<今月読んだ本>
1) 軍事のリアル(冨沢暉):新潮社(新書)
2)はじめての八十歳(山藤章二):岩波書店
3)秘められた旅路(岡田喜秋):山と渓谷社
4)仲代達矢が語る日本映画黄金時代(春日太一):文藝春秋社(文庫)
5)ハンター・キラー(T.マーク・マッカリー中佐):角川書店
6)「きめ方」の論理(佐伯胖):東京大学出版会
7)工学部ヒラノ教授の終活大作戦(今野浩):青土社
<愚評昧説>
1)軍事のリアル
-右も左も“群盲像をなでる”状態から脱皮しよう!-
今年の国政の最重要課題は国家安全保障問題だろう。北朝鮮の核、その北朝鮮にすり寄る韓国、ここはまた異常な反日国家でもある。それに中国の膨張政策。旧ソ連復活を目論むように見えるプーチン政権。加えて頻発するテロ。四囲の国際環境は憲法制定時とは激変している。個人的には、第9条に限らず、今後の国家の在り方をこの面から根本的に見直し、自衛隊を国防軍とはっきり位置付け、法的にも国際的にもその存在と役割を整備すべきであると思っている。こう言うと同級生から「おまえはいつから右翼に転向したんだ!?」と批判・叱責の声がかかることもある。そう我々はあの“60年安保”世代なのである(3年生)。本質はそれまで片務的(米国が日本を守る)な日米安全保障条約を(形式的に)双務的なものに改めるところにあったが、反対活動の実体は“岸内閣打倒”にあり、じっくり国の安全保障政策を考えようというところまで達していなかった。ノンポリが多数を占めるエンジニアの卵たちは特にその傾向が強く、クラス検討会でも“反米・反戦”よりは「チョッと行ってみるか?」と言う程度のデモ参加であった。従って多くの友人たちは、今では“転向”の非難どころか、大いに賛意を示してくれる。
それにしても日本人の安全保障・軍事に関する認識は何故こんなに軽薄なのだろうと思うことが、日々強まってきている。根源的な問題は、軍事そのものを日常的に論ずることをダブー視してきたことにあるに違いない。その結果、左派は無論、国の指導者、官僚、マスコミ、学者ですら、しばしば頓珍漢な発言をしていることを本書で知った。これでは“シビリアンコントロール”などとても叶わない。
例の一つは、小泉首相が予算委員会において菅直人民主党幹事長の国連安保理常任理事国入りに関する質問に対して「現在の常任理事国はいずれも国際紛争解決の手段として武力行使を放棄していないが・・・」と答弁したことが挙げられる。国連憲章の基となるハーグ不戦条約(1907年)で調印国(日本を含む)がその放棄を宣言している(つまり憲法9条のひな型であるし、極東裁判でこれに反したことが判決理由になっている)にも拘らず、総理は「5常任理事国はそれを放棄していない(不戦条約に違反している)」と回答したわけである。回答した本人、質問者はこのことを全く気付かず、すべてのマスコミも問題にしなかった。もし外電がこれを国際社会に向けて報じたら、大変な外交問題に発展した可能性があったのだ。
直近の例をもう一つ。「集団的自衛権」と「集団安全保障」の差異を我々はどの程度理解しているであろうか?少なくとも2000年の時点で朝日新聞がこれを混同していたことが取り上げられている。「集団安全保障」の場における武力行使は;国連軍・PKO・多国籍軍の“自衛”を超えた武力行使であり、言わば警察官の公務執行に相当する。これに対して「集団的自衛権」における武力行使は当該国攻撃に対する正当防衛であり、いずれの国も有する自衛権の一種なのである。この差異を内閣法制局すら正しく認識できていない(誤解・曲解)のが、我が国の“軍事リアル”なのである。因みに、自衛の英訳Self-Defenseは極めて“個人”のイメージが強よく、自衛隊員が海外で「Self-Defense Forceから来た」と自己紹介すると“護身隊”と解釈され、失笑・爆笑を買うことがあるらしい。
本書は、私と同年代(1938年生まれ)で陸上自衛隊幕僚長を務めた人が、新潮社のウェブマガジンに連載してきた軍事エッセイをまとめたもので、取り上げられるテーマが今日的なものが多く、かつ分かり易く書かれており、“今そこにある危機(外敵ばかりでなく、自身の内にある)”を学ぶのに格好の軍事入門書である。
2)はじめての八十歳
-老いてますます、ブラック・アングルを白日の下へ-
68歳でビジネスの世界を去る際、“今後”についてあれこれ考えた。「ORの歴史研究をやろう(できればそれを本にしたい)」「スポーツカーを駆って(買って)全国を走り回ろう(できればドライブ記を残したい)」「現役時代ほとんど訪れる機会のなかったヨーロッパを旅行しよう(できればクルマと鉄道を使って)」「健康維持策として水泳を規則的に行おう」と。そして確たる理由はないのだが、これを80歳までに実現したいと考えた。現時点で自己評価すると満点には程遠いものの(特に出版はあきらめブログに転向)、概ね80点くらいは取れており「まずまずだな~」というところである。いよいよその80歳も余すところ1年弱、「それから先どうしようか?」を考える時期に来ている。68歳の時との違いは二人の孫を持ったことである。最初の孫が生まれた時「この子が大学に入学するまで生きていたい」と強く思うようになり、周辺にもそれを宣言している。1年浪人くらいまで考えると87歳が目標になる。そんな時面白そうなタイトルを付けられた本書に出会った。所帯を持ってから10年くらい購読していた週刊朝日の最終ページ風刺漫画“ブラック・アングル”の著者であることにも大いに惹かれた。
一枚の絵で“寸鉄人を刺す”社会・政治風刺漫画は、鋭い社会観察眼とそれを単純な絵で表す独特の感覚・才能を要し、誰にでも務まる世界ではない。古くは清水崑、近藤日出造、横山泰一などが大新聞を舞台に活躍していたが、半世紀前に彼らは舞台を去り、新聞でこの手の漫画を見なくなって久しい。掲載誌が週刊誌と変わったものの、著者が唯一彼らの遺髪を継ぐ優れた現代風刺漫画家と言っていいのではないか。
執筆のきっかけは、80歳の昨年膝の故障で人工関節を装着するため、ブラック・アングルを長期休載せざるを得なくなり、この間見聞し思案したことを、思うままに書き綴った時事エッセイと言っていい内容である。本業の漫画・イラストは一切ないが、歯に衣着せぬ辛口社会寸評は、本人も「実は書くことが好きだなんだ」と言うように、嘗て楽しんだ“ブラック・アングル”独特の苦みを言葉だけで充分味わえる筆さばき。長い人生と病の間に分かってきたことは、“論より感覚”、“以前は虫の眼で、今は鳥の眼で、世相を眺め見る”こと。出たとこ勝負の題材と展開、好悪感情丸出しの語り口(「バカ」が頻繁に出てくる)、そこに見え隠れする心根の優しさや孤独感、そして落ちの上手さ。まるで古典落語に出てくる小うるさいご隠居さんに説教されている雰囲気。どのテーマも著者の老いの世界が極めて前向き(建設的批判)に語られ、ジタバタせずに悠然かつわがままに老いを迎えようとする姿勢に、同世代である(著者は1937年生まれ)私の87歳へ向けての生き方に、指針と活力を与えてくれるものであった。
3)秘められた旅路
-旅のロマンの本質は観察対象に対する洞察力、下調べをして旅に出よう-
1956年(昭和31年)に発行された国内旅行記の古典的名著である。読んでみたいと長く思っていたが、高価な古本しか見つけられず、今まで読む機会がなかった。本書は60年を経た昨年末出たその復刻版である。あとがきを見て驚いた。著者は健在(91歳)で、本書刊行にあたり、他誌に掲載したもの3編と書下ろし1編が加えられている。
著者は、1926年(大正15年=昭和元年)生まれ、旧制松本高校を経て東北大学経済学部に学び、1947年(昭和22年)卒業後日本交通公社(現JTB)に入社し、長く同社発行の月刊誌「旅」の編集に携わった人(編集長12年)。
当時の旅は鉄道が基本、北から南へ鉄路とともに語られるのだが、描写はそれぞれの風土と人々の生活に重点が置かれ、山と旅への愛着、書くことへの情熱、30歳前後の活力が、18編のエッセイを通し、時代を超えて伝わってくる作品である。復刊を思い立った人もこの筆致に惹きつけられたのではなかろうか。
本書を読もうとした動機は、先に記したように古典的名著ゆえであるが、そこから学びたいと思ったのは紀行文の書き方である。私の場合淡々と旅程を書き記しているだけで紀行文ならぬ記録文に過ぎないと感じているからである。これも徹底すれば独自性はあるものの、移動報告書のようで読んでもつまらない(自覚している)。当然文学性など皆無だ(そこまでは考えていないが)。著者はまえがきで、紀行文に必要なことは豊富な経験ではなく、冷徹な眼と観察対象に対する洞察力だと断じている。本書を読んでいて分かってきたことは、旅に出る前の下調べがしっかりしていることである。当時の地方経済の基盤は農業。耕地の状況・作物・営農方法・水利などを充分調査した上で出かけている。土地の人々との会話はこうした下地の上にすすめられるから、一見さんとは異なる面白い話に出会うことが出来るのだ。北海道で信州で四国で、開拓地に踏み込んでモノにした苦労話が鉄路と組み合わされたり、オフシーズンに訪れた日本最高地点に在る野辺山駅駅長と交わした一言二言から心の内を慮ってみたり。これに若い時からの山歩きで培った自然観察(地形、気象、植物)の細やかさや旅先や車中で会った人々(例えば、出稼ぎ労働者、行商人)の生き方に対する好奇心が加わりたりして、独特の旅情を醸し出す。そこには、景色を愛でたり、郷土料理を味わったり、路線や車両に蘊蓄を傾けたりの、ありきたりの旅行記とは明らかに異なる“秘められた旅”が現れ、名著と言われるゆえんが、読み進むうちに、じわじわと分かってきた。
予想外の収穫もあった。昨年愛車による沖縄を除く全都道府県走破を達成した。本書に取り上げられる路線の一部は廃線となっているものもあるのだが、それらと並走するような道路を走ったり登場する町に立ち寄ったりしおり、60年の差異を知ることが出来たことである。昨秋走った会津線沿線、仙山線沿いの山寺、大糸線(当時は南線、北線でつながっていなかった)、姫新線の津山、山陰線の萩、久大線の九重、予讃線)を利用しての四国カルストなどがそれらだ。総じてここに挙げた所はそれほど変化を感じなかった。著者が四国カルストを訪れたのは3月、宇和島からバスで出かけ季節外れの大雪に遭っており、四国で最も雨量が多く霧も発生しやすいことを記している。私が走ったのは11月中旬、高知の四万十からだが、山頂付近は濃霧で進めず、途中であきらめ松山へ下った。本書を読んでいたら、時期やルートを変えていたかもしれないと思った。
旅を見る目と場所、今年からどうするか?真剣に考え始めている。この本から最も惹かれるのは三陸海岸だ。
4)仲代達矢が語る日本映画黄金時代
-舞台・映画・TVの名優と辿る日本映画史―
中学時代から映画にはまり、社会人になるまで趣味の記入欄があれば“映画鑑賞”と書いてきた。特に洋画への興味は尽きず、ロードショウは高いので専ら場末の二本立てで楽しんだ。別の見方をすれば、日本映画を観ることは、内外の受賞作品や巨匠の作品を除けば、ほとんどなかったと言うことである。そんな中で、何故観たのかは思いだせないのだが「黒い河」(監督;小林正樹)と題する作品を観て仲代達矢を知った。主演は有馬稲子と渡辺文雄だったが、その時には名前も知らなかった仲代が最も強く印象に残った。あの眼である。あとは一連の黒澤作品、「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」、超大作(6部)「人間の条件」(原作;五味川純平、監督;小林正樹)、TVの「大地の子」(原作;山崎豊子)で名優になっていく(ここに例示した作品は観たもの(黒澤作品)、あるいは原作を読んだもので(小林作品)、「人間の条件」と「大地の子」はいずれも満州を舞台にするところから、格別思いがあった)。本書は若い映画史研究家の著者が、長期のインターヴューをベースに、仲代の生い立ち、演劇人としての歩み、そして出演映画・映画界を振り返るもので、いわば“仲代達矢自伝”に近い性格のものである。
大変な苦労人である。太平洋戦争の年、1941年(昭和16年)9歳の時、バスの運転手だった父が亡くなる。母・姉・弟・妹と仲代の5人が残される。生活を支えたのは母と姉。何とか工業学校(現在の高校に相当)を卒業するが、戦後学制が変わり、高卒ではない。そこで都立高校の夜間部に入る。昼間は小中学校の給仕やアルバイト。そのアルバイト先で仲間から俳優になることを薦められる。考えてもいなかったことだが俳優座養成所(月謝が必要)の試験を受け難関を突破する。宇津井健、佐藤慶、佐藤允、中谷一郎は養成所の同期生だ。しかし今度は昼の学校だから夜の仕事に変わらなければならない。無事卒業し団員として50人の中から一人残ることが出来たが、収入は知れており、エキストラなどのアルバイトが続く。映画初出演は「七人の侍」だが、無論その他大勢である。やっとまともな役がついたのが前出の「黒い河」である。この当時の新劇は演劇公演では経営が成り立たず、ベテランもせっせと映画に出演している。東山千栄子、東野英治郎、小沢栄太郎らは大先輩、出演料の70%は劇団に入れるのがルール。売れっ子になっても経済的には決して豊かではない。しかし、映画・TVからお呼びがかかっても、年間半分は演劇に時間を割くことを崩さない。演劇を基礎からで学んだことで今の仲代が在ることがよく分かる。役によって歩き方から発声法まで違うのだ。今それを主宰する無名塾で後輩たちに教えているのはそこで体得したもろもろのノウハウである。
映画・TVと演劇の違い(例えば、映画は場面展開通りに撮影しないが芝居は時間の流れが一方向、演劇にはカメラワークがない。映画ではアップや遠景を意識した舞台とは異なる演技が必要)、映画監督・脚本家・カメラマンのやり方の違い・個性、東京と京都における撮影所の違い(東映太秦では主演俳優に付け人が5人も付くが東宝砧では三船でも付け人無し)、現代劇と時代劇の違い、共演した俳優たちとの交流(三船敏郎、萬屋錦之助、勝新太郎、高峰秀子、安藤昇、石原裕次郎などなど)、数々の撮影秘話(「影武者」では300頭の馬と100人の獣医(倒れるよう麻酔薬を打つため)それに救急車10台が動員された;負傷者多数)、などが出演した映画・TVとともに語られる。劇団員ゆえに5社協定に縛られない立場が、幅広い作品に登用され、それによって、映画に関する視点が、専属俳優にない広がりを持つことも本書の読みどころである。ここに取り上げられた代表的な出演作品は1950~60年代に集中しており、毎年入場者数が10億人を超えた、当に日本映画の黄金時代、その意味でも看板に偽りない。名老優、昨年で85歳を迎えているが、“老いてますます盛ん”が紙面からあふれ出る、古い映画ファン必見の一冊。
5)ハンター・キラー
-PRA:戦士・戦争を根底から変える新兵器の先駆け-
古くからの航空ファンとして、“ドローン”なる言葉がこれほど普及するとは考えてもいなかった。昔はラジコン操縦の飛行機、中でも射撃演習用標的機をそう呼んでいたからである。米空軍命名法では、A(Attacker):攻撃機、B(Bomber):爆撃機、C(Carrier):輸送機、F(Fighter):戦闘機、R(Reconnaissance):偵察機、T(Trainer):練習機のように、略号と用途の対比が分かるようになっているが、標的機は何故か意味不明のQが使われ、ファンとしてそれほど興味のある対象ではなかった。本書の主人公はMQ-1(プレディター)、Mは多用途(Multi)を示す略語、偵察と攻撃を兼ねているのでMQとなっている。空軍関係者特にその運用に当たる者はドロ-ンと呼ばれることを嫌悪しており、遠隔操縦航空機(Remote Piloted Aircraft;RPA)を日常的に使っている。確かに模型のラジコンヘリコプターと大差ない、いわゆるドローンとはまるで異なる世界がそこに在ることは、本書を読めばよく分かる。その運用者は戦闘爆撃機F-16 などの操縦経験者が務めているのだから(85%が戦闘機パイロット出身)。
MQ-1の初飛行は1994年、何度か改良が加えられているが、著者が操縦していたころ(2003年~2011年)はタイプBで目標認識機能が改善している。全長;8.2m、全幅;14.8mはほぼセスナの単発機と同じ大きさだ。ただエンジンはスノーモビル用の4気筒エンジンをパワーアップしたもの(にもかかわらず静音で高度7000mではほとんど音を感知出来ない)、巡航速度は150km/時前後で自動車と大差ない。重さは500kgチョットの軽さだから、無給油で24時間位飛べる。一時期は月産2機に達していたが、現在はさらに大型のMQ-9(リーバー)に置き換えられつつある。
著者は空軍士官学校卒業後戦闘機パイロットを目指したが願いかなわず大型機パイロットとなり、早期警戒機運用や情報士官を務めていたが、戦闘部隊に転属したく2003年RPAパイロットを志願する(大尉)。発足当初のRPAコミュニティはわけあり(事故など)パイロットの吹き溜まり、士気も極めて低かった。著者が赴任した時にもまだそんな雰囲気を残す職場だが、それでも選抜試験・訓練は厳しい。難関を何度もくぐり抜け2番で卒業し、RPAのエリート偵察部隊に配属になる。飛行機は戦場に近い基地に配備されているが、操縦席はラズヴェガス近郊の空軍基地内にある改造貨物コンテナ―の中(写真多数)、センサー・オペレータ(偵察要員)と二人で任務に当たる。MQ-1の操縦は二つのグループで分担する。離着陸は現地飛行場駐在チーム、難しい偵察・攻撃本務は米本土チームが担当する。最初の戦場はアフガニスタン、アルカイーダにつながるイスラム過激派の要人監視だ。ウサーマ・ビン・ラディン(UBL)を直接狙うわけではないが、諜報機関から送られた情報を基にターゲットの動きをシフト勤務で執拗に追う。アジトやメンバーが分かってくると情報が分析官に提供され、陸上作戦が実施される。時には陸上部隊支援のためにヘルファイアミサイルによるゲリラ攻撃を行うこともある。イラク駐在、再び本土勤務、何度かの異動後2010年ジブチ駐屯部隊(8機のMQ-1B)の指揮官に就任(中佐)、米国生まれの反米イスラム過激派リーダー、アンワル・アル・アウラキ(父親はイェーメン人、UBL亡き後最重要標的)殺害計画の指揮を執り、それに成功する(2011年9月)。
本書は著者がRPAパイロットに転換する背景から、訓練内容、操縦・偵察システムの詳細、遠隔操縦独特の問題(例えば通信のわずかな遅れ)、実戦運用(この臨場感は出色)、交戦規定(民間人の被害の可能性に関し年々厳しくなってきている)、空軍内でのRPA部隊の評価(重要度が高まっていく)、陸軍や海兵隊支援の組織的な問題、センサーオペレータや整備員との関係、事故・故障まで、RPAに関するあらゆる話題を網羅している。読み進むうち「ここまで書いてしまっていいのか?」との思いが募ってきたが、最後にその動機が明かされる。アンワル・アル・アウラキ殺害後、作戦が実名入りでワシントンポストに掲載され、個人として責めを負う事態が生ずる。米空軍では戦禍が収まるまで指揮官の名前を開示しない規則になっているのが破られたのだ。上層部も苦慮し、当時の在欧米空軍司令官(のちに空軍参謀長)であったウェルシュ大将から「この際RPA部隊の真の姿を伝える方が良い」と執筆を薦められたことによるのだ。その観点から現代最新兵器の一つであるRPAの実情を詳細に伝える内容になったわけである。
本書を読んで空軍が誕生時に匹敵する転換期にあることを痛感した。ミサイルとRPAに置き換わるのではないかと。
蛇足を一つ;センサーオペレータに妊婦が当たる!!
6)「きめ方」の論理
-『「きめ方」の論理』に決め手はないのかな?-
ときどき人間は“きめる”ために生きているのではないかと思うことがある。自身の、毎日の生活で、長い人生で、ビジネスマンとして、社会人として数々の決断をしてきた。進学・就職・結婚・退職後の過ごし方、社内外の仕事の進め方、選挙などなど。それらを決する手順や基準は、なかば習慣化しているものもあるが、大分部の「きめ方」に確たる論理はない。“決断科学”を標榜しているのに、この体たらくである。だからこそ「たまにはきちんとした本を読まなくては!」と思い立った。
本書は、本欄で今まで取り上げてきた書物(読み物)とはかなり性格が異なる学術書(多分教科書)である。副題は-社会的決定理論への招待-、書き出しのような個人を対象とした決定論ではない。本ブログが“組織における決断”をテーマに立ち上げたことを考えると、ど真ん中ストライクの内容を窺わせたし、実際その通りだった。ただ取り上げられる社会(分野)は、政治、行政、外交が多く、私が期待する企業経営や軍事に関する事例は皆無だった(経済は重きを置いて解説されるが“経済政策”の選択に焦点を当てているので、経営とは結びつかない)。学問的な観点から、多くの人が関わる“社会”を考慮すれば、この絞り込は学術書としては正統なものと言えるが、数理、政治学、経済学、論理学の素養がないと読み通すのは難渋する。さわりを少し紹介すると;
・最も民主的とされる投票による決定が必ずしもそうでないこと。このパラドックスを、種々の投票方式と米大統領選挙、オリンピック開催都市決定、自民党総裁選挙、選挙制度(小選挙区、中選挙区)、ローマ法王選出などを組み合わせて説明する。
この部分はかつて本欄で紹介した「多数決を疑う」(2015年12月)「世論調査とは何だろうか」(2017年10月)の内容と重なる。
・政治学や経済学と投票制度の関係を掘り下げる。厚生経済学では格差是正や配分の公平を問題にするが、それを実現する経済政策の優先度付けや決定に投票方式が影響することを例示する。ここではアダム・スミスからケネス・アロー(1972年ノーベル経済学賞)までの緒論を引用し、社会構成員と選択肢の関係を論じ、民主主義そのものに矛盾(民主主義のパラドックス)が内在することに注視する(だからと言って著者は民主主義を否定するわけではないが)。
・期待していた数理手法に関しては、外交交渉などで使われるゲーム理論に一章を割いて、提唱者であるフォン・ノイマンやマーシャル、ナッシュ(2015年ノーベル経済学賞)などの理論や解法を、それぞれの欠陥や限界を含めて解説したのち、「この理論の根底には相変わらず“突っ張り合いの力学”がある」と結論付け、それはだれも望まない共倒れにつながると断じる。そしてこれを避けるためには「社会道徳」と言う土俵(ある種の仲裁方式)を設けるべきと提言する。
・民主主義と並んで社会存立の基盤である自由主義。「こんなことは個人の自由だし誰の制約も受けない」と思っていたことが成り立たない“自由主義のパラドックス”がごく少数の社会構成員のある課題に対する選好順序によって生ずる可能性のあることを、A.K.セン(1994年ノーベル経済学賞)の論とそれに対する反論を引用して説明する。
・著者の結論は、今までの社会的決定理論の根幹は「本来人間は利己的である」と言う仮説に基づいているから(経済学の本流)、種々のパラドックスを生ずる。この利己心仮説から脱皮したところに“倫理社会の決定理論”が構築される、とする。「倫理的人間による、倫理的人間のための、倫理的社会の構築へ」と。
本書の題名は当初『「あいまいさ」の科学』となるはずだったが、次に『意思決定における「あいまいさ」』に改題、最終的に『「きめ方」の論理』に決したたことが「はしがき」に記されている。読んでいて、ふんだんに(簡単な)数理・(難解な)論理を使って“パラドックス”とそれからの脱出法を説明していくが、さっぱり落としどころが見えてこない推移。最後に“倫理”となり「これはいったい何なのだ!?」が正直なところである。ただ、もともと“あいまいさ”を核に「きめ方」に関する考え方を論じたものと言われれば、本書の構成・展開もうなずける。とても万人向けの本とは言えないが。
こんな本が出来上がり、長く(1980年刊)高い評価を受けているのは(2011年で16刷)著者の変わった学者歴と無関係ではあるまい。慶応義塾大学理工学部管理工学科修士を終えた後米ワシントン大学大学院で心理学を修め(博士)、東京理科大学理工学部助教授から東大に転じ教育学部教授・学部長を務めている(本書出版時)。
7)工学部ヒラノ教授の終活大作戦
-70歳から始めた終活作戦は喜寿まで達した。「すべて見せます」独居老人の日々-
私の今年の目標は“断捨離”、次の世界への準備である。しかし、12分の1を過ぎようと言う今日この頃、実績は限りなくゼロに近い。「正月だったから」の怠け心がどこかにあるからだ。おなじみ“工学部ヒラノ教授”シリーズの最新作もいよいよ“終活”編、「参考情報が多々あるに違いない」と手に取ることになった。病と健康、経済から後進の研究者へのメッセージまで、役立ち情報満載である。本シリーズも、これで13冊目、全巻の集大成と言う面もある(まだまだ材料はあると思うが)。私と違いは、生年で1年違いであるにもかかわらず、遥かに早くから終活準備にかかっていることである。その背景事情は、必ずしもヒラノ教授が用意周到な人であるからではなく、難病を患っていた夫人の介護に60代前半から70歳まで関わっていたことによる。その経緯はシリーズの“介護日誌”に詳しく、終活準備として介護問題に関心のある方には、是非お薦めしたい。その生々しさから学ぶことは、決して少なくないからである。
さて、その生々しさである。本シリーズの巷間の評判は“暴露もの”、大学・学界を中心に内外の実在の人物が登場し、その言動や取り巻く世界が白日の下にさらされる。厳しい批判もあるようだが、多くの読者には、私同様そこが読みどころのようである。本書でもその“暴露屋”マインドはいささかも衰えていない。ただし、今回の対象は他人ではなく、喜寿を迎えた独居老人である自分自身である。
多くの高齢者が望む最後はPPK(ピンピンころり)である。私も自室で本を読みながら、パッタと逝きたいと思っている。しかし、本書によれば、幸運にこれを成就できるのは10人に一人。そこで教授はしばし死に関して考える。「死の壁」(養老孟司)に記された“二人称の死”がそれだ。一人称は自分、二人称は親族・親しい友人、三人称は他人。一人称は自分には認識できない。三人称は関係ないので考えても仕方がない。核心は自分が死んだときに“家族や親しい友人に対して迷惑をかけない、もしくは恥ずかしくない死”を目指すことにある。大作戦の戦略目標は“望ましい二人称の死(NNS)”、達成時期は80歳。これを目指して、終活大作戦が始まる。開始時期は2011年自身の定年退職と直後の夫人逝去の年である。本書はこのNNS作戦の今日までの奮闘ぶりを綴ったものである。
ステマノフスキーに変じて、所有物の断捨離に努める。やはり書籍類が私のとっては主要な関心事の一つ。教授は“いつか読もう”と思いながら未読のもの、細かい字で埋まった辞書などを真っ先に処分する。苦慮するのは、精魂込めて書き上げた自著・論文(150編)やこれらに関わった書物・文献類だ、しばしこれらに関する思い出話を語ったのち、これも徹底的に捨てる。要否の判断基準を、心を鬼にして絞り込み、即行動に移す。これが断捨離の肝なのだ。衣服、家電製品に対しても同様。
定番の健康問題。高校時代のラグビーの後遺症(首、腰)、ストレスから来た大腸憩室による大下血(救急車で搬送)、歯や目の衰え、数々の爆弾を抱えながら、早朝ウォーキングで一日1万4千歩をこなす。しかし、“もしもの時”を考え、コース取りや装備は完璧だ。独居ゆえの配慮もある。高齢者の浴槽死はよくあるケース、シャワーだけの生活に徹する。
暴露もののハイライトは経済問題。「ここまで開示していいのか?!」と思うくらい、収入・支出が現役時代を含めて明らかにされ、現在の資産内容も動産・不動産、全公開である。加えて資産の運用法まで書かれ、外貨と円の見通しについて金融工学泰斗の手の内が明かす(円の価値低下に備え外債の保有量が多い)。思わず笑ってしまったのは住宅ローンの話。マンション購入で旧住宅金融公庫から借金をし、生命保険が付いているから、出きるだけ先延ばしにする返済計画にしていた。ところが、ある時「70歳過ぎると保険がきかない」と聞かされ一括返済することになる。上手の手から水が漏れたわけである。
「確かにこれは終活に必要なことだな~」と教えられたのは、今までの人生を確りと振り返り、自己評価してみることである。ここで教授は「死ぬ瞬間の五つの後悔」(ブロニー・ウェア;多くの人の最後を看取ったオーストラリア人の看護師)を援用する。
1)自分の人生を生きる勇気を持つべきだった。
2)もっと熱心に働けばよかった。
3)もっと自分を表現する努力をすべきだった。
4)もっと友人とつながっておくべきだった。
5)もっと幸せになる努力をすべきだった。
NNSとは離れるが、教授はこの五項目を一項目ずつチェックしていく。教育・研究活動、知的所有権法廷闘争、夫人の介護を中心にした家族関係、などなど。総じて、仕事に関しては高い点を与えているものの、家族に関しては反省しきりである。同世代の男に共通することかもしれない。
実は、本書執筆中の昨秋、母と同じ病(脊椎小脳変性症)に侵されていた長女が50歳を前に亡くなる。NNK作戦はこの娘の存在を基に組み立てられていたから、条件は変わってくるが、健康や経済問題はこの歳までくれば大きく修正することはなさそうだ。しかし、大きな課題が残った。眼球の動きで操作する特殊なPCを使って長女が書いてきた回想録を父娘の共著で出版することである。シリーズを含め、ヒラノ教授の物語が本書で完結せず、これからも続くことを期待したい。
(写真はクリックすると拡大します)
0 件のコメント:
コメントを投稿