<今月読んだ本>
1)さようならバードランド(ビル・クロウ);新潮社(文庫)
2)日本近代科学史(村上陽一郎);講談社(文庫)
3)日本語の作法(外山滋比古);新潮社(文庫)
4)ナノ兵器(ルイス・A・デルモンテ):原書房
5)凶暴老人(川合伸幸);小学館(新書)
6)辰巳栄一(湯浅博);文藝春秋社(文庫)
<愚評昧説>
1)さようならバードランド
-演奏者が語るモダンジャズ変遷史。NYのジャズクラブの雰囲気たっぷり-
“ジャズ”という言葉は小学生のころから知っていた。初めはアメリカのポピュラー音楽なら、ただの流行歌でもダンスミュージックでも映画音楽でもウェスタンでもすべてジャズだと思っていた。中学生になるとディキシーランドジャズとスウィンジャズの違いなどが少しわかってきた。同級生の家に電気蓄音機(既に死語だが)があり、父上がポピュラー音楽のファンでいろいろなレコードがあったからだ。彼とは高校も一緒で音楽映画をよく見に行った。“グレンミラー物語”“ベニーグッドマン物語”“愛情物語(ピアニストのエディ・デューチン)”“五つの銅貨(コルネット奏者のレッド・ニコスソン)”、それにこれはミュージシャン物ではないが、サッチモ(ルイ・アームストロング)が出演したミュージカル映画“上流階級”などが記憶に残る。しかし私のジャズはこれでおしまい。つまりディキシーとスウィングまでで、どうもモダンジャズは不協和音のようでなじめなかった。ただ映画ファンの私にとって大学時代観た“死刑台のエレベータ”のマイルズ・ディヴィスのトランペットの響きが印象に残る。
その私が、現在読書やブログ記事を書きながら耳を傾けるのは専らモダンジャズ。ポール・デズモンド、マイルズ・ディヴィス、ボブ・ブルックマイヤー、スタン・ゲッツ、ジェリー・マリガン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、デイヴ・ブルーベック、チェット・ベーカー、チャーリー・パーカーなどである。甘くもなく騒々しくもなく、演奏はホットだが音はクルーで落ち着く。これも歳だろうか?
本書の題名“バードランド”はマンハッタンに在ったライブ演奏を行うジャズクラブ。“バード”はチャーリー・パーカーの愛称、ここを本拠に彼が活躍していたからだ。
著者の生年は1927年、生まれ育ちはワシントン州、父親は大工、母は主婦だがピアノを子供たちに教えて家計の足しにするような家庭だ。音楽への適性を見抜いたのは母、中学・高校時代はバリトンホーン、トランペット、サキソホーンなどを吹いていたがある時ドラムに転じる。1945年18歳になったとき召集で陸軍に入隊、ここでは軍楽隊でバルブ・トロンボーンを担当する。除隊の際得た奨学金でワシントン州立大学に入学するが、音楽家への志断ちがたく中退し、プロの演奏家を目指してNYに出る。しばらくは生活のため印刷工のような仕事をしながらこのクラブに通い、やがて初志が叶いのちに名をなす演奏家たちとベース演奏者として共演するようになる(スタン・ゲッツ、ジェリー・マリガンなど)。本書は、この有名人たちとの交流をモダンジャズ変遷史に重ねた自伝である。
本書によれば1940年代半ば頃から、比較的大きな編成でダンスホールや劇場などで行われてきたジャズ演奏(ベニーグッドマンやデュークエリントンの楽団)が飽きられ、代わって小編成で、小さな会場で、演奏家自身の意思を伝えようとする演奏スタイル(即興を含む)としてビバップ、クールジャズ、ウェストコーストなどと呼ばれるジャンルが出現し、その総称がモダンジャズと言うことになるらしい。ある意味、商業主義の対極にあることから、演奏家自身にとってはこれほど楽しい世界は無い反面、極貧生活を余儀なくされる環境でもある(著者が売血する話も出るほど)。本書の面白さは、パーカーを始め、のちに名を成す演奏家たちの当時の様子がすべて実名入りで語られるところにある。特にアルコールや麻薬依存は凄まじく、チャーリー・パーカーもそれで早逝している。ただ、生活面での苦しさがいたるところで見え隠れするのに、不思議と全体に暗い感じがしない。これは多分に著者の資質と性格に依るのだろう。若い頃種々の楽器を器用に演奏してきたように、「ベースが居なくて困っているんだ」の一声で何とかその場の代役を務め、それから本格的に学び始めるようなことが出来る人なのだ。また、売れてきても自分のバンドを持とうと言う野心もない。一方で、専門誌に評論を求められるほど文才がある。
一世を風靡したモダンジャズも1960年代に入るとロックやフォークソングなどのニューミュージックに人気を奪われ、やがてバードランドも閉鎖される。
訳は村上春樹。英語に優れていることはよく知られているところだが、モダンジャズに関する知見が半端ではない。それは巻末にまとめられた「私的レコード・ガイドブック」の量と内容の充実度の高さからうかがえる。これに参照しながら本書を読むことで、楽しみは倍加する。
2)日本近代科学史
-半世紀前に書かれた名著、科学とは何かから始まる我が国科学技術の歴史と特質-
今年5月の本欄<今月の本棚-118>で「狂歌絵師北斎と読む古事記・万葉集」なる本を紹介した。古事記・万葉集から百人一首が選ばれ、そこから北斎が27首を取り上げ、浮世絵にした経緯を推理する内容である。本来この種(日本古典)の読み物に手を出すことが無い私が、読むことになった経緯は著者と友人であったことによる。この推理使われるのは、日本史を始め言語学、国学、文学、中国古典など多彩なのだが、私が注目したのは気象学や天文学、それに幾何学や代数学など科学技術関係の知識が動員されていたことである。古事記や万葉集が編まれた時代、そこから百人一首選ばれた時代、そして北斎がこれを浮世絵版画にした時代、それぞれの時代における我が国科学技術知識の普及はどの程度だったのか?と言う漠たる疑問である。そこから、一度その分野の発達史に関する知見を体系的に得たいとの思いが沸いて、本書を読むことになった。
グーグルで“日本科学史”と入力してみると何やら古い本が多く、極端に安かったり高かったりする。そんな中で見つけたのが本書。“近代”はキーワードではなかったのだが、これなら1960年代話題になり著者の名前を広く知らしめた当時のベストセラーだからよく知っていた。検索結果から、古典として学術文庫に収められていることが分かったので、50年の歳月を経ていることが現代とは何がしか異なるとは考えられたが、歴史的事実を記録するものとしては特に問題になることではないと求めることにした。
科学とは何か?「何故?を遡及するものである」。それは統一原理を思索する活動ある。つまり哲学である。哲学はギリシャから発する。西欧科学の原点はそこにある。技術とは何か?「より好ましい状況を追求することである」。ここに工夫はあっても思索はない。従って、科学と技術は当初別ものであった。これが相互依存し始めるのが中世末期(ルネサンス期につながる15~16世紀)、再び分かれるのが19世紀である。著者は科学技術をこのように整理した上で、科学は西欧科学であり、東洋には近世まで科学はなかったと断ずる。古代中国の4大発明(羅針盤、火薬、紙、印刷術)は技術ではあるが科学ではないと。この論は次に比較科学史論に転じ、本書のバックボーンになっていく。
では西欧科学と我が国科学の関係は如何に?二つの節目に注目する。一つは鉄砲伝来(1543年;キリシタン期)、もう一一つは蘭学への本格的な取り組み(19世紀)である。題目では“近代”とあるが、鉄砲伝来以前の我が国科学技術を古代から追い、専らそれが技術導入(帰化人を含む)・習得・改善に終始、その大本であるはずの科学的発想(統一原理を追求)を欠く活動であったと総括する。
しかし、中国と異なり、二つの節目で技術習得・普及の速さが早かったばかりではなく、技術を昇華していく中で科学的思考が芽生えてくる。何故そうなっていったのか?中国古代思想は自然を冷徹に観察することに目が向かず、人間を重点的に考察する傾向が強い。その一つの例として、地動説に関する知識が我が国よりは早くから知られていたにもかかわらず、易が天文学と言う科学に向かわなかったことを取り上げている。これに対して、日本人は(当時の宣教師などが書き残しているように)好奇心(ある意味「何故?」)が強く、信者を獲得するためにそれに応えることが極めて効果的であった。そして当時(西欧において科学と技術が一体となる時代)の宣教師が高い科学的素養を備えていたことで、両者がマッチングした。さらに、取得した新技術(例えば鉄砲)を秘匿せず、鷹揚に公開する風土があり、技術を早く広範に普及させることを促した(鉄砲製造の中心は種子島から直ぐに堺に伝わり、さらに全国展開する)。
江戸期の蘭学はこのような社会風土に、リーダー達(吉宗や島津斉彬ら)の西欧科学技術への高い関心(好奇心だけではなく世界の動きを把握していた;キリシタン禁令と鎖国政策の時期、一旦西欧科学は衰退傾向を見せるが、明王朝が逆にそれを開花させつつあることを吉宗は把握していた)が加わり、キリシタン禁令を自ら緩めてまで、その導入を進めるようになる。この吉宗の種まきが、国学者たち(例えば新井白石)の考え方に影響を及ぼし、青木昆陽、伊能忠敬や杉田玄白らの活動につながっていく。そして維新後は教育制度の中にこの西欧科学が組み込まれ、近代化を一気に推進していく。この短期間の近代化に著者が注目するユニークな視点は、蘭学先駆者やお雇い外人、その後継者ばかりではなく、底辺の教育の担い手である(明治30年の就学率90%台)。ここに扶持を失った武士(基礎教育のできている)が大量に投入可能だったことが寄与したとの論を開陳する。
本書の終わりは、公害問題が注目を集め始めた1960年代前半までをカバーする。ここで著者が行う総括は、日本の科学・技術に対する考え方が常に技術優先(自然をコントロールする手段と見做す)であったことへの問題提起である。「日本の科学・技術を論じるに当たって、日本の社会構造、日本の思想構造、日本人としての意識などとの結びつきを、世界の中で考えることこそ、最も重要ではあるまいか」と。
原著の初刊は1968年、文庫本の発行は本年9月。この時代の差(50年)をどう見るか。著者自身が“文庫本あとがき”に記している。「今同じ題で書くとしたら本書にはならないだろう」「本書のかなりは日本文化論、比較科学史になるが、その種の要素はかなり後景に退くはずです」「ただ日本文化論というような“大きな物語”を書くことが学問的に躊躇される時代だからこそ、“大きな物語”に(自分か率先して)挑戦した時代もあったこと、また、その結果を、一つの証言として、ここに読むことが出来ると自負している」と語っている。
私自身の動機も、天文学、代数学、幾何学など各論にあったから、所期の成果はほとんどなかったし、日本人の“旺盛な好奇心”の来る由縁なども明快に理解できるところまで掘り下げられていないとの不満は残った。しかし、「本来、科学とは何なのか」「科学と技術の違いはどこにあるのか」「日本における科学・技術とはいかなるものか」などマクロな視点で、括目されることが多く、読み甲斐のある一冊であった。
3)日本語の作法
-95歳にして現役の言語学者による現代日本語批判。80歳の私も思わず身を正す内容-
見れる、来れる、食べれる などと言う“ら抜き言葉”を聞くようになってから、おそらく20年近くなるだろうか。当初は「それは違うよ!」と注意したくなるほどだったが、今では相変わらず違和感はあるものの、甘受するようになってしまった。これと近い感じを持つ話し方に、若い母親が子供に対して使う「~してあげる」のような敬語表現がある。これには今でも抵抗感がある。だからと言って「自分の子供のことを他人に語る時、敬語なんか使うものじゃないよ!」となかなか言えない。本書は、“小言幸兵衛”と難じられるのを厭わず、それをやってしまうのである。それも話し言葉だけではなく、書き言葉や文体、手紙の書き方、署名さらには外来語の使い方、声の大きさやイントネーションにまでおよんでである。
著者はロングベストセラー「思考の整理学」などで知られた言語学者・英文学者である。本欄ではこのベストセラーのほかに「乱読のセレンディピティ」を紹介しおり、本書が3冊目となる。生年は1923年、今年で95歳。出版リストを調べると昨年まで新しいものを出しているからまだ現役と言っていいだろう。どこかで目にしたのだが、大学教授を務めながら英語研究誌の編集長を長く兼務、編集者としての厳しいチェックに有名作家や高名な学者がたじたじとさせられたとあった。こう言う人が今度はその編集者たちを手厳しく、例を挙げて批判するところが何度か出てくる。「依頼の作法がまったく分かっていない!」と。
本書の初出は「日経ビジネスアソシエ」(現在休刊;ビジネスリーダー向け情報誌)に連載されていたエッセイ。従って、気楽に読めるのだが中身は濃く、時には身を正されるような気分にさえさせられる。
新任のNHK会長が挨拶の放送で「コンプライアンス(法令順守)」と発したとたん「こんな言葉を報道機関の最高責任者が、一般の人に向けて発するとは何だ!」とスウィッチを切った。充分こなれていない外国語(IT用語、主に英語)を連発してきた現役時代を振り返るとき「字引き作って持って来い!」と叱責してくれた工場長(故人)のことを感謝の念をもって思い出した。
時節柄皆さんにチョッと耳の痛い話を一つ;「年賀状の裏も表もPC印刷だけで済ますのは無礼だ!せめて署名だけでも自著にせよ、それも万年筆で(ボールペンもダメ)!」因みに著者も宛名印刷はPCらしいが、署名だけはそのようにしているようだ。私の場合宛名は署名を含めてPC印刷だが、表は自作版画なので無礼をお許しいただきたい。
読後感は「著者から見れば、私も“ら抜き言葉族”“敬語誤用族”と同じかもしれない」である。だから、せめてもの思いで賀状に添える一言は万年筆で書いた。
4)ナノ兵器
-技術解説から始まるナノ兵器総覧。SFもどきのこけおどし感を拭えず-
今は書架に溢れる軍事・戦史ものへの出発点は、敗戦から6年後サンフランシスコ講和会議で独立回復の方向がはっきり見えて来たとき(昭和26年;1951年)、一斉に出版された航空雑誌を手にしたときにある。それまで開発はおろか運用も禁じられていたから、乗り物好きの私の前に新しい世界が開けたわけである。別の見方をすれば、鉄道、自動車にもう一つの興味ある乗り物が加わったのだ。つまり兵器(殺戮の道具)と言う視点は皆無で、ただ戦闘機の性能や美しさに魅せられていったわけである。飛行機に対する関心は今も持続するが、興味の中心がハードウェアから広義のソフトウェア(管制方式などを含む)に変わってきたのは、仕事でコンピュータに関わるようになってからである。戦いにおける軍用機の役割を追っていると、ITの経営における位置づけが見えてきた。そこから他の戦略兵器、戦車や潜水艦、に対象を広げていくと、ますますIT施策推進に役立つ考え方が浮かんでくるようになり、これらにどっぷり浸かることになったわけである。そんな経緯だから、核兵器・生物兵器・化学兵器あるいはミサイル・宇宙兵器には全く興味が無く、とても軍事(特に兵器)オタクと呼べるほどその最新兵器に精通しているわけではない。しかし“ナノ兵器”にはそれら新兵器とは異なる吸引力が働いた。石油・石油化学企業に長く勤務した者にとって、ナノテクノロジーは次世代の化学技術として大きな関心を呼んでいるものだからである。どんな物が作られ、使われているんだろうかと。
ナノテクノロジーとは10のマイナス9乗メートルの世界でモノを作ったり操作したりする技術である。従来の化学反応は最小でも元素レベル、水(H²0)を電気分解すれば水素(H)と酸素(O)になるし窒素(N)と水素(H)を合成すればアンモニア(NH₃)ができる。ナノはそれら元素を構成する電子や中性子、陽子(量子)の次元の小ささで、これを自在に操作できれば何でも人工的に作ることが出来る。既に商用化されている代表的な物にカーボンナノチューブ(炭素素材の一種)があり、軍用機のステルス材や銃床、防弾チョッキなどに供されている。ただこの程度の応用は本書の主体たる対象ではない。
取り上げられるのは、極低放射能の小型戦術核兵器、蟻のように微小なAI組込み兵器ロボット(膨大な数で敵地を襲う。これにドローン技術を組み合わせればイナゴの大群が作物を食いつぶすように戦場を荒廃させる)、生化学領域に踏み込んだ人工致死細菌兵器や身体治療材あるいは体力増強剤、桁違いの爆発力を持つ通常爆弾、航空機を撃墜できる高性能レーザー兵器、艦船の防錆や海洋生物の付着を防ぐ新塗料、1km以上離れたところから狙撃できるスマート銃弾(これに狙撃対象物のDNA情報を組み込んで特定人物だけを狙い撃ちする)など、いまだアイディア段階のものから試作開発中のものまで、SFもどきの数々の兵器である。
これらの新兵器の研究開発状況は米国が先行、後に中国が続き、はるか離れてロシアが追う展開、この3国は全方位でナノ兵器開発に取り組んでいるのに対し、英・仏・独・日・イスラエル・インド・韓などは限られた分野で、これら3国と競い合えるとしている。因みに、著者は日本を憲法・安保条約に触れた上で軍事面では米国の保護国としている。
ただ、ほとんどの情報は当然極秘扱い、軍事関連企業ハネウェルの研究者として相当高度な機密にアクセスできる立場にあった著者にも、その実態が詳細につかめているわけではない。従って、国防予算配分、公開されている先端研究情報、民生品の開発・実用化状況などから論を進めている。また、内容はナノテクノロジーの基本から米軍における実用例、各国の当該技術現状分析、ナノ兵器に依る戦闘・戦争シナリオまで盛り沢山だが、どれも話題性のあるものを統一感なくピックアップ、技術動向に対して楽観的で、全体として不安を煽るようなジャーナリスティックは書き方に終始する。つまり、ナノテクノロジーの現状をしっかり押さえておきたい、あるいは将来の新兵器としての動向を真面目に検討するための材料にしたいと言うに期待(化学プロセス工業の将来に関する手がかりを得る)は叶えられず、読後感として“SFもどき”を拭い去ることは出来なかった。
5)凶暴老人
-認知科学者による高齢者犯罪・事故分析と認知機能研究の分かり易い紹介-
明日で80歳になる。今のところ軽度の生活習慣病やそれなりの老化現象は自覚しているが、しばらくは常人の暮らしが出来るような気がしている。趣味の一つに自動車旅行があり、何とか85歳位までは続けたいと思っているが、公安委員会はそのハードルを高める方向にあるので、先々の運転免許証更新に不安をおぼえる。私の場合認知症試験は過去二回好成績でパスしたから、少なくとも次回くらいはまだ大丈夫と思うが、高齢者を狙い撃ちするような試験が新たに出てくると(その可能性は多分にある)、断念せざるを得なくなる。ニュースでしばしば目にするアクセスとブレーキの踏み間違いのような事故例を見ると「それも止むを得ないのかな~」と受け入れる気も起るが、本当にその種の事故が高齢者特有のものなのかとの疑問もわく。高齢者の絶対数が増えれば、当然増加するのだ。昔から年寄りの多かった囲碁将棋、病院は言うに及ばず、美術展・音楽会・観劇・旅行・スポーツクラブ、いたるところ老人だらけだ。「絶対数が多いことをもって“異常”とするのはおかしいし、本質的な問題点を誤る恐れがある」と自分が高齢者になってから常々思ってきた。そんな時、「凶暴老人-高齢者は切れる?-」とあったので「何を!」となった。
自動車運転に関する話題も取り上げられているが、主たるテーマは犯罪全般である。焦点は認知症ではなく認知科学の面にある。高齢者犯罪は本当に多いのか、犯罪内容と年齢の関係は、認知や感情の動きは身体(主に脳)のどこの働きと関係しているのか、社会生活との関わりはどうか(独居老人)、認知能力は鍛えられるのか、など“凶暴”とは無関係な「高齢化と認知能力」に関する、真面目な入門解説書である。著者自身、最近のメディアに依る老人問題をセンセーショナルに取り上げることに抵抗を感じており、このようなタイトルをつける意図はなかったことが、あとがきに記されている(出版社の“売らんかな”が不穏当な題名を付けた?)。
先ず犯罪発生状況;検挙総数は確かに増加しているが(平成29年度は8年度の20倍;この倍率には驚いた)、人口当たりの発生率は若年層の方が多い(20~29歳が最高、65歳以上が最低)。犯罪内容;高齢者には殺人・強盗・傷害などの凶悪犯罪は少なく、万引き・窃盗・暴行など比較的軽いものが多い。つまり、凶暴は少ないものの、カッとして殴りかかるような行為は確かに多いのである。
これ(カッとする、ついやってしまう、ペダルを踏み違える)を解明していくのは脳科学。怒りと関係が深い前頭葉(運動機能と関係ない)の機能低下が影響しているようだ。この現象は40歳代から始まるのだが脳の萎縮(アルツハイマーなど認知症)とは異なる現象で、種々の研究が進められているが、決め手となる原因究明には至っていない。
では巷間言われるように認知機能はゲーム(特に囲碁・将棋・麻雀)で鍛えられるのか。残念ながらゲームそのものに改善効果はなく、むしろその際行われる雑談が寄与している可能性が高いようだ。脳トレと称するものも、訓練対象機能は向上するが認知機能にまで波及しないとのこと。この種のゲーム・訓練ツールは世界中あちこちで開発・研究されており、成果が認知されていなくても、それはそれで面白い。
社会心理学面からの高齢化研究も取り上げられる。社会が高齢者を「よそ者」扱いにするかどうかで高齢者犯罪の過多・内容が変わってくる。この延長線上に「孤立」があり、独居老人が増えれば犯罪が増えることにつながっていく。その点からも、高齢者の就業機会(収入より生き甲斐)が増えることは、犯罪防止につながると著者は見ている。
個人的に嬉しかった情報は、ごく簡単に触れられているだけだが、前頭葉機能低下防止に酸素摂取量が関係すると言う説である。規則的に行っている水泳は、長距離泳ぐことで有酸素運動となるので、結果的に自動車運転可能時間を延ばすことが期待できるかもしれない。
本書は先に述べたように、直近の話題をジャーナリスティックに取り上げたものではなく、高齢化と認知能力に関する研究を分かり易く解説したものである。高齢化社会=日常社会になりつつある我が国で若い人や現役世代にも、如何に高齢化問題に対処すべきかを考えるのに役立つ一冊と言える。
著者は名古屋大学准教授、認知科学が専門である。
6)辰巳栄一
-占領下吉田首相とその軍事顧問は憲法・再軍備問題に如何に取り組んだか?陰の参謀と呼ばれた男の軌跡を追う-
北朝鮮の核、太平洋域に覇権拡大を目論む中国、何とか投資を引き出そうとする陰険なロシアの対日政策、トランプ大統領の安全保障・同盟観、反日を唱えていなければ政権維持が難しい韓国、日本を廻る安全保障環境は憲法制定時とは大きく変わってきている。来年度の国政最大の課題は憲法改正だろう。私は改憲賛成派、憲法九条に関しては“自衛隊を明記する”などと姑息なことでなく、国防軍としての存在をはっきり分かるように改めるべきだ。政治的には全面的に自民党を支持してきたわけではないが、この件に関しては単独で三分の二を占める今のチャンスを生かしてほしいと願っている。
表題の“辰巳栄一”は特異な経歴を持つ元陸軍中将。戦後吉田茂首相の軍事顧問となり再軍備問題と自衛隊創設に深く関わった人物、本書はその評伝である。
特異な経歴と書いたのは、陸士・陸大を優秀な成績(恩賜の軍刀拝領者)で卒業しながら、実戦部隊の指揮官を務めるのは末期のみ(第12方面(中国)軍司令官)、駐英武官補・武官を都合3度10年にわたって務めたほか、参謀本部勤務も情報部英国班長・欧米課長と、いわば軍人外交官としての役割が長いことである。武官補として初めて英国へ派遣されたのは昭和4年(1929年;少佐)、その後関東軍参謀などを務め、2度目は昭和11年(1936年)駐英武官(中佐;41歳)として赴任、この時の駐英大使が吉田(58歳)であったことから、のちの関係が生まれることになる。昭和14年(1939年)末大佐となっていた辰巳は参謀本部欧米課長から再び駐英武官として英国勤務となる。既に欧州大戦は始まっており、ロンドン武官事務所の重要度は極めて高く、欧州事情に通じた人材が不可欠だったからである。ここから昭和16年(1941年)12月の米英との開戦までの欧州戦線は激変する。1940年5月の西方電撃戦(この時たまたまベルギーに出張中。英国にとってはダンケルクからの脱出)、秋から始まった英独航空戦(バトル・オブ・ブリテン;ロンドン空襲;この体験が後の東部軍参謀長として学童疎開推進策に生かされる)、1941年6月の独ソ戦開始。これらに重なり、1940年9月の三国同盟締結、1941年7月の南部仏印進駐がある。辰巳は欧州の戦況・政治情勢、英国の世相・対日観の変化などを本国に送り、ドイツ傾斜に警告を発し続ける。日・英米開戦後は大使公邸に軟禁状態、交換船で帰国するのは昭和17年(1942年)9月。この後は帝都防衛の東部軍参謀長、そして最後が支那派遣第12方面軍司令官で終戦を迎える。
本書は辰巳の評伝といっても、主題は軍人としてのそれではなく、戦後の吉田首相軍事顧問(正式は官職ではない)としての関係である。従って、軍人嫌いであった吉田が何故辰巳を起用したかを追求するため軍歴の裏を探るところに著者は傾注する。幼年学校卒(軍学中心、独・仏・露語選択専修)と旧制中学卒(一般教養中心、英語専修;辰巳は佐賀中学卒)の違い、上官の影響(武官補時代;本間正晴(東条英機と陸大同期;成績は本間が3番、東条は13番;バターン死の行進で死刑)、関東軍時代;武藤信義(のち元帥);軍人の政治的行動を厳に戒める))、統制派(当時の主流)と皇道派(2・26事件で大量粛清)の違い(辰巳は皇道派系統)、専門分野の違い(作戦vs情報)などが情報重視の考え方とバランス感覚を育み、それを吉田が滞英時代に気づいており、GHQとの軍事案件折衝者として起用することになる。因みに、経済案件の顧問役は白洲次郎である。
昭和21年6月中国から引揚、島根県浜田で隠遁生活を送っていた辰巳に復員局から「至急上京されたし」の電報が届く。初回の駐英武官時代以降全く交流の無かった吉田は今や首相「軍事には疎いので顧問を頼む」と乞われる。「追放の身ですから」と返すと、「それは何とでもなる」ということで秘密軍事顧問(Confidential Advisor)に任じられ、GHQとの諸々の問い合わせや要求に首相に代わって対応することが役割だ。主たる先方の対応部署は参謀2部(G2)、長はウィロビー少将。やがて、冷戦がはっきりしてくるとG2は日本の再軍備問題に取り組むようになる。辰巳自身もその必要性を感じて吉田に進言するが、軍を嫌悪する彼は憲法を盾に積極的に動こうとしない。G2は独自に二つの日本人検討グループを密かに結集、具体的な構想作りに当たらせる。一つは、ノモンハン事変やガダルカナル作戦に深く関わった服部卓志郎大佐を中心とするもの、もう一つはマニラへの降伏軍使となった河辺虎四郎中将を長とするグループ。辰巳はこの河辺機関と深く関わるようになる。
昭和25年朝鮮戦争勃発。米国は日本の再軍備を強く要請するが依然として吉田は首を縦にふらない。やむなくマッカーサーは米軍の後を埋めるものとして国内治安維持を目的とする警察予備隊の創設を命じる。辰巳はウィロビーからこれは将来の軍になるものと聞かされるが、吉田は世論の動向を気にかけて、治安部隊との考えを譲らない。予備隊構想をまとめる段階で吉田は辰巳をその長にすることを告げるが、「将官には戦争責任がある」と固辞する。代わって出てくるのが旧内務官僚(警察)中心の人事。しかし、これだけでは実戦力にならないことを辰巳は吉田に訴える。問題は軍隊の運用に精通する大佐級の登用である。この時権勢をふるっていたのは警務課長の後藤田正晴(内務官僚;のちの官房長官、副総理)、辰巳に向かい「部外者の者が総理に直結して、予備隊の人事に容喙するとは怪しからん」と息巻く。辰巳は政府要人、GHQを「一匹の狼に指揮された羊の群れは、一匹の羊に指揮された狼の群れに勝る」と説いて回り、陸軍から10名、海軍から1名の元大佐が採用される。
吉田がこの問題に対する変化を見せるのは、講和(独立)を控えたダレス国務長官の来日である。米国は講和の条件に日米安保条約を前提とする「民主的軍隊」保持を持ち出し吉田もこれを秘密裏に飲む。とは言え占領軍から変わった駐留軍の予備隊増強要請に直ぐには応じない。「今は先ず国に経済力をつけて、民生の安定化をはかることが先決だ」と。結局海上保安庁の警備隊と警察予備隊を一本化する保安庁法が昭和27年、外部からの侵略に備える自衛隊法が昭和29年、いずれも吉田内閣の下で制定されるが、憲法下での軽武装を旨とする「吉田ドクトリン」は以後の内閣に体よく利用され、誰も国防問題を抜本的に見直そうとはしない。
吉田は引退後随分時間の経った昭和39年、辰巳に「君とは以前、再軍備問題や憲法改正についていろいろ議論したが、今となってみれば、国防問題について深く反省している」と心情を吐露する。
憲法制定の背景や経緯に関する書籍は既に汗牛充棟の観だが、再軍備・自衛隊創設に至る具体的な裏面史はそれほど多くない(既刊は主に、服部グループと河辺機関の主導権争いに焦点が当てられている)。公開された米国立公文書館「タツミファイル」を参照して、辰巳を中心としたその活動が占領時を中心に詳しく取り上げられ、新聞連載(産経;著者はワシントン支局長、論説委員を歴任)をまとめたために重複や時間的記述に煩雑なところはあるものの、適切な時期に適切な本が出版されたとの感を深くした。
<今年の3冊>
今年読んだ本は76冊、その中から私が最も触発されたり、共感をおぼえたりしたものを3冊選んでみた。番号は順位ではなく古い順である。
①化学者たちの京都学派<本欄-115(2月)>
ノーベル化学賞授賞者二人(福井謙一、野依良治)を生んだ京大工業化学科の系譜
②ベストセラー・コード<本欄-122(9月)>
NYタイムズベストセラーリストアップ本を含む膨大な数の小説をビッグテータ分析し、その特質をとらえる。
③対立の世紀<本欄-122(9月)>
トランプ大統領出現にみるポピュリズム政治の背景にある格差社会の病巣を、過度なグローバリズムに焦点を当てて論ずる。
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