<今月読んだ本>
1) 戦争調査会(井上寿一):講談社(新書)
2)極めて個人的な話(サマセット・モーム):新潮社
3)人口減少と鉄道(石井幸孝):朝日新聞出版社(新書)
4)「石油」の終わり(松尾博文):日本経済出版社
5)15時17分、パリ行き(アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E.スターン):早川書房(文庫)
6)思想に強くなること(田中美知太郎):文藝春秋社
<愚評昧説>
1)戦争調査会
-70年眠り続けた資料を基に書かれた新たな昭和史-
あの戦争(大東亜戦争、太平洋戦争)が終わった昭和20年(1945年)国民学校(小学校)に入学し、夏休み中に終戦を迎えた。私の戦争体験はそれ以降で、ソ連軍進駐・国共内戦と内地への引揚までの期間が強烈に記憶に残る。次いで戦争を改めて思い起こすことになるのは昭和23年(1948年)末の極東裁判判決である。小学校4年生になっていた私は死刑判決を申し渡され新聞の第一面に掲載された、人物名と判決結果の一部をいまだ記憶に留める。特に、土肥原賢二(大将)と板垣征四郎(大将)については、父が満州との関わりにつて、その時話をしてくれたので、今でも東条英機(大将)を除けば、忘れられない名前である。
この当時“戦争責任”を深く考えるようなことはなかったが、成長するにつれ極東裁判に疑義を感じてはいたものの、日本の軍人だけでも2百万人を超す戦死者をだした行為に対して、「“一億総懺悔”はないだろう!」と思うようになっていった。
後年情報サービス会社の社長を務めている時、ある中小企業のシステム開発でトラブルが多発して大変な迷惑をかけた。社長として謝罪に出向いた時かなり年配の先方の社長から「社長さん!ゴメンナサイで経営が済めばこんな楽なことはないよね!」ときつく諭され、リーダーとしての責任の重さを思い知らされた。そしてあの“一億総懺悔”発言が何故か突然頭を過ぎった。「終戦直後日本人自身であの戦争の根源を糺すことを何故しなかったのだろうか?」と。実はそのような活動が短期間ではあったが行われていたのである。それが本書の題目ともなっている“戦争調査会”である。
昭和20年8月17日、ポツダム宣言を受諾した鈴木貫太郎首相は辞任、後任の東久邇宮首相も“一億総懺悔”を発して同年10月9日辞任、その後を受けたのが外交官出身の幣原喜重郎首相、10月30日の閣議で「敗戦の原因及び実相調査の件」を決定し戦争調査会が設置されることになる。極東裁判はるか以前、あの戦争を検証するために約百人が投じられた国家プロジェクトなのである。
最大の留意点は、責任者を特定し糾弾することが主目的はなく、冷静に客観的にあの戦争の原点と過程を明らかにすることに置かれ、それを裁くのは別の場、と言う考えである。そうは言っても(昭和天皇を含む)個人が俎上にあがることは必定、総裁ポストはすべての候補者(若槻礼次郎元首相など)に断られ、やむなく幣原自身がそれを務めることになる。事務局長官は元大蔵官僚(庶民金庫理事長)の青木得三が任じられ、この下に20名の委員(学識経験者)、臨時委員18名、専門委員3名、参与8名が任命され、二つの事務担当部門(庶務課、調査課)設けられる。調査実務は五つの部会(調査室);政治外交、軍事、財政経済、思想文化、科学技術、によって進められる。
当然のことだが、占領直後の行政は混乱を極めており、公職追放による人選難や占領軍総司令部の意向・命令その諮問機関である対日理事会などからの干渉で活動はしばしばデッドロックに陥るほか、委員・部会メンバー間の対立も頻繁に生じ(例えば、政治外交部会における“戦争は回避可能だったか否か”)、ゴールは遥かに遠いものなっていく。また調査を進めるためには地方へ出向くことも不可欠なケースもあるのだが、その移動すらままならない。このような困難を極めた調査会の活動は、結局対日理事会におけるソ連の反対(軍事部会における現役軍人の参加;これなくして戦争に至るプロセスの解明は不可なのだが)で1946年月末所期の目的に達することなく終わることになる。
この短期間の調査で会が残した資料は長く国会図書館憲政資料室書庫に保存されていたが、それが2016年公刊(全15巻)され、研究者の目に触れることになり、歴史学者(学習院大学学長)である著者によって、おそらく初めて本書を通じて一般に知られる機会を持つことになったわけである。内容は調査会活動を要約するだけにとどまらず、各委員の発言の背景や当時の占領政策などを踏まえて著者独自の解釈が加えられ、終戦直後の異常な環境下に行われた調査活動をどう見るかは一先ず置くとしても、明らかに昭和史・太平洋戦争史に新たな視点を与えてくれる注目すべき一冊であることは間違いない。それでもあの戦争の責任者は明らかにはならないが・・・。
2)極めて個人的な話
-第2次世界大戦も情報屋だったモーム-
昨年の本欄-107(2016年7月)で著者の第一次世界大戦時のスパイ活動を基に書かれた“アシェンデン”を紹介した。最近なかなかスパイ小説の面白そうな本が出ない。そこで内容をほとんど覚えていない本書を再読することにした。裏表紙に記された購入年月日と場所に“July 30 ‘64、田舎書房”とある。入社2年目和歌山工場の最寄り駅箕島の商店街にある小さなそして唯一の本屋で求めたものである。当然のことだが現存しないし、商店街そのものが消滅状態にある。しかし当時はそれなりの本が置いてあり、ヘミングウェイ全集や世界推理小説体系などもそこで揃えた。これらの本を求めた動機は辺鄙な文化果つる地で少しでもその片鱗につながっていたいと考えたからだし、本書もその時代の一冊である。
第二次世界大戦前、功なり名を遂げ富もふんだんに得ていたモームは南仏リヴィエラ(ニースとモンテカルロの間;私自身ここは南仏旅行で若干記憶に残っている)に居を構えている。その地のフランス人にとっての戦争の脅威は、隣接するイタリアに対するそれである。長年放置されていたフランス上流階級所有の別荘を買い上げ、そこを整備(特に庭園)し住居にしている。10人を超す使用人の大部分はイタリア人。ここにナチスドイツの足音が刻々と迫ってくる。そんな1939年から1年有余の混乱に満ちた在仏生活とそこからの引揚げ、その後の英国本土の日々を専ら身辺の出来事で綴った読み物である。
フランスの崩壊を冷静に描いた代表的な作品にアンドレ・モロア―による「フランス敗れたり」があるが、英国人が見たところに、本書の面白さと資料的な価値がある。つまり、その目はドイツやイタリアに向いているのではなくフランスとフランス人を冷めた眼で観察しているのだ。それも在英の同国人とは違った角度からである(つまり騙されていない)。モーム自身フランスこそ大陸軍国と信じ切っていたし、仏政府はこの在仏著名人を最大限に利用して英国の援助を取り付けたいと虚言・虚飾に尽くしたいたところに起こった敗走だけに、始めは驚愕のシーンの連続である。反戦と自由を謳歌した環境下で成立した人民政府の脆弱性、先の大戦のあまりの戦死者の多さに、兵役や戦闘を回避せんとする身近な人々(使用人・隣人あるいは著者の前線視察希望を不本意ながら案内する将校たち)を赤裸々に語られると“フランスは負けるべくして負けたのだ”と納得する。
既に子供たちは成人し娘は結婚している。娘婿は開戦前から引揚げることを勧めているのだが、著者にとってここほど居心地のいい場所はない。独仏国境地帯では砲声すら起こっていないのだからそんな婿の声は馬耳東風である。事態が急変するのは1940年5月半ば過ぎの西方電撃戦である。南仏にある英領事館から直ちに居住区から去るよう勧告される。しかし、多くの人にとって移動手段確保もままならない。幸い著者には米国人(中立国人)の友人がおり、彼から大型ヨット(星条旗を掲げて)を借りていたことが幸いしてスペイン国境に近い西方に逃れ、そこから引揚船でチュニジア、ジブラルタル経由し、何とか英国にたどり着く(この混乱状態は、私の満州からの引揚と重なる。より長期で、船内生活もひどい)。書き始めの段階では、まだパリは陥落しておらず、仏政府は著者をあちこち良いところを見せようと引き廻す(本人の希望とも相俟って)が、第一次世界大戦の危機を体験していた者には、張りぼてのその姿は隠せない。その観察結果を英本国のしかるべき筋(つまり諜報部門)に伝えるのだが、その専門家たち(つまり後輩)も信じようとしない。誤解が誤解を呼ぶ英仏関係、さらには仏英国内世相を、客観的に見せてくれる(参戦と同時にアルザス・ロレーヌ地方に進出した仏兵(独兵の誤りではない)の略奪行為も見逃していない)。それでいて、ノンフィクション作家とは異なる人間観察の筆致はなかなか細やかで、「さすがモーム!」の感で味わい深く読めた。
本書から現代に生きる我々が学ぶべきは、“自由と権利”ばかりを主張する、あの時のフランスと今日の我が国の在り様である。
3)人口減少と鉄道
-生き残り策、“名は鉄道、実は多角化”-
満州から引揚てきてしばらく西荻窪に在った母の実家に厄介になっていた。それ以前から電車や汽車に目がなかった私は、下校時は遠回りになるが中央線に沿う道をとることが多かった。そんな私を知って、まだ大学や高校(女学校)に通っていた叔父か叔母の誰かに「大きくなったら鉄道技師になったらいい」と言われた。誰が発したか全く記憶にないが“鉄道技師(電車や汽車を作る人くらいの意)”は確り刷り込まれた。爾来希望職種対象は飛行機、自動車と変転したものの、鉄道に対する愛着は今も変わらない。
しかしながら現在の日常を振り返ってみれば、最寄駅から都心へ出ること以外鉄道利用はごくまれで、国内旅行は専ら愛車を駆って走り回っている。同年配の仲間の旅行手段も、新幹線を除けば、空路やバスの組み合わせが多くなり、鉄道離れの傾向が顕著だ。実は3年前(2015年7月)にも同じ視点(人口減)の「人口減少時代の鉄道論(市川宏雄)」を紹介しているが、これは大都市の近郊鉄道も含むもので、力点はそれとリニア新幹線に置かれており、営業距離から言えば圧倒的に長いJR在来線に対する考察が比較的軽く扱われていた。「在来線はどうなっていくのか?」そんな思いで本書を手に取った。
先ず著者の経歴から紹介したい。何故ならば、本書の内容はその体験に基づくことが過半を占めるからである。東大工学部で機械工学を修め1955年(昭和30年)国鉄入社。当に憧れの“鉄道技師”そのものである。若い頃はディーゼル車両開発に従事、国鉄分割民営化が決した1985年には常務理事首都圏本部長を務めており、翌年九州総局長、1987年初代JR九州社長に就任、2002年会長退任。功成り名を遂げた“鉄道技師”人生に見えるが、労働争議に明け暮れる赤字の国鉄時代、弱小の三島(北海道、四国、九州)JRの一つであるJR九州の立ち上げ、さらに上場準備と後半生は決して平穏なものではない。
個人の体験を基にした書物は時間軸に沿うものが多いが、本書では先ず表題を正確になぞるように“人口と鉄道経営(鉄道本業)”の分析結果を解説する(JR貨物は別途分析)。要約すれば“営業域人口密度と事業利益は正比例する”と言うことである。現時点ではJR東海がトップ、東日本、西日本、九州、四国と続き、北海道がラスト。JR九州も鉄道事業だけでは若干マイナスの状態にある。しかし、JR東海にしてみても人口減少が今のペースで進むとやがて本業赤字に陥ること必然。リニアに浮かれてはいられないのだ。
では如何に黒字化するか。JR九州で著者が進めるのが多角化である。飲食・観光・不動産などを、本業を核にして展開するのである。例えば不動産の場合、広大な国鉄用地が在るように見えるが、民営化に際してこれは国庫に納められているので、活用できるのは残された鉄道専用地のみ、これを再開発(主として駅舎)するとともに、他所に用地を求めてマンション経営などを展開する。旅行業も代理店業務だけでは利益が薄いので地域開発や特別列車(例えばななつ星)を仕立てて観光業として成り立たせる。この辺りの体験に基づく鉄道経営論は、2016年JR九州が一部上場を果たしただけになかなか説得力がある。また、この多角化については近鉄の経営に多くを学んだことが紹介され、読んでいてその謙虚な姿勢に民営化成功のカギを見た感を持った。
確実にやってくる人口減少(営業域人口密度低下)、鉄道本業に改善の余地はないのか?一言で言えば「(単独で改善できる」妙案はない」。欧米で行われている上下分離方式(線路・給電や駅舎などと車両運用を分離する。バスを含むクルマと道路の関係に近い)は鉄道が装置産業であることから、好ましくないとの考えに立つ。北海道と四国はこのままではさらに悪化の方向しかなく、分割されたJR間の拠出金・補助金政策を国が行うことで過疎地の減便・廃線に歯止めをかけることを提言する。また(ドライバー不足対策も考慮した)新幹線利用物流の推進などに関する具体的な提案をしている(貨物専用基地構想、新幹線の保線との兼ね合い、専用コンテナとその運搬車両など)。これも分割運営されている新幹線の統括的な運営が必要だ。つまり、過度な分離経営の効率化を追わず、バランスのとれた国土強靭化の一翼を担う鉄道本業の実現、と言うことである。これらの考えに共感を覚える一方、「国鉄再現?」の疑念も過ぎった。
国鉄時代の体験談や各国鉄道経営事情なども取り上げられ、これからの鉄道業の在り方について、その外にいる人間にも興味を持てるよう平易に書かれており、JRの今と将来を知るために格好の入門書と言える。
4)「石油」の終わり
-「石油」は終わらないが、他のエネルギーも注視しよう!-
事務屋(会社員・公務員)仕事一筋だった父は技術屋の世界にまったく疎く、一言も相談せず私が石油精製会社の東亜燃料工業(現JX-TG)に就職を決めたことに不満だった。機械工学を学びながら何故?と。そんな父が晩年「良い会社に入ったな」と言ってくれた。昨年で消滅したが私自身「良い会社で働けた」と思っている。何と言っても石油ほど世界の出来事(特に戦争・紛争)に直結している職場はなく、石油から見る国際関係を日々身近に感じられたからである。1962年4月先ず本社で新入社員導入教育を受けた。そこで10年ほど先輩の人事担当者が語ったことで印象に残っているのが「石油はいつまで持つか」と言う話である。「業界には確定埋蔵量と言う言葉がある。現時点の確定埋蔵量を生産量で割るとXX年(確か30~40年だったように記憶するが・・・)、しかし我々が入社した時も同じような数字だったから、君たちの定年までは大丈夫!」と結び、皆で笑い合った。
このように“石油の終わり”は埋蔵量と生産量(消費量)の関係で長く語られてきたのだが、帯にもあるように第一次石油危機(1973年)の際サウジのヤマニ石油相が見事に喝破したように「石器時代は石がなくなったから終わったのではない。石油も同じだ;原油は在っても石油がエネルギー大宗の座から落ちる可能性がある」の予測が半世紀後の現実に思えるような時代になってきている。地球環境問題、福島原発事故、再生可能エネルギー、電気自動車(EV)、シェール革命、LNG需給の拡大(同じ炭化水素だが原油に比べはるかに環境負荷が軽い)など、従来型石油業・石油利用環境は明らかに大きな転換期を迎えつつある。本書は東京外大でアラビア語を専攻、日経新聞に入社し、カイロ支局・ドバイ支局・テヘラン支局など中東勤務が長いジャーナリスト(論説委員兼編集委員)が、石油を中心に今そこにある複雑な世界エネルギー事情を描いたものである。
先ず著者が取り組むのは世界規模でのエネルギー転換の実態と見通しである。見えてきたのは、依然として2040年頃までは石油系製品需給は増加の傾向にあること、ただし低炭素化シフトが一段と進み天然ガス・LNGのウェートが高まること、また全エネルギーの伸び率(2016年度)見ると、再生可能エネルギーが顕著で、これに水力、天然ガス、石油、原子力がプラスとなっているが、石炭だけはマイナスで敗者であることが明らかだとする(石炭消費のトップは中国;世界全体の5割、2位は米国)。2016年度の再生可能エネルギーの割合は3%に過ぎないが、この年増えたエネルギーの16%を占めるところまできており、コストも火力同等の競争力を持つようになってきている(風力、太陽光)。結果、発電に占める割合はドイツ28%、スペイン40%、英国20%に達している(本書に書かれていないがフランスは原子力77%)。ここから石油・石炭以外の燃料で発電しEVへ供給する流れが出てくる。
次いで視点を問題の「石油」に絞り、産油国を中心に国際情勢に関する地政学観点からの考察が加えられる。中東産油国が抱える諸問題(原油価格低迷(本書執筆時点)、アラブの春を起因とする地域の混乱、サウジとイランの対決、サウジの国内問題)、「アメリカ・ファースト」とシェール革命、これを反映する中東と米国の関係、原油・ガス供給者としてのロシアの悩み、消費者としての中国の動き(利権確保と開発、特にイラン)、オイルマネーの投資先転換、環境問題から需要の高いLNG確保に関する国際競争など、明らかに「石油の世紀」と言われた20世紀とは異なる現状が、著者の海外駐在体験や情報源を踏まえて語られる。
では、これからのエネルギー需給はどうなっていくのか?各国のエネルギー政策は(原子力発電、再生可能エネルギー購入、発電と送電の分離、規制緩和)?石油企業・電力会社の経営の行方は?エネルギー関連メーカーの動きは?を追っていく。はっきりしているのは電力が成長産業であることである。そこで注目されるのは再生可能エネルギーと原子力(特に新興国向け)による発電だ。風力では欧州勢、太陽光では中国メーカーが大きなシェアーを占めてきている。また原子力では(フランスを除く)先進国が新設を控え廃炉方向に向かう中、中露は国内で積極的に建設しており、実績を基にした競争力では極めて強い勢力になってきている(ここでは我が国輸出政策と東芝・ウェステイングハウス問題にも触れる)。
結論は「石油の終わり」が突然やってくるわけではない。先に記したようにIEA(世界エネルギー機構)も2040年までは右肩上がりを予想している。中東から米国が手を引いたのち、発展著しいアジア、その中の日本はどうすべきなのか?石油利権(特にLNG)とシーレーンの確保(特に中国の一帯一路)、原発への対応(著者は支持派のように見える)、海外の発電ビジネス、再生可能エネルギー、自動車産業の今後など多岐におよぶ。私が本書で覚醒されたのは、商社の活躍と地熱エネルギーに関するトピックスである。商社が海外のゼネコンと組んだ発電ビジネス(産油国を含む)で着々と地歩を築いている姿は、さすが!である(一方で政治力やメーカーの力の低下に対する懸念)。ポイントは国内のやたら高密度な機能やトラブル対策を簡略化(最低限の安全は確保しつつ)しているところにあるのだ。つまり、この世界も日本はガラパゴス化して、我々は高い電力を買わされているのだ(土地代、人件費もあるが)。自然エネルギーでは他国に比べ地熱発電の潜在能力は抜群に高い。しかしながら、これも国立・国定公園の規制や温泉業者の既得権で、ケニアにさえ大きく遅れをとっているのである。電力とガスの規制緩和もやっと緒についたばかり、エネルギー安保に関しやるべきこと・できることはまだまだあることを痛感させられた。世界の動向を論じつつ、常に日本に焦点を当てて書かれている点とおそらくアラビア語に精通し現地をつぶさに自ら調査分析に当たった情報に一読の価値がある(2012年7月の本欄で紹介した世界的なエネルギーエコノミスト、ダニエル・ヤーギン著「The Quest(邦訳;探求-エネルギーの世紀)」と同趣旨の内容だが)。まだまだ「石油」から目が離せない。
5)15時17分、パリ行き
-普通の若者が英雄になる方法-
2015年6月スペイン旅行に出かけた。欧州の旅には必ず高速鉄道利用が組み込まれることが条件。この時は南西端の古都セビリアからマドリッドまで利用した。それまで英・伊・仏と高速鉄道に乗ってきたが、それらと違っていたのは専用ホームの入口にスーツケースやザックの保安検査機が置かれ、そこを通すことが義務付けられていたことである。頻発するテロ対策である。鉄道も空路と同じようにセキュリティが厳しくなってきているのだ。この年の1月パリに在る風刺新聞社「シャルリー・エブド」がイスラム過激派テロリストに襲われ、12人が死亡している。その8月、アムステルダム15時17分発パリ行き列車にアラブ人のテロリストが紛れ込んだ。本書はたまたまその列車に乗り込み、大惨事を未然に防ぐことになった、3人の幼馴染の米国青年たちが語る事件の顛末である。本年3月クリント・イーストッド監督作品の映画も本邦公開されている。
著者名として、本書ではアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーが同じサイズの文字で記され、最後に1ポイント小さなフォントでジェフリー・スターンが続く。原書の表現は“with
”となっている。経歴を見るとこの人だけがジャーナリストとあるから、3人が問われるままに語りジェフリーがまとめたと言うことだろう。この構成がなんともドラマティックで良い。まるで映画のシナリオを始めから意識しているようだ。
話は事件の最終段階から始まる。時速240kmの高速で疾走する列車内。銃撃で首に負傷した乗客の一人はそのままでは出血多量で死は間違いない。スペンサーが傷口を必死に圧えて止血しているが、犯人のナイフ攻撃を受け、自らも手に重傷を負っている。幸い犯人はこの事態に至る前3人によって取り押さえられ、今は手足をネクタイなどで拘束され、通路に横たわっている。しかし、仲間がどこかに居るかも知れない。乗務員は血の海に驚愕、乗務員室に閉じこもってしまう。
話は、3人の生い立ちや学校生活に転じる。スペンサーとアレクはいずれも両親が離婚、母子家庭育ちである。家が隣同士で二人は子供時代からの仲良し、戦争ごっこに明け暮れる毎日だ。アンソニーは父親が牧師、家庭生活には問題ないものの、黒人ゆえの悩みを抱える。3人が出会うのは(授業料の安い)小規模なキリスト教系の高校。公立中学の環境に馴染めなかったスペンサーとアレクは母親の考えでここに送られ、アンソニーは父のすすめで不本意ながらここに通うことになる。3人とも宗教に基づく躾け教育の厳しさに不満が募り仲間意識を醸成していく。個々人の背景描写は犯人にもおよぶ。モロッコの貧しい家庭出身の少年は父が働く対岸のスペインに渡るが、下層社会からの脱出は容易ではない。救いを宗教に求めたところから、過激思想に染まっていく。
高校(アンソニーは途中で公立校に転校)を卒業後も3人は音信だけはあるものの、進む道は異なっていく。スペンサーとアレクは別々のカレッジ(短大)に進んだのちそれぞれ空軍と州軍に職を得、アンソニーはカリフォルニア大学サクラメント校に進学する。3人が一緒にヨーロッパ旅行をすることになるのは、スペンサーがアゾレス諸島の基地勤務で長期休暇をとることが許され、アレクはアフガニスタンでの任務を果たし満期除隊のため帰国の途中ガールフレンドの居るドイツに立ち寄る計画あることを知り、二人が欧州で会うことを画策、夏休み中のアンソニーをそこに誘うことになった結果である。
ストーリー展開は、このように事件の現場とそれまでの4人の生い立ち・暮らしぶりの間を何度か行き来しながら進んでいく。
テロの結末を言えば、カラシニコフ(弾詰まりを起こして使用不能)、拳銃、ナイフをもった犯人の単独行。スペンサーを含め重傷者は出るが死者は無し。シャルリー・エブド事件のあとだけに3人はフランス人の熱狂を受け、オランド大統領からレジオン・ド・ヌール勲章を授与されるばかりか、オバマ大統領にも称され、故郷に英雄として迎えられる。この事件後の彼らの家族を取り巻くドタバタが愉快だ(特に家族が急遽パリに向かうために、出発間際の定期便が留め置かれたり、プライヴェートジェットが調達されたり、パスポートを携行していなかったりと)。
良く練られたとも思えない犯行計画、特別に優れた才能もない普通の米国人の若者たちの日常生活、彼らが偶然遭遇する出来事、を延々と描くだけでは緊迫感も面白味も上手く伝えることは難しかったろう。これをサスペンス小説のように仕立てにした、ジェフリーの力あっての作品と言っていい。
読後に映画を観たいと思ったが、それほど評判にならなかったのだろうか、既に近くで上映しているところはなかった。
6)思想に強くなること
-半世紀経ても全く変わらない政治、メディア、世論-
来年はいよいよ傘寿。今年はそれに向けて持ち物の“断捨離”の年と決めた。既に古いPC(Macや日立のデスクトップ)を処分、次いで一番問題の書籍整理に取り掛かっている。先ず1960年代に揃えた平凡社の百科事典、色が変わってきている文庫本や新書、それに二度と見ることはない教科書の類、仕事のために求めた石油や化学に関する海賊版洋書、暇つぶしに読んだサスペンス小説や冒険小説も大方は不要、辛気臭い評論なども捨てよう。と分別していたとき目に留まったのが本書。一体何がきっかけでこんな本を買ったんだろう?立派なケースに納められた本体を引き出して購入時期を確認すると“Jan. ‘79”と記されている。40年も前のことだ。パラパラっとペ-ジを繰ると赤線も書き込みもない。読んでいない可能性が高い。しかも、どうも“思想を考える”と言うような大層な内容ではなく、エッセイ風である。取りあえずあとがきを読んで正体が分かった。総合誌文芸春秋の“巻頭随筆”に著者が寄稿してきた社会時評をまとめたものである。「40年前ってどんなだったろうか?」。次女の誕生(‘78年)、第2次石油危機(‘79年)、2度目の米国出張(‘79年)、身近なことは直ぐ思い出したが、世相はほとんど記憶にない。「読んでみよう」となった。
寄稿時期は1968年から1978年の10年間だから、かなりの長期間になる。早い時期では公害が問題になり始めており、経済成長と公害に関する評論が目に付く。ここでは今でいうリベラル(実態は左翼)や大新聞が大企業を加害者のごとく扱い、自らも成長の享受者であることには触れず、声高に非難していることを冷ややかにかつ鋭く批判している。例えば駿河湾における製紙工場から排出されたヘドロと新聞紙の関係のように。
‘70年代初期には“多元化あるいは多様化”がよく言われるようになるが、それを唱えるマスコミは単調で、自らの主張と異なる考え方をさせないようにしている、とメディアの体質を喝破している。またこの時期には日本赤軍による浅間山荘事件などが起こっており、一連の不快な事件を経済成長と公害や資本主義体制の欠陥に因を求める論者に対し、この門切り型の論理は「何も考えないことに等しい」と痛烈に矛先を向ける。
これらと前後して、毎日新聞記者による外務省機密情報漏えい事件が起こっている。ここでは“知る権利”がマスコミを中心に叫ばれるわけだが、この場合の知る権利が憲法21条に定められた“報道、出版の自由”と全く異なることを論証し、いかに新聞社のご都合主義に基づくものかを明らかにする。加えて日中間で秘密裏に交わされた報道規制(そこには自民党議員の古井喜実、田川誠一なども介在)が一切国民に知らされずにいたことやジョンソン政権下のヴェトナム戦争に関する機密文書を暴いたニューヨークタイムズ記者の行動(国益に関して定められた機密保護法を犯したことによる検束・処罰の恐れを引き換えにスクープを記事にした)を引用して、毎日のケースが女性外務事務官をそそのかして機密情報を入手、それを自ら記事にするのではなく社会党代議士に渡して内容を暴露するという陰険な行動を挙げて、メディアの身勝手さを糾弾する。
いずれも半世紀近く前の事例に過ぎないことだが、政治とメディアに関する考察を読んでいると、週刊誌や新聞の特ダネとその報道姿勢で動く野党や世論の動向が、昨今の世情ように見え、「何も変わらないな~」の感を深めるばかりである。
全体として、寄稿の時点で取り上げた他の話題も含め、多くが古代ギリシャから何ら進歩がないあるいは誰もそこまでさかのぼって問題の根源に迫ることをせずにいることを揶揄・警告しているのではないかと読めてくるのだ。それは著者が西洋古典特にギリシャ哲学を専門とする学者(京大教授、文化勲章受章者)で、プラトン研究の第一人者と言う背景にあるのだろう。古典ギリシャ語に通じ、原書を読破して民主制や政治思想に造詣が深いことが、独特の切り口で世相を観察しそれに対して批判していることが伝わってくるからである。今の学者や評論家にこれだけ深い専門知識と教養を備えた論客は居ないのではなかろうか。
本書の題名は単に最初に置かれた文から来ているが、強くなるかどうかはともかく、“思想について考えさせられた”と言う点において、相応しいし題名だしそれに惹かれて購入したことは間違いない。本書自身は古典ではないが “古典に学ぶ”ことの重要性も学んだ(すでに遅いが)。「捨てずに読んで良かった。それにしても科学技術以外、人間社会は進歩しないものだな~」が読後感である。
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