。
ワーキングチームは社長会とは別で、各社の経営企画や総務担当役員・部長が専任構成員で、主に人とカネの問題を整理し、営業や技術についてはその都度担当役員や管理職が参加する形をとった。SPINでその任に当たったのは、取締役のYNGMさんと総務部長のMRYさんである。集まりも社長会が月例であったのに対して、作業工程に従って頻繁に持たれ、進捗状況や再編試案は案件ごとに社長会で説明・検討された。しかし、案が煮詰まってくるに従い、YDCのトーンは総論賛成・各論棄権で歩調が合わなくなっていく。やがてMYSさんがYDCの歴史や現状の経営戦略を理由に、統合参加に難を示すようになる。確かに彼の言い分に一理ある。グループとして進めようとしているETSとは顧客対象が著しく異なるのだ(核となるプロセス工業にほとんど顧客がない)。再編成具体化検討から半年くらい経った頃ISIさんはYDCをその対象から外すことを決断する。おそらく本社経営トップの意向もあったのであろう。結局新会社はYITYTSSPINの三社が合併して2003年発足を目指すことになる。
最終決定に至る過程で、ISIさんと話したことに、新会社の社長は4社から出さず本社から出すべきだと言うのがあった。年齢的なことばかりでなく、既存の会社から出すことで、社員に要らぬ気遣いをさせたくなかったからである。しかし、そんなやりとりの中で「もしMYSさんを新社長にしたらYDCも乗ってくるのでは・・・」と言うことも話題になったが、二人ともそれを本気で取り上げることはなかった。
これは後日談だが、MYSさんはその後も5年位YDCの社長に留まり、個人的には交友関係を保ち何度か飲む機会まで持った。MYSさんのあとは本社専務から天下ったMNKさんが3年ほど前(2014年)まで務めたが、ついにSAPの有力システムインテグレータDTS(東証一部)に全株式を売却し、横河グループから完全に切り離された。再編成に加わらなかったことは、結果としては良かったのかもしれない。


(次回;新会社発足)

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