<今月読んだ本>
1)急降下爆撃(ハンス=ウルリヒ・ルーデル);キネマホビージャパン社
2)流言のメディア史(佐藤卓己);岩波書店(新書)
3)予測マシンの世紀(アジェイ・アグラワル他);早川書房
4)秘密資金の戦後政党史(名越健郎);新潮社(選書)
5)サムライ策敵機敵空母見ゆ!(安永弘);光人社(文庫)
6)<英国紳士>の生態学(新井潤美);講談社(学術文庫)
<愚評昧説>
1)急降下爆撃
-ドイツ軍人唯一の黄金柏葉ダイヤモンド剣付騎士十字章受賞者、戦車キラーの空戦記-
航空機によって敵の政治・経済・軍事の中枢を爆撃して機能を麻痺させ、戦争を早期に終わらせる。これが戦略爆撃思想であり、独立空軍創設の論拠である。しかし、“二階から目薬”の喩えそのもので、実効はなかなか上がらなかったのが現実、多数の一般市民も巻き込む無差別絨毯爆撃や原爆投下で辛うじて戦略爆撃論を糊塗したのが第2次世界大戦の爆撃機運用であった。しかし、戦術レベルではピンポイントで敵の軍事拠点や兵器を破壊する手段が無かったわけではない。急降下爆撃機がそれである。真珠湾攻撃で活躍した99式艦上爆撃機(愛知航空機)、ミッドウェー海戦で我が空母4隻を屠ったドウントレス(ダグラス)、それに本書で取り上げられるJu(ユンカース)-87スツーカ(Stuka;急降下爆撃機を表す一般名詞だが、Ju-87を意味する固有名詞化した)などがそれらである。標的に向かって70~85度、時には90度(垂直)で急降下、目標200~300m上空で投弾・ひき起こしを行うこの種の軍用機運用は戦闘機や爆撃機とは大きく異なり、搭乗員の選抜・育成には独特のものがある。ナチス空軍元帥ゲーリングは常日頃「急降下爆撃機乗りこそ最高の航空兵」と称え、そこに優秀な人材が集まるようにした。ドイツに依る電撃戦は戦車を中心とする装甲力が目立つが、Ju-87を欠いてはあれだけの快進撃は不可能だった。本書は、ソ連戦艦・巡洋艦を沈め、単独で500台を超える戦車を血祭りにあげ、「ソ連人民最大の敵」として賞金がかけられたスツーカ乗りのエース、ドイツ軍人として唯一黄金柏葉剣ダイヤモンド付騎士十字章(彼のために新設された章とも言える)を受章したハンス=ウルリヒ・ルーデル大佐(最終)による戦記である。
ルーデルは1916年シュレージェン地方(現ポーランド、チェコ西部)で牧師の子として誕生、実科高校を卒業後士官養成の軍学校に入学、当初は歩兵として訓練を受け後に飛行科に転ずる。多くが戦闘機乗りを目指すが、上級士官候補生の時ゲーリングの謦咳に触れ急降下爆撃部隊入りする。しかし、ここで“変人(酒煙草をやらず、紅灯の街に仲間と繰り出すこともせず、専らスポーツに励む)”と見做され偵察部隊に出されてしまう。1939年9月のポーランド戦から1940年5月西方作戦終了時までは長距離偵察の任務に携わり、その後やっと急降下爆撃部隊に戻るがバトル・オブ・ブリテンでは転換訓練中、それに続くバルカン作戦でも一線に出る機会は与えられず、悶々とした日々を過ごす。チャンスがやってくるのは1941年6月の独ソ戦開戦。レニングラードの外港であるクロンシュタット軍港を母港とする戦艦マラートを中隊長僚機として攻撃、これを沈没させたことで上層部にその存在を認められる(騎士鉄十字章受章)。ここからモスクワ攻略、クリミヤ半島進出、スターリングラード攻防、クルスク戦車戦と一日平均10回出撃(最終的に2530回)、橋梁・操車場・舟艇・装甲列車・戦車・車両の破壊で目覚ましい戦績を重ねていく。この間何度も不時着、敵地からの必死の脱出行もある。また5回負傷し、1945年1月には右ひざ下を失うも不完全な義足で戦い続け、最後は統制力を失った本土防衛戦でも、前線の出撃要請に個別対応して飛ぶことをやめない。結局混乱の中米軍の捕虜となってルーデルの戦いは終わる。
内容は主に戦闘・戦場に関することだが、Ju-87の技術的考察も実践面から行われる。初期の型は500kg(あるいは250kg×2)爆弾による急降下爆撃だが、これは戦車攻撃には効率が悪い(爆弾の数は少なく威力は大きすぎる)。そこで37mm機関砲を翼下に2基取り付けたものを開発する。これで戦車を後部から攻撃すると破壊数が一気に高まるのだが、飛行特性がまるで違い、機体・操縦士とも臨機応変に乗り分けることは出来ない。また鈍足のJu-87 では敵航空優勢下では損耗も増加、敗勢に転ずると急降下爆撃機よりは戦闘機の要素も兼ね備えた戦闘爆撃機でないと生き残れるチャンスがなくなってくる。急降下爆撃と言う戦術と専用機が消えていったのも納得できる時代の流れなのだ。著者が最後に乗っていたのはフォッケウルフ(Fw)190戦闘爆撃機である。
これだけの勇士ゆえ、叙勲や昇進の際何度もヒトラーと会見する機会があり、時には単独面談もおこなわれる。本書の中でうかがえるのは、ヒトラーが一線で戦っている戦士に対してはきわめて謙虚に接している姿、裏を返せば真実を伝えない上級指揮官・参謀達への不信感である。このヒトラー観は読み方によってはヒトラー礼賛と受け取れる。本書(ドイツ版は1949年発刊)が1960年西ドイツ政府発布の「青少年有害図書頒布に関する法律」に抵触したのはそのあたりにあるのだろう。
本書には記されていないが、戦後ソ連は執拗に彼を“戦犯”として裁こうとするが、米英がそれを阻止、「強制収容所」には関わっていないとして無罪放免。ルーデルはアルゼンチンに渡り彼の地の航空工業に携わり、のちに西独に帰国1982年亡くなっている。
2)流言のメディア史
-何故ニュースの誤報・ねつ造が行われるのか?ネット情報があふれる中、受け手は如何に対処すべきか-
40歳位までメディア関係者に直接接する機会はなかった。しかし、工場の課長になり事故などの対応を通じて彼らを知ると少しずつ不信感が増していった。こちらの話したことが真逆に近い記事になることが起こったりするのだ。そんな時IT企業のセミナーで朝日の著名な科学記者出身で当時編集委員になっていたKSD氏と昼食で同席し取材内容と記事の関係について不満を述べたところ「誤りは正さなければいけないが、見解の相違は許してもらわないと・・・」とのコメントがあった。「“見解の相違”!なるほど都合の良い逃げ道だな~」とある意味感心させられ、それ以来メディア報道を自分なりにフィルターをかけて咀嚼するようになった。特に、自社ペースで騒ぎを大きくしたい特ダネには注意し、件の“慰安婦問題”は早くから朝日の報道を端から疑っていた。結果として“見解の相違”どころか完全な誤報であった(紙面では一応謝罪しているものの英語電子版では日本からアクセスできないようにしているなど心から反省などしていない)。
このようなニュースの誤報・改変・ねつ造は古今東西、言わばメディアの根源に在る資質であることを、メディア史を俯瞰して示し、記事内容の信憑性に幅のあるSNSやユーチューブに代表されるニューメディアをどのように捉え、如何に個々人が情報リテラシー向上に心掛けるべきかを提言するのが本書の内容である。ポイントは二つ、①流言(誤報)は如何に発生しどのように変質するか、②オールドメディアによるニューメディア批判は真っ当か。これらを歴史的な事例を題材に分析するのである。
最初に取り上げられるのは、1938年10月30日(ハロウィンの夜)米国の放送番組がもととなった「火星人来襲パニック」、H.G.ウェルズ原作のラジオドラマ「宇宙戦争」を聴いた東部の市民がニュース報道と勘違いしたことから騒動が始まり、多くの人がパニックに襲われ、死者まで出たと報じられた事件である。有名な事件だったため、その後多くの研究が行われており、著者はそれらをつぶさに調べ、事実へ迫って行く。結論から言えばパニックなどほとんど起こっていなかったのだが、起こりそうな背景はいくつかはっきりしてくる。一つは、この番組(放送劇シリーズ)の人気が低く起死回生の一打を番組制作者・声優(オーソン・ウェルズ)が狙って実況放送に近いシナリオにしていたことがある(「これは事実ではありません」と言うタイミングまで考えて)。人気番組でないゆえにこの放送を始めから終わりまできちんと聴く人が少なかったことも(放送メディアの特性)、誤解のもととなっている。また、世相としてナチス勃興の恐怖感があり、直前にオーストリア併合が行われたことも外敵来襲を受け入れてしまう素地を作っていたとしている。さらに、新聞が事実確認をせず、噂話をそのまま記事にしたことから事態は拡大していった。その裏には放送に広告収入を奪われつつあった新聞業界の焦り・妬みも絡んでいたのだ。今ネットに広告を奪われつつあるオールドメディア(放送、新聞)が置かれた状況がそれに重なり、フェイクニュース流布の危険性を予見する。
我が国の古い事例としては1923年9月1日に起こった関東大震災直後の「朝鮮人虐殺事件」が取り上げられる。言論の自由を奪われ差別されていた朝鮮人の不満は日本人大衆にも常日頃感じ取られており、潜在的に彼らに対する警戒心を多くの人が持っていた。震災の混乱で信憑性の高い情報は欠如し、流言飛語が横行する。そんな環境下で「朝鮮人が井戸に毒を入れている」と言う話が拡散し、警察よりは自警団が早く動き、朝鮮人に対する暴行・殺人が行われることになる。ここには社会的に信頼されてきたメディアの存在は無く、ニュース源もそれによる行動も大衆の中から起こっている。つまり、メディアに扇動される以前に我々自身の中にフェイクニュースを作り上げ受け入れる素地があるわけである。ここからオールドメディアがニューメディアに置き換わることを礼賛する風潮に対して警告を発する。
一方で既得権を守りたいオールドメディアはニューメディアの到来を過度に警戒し、誹謗さえする。これを、“SNSが先に存在し活字文化が後からやってきた世界”を仮想して、以下のような小話をいくつも書き連ねて、オールドメディアの発する批判の矛盾を突く。
<書物は五感を鈍らせ、生活から活力を奪っている。色鮮やかで躍動感のあるディジタル映像の伝統に育まれた感性は、白黒だけの退屈な活字だけでは満足できない。脳全体をフル稼働させるディジタル文化に対して、読書中の言語処理で利用される脳領域はわずかであり、子どもたちは恐るべき“読書脳”になってしまう>
ニューメディア有害論のSNSと書物を入れ替えただけだが、至極真っ当な論と受け取れるのではなかろうか?つまり、ニューメディア有害論はメディアの世界では“万能薬”なのである。こうした議論の虚構性を見抜く眼識を養うためにメディア史観が必要なのだと。だからと言って、SNSが先進的で活字文化が遅れていると主張するわけではない。SNSを接続依存型コミュニケーション、活字文化を文脈依存型コミュニケーションの世界と分け、前者が情緒で動く情動社会に向かい民主主義の質的変化が生ずる可能性に言及する。
一見週刊誌的表題だが中身は濃い。“流言”の一言だけでも多角的に考察され、それを核にメディアの本質に迫ることが出来た。
著者は京都大学大学院教育学研究科教授。歴史学者でありメディア史、大衆文化論が専門。
3)予測マシンの世紀
-企業経営におけるAI活用事例、中身が薄い。主宰する経営大学院研究所のPR用?-
“経営決断にもっと数理を!”を発信する意図で本ブログを立ち上げたが、素材となる事例紹介(主に自身が関わったICTプロジェクト)を除くと、ほとんど関係がない記事を掲載する結果になっている。旅行記や読後感の方が圧倒的に受けているからである。それでも「雀百まで踊り忘れず」、最近(と言っても既に10年近く経過しているが)のICT最前線(特に、IoT・ビッグデータ・AI)にはどうしても眼が行き、本欄<今月の本棚>でも何冊も紹介してきた。決断と予測は不可分。新聞書評に“経済活動におけるAI活用の著書”とあったので、ブログの主旨とAIへの関心から読むことになった。
こういう書き方はあまりしないのだが、結論から言うと「たいした本ではない」(現役時代話題理解のために飛ばし読みした事例礼賛物と同種)。期待するところが大きかっただけに、厳しい断を下すことになった。とは言え経営者・管理者で最新ICT利用に関心が薄いながら話題のAIが経営にどう利用されているかをサラーッと学びたい人にとっては読みやすく入門書としてそれなりに役に立ちそうだ。
ここで取り上げられるAIは人間に代わる可能性を論じられる“汎用AI”ではなく、一部専門職の肩代わりや特定業務の意思決定を助ける“エキスパートシステム”と呼ばれるものである。銀行員の融資判定、クレジットカードの信用度、医療における臓器画像診断、顧客の嗜好性推論、患者の体質を考慮した投薬効果と副作用の可能性など既に実用段階に達している事例を援用しながら、経営や社会に対する影響を解説していく。
構成は、先ずAIの機械学習から入り、優れた専門家やビッグデータからAIが学び成長する過程を概説し、予測がどれだけ改善されて来ているかを説明する。次いで意思決定における予測の役割、決断・判断(結果として、見返り、効用、報酬、利益につながる)の質について論じ、そこでの問題点を洗い出す。これらを踏まえた上でAIが経営戦略に及ぼす大きさを訴え、最後にそれが社会にどのように関わってくるかを論述する。この展開で問題なのはいずれの段階でも同じ(ような)事例を引用点である。
私が特に不満に感じたのは、データ以上に学習アルゴリズムの重要性を強調しながら、そのアルゴリズムに関する解説が皆無に近いことにある(諸手法の紹介すらない)。多分これは著者ら(3人;数理専門家でない)がビジネススクールの教員だからだろう。
唯一評価できるのは各章の要旨を最後に個条書きでまとめていることである。これだけ読めば凡そ内容を理解できる。
読後にフッと感じたことに「一体全体この本は何のために掻かれたのだろう?」との疑問である(表向きはビジネスマン向け啓蒙書)。著者らはトロント大学経営大学院教授であるとともにその大学院に属する創造的破壊ラボ(CDL;委託研究・共同研究、起業家育成・支援など行う)の創設者であり運営者でもある。表向き以上にそのラボのPR材料の性格が強く臭うのである。
4)秘密資金の戦後政党史
-公開された米ソ外交文書が明かす各党への供与金。両国言語を解するジャーナリストの力作-
随筆の面白さを知ったのは、1964年朝日グラフで連載が始まった作曲家團伊玖磨の「パイプのけむり」を読んでからである。爾来朝日グラフが休刊となる2000年10月まで続いたそれが、単行本になると買い求め最終回「さようならパイプのけむり」まで全27巻を読み、育ちの良さからくる本物志向、要否・好悪の判断基準、自然との関わりなど、ここからいろんなことを学んだ。その一編に政治家について語ったものがあり、祖父である団琢磨が「彼らは乞食だ!」と言ったことが記されていた。政治がカネまみれであることは知っていたものの、“乞食
”と言う表現にはいささかびっくりした。三井財閥の総帥であった琢磨の下にカネをせびりにきた政治家が、よほど卑しく見えたのだろう。本書はその政治家とカネをめぐる話、それも外国からの資金である。
著者は東京外大ロシア語科卒業後時事通信社に入社、モスクワ支局、ワシントン支局(いずれも支局長経験)に勤務後外信部長も務め、現在は拓殖大学教授。本書は博士論文として書かれたものを一般向けに書き改めたものである。
本書の骨子となる情報源は公開された米国公文書館資料およびソ連崩壊後主にエリツィン政権下で閲覧可能になった共産党書記局の外交関連文書である(プーチンになって閉鎖的になってきているらしい)。それぞれの文書内容は現役時代時事から新聞社に流されたり、著者が雑誌などに投稿したりして、一時話題になったものもあるが、長い期間を通し当時の全政党との関わりを一つにまとめたものは今回が初めてである。こうしてみると終戦直後から半世紀ほどの我が国政治とカネ、特に外国(米ソ、一時期これに中国が絡む)のそれとの関係が俯瞰でき、「こんなことになっていたのか!」と独立国にあるまじき状態に驚かされる。右も左もまるで国際乞食なのである(米ソ双方の文書に“せびる”と言う言葉が残っている)。現在中国マネーになびく後進国を揶揄する資格などないのだ。
先ず自民党(スタートは自由党)。占領政策の中で吉田政権にテコ入れが入る。この段階ではおねだりではなく、むしろ米国側が積極的に動いている。裏に存在するのはCIA関連組織である。やがて戦後復興がなってくると、安全保障絡みで日本側が支援を要請するようになる(特に選挙対策費として)。ここで名前が頻繁に出てくるのは岸・佐藤兄弟。この後になる池田政権も資金援助はあったものの幹事長の大平・三木が外国からの支援に表向き批判的だったので、外交文書上ほとんど話題になっていない。また少しでも“中立”の可能性をほのめかす首相あるいは首相候補には米国のカネは渡らない(石橋、三木など。ソ連と国交回復した鳩山)。
米国は占領開始時から社会民主主義的な政党の存在は許してきた。その流れから社会党から分かれた民社党にも一時米国の資金が渡っている。西尾末広が何度か駐日米大使(マッカーサー;元帥の甥)や館員(CIA?)と会っているが、非武装中立論者がメンバーに居たためそれほど深い関係は築けなかったようだ。
なお、CIAによる選挙支援工作は日本に限ったことではなく、西独のアデナウアー政権やイタリアの保守政党に対しても似たようなことが行われている。
米国の対日外交文書情報公開に最も注文をつけるのはCIAだが、日本の外務省も相当強硬で米国側が「内政干渉だ!」と憤っている様子も残されている。
本書が読み物として面白いのは何と言ってもソ連との関係である。戦前のコミンテルン(国際共産党)から戦後のコミンフォルム(国際共産主義運動)まで一貫して各国共産党を経済支援してきたことは広く認められている。日本共産党も戦前からこれらの活動に組み込まれていた。ソ連から各国へのカネの動きは中央委員会やKGBが統括しており、そこに残された資金要請書やKGBから中央委員会への報告書には野坂参三や袴田里見らの名前が散見できる。
これが大きく変わるのはフルシチョフがスターリン批判を行い中ソのイデオロギー対決が始まってからである。日本共産党が中国路線を選択したことで、ソ連は自陣への取り込み対象を社会党に切り替える。常に資金不足に悩まされていた社会党が渡りに船と乗っていくのだ。時期は1964年頃から、オリンピック開催を潮時に米国の自民党援助は打ち止めになるが、社会党とソ連の関係はここから深まって行くのである。ソ連の狙いは「日米離間」である。ソ連側のキーパーソンは党中央委員会国際部日本課長のコワレンコ。当時の社会党書記長成田知巳が対ソ貿易推進を要請する文書(1966年)などに宛先として名前が出てくる。社会党の息がかかった商社を友好商社として特別扱いを求める内容だが、この仕組みを利用して社会党へ政治資金が回るようにするのだ。これ以降ブレジネフ書記長下石橋委員長が同書記長に宛てた貿易関連文書など、ひたすらカネのためにソ連追従を行う社会党の姿が“これでもか”というほど示される。その中には、1972年選挙資金10万ドル援助を得た2週間後それまで四島一括返還を主張していたものが二島返還に変更した「北方領土問題に関する見解」を発表している。当に売国奴である。
著者は、このような状況を“我が国民主政治の発育不全”と総括し、マックス・ヴェーバーによる二種の政治家「政治のために生きる人」と「政治によって生きる人」のうちあまりにも後者が多いと慨嘆する。團琢磨の「乞食」がよく納得できた。
あとがきに、「本書の1/3は米露両国の公文書館などで入手した機密文書に基づく現代史の見直し」とある。双方の言葉を解し、その外交政策を我が国の戦後政治史に投射した点で、当にその通りの内容である。加えてこの調査過程で得た知見を著者独特の視点(例えば、米国の対日外交における社会党や共産党の見方、反対にソ連から見た日本の諸政党、米国による自民党主導部の人物評価、あるいは野坂参三の知られざる人物像;四重スパイ説;中・ソ・米・日)で考察してところにオリジナリティもある。ベースは昨年提出の博士学位申請論文とあるが、著者略歴に“博士”はない。是非取得してもらいたいものである。
5)サムライ策敵機敵空母見ゆ!
-地味な水上偵察機で艦隊の眼となり、数々の激戦を戦い抜いた下士官搭乗員からみた太平洋戦争-
私が工場勤務をしていた時代(1970年代後半)、まだあの戦争で戦った人たちが従業員の中に居た。ある晩そんな一人と宿直で一緒になり、戦場体験を聞くことになった。詳しい経歴は記憶にないが、旧制中学か実業学校から予科練に進み海軍の偵察機乗りになった人。任務は航法担当(全員一応操縦を学ぶが、卒業時専門が分かれる)。その時搭乗していた飛行機は零式3座水上偵察機(愛知航空機製)。フロート付きの機で大型艦(戦艦、巡洋艦)からカタパルトで発射され、7~8時間、洋上を哨戒・偵察するのだ。3座は前から操縦士・航法士・通信士兼銃手(写真撮影も任務)の順、偵察は全員で行う。民間機のように操縦士が一番上位ではなく、同期搭乗の場合は航法担当が機長となる。練習生時数学、天文学、気象学など多彩な分野に優れる成績をあげた航法担当が最も重責を担うと言うことのようだ。話で印象に残るのは洋上航法の難しさだ。「飛んでいると暗号で「われ機位を失えり」と言うような無線が入ってきたりするんですよ」と(艦から発する電波を検知する装置を具えているが電波封鎖があったりよく故障・機能低下もあった)。
著者は大正10年(1921年)生れ、太平洋戦争開戦2年前に予科練を卒業(昭和14年4月;1939年)、偵察機乗りとなり、零式3座水偵であの大戦を戦い抜き生き残ったベテラン戦士(平成29年没;2017年)、その戦記である。
卒業当時まだ零式3座水偵は存在しない。またいきなり軍艦に配属されるわけでもない。専門は航法ではなく操縦士(数学が苦手)。最初は鹿島、鎮海(韓国)と基地航空隊に錬成を兼ね勤務、当時主力だった複葉の94式水偵で、諸条件下での離水・着水・洋上回収、航法、偵察、緩降下爆撃、夜間飛行などの訓練を重ねていく。仮想敵は米艦隊だ。最初の艦隊配属は重巡羽黒(母港佐世保)。この時新型機として呉に受領に赴くのが零式三座水偵である。爾来終戦間近艦上偵察機彩雲に切り替わるまで、これが彼の相棒となる(損傷や事故で機は変わるが)。
開戦の年の3月重巡妙高に転属、開戦時この艦は連合艦隊第3艦隊に所属、比島作戦に投入され、艦隊周辺300浬の策敵と上陸部隊の上空哨戒を行う。この艦から終戦まで所属は重巡熊野、同筑摩と変わり階位も(最終特務少尉)昇進していくが、乗機と操縦士と言う役割は最後まで変わらない。参戦した戦いはスラバヤ沖海戦、珊瑚海海戦、ガダルカナル島争奪戦、最後の大きな戦いはレイテ沖海戦。これらへの参加がすべて所属艦から行われたわけではなく、たびたび戦場に近い水上機基地航空隊に長期分遣されている。それもありレイテ沖海戦では筑摩は撃沈されたものの著者ら飛行隊員は難を逃れている。
最前線で下級兵士(下士官)として最後まで戦った人だけに細部が臨場感をもって伝わってくる。特に水偵と言う特殊な軍用機運用(カタパルト発艦と洋上着水の難しさは陸上機の比ではない)のそれはあまり知られていないことだらけ、乗組員3人の選別・組合せ・人間関係も興味深い。第2次世界大戦以降消滅した機種だけに、ある意味歴史的価値さえ感じられる。
読んでいて痛みを感じたのは戦闘よりも軍隊組織における格差問題。予科練、予備学生、海軍兵学校、出身母体間にある種々の差別である。一人あるいは2~3人乗りの軍用機の運用技量は一目瞭然、経験豊富なものがより成果を上げるのだが、それが入れられず戦いを失うケースも起こってくる。また、ベテラン搭乗員が不足しているにも関わらず、まだ30歳代の少佐・中佐が飛行を全く行わず指揮だけ執ることも戦意に大きく影響している(因みに米海軍はこのクラスの搭乗員が多かった)。責任はともかく、最も酷使されたのは経験豊かな下士官。レイテでは血尿、最後は初期の肺結核症状が出ても飛ばざるを得ない。“専門家をそれなりに扱う体制がない(ゼネラリスト優位)”、いまだに残る日本社会全体の問題点でもある。
6)<英国紳士>の生態学
-文学・芸術から読み取る英国階級制度におけるロウアー・ミドルの内実-
68歳でビジネスマン人生を終え、長年の夢だったOR(Operations
Research;軍事作戦に適用された応用数学の一種)歴史研究のため渡英した。それに先立ちその分野の第一人者(経営学部教授)に「師事したい」旨メールしたところ大学から願書が送られてきた。概ね問題なく記載できたのだが“Name of Address”がよく分からないので記載要領を子細に当たってみると、Sir(Lady)、Professor、Doctor(Dr)、Mister(Mr)のいずれの敬称を使うべきかを問うものであった。英国留学経験者から彼の国における階級制度のややこしさは聞いていたものの、いきなりそれに近い世界を突き付けられ、穏やかならざる心境になりながら最下層のMrと書き込んだ。本書は近現代における階級問題を主に階級制度研究や文学作品を基に、日本人に理解できるよう解説したものである。
著者がこのような本を書くことになったのはその経歴と深くかかわるので、その略歴から紹介しよう。生年は1961年。父親の仕事の関係で香港・オランダ・英国・日本で教育を受けている。特に本書と深くかかわるのは英国における中高教育。両親はオランダに居住しながら著者は13歳の誕生日前に単身英国に赴き、ウェールズに近い、既にその当時英国でも珍しくなってきていた古風な「お嬢さん学校」に入学、寄宿舎生活を始める。ここで礼儀作法、テ-ブルマナーをはじめ服装・髪形、話し方(上流社会用語を含む)等を厳しく躾けられる。やがて両親も英国に移るとロンドンクロイドン地区に在る別の私立学校に転校、ここでは通学生となる。さらに自宅の引っ越しでロンドン市内の私立女子校に移る。この3校(いずれも日本で言う中高一貫校)に学んだ体験から、最初と最後は比較的教育内容に共通性があり、中間の学校がそれらと顕著に違うことがら、前2校がアッパー・ミドルクラス向け、中の学校がロウアー・ミドルクラス対象であることに気づく。その体験を生かすべく大学(国際基督教大学)では英国階級制度に焦点を合わせ修士課程まで英文学を学び、さらに東大大学院でその研究を深めて学術博士号を取得、いくつかの私大教官を務めたのち、現在は東大大学院人文社会系研究科英文学科教授となっている。
本書でクローズアップされる階級はロウアー・ミドル。私がそれまで聞かされていたクラス分けは;アッパー、アッパー・ミドル、ミドル・ミドル、ロウアー・ミドル。ワーキングである。本書の中でも時々このクラス分けが出てくるが、読んでいると、アッパーとアッパー・ミドルがほぼ同じ範疇、ミドル・ミドルとロウアー・ミドルはロウアー・ミドルとして括られ、その下にワーキングが来る、3階級制にとれる。つまりビジネスマンや自営業の大半はロウアー・ミドルとして扱われている(サッチャーやブレアさえこのクラス。我が国上場会社の役員でもオーナーでなければ概ねこのクラスと言う感じである)。
本書の内容は、ロウアー・ミドルを中心に据え上下のクラスとの違いが通奏低音のように語られるが、ポイントはアッパー(アッパーとアッパー・ミドルを含む)に近づこうとするロウアー・ミドルの外見だけの軽薄さ・虚栄に対するアッパー(時にはワーキングからの)の嘲笑・憐憫、ロウアー自身のそのような言動・生活に対する自嘲あるいはアッパーに対する恨み・つらみを、文学作品やノンフィクションなどを援用し、どんな壁があり、その壁は時間とともにどのように変容していったか辿るものである。
取り上げられる題材は、職業・肩書、教育・学校、アクセント、ファッション、居住地、家、食べ物、芸術・文学への関心と嗜好、休暇の過ごし方と場所と多彩。「何とか外見だけでもアッパー風に」の具体例がいくつも紹介され、時には身につまされる。日本人によく見られる一点豪華主義、ブランド志向ほどアッパーから(時にはワーキングクラスからも)揶揄され皮肉られる対象だからだ。例えば、ほとんどの都会人が住むちまちました(あるいは小洒落た)郊外の戸建て住宅やブランド物の外車、いかにもそれらしい地名や建物の名称などがそれらだ。
英文学の専門家、ときに英語と日本語の違いを話題にするのも面白い。上例の“郊外”。同じような山林・田畑を開発した新興住宅地でも、ある人は、謙遜して「私は通勤に時間のかかる田舎(Country)に住んでいます」と言い、もう一人は誇らし気に「私は環境が良い郊外(Suburbs)に住んでいます」と答える。英国人の受け取り方は“田舎住まい”をアッパー人種(Gentleman)と解し、“郊外居住者(Suburban)”は間違いなくロウアーなのである。オックスフォード英語辞典のSuburbanの項には「郊外の住民の特徴と言える、劣ったマナー、狭い視野を持つこと」と記されている(因みに米語ではこのような解釈は無い)。
英国人との会話、英文学は日本人のみならず外国人にとって、この階級に関する知見を確り身に付けないと、発言者・著者の意とするところ(ユーモア、皮肉など)が正確に解せないことが多々あるようだ。当然だが、英国人自身がこの階級意識に感じやすく、それに関する著書は多い(本書に数多く引用されている。例えば、U(pper)用語とNot-U用語比較集)のでそこから学ぶことは比較的容易、ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロは一度も本物の執事に会うことなく「日の名残り」(執事がアッパーと誤解される場面がある)を書いている。これから英国と関わる人には“英国社会入門”の書として本書をお薦めしたい。
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