1.第二ステージへ
社会人になった1962年以前から、長いこと我が国における退職定年は55歳が慣例だった。40代半ばを超えたころから、“その後”のことを考えるようになり「10年くらい、ITコンサルタントのような仕事ができたら、そしてそれが終わったら・・・」と漠然と思うようになった。幸いその頃定年制が60歳まで延長になり、加えて1985年ITサービス会社が設立されて、そこで64歳まで働くことができた。さらにこれを終えた後、“ITコンサルタント”に限りなく近い活動のチャンスが横河電機から与えられ、結局68歳まで、長く関わってきた世界に留まる結果になった。「70歳まで居てもらって良いですよ」と暖かい声をもらったが、“それが終わったら・・・”の夢を実現するためビジネスマン人生に終止符を打つことにした。夢は二つ、一つは英国に渡りOR歴史研究をすること、第二は好きなクルマで日本中駆け回ること、である。二つの夢とも退職年の2007年にスタート、第一は5月から10月まで英国ランカスター大学に滞在して指導を受け、第2は帰国直後10月末に、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、念願だったポルシェ・ボクスターを入手した。職業人から道楽人へのステージ移動である。
購入時セールスマンから「2000kmまではエンジン回転数3000rpmを上回らないように乗ってください」とのアドヴァイスがあり、本格的な長距離ドライブを開始したのは翌年7月、新潟・長野方面の山岳地帯にチャレンジした。爾来、既報“信長回想ドライブ”に記したように、本年5月末から6月初めにかけての、飛騨・加賀・越前・近江を廻る旅で石川県を訪れ、沖縄を除く全都道府県走破を達成、“日本中駆け回る”と言う第二の夢を一応実現した。これが終わった段階での総走行距離は約45,000km。10年にしてはさほどの距離ではないが、想い出はいっぱいである。
そして新車時登録日、10月31日が記念すべきボクスターによる、次の新しい旅の始まりの日となるのである。10年後は88歳、そこまでいくかどうかはともかく、終の棲家ならぬ“終のクルマ”として求めたものゆえ、運転できなくなるまであるいは動かなくなるまで、このボクスターで人車一体の旅を続けたい。ならば、ひたすら駆け抜けることを目指さず、新たなドライブスタイルを模索してみよう。こんな考えを基に、プランを練ることにした。
旅に関する形に二つの選択肢がある。移動型か滞在型かである。最終目的が景勝地や名所旧跡あるいは博物館や美術館を訪れるという共通項であっても、この二つの違いのどちらに力点を置くかで、かなり異なる旅になる。物心ついたときからの自動車好き、少年時代の鉄道技術者への憧れ、高校時代に目指した航空エンジニア。大学時代は再び関心が自動車に戻る。とにかく乗り物が大好きだ。眺めていること乗っていること(長じては運転していること)、そのこと自体が楽しいのだ。完全に移動型である。必然的に海外旅行のツアープログラムでも乗り物優先となる。「どうしても(一度だけは)鉄道に乗りたい」それだけで候補はかなり限られてしまう。
ただ時間とともに乗りたいものに好悪が出てきている。あれほど好きだった飛行機も最近は苦痛だし(機内だけでなくセキュリティも含めて)、いくらクルマ好きでも、ボクスターの楽しみを知ってしまった今では「レンタカーじゃな~」となってしまう。バスも長い時間はご免だ(ローカルバスは楽しいが)。国内鉄道も新幹線型は味気ない、在来線から長距離は消えてしまい、のんびり車窓を眺める時間を過ごすことが出来なくなってしまった。実はボクスターでも自動車専用道路走行はあまり楽しくない。密やかな愉悦を味わえるのは普段一般道ではできない走りを短時間トライするくらいである。だからルート決定のカギは地方道、特に山岳路となる。
一方同乗者はもともと乗り物全般に強い体質ではない。狭く地上高の低いスポーツカーの助手席に長時間座っていることはかなり辛いらしく、目的地到着までしばしば居眠りをしていることが多い。今回出た要件は連泊、“滞在型”への切り替えである。まだまだ行きたい所は多々あるのだが、走り一辺倒を改め、拠点を意識した新しいドライブ旅行を考えてみよう。こんな思いで計画検討に入ることになった。つまり第二ステージへの模索である。
上から:渋峠近く、斜里(小清水原生園)、富士山をバックに、越前海岸、大内峠
(写真はクリックすると拡大します)
(次回:裏磐梯拠点案に決まるまで)
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